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【全文公開】桜庭一樹・斜線堂有紀による“競作”小説集『そうだ、君を憎めばいいんだ 愛と殺意と七つの条件』より1作を無料公開! 桜庭一樹「怪物のまま生きてゆく」

【全文公開】桜庭一樹・斜線堂有紀による“競作”小説集『そうだ、君を憎めばいいんだ 愛と殺意と七つの条件』より1作を無料公開! 桜庭一樹「怪物のまま生きてゆく」

 桜庭一樹・斜線堂有紀による“競作”小説集『そうだ、君を憎めばいいんだ 愛と殺意と七つの条件』をまもなく5月20日に刊行いたします。

 描かれるのは、2020年代の東京で少女たちの「愛」と「殺意」が交錯する、令和イチ切ない殺人事件――。各4篇・計8篇(うち書き下ろし2篇)+あとがき(書き下ろし)を収録する、超豪華クライムサスペンス作品集です。
 最大の特長は、著者二人が話し合って決めた「七つの条件」にもとづき各々短篇を書き下ろすという、前代未聞の競作を実施していること!

「桜庭先生が考える“愛の定義”、知りたい……です」
「燃えるならいっそ燃えてくれ、みたいなこと、ありますよね」

 そんな会話が飛び交ったすえに定められた「七つの条件」は一体何なのか。
それぞれ独立した短篇として楽しめることはもちろん、二人の作品の相違を読み比べたり、「共通する条件とは何だろう?」と予測し最後に種明かしを味わうことも可能です。
 刊行を記念し、本書の【「ゲームオーバー」からはじまる七つの条件】から各1篇を特別先行公開いたします! ぜひ、「条件」を「推理」しながらお楽しみください。

 

桜庭一樹×斜線堂有紀『そうだ、君を憎めばいいんだ 愛と殺意と七つの条件
amazon楽天ブックスほか全国書店・ネット書店で販売中

 


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怪物のまま生きてゆく

桜庭一樹

 

みず

 

「ありがとう!」

「えっ?」

 キラキラのエフェクトが見えるような可愛い声でお礼を言われて、びっくりしてるあいだに、胸の前に持っていた向日葵ひまわりの花束をガシッと奪われた。

 わたしより頭一つ分ぐらい小柄な、赤い髪の女の子だった。花束を抱いてうれしそうにわたしを見上げ、「うれしいな!」と言ってる。

 えっ、この子、誰?

 大学一年の夏休みの初め。アルバイト先の秋葉原の駅ビルの花屋で、売れ残った花をもらい、大切に抱えて帰ってきた。うちは秋葉原の外れにある三階建の雑居ビルで、一階にラーメン店があり、二階と三階が住居になってる。引戸を開けて店に入ったら、レジ前に立っていた知らない女の子に、わたしの労働へのささやかなご褒美である花束を、ガシッと奪われ……。ほんと、誰?

「水、おかえりー。こいつ、向日葵。俺の女。へへへへへ」

 と、普段あまりしない笑い方をしながら、三歳年上の幼なじみのてんがテーブル席から立ちあがってゆらゆら近づいてきた。肩まで伸ばした髪と、大型犬みたいなつぶらな瞳。近所の金物屋さんちのお兄ちゃんで、昔からよく知ってる。

 赤い髪の女の子の肩に腕をおいて、「こっちは、ここの姉妹の妹、水だよ。向日葵と同学年」と優しい声で説明しだす。

 そういえば、姉の花道はなみちから、あの天に初めて彼女ができたって、先週聞いたような気がする。ふーん……。

 店内は食事時なのにガラガラだった。わたしたちのほかには、カウンターの隅に座る女性客だけ。スマホを見ながら箸で冷やし中華をつっついてる。カウンターの中でお母さんがガチャガチャ洗い物をしてる。わたしは急いでエプロンをして手伝い始めた。

 ここはもともと、お母さんの実家だ。お父さんが脱サラして跡を継ぎ、わたしが中学生のころ、何かでバズって繁盛しだした。でも一年半後、お父さんは別の女性と家庭を持つことにして、出て行った。それからはお母さんが一人で店をやってる。

 天と彼女はテーブル席でメニューを見てる。彼女はうれしそうに向日葵の花束に顔をうずめたり、こっちを見上げて笑顔で手を振ったりしてる。

 あの子、向日葵って名前なのか。

 きっと、わたしが自分のために花束を買ってきたんだと勘違いして、あんなに喜んでるんだ。愚かだなと思ったら、胸の奥が急にびくんっと揺れた。ちらっと見ると、向日葵はまた、ほんとに向日葵みたいな満面の笑みでわたしの横顔を見ていた。

 天が花束を指差し、「それ、本物?」と聞いた。

 向日葵が「えー、本物の花だよぉ」と甘い声で返事してる。注文を聞くためにテーブルに近づきながら、「天の口癖なの。『それ、本物?』ってすぐ聞いてくる」と低い声で向日葵に言う。「口癖なんだー」と向日葵がコロコロと笑う。天は「そうだっけ?」と首をかしげてる。

 野菜ラーメンとカニチャーハンと餃子……と注文を受け、お母さんに伝え、カウンター席の女性のお会計をして、「ありがとうございましたー」と見送り、カウンターの中で手伝いを続けていると、引戸が開いて、肌を真っ白にしたメイクの上から黒マスクをした姉の花道が帰ってきた。「お姉ちゃん、天ちゃんの彼女きてるよ」と言うと、「あっ」と恥ずかしそうに、「メイク落としてから挨拶します」と走り、店の奥にある、二階に続く階段に消えていった。

 不思議そうにしている向日葵に、「ゴシック・メタル・バンドをやってるんだよ。女の子五人で」と天が説明する。わたしも「今夜ライブだったみたいね」と補足する。

 しばらくして、メイクを落とした姉が階段を降りてきて、「はじめまして……。花道です。天ちゃんの幼なじみで」と小声で挨拶する。向日葵が顔を見て、あっ、と黙る。

 姉は顔がすごく整ってる。初対面の人からいつも二度見されてる。性格もよいし、学校の成績もよかったし、人生の当たりのガチャを引きがちだ。「お母さーん、わたしもチャーハン食べたい……」「カニ?」「肉がいい。牛肉入れて……」「はいよ」とカウンター越しにお母さんと話す華奢な後ろ姿を見ながら、天が「あれは、本物だなぁ」と小声で言った。

