ためし読み - 海外文学
【あす公開】映画「星の時 4K」 クラリッセ・リスペクトルによる原作小説冒頭試し読み クラリッセ・リスペクトル 福嶋伸洋訳
クラリッセ・リスペクトル
2026.08.20
「ブラジルのヴァージニア・ウルフ」と呼ばれる20世紀の巨匠、クラリッセ・リスペクトルが最後に遺した傑作『星の時』が、このほど河出文庫より刊行されました。
しかも、文庫化が大反響を呼び、発売2日で重版が決定!
ご好評の声にお応えし、作品冒頭の10ページを特別公開いたします!
また、本作を原作とする映画が、公開から40年の時を経て、明日8月21日から、新宿武蔵野館やBunkamuraル・シネマ渋谷宮下ほか全国で日本初公開となります。この機会にぜひ併せてお楽しみください。

地方からリオのスラム街にやってきた、天涯孤独のタイピスト。
彼女は、自分が不幸であることを、知らなかった。

クラリッセ・リスペクトル
『星の時』
amazon、楽天ブックスほか全国書店・ネット書店で販売中
星の時
世界のすべては、ひとつの「イエス」から始まった。ひとつの分子がもうひとつの分子に「うん」と言って、生命が誕生した。でも、歴史が始まる前のそのまた前には、先史の先史とか、いちども存在したことのない時代とかがあって、「うん」、「そう」があった。それはずっとあった。よくわからないけど、宇宙の始まりというものが存在したことはない。
誤解しないでもらいたい、ぼくがこういう単純な答えにたどり着いたのは、たくさん考え抜いた末のことだ。
疑問に対する答えを見つけ出せないでいるあいだは、書き続けようと思う。物事は起こる以前に起こってしまっているというのに、どうやったら最初から始められるだろう? 先々史の時代よりも前には、黙示録に出てくるような怪物たちがすでに存在していたというのに? この物語がまだ存在しないとしても、いつか存在するようになる。考えることはひとつの出来事。感じることはひとつの事実。そのふたつがいっしょになると──ぼくは自分が書いているものを書いている、ということになる。神は世界。真実というものはいつも心のうちの感触にすぎなくて、説明はできない。最も真実に近いぼくの人生は認識できず、心のずっと奥深いところにあって、それを指し示す言葉はひとつとして存在しない。ぼくの心はどんな望みもなくしてしまって、最後の鼓動、あるいは最初の鼓動だけになる。この物語を書いているあいだずっと、ぼくの口のなかで激しい歯の痛みが続いていた。だからぼくは大きく高い声で、先走りがちで、高音域が耳障りな旋律を歌う──それは世界を背負っているぼくの痛みそのもので、そこに幸せはない。幸せ? こんなに痛ましい言葉を他に知らない。そこらへんを群れて歩いている北東部の女たちが発明した言葉だ。
いまから話すように、この物語は、徐々に見えてきたことの結果になるだろう──二年半前から、いくつもの因果が見えてきた。それも、間近に差し迫って。何が? もしかするとあとでわかるかもしれない。ぼくは読まれているのと同時に書いているのだから。でも、死が人生を語るように、始まりを正当化するような結末から書いたりはしない。先立つ出来事から書き留める必要があるから。
ぼくはいまこの瞬間、こんな他人事の、あからさまな話であなたがたの領分に入り込んでしまうことに、すでに恥ずかしさを覚えながら書いている。でも、生命力あふれる、あえぐような血が、もしかしたらそこから滴り出てきて、震えるゼリーみたいな四角い形にすぐに固まるかもしれない。この物語はいつか、ぼくの血のかたまりになるんだろうか? そんなことがわかるはずはない。そこには真実味があるかもしれないし──もちろん、物語というのは、作り出されたものであっても真実だ──、ひとりひとりが自分のなかにその真実を認めるかもしれない。ぼくたちはみんなそれぞれがひとりの人間であり、お金に困っていない人は、黄金より貴重なものを持っていないために、精神や郷愁の貧しさを抱えている──繊細な本質を持たない人も存在する。
この物語でこれから起こること、まだ知らないことすべてを、経験したこともないのにぼくが知っているとは、どういうことだろう? リオデジャネイロのある通りで、北東部から来た女の顔に浮かんだ破滅の感覚を、ぼくは一瞬、空中でつかみ取った。ぼくが子どもの頃、北東部で育ったことは言うまでもない。生きるなかで学んだこともたくさんある。自分が知っていると知らないまま、知って暮らしていることがある。そんなふうに、あなたがたも自分が思う以上に知っていることがあって、ずる賢く振る舞っている。
ぼくにはあなたがたの存在を支える言葉を使う必要があるけれど、難しく書くつもりはない。この物語には──自由意思がぼくにあるものとして決めつけるけれど──だいたい七人の登場人物がいて、もちろん、ぼくはなかでも最も重要な人物のひとりだ。ぼくはロドリーゴ・S・Mという古い人間で、現代風である振りをするつもりもないし、独創を気取って流行り言葉を使うつもりもない。いつもの習慣に反して、始まりと真ん中とがあり、静けさと雨降りに続く「グランド・フィナーレ」がある物語を書いてみようと思う。
