芸能界を震撼させたベストセラー『枕女優』から6年 その身体のすべてを捧げ、「夢」を目指したもう一人の女性の物語、開幕

枕女王

「枕女王」未瑠 4

「枕女王」未瑠 4

「待ってくれよ。どうしても、中丸じゃなければだめなんだ!」
放課後の屋上――篠原一馬演じる新庄俊が、中丸のり子演じる未瑠の腕を掴んだ。
「篠原君って、最低」
未瑠は、俊の腕を振り払った。
「なんで、僕が最低なんだよ?」
俊が、悲痛な顔で訊ねてきた。
「本当に、わからないの?」
「もしかして、ハンナのこと?」
「もしかしてじゃなくて、そのことに決まってるじゃない」
「ハンナとは別れたよ。中丸も、知ってるだろう?」
「知ってるよ。篠原君が、一方的に別れたって」
未瑠は、棘を含んだ声で言った。
「一的なんかじゃないよ。ハンナだって納得したし……」
「ほかに好きな人ができたから別れてほしいなんて言われて、本当に納得していると思ってるの!? ハンナが、どんな気持ちで別れを受け入れたと思ってるの!? それなのに……親友の私に好きだなんてありえないわ」
未瑠は、軽蔑の視線を俊に向けた。
「私のことは気にしないで、好きにしていいのよ」
突然ドアが開き、ハンナ演じる松井すずが現れた。
「ハンナ……」
「のり子だって、一馬のこと嫌いじゃないでしょう? 本当は、コクられて嬉しいんじゃない?」
すずが、未瑠の心を試すように言った。
「ハンナ、それ、本気で言ってるんじゃないよね?」
「知ってるのよ。のり子が一馬に気があったこと」
「ハンナ、本気で言ってるなら、怒るわよ」
未瑠は声を荒らげ、涙に潤む眼でハンナを睨みつけた。
「カーット! いやいや~、未瑠ちゃんもすずちゃんもよかったよ! 最高!」
監督の川島が、満面の笑みを浮かべ未瑠とすずの演技を褒め称えた。
これが一ヶ月前までならば、川島は未瑠など視界にも入れずにすずのもとに飛んで行ったことだろう。
それも、無理はない。
第二話までは、すずはヒロインで未瑠はセリフもない脇役だったのだから。
チーフプロデューサーの中林と「枕」をしてから、未瑠は準ヒロインに昇格した。
すずがヒロインなのは変わらないが、第三話からは明らかに未瑠が得する内容になっていた。
「嗚呼! 白蘭学園」は、もともとはハンナと一馬の純愛物語だったはずが、脚本に大幅に手が加えられ、一馬がハンナを振り、のり子に想いを寄せるというとんでもない展開になっていた。

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

ハンナがかわいそう!

ハンナと一馬はどうなっちゃうの!?

なんでのり子が!?

急展開過ぎてついていけねーし。

一馬最悪……のり子のどこがいいの?

のり子したたか~

氏ね! のりっぺ!

のり子って、二話まで脇役だったよな? もしかして、監督と寝た?