「あれは、ってなぁに?」

「あー。姉妹だけど、わたしはちょっと違うの。だから」

 と、わたしも小声で言う。顔を指差して「こっちは、高校卒業して、春休みにアプデしたの。二重の幅とか顎とか、少し」「そうなんだね。武器の Tier に依らず進むのいいね。もとから綺麗はデッキの強さ」と向日葵が身を乗りだして早口で言った。何? 一言もわからなかったし、そんなに早くも喋れるんだ。声もちょっととつぜん低いね。

 天が腕を組んでうなずき、「そう言われてみるとそうだな。水は、人生ガチャの外ればっかり引いたってときどき言ってるよな。でも別のゲームにシフトしたのが賢い。つまり運任せのゲームをやめて、論理的必勝法が存在するほうのゲーム世界に転生したっていうか。奨学金で大学に行って、顔も綺麗にして、あと……」といろいろ話し出す。

 天は子供のころからゲームが好きで、大学在学中に自主制作のゲームがインディーズでヒットしたりしてて、だからたとえ話もゲームに関するものが多い。わたしも姉もお母さんも、よくわからないから聞き流しちゃってるけど。必勝法のあるゲームってなんだろ? ぷよぷよとか?

 向日葵もいきいきと早口で何か話し始めた。こっちもゲームの話みたい。なるほど、二人は趣味が同じなのかな。さっきのデッキとかなんとかとかもゲーム用語? それにしても、天が……。

「ねぇ、水。天ちゃんが、そう言われてみるとそうだな、なんて、人の意見を素直に認めるのは珍しいねぇ」

 と、テーブルについた姉がささやいてくる。わたしも同じことを考えてたから、「ほんっと!」と言った。「それだけ好きなんだね。天ちゃん、俺は本物の恋しかしないって言って、ずっと恋人つくらなかったもんね」とささやき返した。

 そのとき向日葵と目が合った。にこっと微笑まれたら、胸がぎゅっと不思議に痛んだ。

 黄色い鮮やかな花束を抱いて帰ってきたのに、もうなくて、ぽっかりと空間に黒い重たい穴が空いていて。

 

 

向日葵

 

「こんな太い毛が、こんなとこから一本だけ生えてくるなんて、ある?」

「わたしもショックー。悲しすぎる。早く抜いて」

「わかった。一刻も早く解決しましょう」

「んっ……」

 と、向日葵が目を閉じて口をぎゅっと結び、青白いあごを近づけてきた。

 長い夏休み。秋葉原の街も熱波でぐつぐつ煮え立ってるみたいだ。わたしは駅ビルの花屋のアルバイトが夕方終わると、天のアルバイト先である銀河ラジオビルに顔を出すことが増えた。

 銀河ラジオビルは四階建ての雑居ビル。小さな店がずらっと間借りしてて、まるでレトロな電脳の魔窟みたい。四階の隅、盗聴器専門店の向かいのレトロゲーム機ショップで天は働いてる。理工系の大学を休学中で、ここでアルバイトしつつ、ヒットしたインディーズ・ゲームの第二弾の制作もしてる。

 向日葵が、天のアルバイトが終わるのを待つ間、わたしも時間つぶしにつきあったりしていた。店の隅の丸椅子に並んで座って、喋ったり、向日葵が好きだというゲームを一緒にやったり。今日は向日葵のあごに一本だけ太い毛が生えてるのをみつけて、コンビニで毛抜きを買ってきてあげて、抜こうとして、それだけで面白くて、ずっと笑ってる。

「何してるの?」

 と、短髪で長身の男の人が店に入ってきた。天の高校の同級生で、わたしにとっては高一から一年半ぐらい、つきあっていた元彼でもある。ゲームが好きで、それ用に長く使ってる名前が破天荒はてんこう五月雨さみだれなので、友人たちから破っちゃんと呼ばれてる。

 わたしは高二で破天荒と破局したあと、二人とつきあって、一人の男の子とは半年、もう一人の男の子とは三ヶ月で別れた。大学生になってからは、大学と資格試験の勉強とアルバイト漬けの生活。友達から、せっかく顔を可愛くしたのにどうして恋愛しないの、と不思議がられることもある。でも。

「向日葵、すまんー。もうちょっとかかるわ」

 と天が店の奥のデスクから、両手を合わせて言った。あの天が、すまんー、なんて言うんだ、とわたしはまたおどろく。破天荒が「手伝ってやる」とデスクに近づいていく。わたしと向日葵は連れ立って店を出て、秋葉原の蒸す街を歩きだした。

 ガチャガチャの機械がみっちりと並ぶ店に入り、こんなのもあるね、こっちも、と喋りながら通路を歩く。冷房が効いてて涼しいから、どちらからともなく、手を繋ぐ。向日葵が「わたしガチャ運いいんだよ。だいたいいつもほしいのが出てくる」と言うので、「えー」と相槌を打つ。

 パンケーキ型のミニぬいぐるみみたいな、メープルっていうガチャガチャをみつける。亀の形で、甲羅がパンケーキになってるタイプを指差し、「かわいいね」とつぶやくと、「任せて」とほんとうに向日葵の花みたいな笑い方をする。

 一回まわし、丸い容器を開けると、亀の形のパンケーキが出てきた。びっくりする。もう一つ買って、開けると、そっちからも同じのが出てきた。え、同じのが連続で出てくることなんてあるの? 向日葵が「お揃いだねっ」と微笑み、一つくれて、自分のはカバンからぶらさげた。わたしも自分のカバンにつける。……うん、お揃いだねぇ。

 そのとき、胸の中で自分のささやき声がしたけど、なんて言ったかわからない。自分の声なのにまるで聞き取れないよ。

 スタバで二〇二三年の夏限定のピーチフラペチーノを一つ買い、太いストローで、二人で順番に吸いながら、ゆっくり歩いて銀河ラジオビルに戻る。向日葵は人生のガチャ運もいいほうなんだなぁ、とわたしは思う。実家は茨城のおおきな病院を経営してて、他にもいろんな会社を持ってるらしい。向日葵は一人娘。都内の短大に通う二年間、世田谷区の緑の多い低層マンションを借りてもらってて、アルバイトとかはしてない。昔から体が弱くて、学校もときどき休んじゃうって。お母さんも体が弱くて早くに亡くなったって。そして、卒業後は……?「再来年の春にはうちに帰るの」って、フラペチーノを渡しながら言う。「そうなんだ」「天さん、ついてくるって言ってくれてて」「ええっ!」と、おどろいたせいで桃のフラペチーノが鼻の穴に逆流し、鼻の奥が冷たくてツーンとなって、咳きこんだ。向日葵が背中をよしよしと撫でてくれる。あの天が、女の子についていく……?「経営の勉強も一からするし、婿養子になるって。すべての条件を飲んで絶対に君と生涯添い遂げるって」「天ちゃんが? ひゃあー、これが本物の恋か……?」「え?」「だって! 天ちゃん、昔から、プライド鬼のように高い男で。わたし、中学のとき、ちょっといじったら半年絶交されたんだよ。向こうは高校生だよ? 自分はいじりまくってくるくせに、たった一回言い返したら、半年だよ? お姉ちゃんはこう言ってたよ……」とわたしは痛む鼻を押さえながら、

