単行本 - ノンフィクション

少数派の人々が屈服せず、真実を諦めなければ、世界は彼らの足元で大きく動く――シャネル・ミラー『私の名前を知って』訳者あとがき

『私の名前を知って』
シャネル・ミラー著 押野素子訳
46変形 本体2,600円(税別) 472ページ

 

 

「被害者」には名前がある。
彼女の言葉を吸収したら、きっと想像できるはず。
私たちはここにいる。
――伊藤詩織(ジャーナリスト)

 

 

◆全米批評家協会賞〔自伝部門〕受賞(2019)◆
◆ニューヨーク・タイムズ紙「ベストセラー」(2019)◆
◆グラマー誌「ウイメン・オブ・ザ・イヤー」(2016 & 2019)◆
◆タイム誌「ネクスト100」(2019)◆
◆フォーブス誌「30歳未満の30人」(2020)◆

 

 

2015年、アメリカのスタンフォード大で有名な白人水泳選手が起こした性暴力事件。その被害者であるシャネル・ミラーが実名で綴った回顧録『私の名前を知って』が刊行されました。全世界で絶賛された本書は私たちに何を教え、何を変えたのでしょうか? 本書を翻訳した押野素子さんの「あとがき」から、その一端をお届けします。

 

 

*    *    *

 

 

 Still waters run deep.——静かに流れる川は深い。寡黙に見える人が、実は豊かな感性と思慮深さを持っていることを示す言葉だ。本書の著者、シャネル・ミラーを端的に表している言葉でもあると思う。「私は内気だ」と本人も冒頭で記しているとおり、インタビュー映像で見る彼女は、控えめで大人しそうな印象だ。一言ひとことじっくりと考えながら、ゆっくりと話す。しかし、彼女の指先は、唇よりも雄弁だった。ひとたび彼女が文字を綴りはじめると、美しく知性的な言葉が、堰を切ったように流れ出した。性暴力被害と裁判を経験した彼女の指先から滴り落ちた言葉は、およそ13万ワード(英語原文)。こうして、『私の名前を知って(原題:Know My Name)』が誕生した。

 シャネル・ミラーは1992年6月12日、カリフォルニア州パロ・アルトで、アメリカ人の父と中国人の母のもとに第一子として生まれた。カリフォルニア大学サンタバーバラ校では文学を専攻。2014年に同校を卒業すると、教育アプリを開発するスタートアップ企業に就職した。2015年1月17日、22歳だった彼女は、妹たちと連れだってスタンフォード大学のフラタニティ・パーティに出席し、性暴力の被害に遭った。本書のストーリーは、シャネルが名もない半裸の体として発見されたところからスタートする。

 この日から、彼女にはエミリー・ドウという新たな人格が与えられた。性暴力の被害に遭った彼女の身元を隠すための仮名である。当初は自身が性暴力の被害者となったこと自体が信じられず、シャネルはエミリーを拒絶した。憤怒、絶望、孤独を味わい、「こんなにも泣いたのは、生まれて初めて」というくらい涙に暮れた。エミリーとシャネルという二つの人格で送る二重生活。インターネット上の中傷。遅々として進まない裁判。被告人の弁護士から繰り出される屈辱的な質問の数々。性暴力のサヴァイヴァーが受ける二次的被害が、本書にはつぶさに描かれている。

 ただし、これは単に被害者の苦痛を訴える本でもなければ、加害者に復讐を誓う本でもない。シャネルはあらゆる感情を吐露しつつも、写実的でありながら抒情的な筆致と、独特な比喩表現で、「性暴力サヴァイヴァーのノンフィクション」という重いテーマを超えた、美しい文学作品を創り出した。彼女の文才は全米の主要メディアでも絶賛され、本書はニューヨーク・タイムズ紙、ワシントン・ポスト紙、タイム誌、ピープル誌、シカゴ・トリビューン紙、ライブラリー・ジャーナル誌、エル誌、グラマー誌などの「2019年ベスト・ブックス」に選出された他、全米批評家協会賞を受賞(自伝部門)している。2019年9月に出版されたハードカバー版の初版は、10万部を数えた。私が住むワシントンDC(独立系書店が数多く存在する)では、どの書店も本書を目立つ位置に置いていた。また、2020年8月にペーパーバック版が出版されると、売り場の中心に特別コーナーを設けて展開している書店もあった。さらに、私がアメリカの友人・知人と近況報告をする際には(取り組んでいるプロジェクトについて話すことが多い)、本書のタイトルを言うだけで、「ああ、スタンフォード大の」という反応が返ってくることが多かった。