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

第三話の放映直後から、インターネットのスレッドは荒れた。
大部分が、のり子を否定する内容だった。
だが、スレッドが荒れるほどに「嗚呼! 白蘭学園」の視聴率は上がった。
第一話が十三・二パーセント、第二話が十二・五パーセントだったのが、第三話が十四・一パーセント、第四話が十六・三パーセントと回を追うごとに上昇した。
最初はチーフプロデューサーのトップダウンに渋々といった感じで従っていた現場スタッフも、未瑠がフューチャーされた途端に視聴率が上がったことで態度が一変した。
いまでは、ヒロイン役のすずよりも未瑠を中心に現場が回っているといってもよかった。
「監督、褒めて頂けるのは嬉しいんですが、ふたり一緒にというのは気持ちよくありません」
すずが、川島に抗議口調で言った。
スタジオの空気が、瞬時に凍てついた。
「ご、ごめんごめん、そんなつもりじゃなかったんだよ」
川島が、慌てふためき否定した。
「そうかしら? 名前だって、私は二番目だったし。最近、監督、あの子ばかり贔屓してません?」
すずが、未瑠を睨みつけてきた。
「みっともないわね。ヒロインが嫉妬?」
未瑠は、嘲るように言いながらすずに歩み寄った。
「なんですって!? ちょっといい役を貰ったくらいで、私と同じ立場になったとでも思ってるの!?」
血相を変えたすずが、未瑠に詰め寄った。
「そのちょっといい役を貰った程度の私に、嫉妬なんてする必要ないでしょう?」
未瑠は、敢えて冷静な声音で言った。
「エキストラ上がりのくせに、偉そうなことを言うんじゃないわよ!」
「たしかに、私はあなたが視界にも入れなかったような脇役だったわ。でも、いい加減、現実をみれば? 物語がハンナからのり子を中心に動き始めていることはわかっているでしょう? 視聴率だって、あなたがメインのときより私にスポットが当たってからのほうが上がってるのよ」
「調子に乗ってると、後悔するわよ。私の事務所、どこだか知ってるよね?」
すずが、威圧的な響きを帯びた声音で恫喝してきた。
「はいはい、一時間の昼休憩に入りまーす! 十四時から撮影を再開します!」
川島が、ほかの演者を追い払うように昼休憩を告げた。
メインキャスト同士の諍いをこれ以上みせたら撮影の士気が下がると判断したのだろう。
すずが所属する「スターライトプロ」は、連ドラの主役を張っている俳優がゴロゴロしているので、どの局も機嫌を損ねないように顔色を窺っている。
逆鱗に触れて俳優を引き上げられてしまっては、ドラマ作りに影響を及ぼしてしまうからだ。
つまり、すずは、事務所の威を借りて未瑠に圧力をかけてきているのだ。
「知ってるけど、それがなにか?」
未瑠は、涼しい顔で訊ね返した。
「うちの事務所の怖さ知らないの? あんたなんて、電話一本でドラマから外せるんだからね!」
「じゃあ、やってみれば? 私がいると、あんたの影が薄くなるもんね」
ハッタリではなかった。
たしかに、「スターライトプロ」はテレビ局に大きな影響力を持っている。
以前の自分なら、ひと捻りで存在を消されていただろう……いや、消すほどの立場でもなかった。
だが、いまの未瑠は数字を持っている女優であり、「桜テレビ」ドラマ部の独裁者と畏怖される中林チーフプロデューサーの肝入りの女優だ。
いくら天下の「スターライトプロ」とはいえ、そう簡単に自分をドラマから外すことはできはしない。
「謝るなら、いまのうちよ。芸能界から干されたくないなら、土下座しなさいよ」
「ふたりとも、もう、そのへんにしとこうよ。早く昼休憩を取らないと、弁当を食いそびれるぞ」
川島が、未瑠とすずを交互にみながら取り成した。
「彼女が謝ったら、そうします」
すずが、腕組みをして未瑠を見据えた。
「彼女が謝ったら、そうします」
未瑠はおちょくるように、腕組みをしてすずと同じ言葉を繰り返した。
「ふざけるんじゃないわよ!」
すずの平手が飛んできた。
未瑠はすずの手首を掴み、顔を近づけた。
「干されるのは、あんたのほうよ」
押し殺した声で言うと、未瑠はすずを押し退けセットを出た。