「『天ちゃんって、ゲームマスターでいたい男だよねぇ』って。自分が作ったルールに人を引きこむの。そういうカリスマ性みたいなのもあるかな。だからびっくりして……。だって、向日葵の世界のゲームシステムに従うってことでしょ」

「うむ。人生がゲームなら確かにそういう説明になりますなぁ」

 と、向日葵がまた急に低い声の早口で言った。ゲームの話題になると、君、口調が変わるかもね? フラペチーノを二回吸って、返してくる。わたしは受け取りながら、

「恋愛となると、あの天ちゃん、天上天下唯我独尊男も、変わるんだね。恋愛ってすごいなぁ。わかんないよ、なーんにも」

「そういう水ちゃんは、どんな人とどんな恋愛したいとか、あるの?」

「そうだなぁ。わたし、いつもね……。クールな付き合いのほうがよくて。相手があんまり真剣だと、重くなって。家のこと……お母さんのことも、心配だし。奨学金、就職、もう不安しかないし。だから、恋愛で、変わらなきゃいけなくなるのが、負担で、ふわーっと別れちゃう。一人になると、ほっとして、また、自分の人生を、この、幸運な誰かが主人公のゲームのモブキャラみたいな地味な人生を、がんばる」

 という話を、向日葵は首を傾げて不思議そうに聞いていた。きっとよくわかんないんだろうな、と思った。経済的な不安とか。将来の道が決まってないこととか。いろいろ。わたしのことをよくわかんないだろう向日葵のことが愛しかった。この夜は、向日葵じゃなく、自分のことを愚かに感じた。自分より恵まれている人には理解されないような、面白みのない不安を抱えて生きるしかない自分のことを、取るに足らない存在みたいに、宇宙の隅のちっちゃな塵みたいに感じた。そのぶん向日葵が輝いて見えた。この子どうしてこんなにかわいいのかな。

 

 お盆休みになると、向日葵は帰省し、天は生けるしかばねみたいに元気がなくなった。口からエクトプラズムが出ていた。アルバイトの前に、うちの店でラーメンを食べて、アルバイトが終わると、うちの店で丼を食べる。カウンターに座り、カウンター越しに、お母さんに「はー、寂しいよー」とか言う。「なんなのあんた。スナックの常連さんみたいに、毎晩毎晩」とお母さんがまぜっ返す。天は洗い物を手伝ってるわたしにまで、「向日葵、浮気とかしてないよなぁ?」と顔をしかめて言う。「そんな気配もないでしょ。いつもわたしと遊んでるし」「それはほんとそうだな」「天のほうはどうなの?」「浮気? 俺にはありえん。あれ、このストラップ、見覚えがある……」とわたしのカバンを指差す。目の奥が少し光って見える。

 カウンターの中から首を伸ばして見て、うなずく。

「ガチャだよ。同じのが連続で出るのって珍しくない? もう一つは向日葵が持ってる」

「確率すごいな! うん、向日葵もカバンにこれをつけてるよな」

 手伝いを終え、今夜もガラガラの店内で、カウンターの天の隣に座る。天がふと「そういえば、水の恋愛の話、しばらく聞いてない。最近どうなの」と言う。「んー」とわたしは首をひねる。

「いまは、男の子に心を動かされたくないかも。だって自分の将来のことで、なんか、いっつも、不安でさ」

 と、こないだ向日葵にもしたような話を、とつとつとすると、天は本質的な理解がぴょんっと早くて、

「水は、大学進学、奨学金の返済義務、就職、あとこの実家……人生ゲームのシステムに理性的に順応しようとしてるんだよな。そんなとき、ほかのやつの恋愛ゲームのシステムを押し付けられたら、バグるよな。頭から発煙するわ」

「うん。あ、そう。そうなんだよ!」

「だから、人付き合いでは、なんていうか、水のように流れていってるんだろ。さらさらーって……。抵抗せず、形を変えず、その場にとどまらず。でもさ、それが人生の極意らしいよ。だから、水は賢いのさ」

「へー」

「空海が言ってた。老子だったかも。……いや、ブルース・リーだ! いったい誰だろう」

「って聞かれてもわかんないよ」

「昔、破っちゃんから聞いた話だから。あいつ中国文学専攻だし」

 と話してたら、ちょうど店の引戸が開いて、破天荒が「うぃーす」と入ってきた。わたしの顔をちらっと見て、うつむいて、微笑む。「中華丼ください」とお母さんに言い、テーブル席に座ろうとしたところで、また引戸が開いて、姉の花道が帰ってきた。「お母さーん、お腹すいた」「ちょうど破っちゃんの中華丼作るところだから、あんたも中華丼にして」「わかったぁ」と、破天荒の向かいに座る。わたしはときどき立ちあがってお母さんの手伝いをする。

 テーブル席に四人集まって、いつものメンバーとしておしゃべりもするけど、向日葵だけいないのが寂しくて、早くお盆休みが終わらないかなって、姉の隣で、ほかほかの中華丼を一口もらったりしながら、天だけじゃなくわたしまで思う。あの子どうしてここにいないのかな。

 

 

花道

 

 お盆休みが終わって、向日葵が帰ってくると、天の口からエクトプラズムが出なくなった。よかった。やがて秋になると、ちょうど涼しいから、銀河ラジオビルの屋上にキャンプ用の椅子を置いて遊ぶことが増えた。人狼ゲームとかTRPGとか。いつも天がゲームマスターで、進行がすごくうまくて、姉の花道は小声で「ね? 天ちゃんは生粋のゲームマスターですよ」と楽しそうにささやいてきた。