 なぜ本書は、全米規模でここまで広く認知されたのだろうか? すべては、「被害者が受けた影響に関する陳述書」(※本書に収録)から始まった。2016年6月2日、裁判官が判決を下す前に、エミリー・ドウは、ブロック・ターナーに向けてこれを読んだ。判決が出た直後は、「私の言葉には、何の価値もなかった」と嘆き、「こんなにも劇的に感情をぶつけ、ベタで感傷的な独り語りをした自分に心から腹が立った」と綴った彼女だが、翌日バズフィードに陳述書が掲載されると、まっすぐで力強い彼女の声明は瞬く間に拡散され、一週間ほどで閲覧数は1500万を超えた。全米から彼女に支援の声が集まり、ホワイトハウスのジョー・バイデン(当時副大統領)からも手紙が届いたほどだ。また、米大統領選に出馬したヒラリー・クリントンは、2016年11月9日に出した敗北宣言が、エミリー・ドウの陳述書にインスパイアされたものであると語り、本書の出版に際して、シャネルに温かい言葉を贈った。彼女は名前も顔もないまま、言葉の力だけで、言葉を駆使するゲームのプロである政治家の心をも動かしたのだ。

 なお、シャネルの陳述書が世に出たのは、#MeTooムーブメントが大きなうねりとなる一年以上も前のことである。「MeToo」自体は、2006年に黒人活動家のタラナ・バークが、セクシャル・ハラスメントや性暴力の被害者支援のために創り出したスローガンだが、本格的に火がついて大きなムーブメントとなったのは、大物映画プロデューサー、ハーヴェイ・ワインスタインによるセクシュアル・ハラスメントが告発された2017年10月である。つまり、あのムーブメントの後押しを受けたわけではない。「歴史とは、バックパックに入れて持ち歩く分厚い本のこと。ずっとそう信じていた。自分で作れるものだとは思ってもいなかった」と語る彼女は、たったひとりで道なき道を進み、歴史に残る社会運動のパイオニアとなったと言えるだろう。なお、彼女は2016年11月、エミリー・ドウとして、グラマー誌による毎年恒例の「ウイメン・オブ・ザ・イヤー」の一人に選ばれている(そして本名を公開した2019年には、シャネル・ミラーとして再度同賞を獲得。さらに2020年末には、フォーブス誌が選ぶ「30歳未満の30人」にも名を連ねた)。

 それから2年半をかけた執筆の末、本書刊行のタイミングに合わせて本名を公表したシャネルは、オプラ・ウィンフリーやゲイル・キングといった絶大な影響力を誇る女性司会者/キャスターのインタビューを受けた他、いまだ高い人気を誇る長寿ドキュメンタリー番組『シックスティ・ミニッツ』にも出演した。こうして、シャネル・ミラーの名前と本書のタイトルは、全米に知られることとなった。

 本書を読めば分かるだろう。シャネルは、弱くて、脆い。優しくて、繊細だ。それを隠さない。だからこそ、強い。憎しみや怒りと同じ場所に、愛と思いやりも詰め込んでいる。彼女は自分の弱さを知っているからこそ、他人の弱さに優しい。そして弱き者たちのために、怯えながらも勇気を振り絞って闘う。人間らしくて、自分みたいで、共感してしまう。ただし彼女には、凡人をはるかに凌駕する器の大きさと視点の高さがあった。以下、本文から彼女の言葉をいくつか抜粋する。シャネル・ミラーという女性の人となり、人生哲学を感じ取ることができるはずだ。

 

 私は、裁判制度のすべてを経験するため、無作為に選ばれた一般人。蹂躙され、恥をかかされ、孤立し、残酷さも感じることになる。私の仕事は、観察し、感じ、記録し、報告すること。私が学び、目にしていることで、普通の人が知らないことは? 私の苦しみは、どんな道へと続いているんだろう? 人々は時に、「想像できない」という言葉を発する。どうすれば、彼らに想像させることができる? 今この瞬間、被害者がどう扱われているかを示し、私たちの文化的な風潮を記録するために、私は書く。これは目印だ。20年後には、被害に遭った後の過酷な状況が、異質に思えるようになっていてほしい。

 

 あの朝、妹が迎えに来てくれた時、頭の中を駆け巡っていたのは、「私でよかった」ということだけ。妹でもなく、ジュリアでもなく、大学を中退せざるを得なくなる一八歳の女の子でもなく、私でよかった。私は幸い、大学を卒業し、安定した環境にいた。裁判所からそう遠くない場所に家があって、出廷した後は家で静養することができた。私が眠ってしまうと、部屋の電気を消し、ブランケットをかけてくれる両親がいた。貯金もあった。おかしな言い方だけれど、この旅路に出る準備はできていた。

 

 裁判では、恐ろしくて複雑な現実が露呈し、辛辣さの度合いも増す。私はシニカルになった。苦しみは人を狂わせ、過激にさせる。みんなが私のアキレス腱を攻撃しはじめた時、私は反撃したかった。心の広い人間になんて、なりたくなかった。彼らに卑小感を抱かせ、傷つけてやりたかった。