☆     ☆

十畳ほどのワンルームタイプの部屋は、オフホワイトのソファとベッドと冷蔵庫があるだけだった。
生活臭が感じられないのは、普段、中林がこの部屋に寝泊まりしていないからだ。
フローリング床に膝立ちになった未瑠は、ベッドに仰向けになった中林の両足の膝裏を手で押し、掃除機さながらに陰嚢を口で吸った。
頬を窄め舌先で睾丸を転がすたびに、中林が気色の悪い呻き声を上げた。
膝裏から離した右手で、中林のペニスを扱くと呻き声がボリュームアップした。
中林のペニスは太く短い上に、しいたけのように亀頭が大きく張っているので手淫がしづらかった。
六本木の高層マンションの一室を中林は、いわゆる〈やり部屋〉として使っていた。
女を連れ込みセックスすることが目的の部屋なので、室内には必要最低限のものしか置いてなかった。
家賃はかかるだろうが、毎回ホテルを使うことを考えれば安上がりなのだろう。
未瑠は陰嚢から離した口で亀頭を含み、唾液を流しながら顔を上下させた。
湿った隠微な音と中林の喘ぎ声が室内に響き渡った。
口の中でペニスの硬度が増し、怒張してゆくのがわかった。
中林が早漏なのは、この前の情事でわかっていた。
これ以上続けると、口の中で果ててしまう。
さっさとイってくれたほうが楽だが、いまはだめだ。
音を立てて亀頭を吸っていた未瑠は、いきなり立ち上がりソファに座った。
「……どうしたんだ?」
これからクライマックスというときにフェラチオを中断され、不機嫌と怪訝さが入り混じった顔で中林がベッドから起き上がった。
「今日の撮影のこと思い出しして、鬱になっちゃいました……」
未瑠は大げさなため息を吐き、うなだれた。
「とりあえず、やることやってから話そう」
中林が未瑠の隣に座り、勃起したペニスを触らせようとした。
「いまは、そんな気分じゃないんです」
未瑠は、中林の手をそっと払った。
「撮影で、なにがあったんだ?」
中林が、気遣っているふりをして訊ねてきた。
頭の中は、自分の機嫌を直してセックスを再開することで一杯のはずだ。
「今日、すずちゃんが……やっぱり、いいです」
未瑠は言いかけて、口を噤んだ。
「なんだよ? 気になるじゃないか? すずちゃんって、松井すずのことか?」
中林が気になるのは、自分の悩み事がなんであるかではなく、いつ続きが始められるかに違いない。
未瑠は、小さく頷いた。
「松井すずが、どうかしたのか?」
「すずちゃんの悪口を言うみたいで嫌だから……」
消え入る声で言うと、未瑠は俯いた。
このままでは、とてもセックスどころではない、という空気を醸し出した。
「そんなふうに思わないから、言ってみな。なにか、力になれるかもしれないし」
〈お預け〉を食らった男ほど、コントロールし易い生き物はいない。
「すずちゃんが撮影中に、なんで私をいい役にするんだって、監督に詰め寄って……。あんたなんて中林プロデューサーと寝て仕事貰ってる最低女だって……。エキストラと寝てメインキャストにするなんて中林プロデューサーも最低男だって……」
真実と嘘の絶妙なブレンド――未瑠は、唇をきつく噛み締めた。
「まあ、言わせておけばいいさ。お前に追い抜かれそうで、不安なんだよ」
「……怖くて……もう、撮影現場に行きたくないです……。すずちゃんの顔をみると息ができなくなって……」
未瑠は、胸に手を当て肩を小刻みに震わせた。
「大丈夫だよ。お前には俺がついてるんだから」
「そう言ってくれるのは嬉しいですけど、彼女がいると芝居ができなくなるんです」
「それじゃあ、どうすればいいんだ?」
焦れたように、中林が訊ねた。
一分でも一秒でも早く、この退屈な話を終わらせたいに違いない。