 向日葵は、カードの引き運が強いプレイヤーだった。わたしと破天荒は、論理的に最も有利と判断した選択を行い、地道に勝ちを拾っていくタイプ。姉曰く、「与えられたルール内で勝つ生き方に価値を見出してるねぇ」って。そういう姉はというと、他のプレイヤーから質問されたら素直に全部喋っちゃったりするから、まさかな、さすがにフェイクでしょってこっちが深読みして、勝手に振り回されたりする。「もーっ、お姉ちゃんの世界にはルールが存在しないから行動が読めないっ」とわたしが音を上げ、ゲームマスターの天は「ははは」と笑ってる。

 冬が近づくと、屋上はさすがに寒くなった。閉店後のラーメン店のテーブルを使う日が増えた。ある夜、ライブ終わりの姉が帰ってきて、真っ白なメイクの顔のまま「つぎ、入るー」と人狼ゲームに参加した。

 姉は〈狐の嫁入り〉というガールズ・ゴシック・メタル・バンドのリードボーカルだった。都立高校の軽音部の仲間と始めたバンドで、今では海外のイベントに呼んでもらえたりもしてる。中国の湖南省のラジオ局、広東省の島の海開きパーティー、マレーシアの首都の花火大会……。

 向日葵が「どんな曲なの? わたしも花さんのライブに行ってみたい」と言う。破天荒がスマホで動画を再生してくれ、五人で聴く。姉が「この曲、天ちゃんがサビの歌詞を聴き間違えたの覚えてる?」とささやき、くすくすと思い出し笑いする。

「サビが『友達ををを、裏切るぅぅぅ』って聴こえたって言ってたよね。もー。ぜんぜんちがうし」

「もう一回、もう一回!」

 と向日葵が言う。破天荒が動画を再生してくれる。耳を澄まし、「うーん」「そう聴こえるような聴こえないような」とみんなで首をひねる。天が「まぁな、変わった歌詞だな、聴き間違いかな、とは思ったよね。さすがに俺もね」と、人差し指で首を掻いている。

「でもね。わたし、ほんとに友達を裏切ったことあったから、あのときじつはどきっとしたんだよ。天ちゃん」

 と姉がつぶやく。天が姉の横顔を見る。「高校出てすぐのころ。友達のことが好きすぎて。他の子と仲良くされると嫉妬して。愛のフィードバック足りないっていつも飢えてて。彼女の一番でいたくって。でもその子に男の子の恋人ができちゃって。は? 友情は恋愛の代打ですかぁ、って。寂しくて腹も立ってその恋人の価値を下げたくて、顔使って、寝とった。……かこいち後悔してる」という姉の思い出話に、みんなシーンとし、破天荒が怯えた顔で「重いよ! 花ちゃん、急に何。怖いって」とつぶやいた。

「だからね、水と向日葵ちゃんはいいなぁって思って見てる。だって水はいま恋愛モードじゃないし。向日葵ちゃんには最初から恋人がいるし。バランス崩さないでずっと親友でいられるよね」

 と急に言われて、思わず向日葵と目を合わせる。向日葵は、だね、と言うように小さくガッツポーズしてくる。……なにそれ? 一瞬遅れて、とりあえずわたしも半信半疑でガッツポーズを返してはみたけど?

 姉が「わたしはもう一生白塗りでいるよ」とため息とともに言った。天が「花、一生その色?」とびっくりして、

「一生って、長いよ」

「知ってるよ」

 いつも小さなささやき声で話す姉が、おっきめの声で返事したので、天と破天荒が一瞬ファッと飛びあがった。

 この夜のやりとりを、姉が後日、バンドメンバーに話したらしく。作詞を担当してるドラムの人が、「イメージが湧いてきたよ」と言って、〈背叛朋友ベイパンポンヨウ〉というタイトルの歌詞を書いた。冬の終わりのある夜。姉の招待で、わたしと向日葵と天は上野のライブハウスに出かけ、壁際に並んで、腕を組み、後方親族面で新曲を聴いた。

 ステージに立つ姉は、メイクが濃くて、目の周りが黒くて、お餅みたいに縦にたくさんひび割れてて、生命力の黒い塊みたいに生き生きして見えた。短いMCのあと、ギュインギュインギュイィィンと曲が始まり、歌い出した。

「世界でいちばん好きな女の人から、くそ女、くたばれ、ってめちゃくちゃ言われて、ごめんなさいってうそ泣きして謝ったんだけど、でもほんとは自分が悪いなんて思えなかったよね。だってわたしは裏切られたほうだし、あなたが愛を返さなくなったせいでこうなったんだし、わたしが傷ついてる件のほうはどうなんですかぁ? 好きでもない男とあんなことするはめになったのは、あなたの冷たさのせいなんですけどぉ? 好きな人がわたしを大切にしてくれなくて死ぬほどすごく寂しかったんですけどぉ? ねぇ、わたしを世界一、寂しい女の子にできるのは、この世であなたただ一人だよ。好きな人がわたしを大切にしてくれないなんてこの世の地獄以外の何物でもないよ。こんな地獄がこの世にあってしまうなら、わたしは誰のことももう二度と大好きになんて絶対絶対ならないからねっ。ねぇ知ってるよ、オーディエンスのみなさん。あなたたちもでしょ? これは誰もが知ってる地獄でしょ。好きな人から好かれない。好きな人の好きが足りない。こんなのもう死ぬ。絶対死ぬ。だから、だから Not Amore, 不是サランヘヨ、友達ををを、裏切るぅぅぅ。Not Amore, 不是ブシサランヘヨ、友達ををを、裏切るぅぅぅ……。うぉぉぉぉぉぉぉっ」

 わたしは壁にもたれて、冷静そうな、どこぞのプロデューサーみたいな表情を保って姉の歌を聴きながら、正直、〈狐の嫁入り〉の楽曲の中で、かこいち変な歌だと思った。冬なのに背中から変な汗がどばどばと出た。

 姉は真っ黒に染まってシャウトしてる。

 かこいち変な歌じゃん、なんなのお姉ちゃん。でも。

 暗闇で夜の空気がいつまでも痙攣してた。切実な声は、聴いてしまうね。変でもぜんぜん。うぉぉぉぉっ。うぉぉぉぉっ。ギュインギュインギュインギュイィィン……。

 ギュイン、ギュイ、ン……。

 