 それでも私は、自分に言い聞かせた。彼らと同類になってはいけない……自分がどんな人間になりたいか、そこに意識を集中させなければ。皮肉や個人攻撃をトーンダウンするために、この本の草稿を必死に書き直した。相手を矮小化したり、相手の人間性を奪ったりしないことを誓った。目的は、侮辱することではなく、教訓を与えること。私たちが何かを学べるよう、より大きな問題を示すことだ。私は、私らしくいたい。だから、他人を押しやるためではなく、自制心を持って声を上げるために、自分の強さを使う。

 

 シャネルは、社会に対する鋭い観察眼と健全な批判的精神の持ち主でもある。2013年にハッシュタグとして始まった「ブラック・ライヴズ・マター」運動が、黒人以外の層に広く波及したのは、ジョージ・フロイドが警官に殺害された2020年5月25日以降のことだ。しかしシャネルは、2016年に射殺されたフィランド・カスティール(2017年、警官は無罪判決を受けた)について本書で触れ、「私たちが何者であるかは、問題じゃない。あなたが私たちを何者だと思うかが、問題なのだ。あなたが私たちに投影する現実。それは、フィランドが暴力的で、私がゴミ箱の後ろでセックスを求める、というものだ」と、フィランドと自身の例を並べながら、白人至上主義的な既存の権力構造の本質を指摘している。

 そして、権力構造や裁判制度を批判しながら、「被害者の存在意義は、感動的な物語になること。被害者は社会にそう求められて生きている」「もっと前向きでポジティブなことを言えるようになったら、戻ってきてください、なんて言われてしまう」と、社会(=我々)の配慮のなさにも言及し、「性暴力の話を聞き、生々しく不穏な詳細を耳にした時は、目を背けたいという本能に抗って、目を凝らしてほしい。暴力と警察の報告書の下には、美しい一人の人間がいて、再び世界に戻る方法を探しているのだから」と訴えかけている。

 正直なところ、私も本書を翻訳しながら、自身の短絡的な思考と差別意識に気づかされる瞬間があった。まずは、「控えめな服装をしていれば、あなたが被害者になる危険度は低くなる、と私たちは教えられる。とはいえ、そうしたからといって、性暴力の問題は決して根絶されない。加害者はただ、何も知らない他の女性を狙い、暴力を振るうだけだ」という箇所だ。私の思考は、「控えめな格好をしていれば、性暴力に遭う危険度は低くなる」という点で止まっていた。地味な自分の前を素通りした人物が、他の女性を狙う可能性など、考えたこともなかった。自分のことしか考えていなかった自分を恥じた。

 もう一カ所で露呈した自分の意識は、さらに恥ずべきものだった。「お金はこちらで支払うから、歩くのはやめて車を借りてくれ」と懇願するボーイフレンドのルーカスに、シャネルが「歩き続けたいの」と言って泣きじゃくる場面。ほんの一瞬だが、シャネルに苛立ってしまったのだ。「既に危険な目に遭っているんだし、彼氏だってお金を払うって言っているんだから、危険な真似はしないで!」と、ハラハラしながら心が叫んでいた。でも、すぐ我に返った。性暴力の被害に遭い、大きなトラウマを負ったばかりの彼女に、どうして正常かつ冷静な判断力を求める? 彼女だって、被害に遭う前ならば気をつけていたはずだ。「歩き続けたいの」と泣いたのは、頑固で我儘だからじゃない。事件によって、自分がしたいことをする精神的・身体的な自由を奪われた悲しみ、怒り、苦しみを爆発させているだけなんだ。どうしてそれを受け入れられない? 「世間は性暴力の被害者に厳しすぎる」なんて、偉そうに言っていたくせに。こういう価値観は、今すぐアップデートしよう、と心に誓った。

 シャネルはさらに、性暴力という「男性(加害者)vs.女性(被害者)」という観念に囚われがちな問題をテーマとしながらも、まえがきで「本書では、『彼女』という言葉を使うけれど、男性、トランスジェンダー、ジェンダー・ノンコンフォーミング(性に関する旧来の固定観念に合致しない人)など、ジェンダー・アイデンティティに関係なく、あなたが性暴力の被害に遭ったならば、私はあなたを守りたいと思う」と、すべての被害者に向けてメッセージを発している。また、「私は自分の弱さをさらけ出し、やっとのことで事件を乗り切ろうとしていると綴る……(中略)……『私は癒され、救われた』、と書くとしたら、被害者が自らを至らなく感じてしまうかも、ゴールを目指す努力が足りなかったと思ってしまうかも、と不安になってしまう。ゴールなんて、存在しないのに」と、どん底で苦しみ、這い上がろうともがいている被害者のことも、決して忘れない。こうした細やかな心配りにも、感じ入った。