「すずちゃんを、ドラマから外してください」
未瑠の言葉に、中林の顔色が変わった。
すずをドラマから外すということが、とんでもない要求だとわかっていた。
それが不可能だということも。
未瑠が無理難題を出したのは、確信犯だ。
「そんなこと、できるわけないだろう!? 松井すずは主役だぞ!? 主役がドラマの折り返し地点で消えるなんてありえないよ!」
予想通り、中林は激しく動揺し、ついさっきまで怒張していたペニスも萎れていた。
「わかってます……でも、私もどうしていいかわかんなくて……」
未瑠は、中林の股間に手を置いた。
ふたたび、未瑠の掌の中でペニスが硬度を取り戻した。
「なんとかしてあげたいけど、ヒロインを外すのだけは……」
未瑠は中林の足もとに跪き、陰茎を扱きながら亀頭にキスをした。
「顔を合わせる回数が減るだけでも、精神的楽になります」
亀頭を咥え込み尿道口を舌先で刺激しつつ、未瑠は中林の表情を観察した。
眼をきつく閉じ顎を突き出した中林は、耳朶を朱に染め、広げた鼻孔から荒い息を漏らしていた。
「つま……り?」
中林の声は、臨終間際の重篤患者さながらに薄く掠れていた。
重篤患者との違いは、苦痛からそうなっているのではなく押し寄せる快楽の波のせいということだ。
射精が近づいた男の反応は、大富豪もホームレスも同じだ。
「私とすずちゃんが顔を合わせない方法を、考えてもらえますか?」
ダメ押し――未瑠は中林に跨り、屹立したペニスに右手を添えて秘部にインサートした。
「んぅ……」
恍惚の表情で、中林が呻いた。
未瑠は向き合う中林の首に両手を回し、恥骨を擦りつけるように腰を前後に動かした。
「お前は……そんなあどけない顔してるのに……エロい女だな……」
下から腰を突き上げながら、中林が言った。
「すずちゃんと……顔合わせない……ようにでき……ますか?」
未瑠は故意に声をうわずらせ、8の字に腰をグラインドさせた。
「ふたりとも……メイン…キャスト……だし……な……」
演技ではなく本当に声をうわずらせ、中林が困惑した。
「共演シーンを少なくすれば……いいじゃない……ですか?」
未瑠はグラインドの速度を上げ、肛門に力を入れ、膣の締めつけを強くした。
「んむぅん……おぁ……ヤバい……」
中林の皮膚は鳥肌に埋め尽くされ、乳首が突起していた。
いま、彼の身体は全身が性感帯になっているに違いなかった。
未瑠は、唐突に腰の動きを止めた。
「……おい、いいところなのに、なんでやめるんだ?」
怪訝そうな顔で、中林が訊ねてきた。
「共演シーンを少なくしてくれるんですか? してくれないんですか?」
未瑠は、腰を二、三度動かしては止め、中林に飴と鞭の二者択一を迫った。
「だから、メインクラスの共演シーンがないのは不自然……」
首に回した腕に力を込め、未瑠は物凄い勢いで腰を動かした。
膣の中で〈中林〉が張り詰めるのがわかった。
「あ……おぅ……うっ……」
極限に昂ぶったところで、未瑠は立ち上がった。
「ちょ、ちょっと、おい……」
「返事が先です」
つけ入る隙のない口調で言うと、未瑠は中林を見下ろした。
「わかった。脚本家の菊園に言って、七話あたりから手を入れてもらうから」
観念したように、中林が言った。
「本当ですか!? ありがとう! 中林さん、大好き!」
未瑠は中林の上に腰を沈め、8の字グラインドを再開した。
いまやドラマのメインになっているのり子との共演シーンが少なくなること即ち、ハンナの出演シーン自体が少なくなるということだ。
ある意味、降板させられるよりも屈辱的な処遇だ。
「約束よ」
未瑠は中林の耳朶を咬みながら胸を密着させ、激しく腰を前後させた。

