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作家・王谷晶が「怒りを表現する覚悟を持つ人間の、圧倒的な仕事」と評する、ジェニー・ザン『サワー・ハート』

 怒りという感情をいかにソフィスティケートして表現するか。感情的にならず、説教臭さや青臭さを排し、原始的で野蛮な怒りをどうスマートに、読者にそれと分からないくらい自然に伝えていくか。怒っているという言葉を使わずに静かに、ユーモラスに、ひねりを加えて怒りを表現するのがうまいほど、それは上出来な作品。そのほうがオシャレだし読者も怖がらないし、何より売れ行きが良くなるから。いつの間にかそんな風な空気が著述業界全体を覆っていたことに、本書を読んで気付かされてしまった。

 『サワー・ハート』は、剥き出しで、混じりっ気のない怒りに貫かれている。怒りを、悲しみを、考えちゃいけないことを考えたことを、暴力を、それがセックスだということを知る前のセックスを、歴史を、そして愛情を、濁流のように溢れる詩人の言葉で綴っている。七つの短編、いずれも小さな子供の視点だが、どれも一発喰らうごとに膝を地につけて休憩を挟まないといけないくらい、パンチが重い。

 中国大陸からアメリカに移民してきた両親と暮らす女の子が各編の主人公で、貧しさと家族間の不和にがんじがらめになりながら、“無条件に愛して、かまってほしい”と“独りにして、ほうっておいて”が重なり合う子供時代のあのおぞましい懊悩にぶち当たっていく姿が書かれている。過去と故郷と現在とアメリカと家族と他人と“よそもの”が織りなす複雑な生活が、まだ自立することも叶わない子供たちを否応無しに取り巻いていく描写は、エルロイの暗黒小説ばりにハードだ。

 こちらのちっぽけなイマジネーションをやすやすと超えていくその「移民生活」の描写、ディテール、何より主人公たちの佇まいから、これは作者の(半)自伝的な物語なのではないか? とつい思ってしまうが、単行本『中国・SF・革命』に収録のジェニー・ザンのエッセイ「存在は無視するくせに、私たちのふりをする彼ら」には〈私の書く登場人物たちはいつも若いアジア系アメリカ人の女性か少女だが、自伝的なものは一度も書いたことはなかった。〉とある。詩人やエッセイストというのは、小説家とはまた違う眼を持っていると私は考えていて、その高解像度にして特別なフィルターが掛かったカメラで写した世界をフィクションのフィールドに持ってくると、こんなにも激しく、汚く、美しい世界が浮かび上がるのかとショックを受けた。

 それぞれの話はゆるやかに繋がり、脇役だった人物が別の話では主役になって進んでいく構成は海外ドラマのリミテッド・シリーズを思わせる。文化大革命、天安門事件という暴力の歴史を両親や祖父母などのごく近い存在から聞かされ、同時に人種のるつぼと言われるニューヨークで最先端のポップカルチャーやガジェットに触れながら生きていく子供たちの叫びとささやきは、ここでしか読めない色をしている。怒りを怒りとして持つこと。それを表現すること。その覚悟を持つ人間の、圧倒的な仕事を読ませてもらった。

初出=「文藝」2021年冬季号

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著者

王谷晶

1981年生まれ。著書に小説集『完璧じゃない、あたしたち』、エッセイ『どうせカラダが目当てでしょ』など。

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