 ジャーナリスト的な記憶力と、作家的な表現力。事実を詳述しながらも、表現方法がパーソナルなため、シャネルの言葉は頭よりも胸に響いてくる。本書を読み、訳出しながら、何度も感極まり、立ち止まってしまった。本書を読んだ友人も、「彼女の中に、自分が入り込んでしまったような気がした」と語っていた。いくつか例を挙げたい。

 

 楽しむことは許されないんだ、とずっと自分に言い聞かせていた。私は、やりたいと思っていたことすべてを「角砂糖のアイディア」と呼ぶようになった。裁判は、普通の生活という体裁をすぐに溶かしてしまう鍋の熱湯だった。

 

 報道は、「告発の雪崩」「ストーリーの津波」「海の作用のような、著しい変化」なんて表現を使っていた。こうした比喩は、壊滅的かつ破壊的という点では正しかった。でも、自然災害と比較するのは間違っている。なぜなら、どれも自然ではなく、人間が作り出したものなのだから。「津波」と呼んでもいいけれど、一人ひとりの命が一滴であるという事実と、一つの波を作るのに、どれだけの水滴を必要としたかを忘れないでほしい。

 

 どれほどの威圧感と自信を手に入れたとしても、私はずっとオタマジャクシのままだろう。被害者とはそういうものだと思う。矢のように動く小さなオタマジャクシを心の中に飼ったまま、生きていくのだ。成長は直線的なものだと、多くの人は言う。でも、サヴァイヴァーは環状に成長する。みんなは上に向かって成長するけれど、被害者は円を描くように成長する。私たちは、傷ついた心の周辺を強化し、年を重ねるごとに丸くなっていく。それでも、脆い芯が消えることはない。サヴァイヴァーとして生きるということは、カエルになるというよりも、この震えるオタマジャクシとともに一生を送ることなのだ、と私は思っている。

 

 Be water, my friend.——友よ、水になれ。死後50年近くが経った現在でも、アメリカ屈指の影響力と知名度を誇るアジア系アメリカ人、ブルース・リーの有名な言葉だ。奇しくも、シャネルは本書の中で、「私は、自分が水であることを学んだ。石炭(真っ赤に光る石炭のような怒りの言葉)は私のところにやって来ると、ジューッと音を立ててその炎を消してしまう」と、自身を水に喩えている。野太く直線的なパワーが持てはやされがちなアメリカという国で、シャネルのようにしなやかで曲線的なエネルギーを駆使するWOC(ウーマン・オブ・カラー/有色人種女性)が脚光を浴び、大勢の人々に癒しと希望を与えたのは、同じ有色人種女性(それもアジア系)として、この上なく嬉しいことだ。

 シャネル・ミラー。彼女は「私の名前を知って」と自身の名前を公表し、性暴力の被害に苦しんでいる人々の傍にいるために、文字を綴り、声を上げている。日本で性暴力をはじめ、社会の不条理に苦しんでいる人々。伊藤詩織さんをはじめ、まだまだ保守的な価値観の残る日本で、性暴力撲滅のために闘っている人々。そして、社会的正義について学んでみたいと思っている人々。シャネルはあなたがたと共にいます。「強きを助け、弱きを挫く」者たちばかりが目に付く世知辛い世の中だけれど、私たちも、シャネルを見習って、常に弱き者、小さき者の側に立つ思いやりと愛を持てるよう、日々努力していきましょう。

 本書を翻訳する機会を与えてくれた河出書房新社の岩本太一さん、丁寧に訳文をチェックしてくれた校閲担当者様、大変お世話になりました。ありがとうございました。いつも以上に細かかった私の質問を、すべて打ち返してくれたヘルグラフィックス氏も感謝。本書を翻訳する勇気を与えてくれた石黒治恵さんと柳川詩乃さん、いつもたくさんのことを教えてくれてありがとう。そして、夫のジャーメインにもサンクス。

 人間は進化する。世界も変化する。二〇年前には当たり前だった言動の中にも、現在ではセクシュアル・ハラスメントとされるものは多い。先人が声を上げてくれたおかげだ。まだまだ道のりは長く、暗いかもしれないけれど、「少数派の人々が屈服せず、真実を諦めなければ、世界は彼らの足元で大きく動くだろう」というシャネルの言葉を信じて、勇気を出して声を上げた人々に、賛同と支援の手を差し伸べていきたい。

 

2020年12月 押野素子

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著者

押野 素子(おしの・もとこ)

翻訳家、ライター。東京都出身。米・ワシントンD.C.在住。訳書に『ヒップホップ・ジェネレーション』、『フライデー・ブラック』、『THE BEAUTIFUL ONES プリンス回顧録』、ほか。

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