☆     ☆

『ねえ? 聞いてる?』
未瑠が耳に当てたスマートフォンの受話口から、穂積の少しだけイラ立った声が流れてきた。
「聞いてます。今日は、撮影でクタクタなんです」
ベッドで横になった未瑠は、気怠げな言葉を返した。
ヘッドボードに置かれた目覚まし時計は、02:32の数字を表示していた。
穂積に言ったのは、本当だった。
「嗚呼! 白蘭学園」の撮影が二十一時過ぎに終わったあとに、中林の〈秘密部屋〉に行き、自宅マンションに戻ってきたのは午前一時を回っていた。
『撮影だけかしら?』
穂積が、疑わしそうに訊ねてきた。
「なにが言いたいんですか?」
未瑠は、お気に入りのテディベアのぬいぐるみ……文太を抱き寄せた。
乳児くらいのサイズで、抱き枕代わりには最適だった。
ほかにも、ミッキーマウスやくまのプーさんのぬいぐるみが、そこここに散乱していた。
大小合わせて、二十体以上はあるはずだ。
どのぬいぐるみも薄汚れ、ところどころ破れ綿が食み出たり、片方の眼や耳が取れていた。
粗大ゴミに捨てられていたり、道端に落ちているぬいぐるみを発見すると放っておけなくて拾い集めているうちにこれだけの数になってしまったのだ。
『「嗚呼! 白蘭学園」の出番、急に増えたわね?』
「努力が報われて嬉しいです」
『それにしても、ありえないほどの昇格ね』
「言いたいことがあったら、はっきりと言ってください」
『昨日、「桜テレビ」の橋本プロデューサーと飲んだんだけどさ、とんでもないことを聞いたんだよね』
橋本と言えば、中林と並んで「桜テレビ」の看板プロデューサーだ。
穂積が耳にしたというとんでもないことがなんであるかの、だいたいの予想はついた。
『あなた、中林プロデューサーと関係を持ってるって本当なの?』
やはり、予想は的中した。
未瑠は、穂積に聞こえぬようため息を吐いた。
「ええ、本当です」
『よく、そんな平然としてられるわね!? あなた、自分がなにをやっているかわかってるの?』
「はい。出演してる連ドラのキャスティング権を持っている方なので近づきました」
未瑠は、文太の本来は瞳があった場所の空洞をみつめた。
文太も、未瑠をみつめ返した。
『いい役をもらうために、身体を売ったっていうの!?』
「別に、今回が初めてじゃないのに、どうしてそんなに驚くんですか?」
演技ではなく、本当に理解できなかった。
『前にそういうことしたからって、いつまで続けるつもり!? いい役を取るためだからって、十八歳の女の子がやることじゃないでしょう?』
「じゃあ、いくつならいいんですか?」
未瑠が冷めた口調で質問すると、受話口から穂積のため息が聞こえてきた。
未瑠は、文太をきつく抱き締めた。
『未瑠……ごめんなさい』
不意に、穂積が謝ってきた。
「急に、どうしたんですか?」
『坂巻チーフがあなたに特別営業をやらせていたのを知っていながら、私はなにも言えなかった。私が、いまのあなたを作ったも同然よ』
穂積の声はうわずり、震えていた。
穂積が泣いている――汚れてしまった自分を憐れみ、罪の意識を感じている。
「別に、穂積さんのせいじゃありません。私がそうしたくてしてるんですから。自分の意志です」
未瑠は、冷静な声音を送話口に送り込んだ。
文太を抱き締める腕に、さらに力が入った。
『ねえ、どうしちゃったの? 私が担当だったときは、葛藤してたよね? 悩んでたよね? いまは、罪悪感とかないの? なにも、感じなくなっちゃったの? あなたは、大変なことをやってるのよ!?』
「もう、慣れました。でも、たかが〈枕〉でそんなに騒ぐことですか? 私のやってることが問題なら、風俗で働いている女の人はどうなるんですか? 毎日、何人もの知らない人とエッチしてますよね?」
『それとこれとは、話が違うわ』
「どう違うんですか? お金を稼ぐために不特定多数の人とエッチをする風俗嬢と、仕事を貰うために権力者と枕営業する私と、なにが違うんですか?」
淡々と、未瑠は訊ねた。
穂積に……というより、自分自身に。
『風俗の人達は、それが仕事だから……』
「私だって、仕事です」
未瑠は、穂積を遮った。
「愛してない人とエッチする人だって世の中に大勢いるし、特別に自分が悪いことをしているとは思いません」
『未瑠、あなたの言っていることは詭弁よ。もっと自分を大事にしてほしいの』
穂積が、懇願するように言った。
「私のこと心配してくれて、ありがとうございます。でも、大丈夫です。私は、自分を大事にしてますから。いまはいい役をもらえて、毎日が愉しくて仕方ありません」

ねえ? 私のこと、 不潔だと思う?