見たとおりのわかりやすい物語ではあるけれど、そこには秘密も隠されている──考えた題名のひとつは『未来については』で、前にも後ろにも区切りが付いている。ぼくの気まぐれではなく、たぶん最後には、そんなふうに区切る必要があることがわかってもらえると思う。(ごくぼんやりとだけど、ぼくの貧しい想像力では、壮大な結末を見通すことができている)。終止符ではなく、言葉の途切れを示す三つの点が後ろに付いていたら、その題名はもっと、あなたがたの、たぶん不健全で無慈悲な想像力をかき立てるものになるだろう。確かにぼくも、主人公である北東部から来た女に慈悲を感じてはいない。これが冷淡な報告となることをぼくは望んでいる。痛々しいほど冷淡になる権利がぼくにはあるけれど、あなたがたにはない。だからぼくはあなたがたに譲歩したりはしない。物語ることについてだけではなく、何よりも、ずっと呼吸し続けているありのままの生のことについても。この穴だらけの素材、原子同士がぶつかって轟音を立てるかもしれない分子の生を、いつかぼくはこの物語のなかで経験するだろう。ぼくが書いているのは創作以上のもので、何百万といる女の子のうちのひとりであるその子について語ることは、ぼくの義務である。そして、あまりうまくできないとしても、彼女の生について明らかにする責任がぼくにはある。
だって、叫ぶ権利というものが存在するから。
だからぼくは叫ぶ。
叫びたいがために叫ぶだけで、ほどこしがほしいわけではない。安いモルタデッラ〔ボローニャソーセージ〕のサンドイッチではなく、きちんとした夕食を食べたいがために、体を、たったひとつの持ち物である体を売る女の子たちがいることは知っている。でも、ぼくがこれから話す女の子は、売るような体を持ってもいないし、誰も彼女をほしがったりはしない。彼女は処女で無害で、いなくなっても誰も困りはしない。というか──いま気づいたけれど──ぼく自身だって、いなくなっても誰も困りはしないし、ぼくが書くものも、他の書き手にも書けそうなものに過ぎない。他の書き手、でもそれは男でなければならない。だって女の書き手というものは、つまらないことですぐに涙ぐむから。
北東部の女は何百万と散らばっていて、安い集合住宅とか、寝室のベッドの空いたところにいたり、あるいはカウンターの後ろに座って疲れ果てるまで働いていたりする。彼女たちは、自分がいくらでも替えがきくことにも、存在していてもいなくても同じようなものだということにも気づいていない。不満を言う人はほとんどいないし、ぼくの知るかぎり、自分が誰だかわからないということに不平を言う人もいない。そんな人はいないのかもしれない。
始めるにあたって、ぼくは体を温め、両手をこすり合わせて、勇気をかき立てようとしている。いま思い出したけれど、精神を奮い立たせるために祈ったこともあった。動きこそが精神だから。祈るのは、沈黙して、誰からも隠れて自分自身にたどり着くためだった。祈れば、魂に空白を得ることができた。そしてその空白こそが、ぼくが決して手に入れることのできないものだった。あるいはそれ以上のもの、無だった。でも空虚は、満たされていることに似ているし、同じ価値を持っている。何かを手に入れるには、探さないこと、所有する方法は求めないこと、そしてただ、自分のなかにあると信じている沈黙が、自分の──自分の謎の答えだと信じること。
すでにほのめかしたように、ぼくは文章を少しずつ、より単純にしていくつもりだ。というか、ぼくが使う素材はあまりにも慎ましく質素なものだ。登場人物たちについてのわずかではっきりしない情報は、ぼくのなかを痛ましく巡っている。それらを大工仕事みたいに組み立ててゆく。
そう、でも忘れてはならないのは、何を書くとしても、ぼくの基本の素材は言葉であるということ。だからこの物語は、集まっては文章になる言葉で作られ、そこから言葉や文章を超える秘密の意味が立ち上ってくるだろう。もちろん、他のあらゆる作家と同じく、ぼくもみずみずしい単語を使いたい誘惑に駆られはする。輝かしい形容詞や、肉感のある名詞、すらりとした動詞を知っている。それらは出来事となって、空気をつんざくだろう。言葉は出来事になるから。同意してもらえるだろうか? でも言葉を飾るつもりはない、なぜならぼくが飾った言葉でその女の子のパンにふれれば、パンは黄金に変わってしまうから。そしてその若い子(彼女は十九歳だった)がパンを噛めなくなって、死ぬほど空腹になるから。彼女の繊細であやふやな存在を捉えるためには、単純な言葉で語らなければならない。ぼくは控えめに──でも控えめさをひけらかせば控えめではなくなってしまうので、それは避けて──すべてが彼女に敵対しているような街での、そのささやかな冒険のいくつかを語るに留めたい。ぼろの服を着て、タイプライターの打ち方も知らず、アラゴーアスのあの荒野から出るべきではなかったかもしれない彼女、というのも小学校には三年までしか行かず、文章を書くのはひどくへただったから。無知で、タイプライターもひと文字ひと文字ゆっくりと打たなければならなかった。タイプライターの打ち方の基礎を教えてくれたのは叔母だった。それで女の子は自信をつけた。ついにタイピストになれた、と。ただどうやらふたつの子音が続く単語もあるということを知らないらしくて、愛すべき上司の「designar」という美しい丸文字を、話し言葉の発音に合わせて「desiguinar」と打っていた。