 季節は春になり、やがて夏へ。

 天はインディーズ・ゲームの第二弾を発売して忙しそうになった。第一弾〈万世橋警察署前停留所〉は東京の街の写真を使った迷路ゲーム。路線が複雑な都バスで乗り間違えて迷子になっちゃって、目的地の秋葉原やスカイツリーやジブリ美術館にたどりつけないっていう。インバウンドで東京旅行した経験のある海外ゲーマーさんから人気が出たんだって。第二弾は、レンタサイクルで東京を回ってやっぱり迷子になるという迷路ゲームだった。いろんな媒体から取材もきてて、わたしは天ちゃんもすごいなと黙って感心してた。

 破天荒は春から社会人で、忙しそう。姉もバンドの仕事で日本にいない期間が増えた。

 だから、天を待つ間に向日葵とわたしの二人で遊ぶことがどんどん多くなった。ある日は「カラオケ行こうよ」と向日葵がわたしの隣で笑う。「シンガポール名物の甘いトーストを出すカフェができたよ」と言うと、「行きたい」ともう立ちあがる。

 トーストはバターとココナッツミルクのジャムたっぷりで、とろとろに甘くて。カラオケで向日葵が歌うのはわたしの知らないアニメやゲームの歌で、音程があぶなっかしくかすかに揺れたりして。

 

 

 

「天ちゃんと別れることに決まりました」

「……はい?」

 夏休みが始まる直前。向日葵に、言われた。あまりにもとつぜんで、頭がついていかなかった。喧嘩しちゃったのかなと思ったけど、ぜんぜん違った。

 向日葵は短大を卒業したら地元に帰るから、天もついていく予定だったけど、向こうの家の要請で健康診断を受けさせられて、ちょっと何かの数値が引っかかったんだって。今すぐ命に別状があるとかじゃないのに、健康じゃないなら破談にしたいって、向こうの親が言いだしたって。そんなことあるの、ってびっくりした。姉に話すと、「わ、それ、別れるの。ほんとに?」と姉も絶句していた。

 恋人たちの話し合いは、うちの店のテーブル席で行われた。二人の話す声をどうしても聞きたくなくて、わたしはガチャガチャ音を立てて洗い物をした。しばらくして、向日葵が立ちあがるのを横目で確認して、そっと顔を上げた。天がうつむいたまま言う。

「一生、恨むから! せめて覚えててよ! 俺のこの気持ちのこと! 絶対!」

 向日葵は背中を向けたまま、黙っていた。なんて答えようか迷ってるみたいだった。それから小声で返事した。

「一生って、長いよ」

「知ってるよ」

 天は乱暴な仕草でスニーカーを片方脱ぐと、去っていく向日葵の背中に向かって投げつけようとして、やめて、どうしようか迷ってから、もう片方のスニーカーも脱いで、靴の裏と裏をバーンッと音を立ててぶつけた。小声で呻くのが聞こえた。「にせものだったのか……」って言ったと思う。

 向日葵は、二日後、わたしに、会おうって連絡してきた。天にみつからないようにと気を回し、天がやってないゲームのコンカフェを待ち合わせ場所に選んだ。隅の席にわたしと向かいあって座って、「わたしね」と向日葵が低い声で話し始めた。

「怪物のまま生きてゆく」

「か? 何?」

「かいぶつの、まま、いきてゆく」

「聞き間違いじゃなかった……。いったい、どゆこと?」

 向日葵が言うには、自分には、一人で働いて生活する力がないと思うって。実家の事業をお婿さんに継いでもらう生き方を、親から求められてるし、自分でも選ぶって。天のことを好きだけど、困難を乗り越えて愛を貫く、とかはできないって。そういう生き方のことを、怪物って言ったみたいだった。

 テーブルにミニサイズの向日葵の花が飾られてた。それ、本物? 本物の花だよ。目の前で向日葵がアイスラテのグラスをストローでそっとかき混ぜている。

 わたしも自分のチェリーソーダのグラスをぐるぐる混ぜながら、

「つまりさ。向日葵は、論理的に攻略できるシステムのゲームのプレイヤーとして、一つの選択をしたってこと? 別に、怪物じゃないと、わたし、思うよ……。だってわたしも同じだもん。まず経済的に今後もやっていけるかどうか、考えるよね。お金や生活のことを後回しにして、本物の愛を選び、愛のために生きるなんて、べつのゲームのシステムだと思ってるし。そういう人、男の子にもいると思う……。わたし、愛って贅沢品だって思うときがあるよ。天ちゃんはさ、頭もいいし、家もまぁ裕福だし、いろいろ。だからわたしとかより余裕ある生き方ができるんだよね。ねぇ、向日葵。わたし、誰かに聞いてみたかった。本物の愛ってなんだろう。価値がほんとにあるんだろうか」

 ミニサイズの向日葵の花を眺めつつ、

「ちがうゲームのプレイヤーとは別れるしかないんだよ」

 と自分に言い聞かせるようにつぶやいた。ふと、破天荒の顔が浮かんじゃって、思わずぶるぶると首を振る。

 目の前の向日葵は、ほっとしたような微笑を浮かべた。

「よかった……。わたし、水ちゃんに軽蔑されたと思って辛くて」

「そんなことにはならないよ」

 と、わたしも微笑み返した。

 窓の外は真夏の空だ。すっごく暑そう。これから長い夏休みが始まる! まぁ、わたしは今年もアルバイトと店の手伝いだけで終わるけど。

 名残り惜しくて、なるべくゆっくり立ちあがり、「じゃあ元気でね」と微笑むと、向日葵がおどろいてわたしを見上げた。「どうして別れの挨拶みたいなの? わたしたちはずっと友達でしょ」「いや、そうはいかないと思う。だって天ちゃんに悪いよ。何も悪いことしてないのに振られて、傷ついてるよ」と早口で答えながら、わたしのこれも、論理的攻略のゲームにおける、リスク回避の選択かもなぁ、と思った。だって天は昔からの地元の友達で、これからもずっと。

 向日葵は「え……」と大きな目を見開いて絶句していた。その顔を見下ろしながら、だいぶ前に聞いた天の声をふと思い出した。

(水のように流れていってるんだろ。さらさらーって……。抵抗せず、形を変えず、その場にとどまらず……)

