単行本 - 文藝
恋愛小説への挑戦状『報われない人間は永遠に報われない』
李龍徳
2016.08.15
『報われない人間は永遠に報われない』
李龍徳
【評者】斎藤美奈子
恋愛小説への挑戦状
浪人中の若者がキャバクラ嬢に洗脳されて破滅への道を歩む。─文藝賞を受賞した李龍徳のデビュー作『死にたくなったら電話して』は、安部公房『砂の女』の現代版みたいな小説だった。
李龍徳の第二作『報われない人間は永遠に報われない』もまた、面倒な女の罠に落ちた男の物語である。クレジットカード会社の夜間コールセンターで働く派遣社員の「僕」は、ある日、職場の先輩に「賭け」をもちかけられた。派遣社員のまとめ役であるスーパーバイザーの諸見映子を一週間以内に落とせたら、皆から三千円ずつ貰えるという賭け。あきれながらも、退屈していた「僕」は賭けに乗るのだが……。
恋愛小説なんですよね、 どう考えても。しかし、読んでいるあいだじゅう、読者は奇妙な居心地の悪さを味わうだろう。
第一に、映子の何に「僕」が惹かれたのかが、さっぱりわからないのである。三四歳、独身。母と二人暮らしの映子は、〈仕事はちゃんとこなしていたが、態度は冷たく、打ち解けなく、(略)容姿に華やかさがいっさいなかった〉というような女性で、面倒な小理屈をこねるうえに、自己評価の低さは天下一品。親密な関係になった後も〈自分を悪く言うことだけは歯止めが利か〉ず、〈「私はつまらない女だから」とか「おばさんだから」とか〉いいつづける。
第二に、彼女のどこが魅力的かわからないため、「僕」の求愛がすべて噓くさく見えてしまう。〈「諸見さんとの会話は夢のようでした」〉というメールも〈「僕の真剣さをわかってくれないんですか?」〉という口説き文句も信用できず、〈彼女を守ってやりたいという気持ちが引き起こされていた〉といわれても「ほんまかいな」と感じてしまう。諸見映子の気分が乗り移った?
そう、恋愛小説っていうのはふつう、「あばたもえくぼ」の産物で、彼や彼女のあそこが素敵、ここが好きという「えくぼ」についての描写で読者を高揚させる。ところが、この小説の語り手は「えくぼ」について語ることを拒否しているか、または語る能力がないのである。
そのような人物に恋愛を語らせることで、はじめて可能になった居心地の悪さ。これほど魅力のないヒロインは珍しく、これほど不快な恋愛小説もめったにない(というのはもちろん褒め言葉である)。
あえていえば、谷崎潤一郎『痴人の愛』を反転させたような小説。あちらは高慢な年下の少女に翻弄される中年男の物語。こちらには卑屈な年上の女に翻弄される青年の物語。しかし、最後に待っているのは思いがけないどんでん返しだ。〈どうか安心してください、当時のあなたの年齢を超えて今の僕は、あなたよりも確実に孤独で惨めです〉
『死にたくなったら電話して』にはまだ「正」の要素があったもんね。「負」の要素だけで塗り固めた恋愛小説。でも、その不可解さが恋愛の本質かもしれず……。古今東西の恋愛小説に挑戦状を突きつけるような不敵な秀作だ。