ぼくが自分の話を続けることを赦してほしい。というのもぼくにとって自分は未知の存在だから。書いていると、自分に運命があるということに気づいて少し驚かされる。こう問いかけたことのない人がいるだろうか?──自分は怪物なのか、それともこれが人間というものなのか、と。
その女の子は、当てもなく生きているだけでなく、自分について何も知らなかったということは、あらかじめ断っておきたい。「わたしは誰?」と問う愚かさがもしあれば、彼女は地面にばったりと倒れてしまっただろう。というのも、「わたしは誰?」という問いは、不足を生じさせるから。不足をどうやって満足に変えることができるだろう? 自問するのは不完全な人間だ。
ぼくが語ろうとしている人は、ただの通行人に微笑みかけたりするほど愚かだ。誰もその微笑みに応じないのは、彼女を見てもいないから。
自分の話に戻ろう。ぼくが書こうとしているものは、要求の高い、洗練を求める精神にはなじまないかもしれない。それは、裸のようにありのままのことだから。背景には──まさにいまみたいな──寝苦しい夜にいつもぼくの夢のなかに現れる、苦しく薄暗い影がある。だからどうかこれから始まる物語に、星々を期待しないでほしい。煌めくものは何もないし、素材は不透明に濁っていて、その本質は誰からも軽蔑されるようなものでしかない。この物語には、美しく歌われるような旋律はない。ときにリズムもずれてしまう。あるのは事実だ。ぼくはあるとき突然、作りごとのない事実に魅せられるようになった──事実は硬い石であり、ぼくは、考えることよりも行動することをおもしろいと思う。事実から逃げることはできない。
先に結末を素描しておくべきだろうかとも自問する。でもぼく自身にも、この話がどんなふうに終わるのかよくわかっていない。それに、時が定めた期限に合うように、一歩ずつ歩んでいかなければならないということも理解している。動物だって時間と折り合いをつけながら生きている。それがぼくにとっても第一の条件だ。この女の子に対して、せっかちになる気持ちを抑えて、ゆっくり歩いていくという条件。
この物語で、ぼく自身も心を動かされるし、どんな一日も死から盗み取られたものだということはよく知っている。ぼくは知性ではなく体を使って書く人間だ。湿った靄のようなものを書き、鍾乳石やレースや歪んだオルガン音楽のいくつもの影がばらばらに重なり合ってできた音である言葉を使う。豊かで病んでいて暗く震えるその網には、重厚な苦しみの低音部があって、あえてそこに向かって言葉をわめく度胸はぼくにはない。陽気に速く。だからぼくは、炭から黄金を取り出そうと思う。自分が物語を先延ばしにして、ボールなしでサッカーをやっていることはわかっている。事実は出来事だろうか? この本は言葉なしに作られると誓おう。これはむしろ、言葉のない一枚の写真だ。ひとつの沈黙、ひとつの問い。
でも、こんなことを書いているのも、ただ物語の貧弱さを先送りするためでしかない気もする。ぼくは恐れている。ぼくの人生にあのタイピストの女の子が現れるまで、文筆業ではうまく行っていなかったけれど、そこそこ満ち足りてはいた。身の周りのあれこれにまあまあ恵まれていた。完熟したものが腐るように悪くなってしまうことさえありそうなほど。
でも突然、自分の限界を踏み越えることに魅惑されてしまった。現実について書こうと思ったのはそのときだ。現実というのは自分を超えるものだから。「現実」が何を意味するとしても。甘ったるい物語を語ろうとしているのだろうか? そうなりそうだけど、だからいまぼくはすべてを、乾いた、冷淡なものにしようと思う。それに少なくともぼくが書くものは、誰の好意も求めないし、助けも求めない。それは高貴な威厳をもって、いわゆる苦しみのなかで、じっと耐えている。
そう。どうやらぼくは文体を変えているようだ。でもぼくは書きたいものだけを書くし、専業の作家でもない──その北東部の女について話す必要があって、書かないと窒息してしまうだけだ。ぼくを責める彼女から自分を擁護する方法は、彼女について書くこと。生き生きとした、粗い描線で書くこと。さっき言ったような、矯められない石のように堅固な事実と折り合いをつけて書いていくつもりだ。事実を見きわめようとするあいだ、励みになる鐘の音が鳴ることを望みはするけれど。そしてぼくの熱く働く頭の上で、天使たちが目に見えないヴェスパに乗って羽ばたき回ることも望みはする。ぼくの頭は結局はモノになりたがっているから。そうなればことはもっと簡単だ。
==続きはクラリッセ・リスペクトル『星の時』でお楽しみください。==

クラリッセ・リスペクトル『星の時』
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クラリッセ・リスペクトルの詳しいプロフィールはこちらの記事でもお楽しみいただけます。
https://web.kawade.co.jp/bungei/12505/






