 さらさらーっ、かぁ……。

 わたしは向日葵への未練を無理に振り切るように、急いでコンカフェを出た。そしてほんとに川の水が下流にどどーっと流れるようなスピードで、汗を垂らして家に帰った。

 それで「暑いぃん! お母さぁぁん、ただいまぁぁんっ!」とシャウトしながら店に飛びこんだら、お母さんに「ちょうどよかったわ。天にこれ持ってって」と肉野菜炒めとライスを両手にポンと渡された。「ぜんぜんこないし。あの子ごはん食べてないかも」と言われ、うなずく。

 近所の金物屋の二階の自室に、ここ数日、天は籠りっきりらしい。アルバイトも休んでるんだって。肉野菜炒めとライスを持って訪ね、「入るよー」と明るい声とともに部屋に入ると、天はカーテンを閉め切り、真っ暗な中でパソコンに向かって座っていた。

「お母さんから、出前。何してるの?」

「世界一不幸な俺は、中国のインターネット・ミームに命を助けられてるところだよ」

 と、天がくるっと振り返る。両目が真っ赤だった。うわぁ、と思った。

「〈亡妻回想録ワンチイホイユウロウ〉っていうミームがあって。草原とかキラキラの夜景とか、いろんな風景の中で、きれいな女の人がこっちを見て笑ったり泣いたりしてるの。切ない音楽も流れてて。死んだ妻の思い出っていう設定で、いろんな人が動画を作って TikTok に投稿しててさ。海の向こうの大陸で流行ってる」

 と、画面を指差す。

 長い髪の女の人が笑顔で手を振る動画が、ちょっと不吉に揺れたり歪んだりしながら続いてる。きれいだけど、どこか不穏で、ホラーっぽい。水の中から見てるような。中国語のバラードも流れてる。「破っちゃんによるとさ、中国には昔から、病気や出産で死んだ配偶者をうる、悼亡詩とうぼうしっていう漢詩ジャンルがあるんだって。それでこういう流行もあるのかねぇ、って」「へぇ……。あっ、破っちゃんと会ったの?」「いや、メール。あいつ社会人になってから忙しくて会えない。たまに電話してもすぐ寝落ちされるし」「そういえばわたしもしばらく会ってないな」「なぁ、恋愛は数年で終わるけど、友情は永遠だっていう説さ、デマだよな? 生活や事情が変われば付き合いの形だって変わるさ」そう言われて、わたしは思わず実感を込めて「……ほんとそうだよね」とうなずいた。

 天が肉野菜炒めとライスを食べ始めたので、ほっとして、「また店にきてよ。お母さんが心配してた」と言うと、天は無言でうなずいた。

 家に帰り、お母さんに報告したら、「天ちゃんは優しい子よね」とガチャガチャ洗い物しながら急に言うので、お母さんが誰かを褒めるなんて珍しすぎてびっくりした。「だって、昼ごはんも夜ごはんも、友達と会うのもデートも、うちで売り上げに貢献してくれてて。ほんとはいろんな店に行きたいでしょ。若いんだしさ」と独り言みたいに言う。「えー、わたしもお手伝いしてるよ」「わかってるわよ! あんたは身内じゃないの」「わかってるならいいよ」と言い合い、作業を分担して片付けする。

 そんなふうに、二〇二四年の夏休みは、波乱の中で始まった。まぁ、わたしは予想通りアルバイトと店の手伝いに明け暮れるだけだったけど。たまに大学の友達グループとカラオケに行ったりとかはあって。

 姉のバンドが東南アジアツアーに旅立ち、天も途中から合流して海外で気分転換することになった。夏が終わるまでには元気になってほしいな、天ちゃん……。

 夏休み最後の日。同級生たちと秋葉原のカラオケ屋で遊んだ。外は夏の雨で道路が濡れ、もわもわ蒸し暑い夜だった。

 この夜の午前四時。銀河ラジオビルの屋上から女性の落下事故があった。──向日葵だった。裏口の鍵が壊れてて、侵入できたって。古いビルすぎて防犯カメラもなく、状況は謎だって。事故なのか自分で飛び降りたのかもわからないって。

 向日葵は街路樹のイチョウの木に受け止められ、ふわっと地上に落ち、奇跡的に大怪我せずにすんだ。でも打ち所が変なのか、意識不明で、病院で眠り続けた。わたしはお見舞いに一回行けた。天は、ちょうど姉のバンドを追ってベトナムに行く日だったから、わたし一人で行った。向日葵の花束を持って行った。

「これっ!」

 と、向日葵のお父さんが、亀の形のパンケーキのストラップをぐいーっと差しだしてきた。「わたしも同じのを……」と言いかけたら、遮られた。お父さんは亀の甲羅と胴体の間を開きながら、「ほら!」と尖った大声を出した。

「盗聴器! 音を受信機に飛ばすタイプの。落下の衝撃で壊れてる。誰かが娘のことを盗聴してたんだ!」

 わたしはびっくりした。震えて小声で答えた。

「わっ、わたし、そんなこと、ぜったい、してなっ……」

「君じゃないっ!」

 また大声を出されて、もっと震えあがる。思わず壁際まで後ずさる。「銀河ラジオビル四階の専門店で販売されたものだとわかったんだ。向かい側には天くんのアルバイト先がある。どういうことだ? 娘は自分で飛び降りたか、手すりが古くて一箇所折れていたから、そこから誤って転落したかのどちらかだと警察は言ってる。でも盗聴器を仕掛けられてたんだぞ! 事件の可能性もないか? えっ? 殺意を持って誰かが!」と怒鳴られて、わたしは涙ぐんで「わたしっ、なにも、してないですっ……」と震える声を出した。

 向日葵のお父さんは、これは人為的な暴力、つまり未解決事件だと疑ってる。でもわたしの涙を見ると急に猫なで声になって、「君は娘と仲良くしてくれていたし、素行もいい子だとわかってるよ。ただ何か事情を知ってるなら吐かせようと思ってね」と言う。

 逃げるように病院を後にした。外に出てすぐ、天に連絡したけど、ちょうど成田空港から飛行機が飛び立つころで、連絡が取れなかった。しばらくして返事がきたけど、『そうか』の一言。って、それじゃ何もわかんないよ、天ちゃん……。

 盗聴犯、天ちゃんじゃないよね? 別れ話の後、思い詰めて盗聴してないよね……?

