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【一挙78ページ無料公開】名作『星を継ぐもの』に異議あり!? SFの巨匠・山田正紀が挑戦状! - 8ページ目

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 一瞬の沈黙を挟んで、
「ちなみに化石人骨はN​A​S​Aによってエルヴィスと名づけられた」
 と卓がこわばった声でそう言った。
「エルヴィス……プレスリー?」
 鋭二はすこし笑った。笑うしかないだろう。
「って思うよな。誰もがそう思う──エチオピアで発見されたアウストラロピテクスの化石人骨には、ルーシーという名前がつけられた。ビートルズの『ルーシー・イン・ザ・スカイ・ウィズ・ダイアモンズ』にちなんで命名されたものだ。この例にならって、パンドラの『エルヴィス』が、かのエルヴィスにちなんでつけられた名前だと各関係者が思い込むのも無理はないかもしれない。だけど、ちょっと違う。エルヴィスの名はギリシア神話の『パンドラの箱』からとられた……」
 美しいパンドラは、神々から箱──一説にはびん──を渡され、「決して開けてはならない」と命ぜられたにもかかわらず、好奇心に抗しきれずに、つい箱のふたを開けてしまう。
 すると、そのなかから、疫病、悲しみ、貧困、犯罪など、ありとあらゆる災いが世界に飛び出していってしまう。
 ただ最後に一つだけ、箱のなかに、希望エルピスが残された……
「希望はギリシア語でエルピスという。それに引っかけてエルヴィスって名づけたのは、N​A​S​Aお得意のお遊びかもな。ギリシア語を学ぶアメリカの学生たちの間では、『エルヴィス生存説はみんなの希望エルピスだ』って駄ジャレも有名らしい」
「へー、そうなの」
「そうさ。ただ、ギリシア神話の『希望』には、いろいろと一筋縄ではいかない解釈がある。これはじつは『偽りの希望』なのだった、という説さえあるって聞いたぜ」
「聞いたって誰から」
 と突っ込みを入れたのは、反射神経のようなものであって、もとよりそんなことには最初から関心がない。どうでもいい。
「偽りの希望……」
 そうつぶやいた。
 ふと樋口麻衣子のことを思い出した。正確には彼女に話したO・ヘンリー──彼の作品、『最後の一葉』のことを。小学校の国語の教科書にも載っていた。
 肺炎の病床にある女性が、窓から見える煉瓦れんがの壁にうツタの葉を数え、その最後の葉が落ちたときに、自分の命も尽きるだろう、と悲嘆に暮れる。それを知った、同じアパートに住む無名の老画家が、嵐の夜、最後の一葉が落ちたあと、壁にツタの葉を描いて、彼女を力づける。そのおかげで彼女は生きる希望を持ったが、嵐の風雨に打たれた老画家は死んでしまう……
 国語の先生はこれがいかに感動的な物語であるかを強調したが、それは鋭二にはどうにも納得できないことだった。
 この『最後の一葉』こそはまさに偽りの希望ではないだろうか? 人はそうした偽りの希望にまどわされ、欺瞞ぎまんのうちに一生を終えるのではないか。
 まさか小学生の鋭二がそこまで考えたわけではないが、せんじつめればそうした感想を抱いたように思う。
 いまの鋭二はもう小学生ではない。が、やはり、こんなふうに思った。
 ──人間は、いや、人類、、は、しょせん最後の一葉に──偽りの希望に──あざむかれるままに、ついうかうかと生きながらえているのではないだろうか。
 どうしてここで「人類」などという言葉を使ったのか自分でもわからない。ただ妙に生々しい衝撃を覚えた。
 ふと視線を感じた。
 反射的にそちらを見た。
 野崎リカだ。
 少女がじっと鋭二のことを見つめていた。その目は、なぎの海のように穏やかだったが、しかし謎をはらんで、深かった。その底にどんな秘密を沈めているのか、と疑わせる、不思議な魅力をはらんでいた。
 一瞬、二人の視線は宙に交差した。
「……」
 突然、鋭二は激しい渇きを覚えた。自分が何にそんなに渇いているのかわからなかった。ただ、ひたすら渇いた。
「それで?」鋭二はようやく我に返った。「俺に何をしろっていうわけ?」
「日本の宇宙科学研究開発機構はN​A​S​Aに対して頭にきてる。日本政府はアメリカ政府に対して頭にきてる。だけど、どちらも表だっては抗議できずにいる」
「属国だから」
「ああ、そうだ、属国だから──」卓は逆らわずに鋭二の言葉を受け流して、「エルヴィスは沖縄に運ばれた。沖縄のどこかに『スノーボール』という対バイオ・ケミカル兵器のラボがあるという。そこでアメリカ本国から呼び寄せられた科学者たちがエルヴィスの調査に当たっている──そのリーダーはなんとダニエル・ハント博士なんだってさ」
「ダニエル・ハント……」
「いくらおまえでも名前ぐらいは知ってるだろ?」
「ああ、知ってる」
 知らない人はいないだろう。
 以前、鋭二はダニエル・ハントに多少の興味を抱き、試しに検索したことがある。V​サインをしている自撮り写真がアップされていた。まるで大学生のような若々しさだった。その若さで、その天才はたしかに脅威といっていい。
「数年前にマッカーサー財団から天才基金を授与されたときにちょっとマスコミで騒がれた。ビル・ゲイツからマイクロソフトを取り、ホーキンスから車椅子くるまいすを取って、その二人を合わせたような人物だと……つまり文字どおりの天才だ──俺たちが相手をするのはそのダニエル・ハント博士だ。一筋縄ではいかないぜ」
「相手をする?」
 鋭二はいやな予感がした。それも非常にいやな予感が。
「どういうことよ」
「だからさ、俺たちの任務は、まずはエルヴィスのデータが集積されたデータベースにハッキングしてその情報を可能なかぎり盗み出すことにある」
 意図的にだろうか、それとも偶然にか、卓はテレビの『スパイ大作戦』のパロディのような言い方をした。
 いつもの鋭二であれば、たちどころに笑い出すところだが、いまはその気になれない。
「やだよ」
 鋭二は即座に反発したが、それにはかまわず卓は言葉を続けた。
「もう一つの任務は、俺たちがチームを結成し、スノーボールに潜入し、俺たち自身の手でエルヴィスの調査に当たることにある」
「だから、やだってば──」
 鋭二はあくまでもあらがったが、その声は弱々しかった。

 

※続きは『ここから先は何もない』(河出文庫)にてお楽しみください。

 

 

 

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