 盗聴犯が誰か。いつからのことか。動機は何か。何もわからないまま、夏の終わりの二週間がじりじりと地面を焦がしながら過ぎていった。向日葵も目覚めないし、天は姉と一緒にツアーで遠い空の下にいるし。

 忙しいはずの破天荒が、店を訪ねてきたり、寝る前の電話に、寝落ちしつつもつきあってくれた。なぜこんなに優しくしてくれるのかなって正直思ったけど、「それは……水は水のまま変わらないのに、恋人じゃなくなったら、心配しなくなる、そういう自分がいやなだけだよ」って言われて、「なかなか破天荒でしょう?」とも言われて、何言ってるのかわからなすぎたけど、あんまり辛かったから、つい、ずっと甘えた。

 二週間後。天からメールが届いた。めちゃくちゃ重いデータだった。手製のゲームのファイルみたいだ。戸惑いながら、開いてみた。

 タイトルは──〈亡妻回想録〉。

 

 

GAME OVER

 

 ファイルが届いたのは土曜の深夜だった。天に「これ何?」と聞いても、返信がなかった。とりあえずプレイしてみるしかないのかな? わたしはゲームに慣れてないから、破天荒に手伝ってもらった。

 ラーメン店の二階の、わたしと姉の部屋。二人で床に座りこみ、ローテーブルにおいたスマホスタンドにスマホを立てかけて。小さな四角い画面の中で謎のゲームが始まる。

 ノスタルジックな緑の草原の背景に、こっちを見て笑ってる向日葵のバストアップ写真が重ねられてた。なんだかアクスタとの記念写真みたいな構図だ。静かな音楽もかかってる。中国のインターネット・ミームの動画と雰囲気が似ていた。水の中から過去を見てるような、揺れ方。きれいだけど、なんだかホラーっぽい。

 ゲームが始まる。

 背景が秋葉原の街の写真になった。銀河ラジオビルの天のアルバイト先、小さなライブハウス、うちの実家のラーメン店……。場所を選択すると、背景写真に、向日葵のバストアップ写真が重ねられる。向日葵がその場所にいるシーンということらしい。

 向日葵の台詞が、画面の下に文字で出る。文字と同じ文章を話している女性の声も重ねられる。「えっ!」と声が出る。「これ、向日葵の声だよね」と破天荒の横顔を見る。破天荒も「怖い。何これ……」と怯えつつ画面を見てる。

 向日葵の名前も、台詞の前に表示されてる。

 ゲームの主人公は、姿が見えないけど、台詞のところに名前が出てる。

 天。

 つまり天が亡妻、つまり元恋人との間の出来事を回想するというゲームなのかな?「わわっ、天の声もする」と破天荒がまた怯える。ほんとだぁ……。主人公の台詞のときは、同じことを言う天の声も聞こえてくる。「わたしだ!」「僕もいる……」と同時に震え声で言い、顔を見合わせる。画面に、わたし、破天荒、姉のバストアップ写真が向日葵と並んで表示される。まるでそれぞれのアクスタを一列に並べたみたいに。わたしたちの声も再現されてる……。「屋上って気持ちいいね」とか「もーっ、お姉ちゃんの世界にはルールが存在しないから行動が読めないっ」とか。こんな会話したしたって思い出してくる。

 え?

 ずっと天に録音されてた?

 破天荒と目を見合わせる。どっちももう何も言えない。

 秋葉原のマップの、選択できるすべての地点のイベントを見終わる。すると主人公の天がいないシーンが始まった。わたしと向日葵だけで遊んでる日の会話がずっと続く。「シンガポール名物の甘いトーストを出すカフェができたよ」とか、「カラオケ行こうよ」とか。カラオケの歌声とか。

 これって天はいなかった日の音声だ。つまり……「向日葵のストラップに盗聴器を仕掛けた犯人は、やっぱり天ちゃんだったんだ。しかも、別れ話をされてからじゃなく、関係がうまくいってるときから、ずっと」とわたしがつぶやく。

 夏休みの初めの、うちのラーメン店での別れ話のシーンになる。向日葵と天の会話が全部入ってる。わたしと破天荒は、ここも聞いていいのかわからなくなって、スマホからちょっと離れて壁際に並んで立った。

 つぎに、コンカフェでわたしと向日葵が話すシーンが始まる。「だって天ちゃんに悪いよ。何も悪いことしてないのに振られて、傷ついてるよ」というわたしの声に、主人公の天の心の声が重なる。(水、俺の気持ちを代弁してくれたのか。ありがと)って。

 いやいやいや! お礼を言われてるけど、それより天に全部聞かれてたんだと、背中をいやな汗がつたう。

 破天荒が目をこすりだし、隣で膝を抱えて座ったまま、やがて眠ってしまった。わたしは操作方法を覚えたから、一人で見続けた。

 夏休み最後の日になった。午前三時半ごろ、と時間も表示される。秋葉原の駅近くの小路の写真。ざーっと雨の音がする。

 向日葵が一人でいると、わたしの写真がまたアクスタみたいにぱっと現れる。『水ちゃん!』と向日葵が呼ぶ。わたしの声もする。『あっ、向日葵……?』って。

『わたし大学の友達とカラオケ行ってて、帰るとこ。みんなは始発まで歌うけど、わたしは歩いて帰れるから』

『そうなんだ……。話せない?』

『え! いいよ。人目がないとこなら……。このへん、天ちゃんやわたしの顔見知りだらけだから。そうだ、銀河ラジオビル、裏口の鍵が壊れっぱなしらしいよ。屋上に行こう』

 ギーッと裏口のドアが開く音。

 階段を上がる二人分の足音。

 またギーッと重たそうなドアが開く音がする。背景の写真が銀河ラジオビルの屋上の夜空に変わる。二人の写真がアクスタみたいに並ぶ。

 向日葵の声がする。

『寂しかった。水ちゃんと会えなくなるなんて無理すぎる。二人はずっと一緒だって思ってた。こんなのもう死ぬ。絶対死ぬ。だから……』

『向日葵……。わたしも、そりゃ、寂しいよ。寂しいっていうか、自分が欠けちゃって足りないのに平気なふりしてる毎日っていうか』

 出会った日、向日葵の花束をガシッと奪われて、あったところになくなって、胸に穴が空いたような変な気持ちになって、あの時からずっと。

『水ちゃん、わたしたちの関係って何だろ?』

『わかんないよ……』

『水ちゃんはどうしたい? わたし、会えないのだけはいや。ずっと友達でいたい。友達が無理なら、つきあう?』

 長い沈黙が流れる。雨の音ばかりになる。

 やがて、わたしの小さな声がする。

『ちがくない?』

『うん……。ちがうね』

 と向日葵も不思議そうな、困惑してるような声で話す。

『つきあうとかああいうこと、わたし、男の子としかできないし』

『それはわたしも、そう』

『男の子と、これからもつきあうし、いつかは結婚とかも、きっと。でもわたし、これ正直に言うけどわたし、恋愛は男の子とするけど、男の子の恋人のことを女の子の友達ほど深く濃くは愛せないみたい。これって何? 誰も教えてくれない。わたしはあなたが女の子だから好き。ずっと最高の友達でいたいんだ』

『わかる……』

『これって、アレだよね? 確かにアレなんだよね、Not Amore で、不是サランヘヨだね、恋愛じゃないし、恋愛の代打の友情じゃないし、すっごい大きいし。こんなこと言ったらいけないかもだけど、わたしほんとは女の子のほうがずっと好き。だってわたしも女の子だから。男の子と男の子の関係もそうなのかな? わたしたちにはわかんないことだね。もしそうでもべつにいやじゃないや。それはあなたと……出会えた後だから』

 雨の奥で震えてる向日葵の声を、スマホの前に座って、わたしは一人で聴いていた。やがて『ちょっと、考えさせて』と自分がつぶやくのが聞こえた。『友達だから、恋人みたいに別れたりせず、きっと一生一緒にいられるよ』と向日葵が言い、『だって、一生って……』と怖がってるような自分のささやき声がして、自分の写真が消えて、ドアがギーッと開いて閉まる音がした。屋上の写真にはアクスタみたいな向日葵が残された。『はぁ……』とため息が聞こえる。ギュインギュイン……と音楽が遠く聞こえ出す。スマホで姉のバンドの歌を聴き始めたみたい。

 聴き終わり、また静かになる。

『きゃっ』

 と声がする。バキッ、と金属が折れるような音。『きゃああっ』と悲鳴。ずざざっと衣摺きぬずれの音もして、それからいろんな音がして、あ……。落下の衝撃で盗聴器が壊れた。

〈GAME OVER〉

 と表示が出る。

 わたしはゲームを切った。指が震えてた。

 ……あの夜。事件の直前まで、わたしは現場にいた。誰にも言えなくって、だから向日葵のお父さんにあんなふうに怒鳴られたとき、怖すぎて涙が出た。でもわたしは事件の瞬間にはいなかったから、向日葵が自分で飛び降りたのかどうか知らないまま、この二週間を不安に過ごしてた。いまの音声によると事故だったのか。手すりが折れる音、驚いたような悲鳴……。

 破天荒が、くーくー、という軽いいびきをかいている。こんな大変なタイミングで寝るぅ? と思いつつ、ちらっと見下ろして、ありがと、と寝顔に手を合わせた。

 天とは翌日、連絡が取れた。

 盗聴犯はやっぱり天だった。本当は、わたしにも向日葵のご家族にも、屋上からの転落は事故だって伝えたかったって。でも盗聴してたことがばれるから言えなくて、で、ゲームに組み込んでわたしに教えたらしい。せっかく海外にきたのにB&Bにこもってずっとゲームを作ってた、って。

 わたしは天に、盗聴は犯罪だよって怒って、めちゃくちゃ長く、話した。つきあってた人に陰でそんなことされてたなんて、向日葵が知ったら。

 天は、わかってる、反省もしてるって繰り返した。「にせものじゃないかと思ったら怖くて、何日も眠れなくなって。相手の、リアルを、把握したくて」って。まるでゲームマスターの視点から世界を司るみたいに恋人のすべてを見聞きしたかったの?

 わたしは悩んで、でもあの怖いお父さんに連絡した。天が犯人だったことと、向日葵の落下は事故だったことを伝えて、落下の辺りだけの音声をメールで送った。お父さんは天にものすっごく怒った。でも事件にはしない、娘が目を覚ましても言わない、恐怖を感じさせるから、って言った。この件は、天が帰ってきたら、よく話さなきゃ、と思う……。

 天はさらに翌日、「友達でいたい人とはそうしててよ。俺は、聞かない。ゲームマスターはやめる」とメールを送ってきた。

 夏が終わっていこうとしていた。

 そろそろ秋の気配の涼しさの中……。

 

 愛したくなかった。

 わたしは誰のことも愛したりしないように気をつけて薄氷を踏むようにして毎日生きてきた。だってものすごく気をつけてないと好きな人とかできてしまうでしょ。

 わたしは変わりたくなかった。

 こんなにほとんど何も持ってないのにさらになくしたくなんてなかった。奪われてマイナスになる、あの日の向日葵の花束みたいに、なんて、そんなこと、わたし誰にもさせる気はないからね。

 向日葵は目を覚まして、退院して、もう通学してるって人づてに聞いた。わたしからは連絡とかはしなかった。秋のある夜。アルバイト先から家に帰る途中の暗い路地に、わたしが世界でいちばん好きな女の子が、亡霊みたいな薄い色のワンピースを着て、ぬぼーっと立っていた。わたしをみつけ、にこっと見上げてくる。足を止め、黙ってみつめた。

 ギュイン、ギュイン、ギュイィィン。

 夜の空気が痙攣しだした。

 ギュイン、ギュイン……。

 この子どうしてこんなにかわいいのかな。

 向日葵、ねぇ、あの夜の会話の続きをする?

 ちょっと、考えさせて。

 だって、一生って……。

 ゆっくり近づきながら、「……長いよ」と吐く息に乗せてちいさく言うと、向日葵は真剣極まりない表情になって、「知ってるよ」と微笑した。

 それからわたしたちは、手を繋いで、ゆらゆらと、秋葉原の外れの道を、並んで歩き出す。

 

 

==他の作品は、桜庭一樹×斜線堂有紀『そうだ、君を憎めばいいんだ 愛と殺意と七つの条件』でお楽しみください。==

 

桜庭一樹×斜線堂有紀『そうだ、君を憎めばいいんだ 愛と殺意と七つの条件

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著者

桜庭一樹(さくらば・かずき)

1971年島根県生まれ。99年、ファミ通エンタテインメント大賞小説部門佳作を受賞しデビュー。2007年『赤朽葉家の伝説』で日本推理作家協会賞、08年『私の男』で直木賞を受賞。著書に『砂糖菓子の弾丸は撃ち抜けない』『じごくゆきっ』『ファミリーポートレイト』『少女を埋める』『彼女が言わなかったすべてのこと』『名探偵の有害性』他。

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