未瑠は、穂積にたいしての明るい声とは対照的な暗い瞳で文太をみつめた。

☆     ☆

穂積との電話を切った未瑠は、スマートフォンでブログを開いた。
寝る前にブログのチェックをするのが、未瑠の習慣だ。
コメントの数は、一千件を超えていた。
連ドラでメインになってから、コメント数は以前の百倍ほど増えていた。

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いつも観てます! 一馬との恋、応援してます!
(あきな)

のり子は健気で、優しくて、私の理想の女の子です!
(レディ・カカ)

未瑠ちゃんみたいな顔になりたいなぁ~。使ってるカラコンとかリップのメーカー教えてください。
(チワックス)

一馬と結婚してほしいな! ハンナに絶対、負けないで!
(大和撫子)

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

未瑠は、人差し指を猛スピードで動かしページをスクロールさせた。
ドラマが始まる前はコメントしてくるのはオタクの中年男性ばかりだったが、いまは七割が同年代の女性だった。
もちろん、一千件を超えるコメントすべてに眼を通すのは不可能だ。
未瑠は次に、メッセージ欄を開いた。
コメントほどではないが、それでも四、五十件のメッセージが届いていた。
メッセージの中の、樹里亜、という名前に未瑠の鼓動が高鳴った。
いつも誹謗中傷のコメントばかり送ってきているギャルだが、最近は音沙汰なかったのでほっとしていた。
恐る恐る、樹里亜のメッセージをクリックした。

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

『衝撃! 「未瑠」の枕営業証拠写真!』

いきなりだけど、「嗚呼! 白蘭学園」で一話と二話はセリフもない脇役だった無名の未瑠が、三話から急に準ヒロインになったこと、みんな、不思議じゃなかった?
読者のみなさんに、私が特別に種明かししてあげるね。

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

「嘘っ……」
未瑠は、スマートフォンを手に跳ね起きた。

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一枚目の写真は、渋谷のラブホテルに入ろうとする未瑠と謎の中年男性。二枚目の写真は、車の中でキスをする未瑠と謎の中年男性。三枚目の写真は、ラブホテルから出てきてキスをする未瑠と中年男性。
あの清純なアイドル……ミルミルこと未瑠ちゃんのこんな姿をみるだけでショックだと思うけど、相手の謎の中年男性の正体を知ったらもっと驚くよ。

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

「なんで……なんで……」
未瑠の唾液が蒸発した口から、干乾びた声が零れ出た。
全身の血液が氷結し、思考が停止した。
なにがどうなっているのか……どうしてこんな写真を樹里亜が持っているのか、わけがわからなかった。

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

謎の中年男性は、「桜テレビ」でオンエア中の「嗚呼! 白蘭学園」のチーフプロデューサーの中林って人。
もう、みんな、気づいたよね?
私の恋人はファンのみなさんでーす、なんて言ってるミルミルは、準ヒロインの役をゲットするために裏で中林チーププロデューサーとラブホテルでニャンニャンしてたんでーす(笑)
ミルミルファンのオタクさん達、樹里亜を恨まないでね(笑)
ミルミルが売れるためなら中年男とニャンニャンするふしだらな少女だってことに、気づかせてあげたんだからね!
感謝してほしいくらい(笑)
みんな、ミルミルの眼を覚ますために、この記事を拡散してねー!

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

未瑠は、眩暈に襲われた。動悸が激しく、息苦しかった。
眼を閉じ、深呼吸して動転する気を静めた。
十秒、二十秒……未瑠は深呼吸を繰り返した。
ゆっくりと眼を開け、メッセージ欄の活字を追った。

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

ひさしぶりね。枕アイドルさん……あ、枕女優さんか(笑)
あんたの清純ぶった仮面を引っ剥がしてやろうと思って探偵つけたんだけどさ、まさか、こんな大スクープが撮れるなんて、あたしもぴっくりだよ!
この写真、あたしのブログとかツイッターにUPしたら、あっという間に拡散されて、「嗚呼! 白蘭学園」で人気急上昇中の未瑠も終わりだね。
でも、あたしってこうみえても優しいから、あんたに一回だけチャンスあげるよ。
いますぐ芸能界を引退したら、SNSにUPするのをやめるよ。
一週間やるから、引退を発表しなよ。
もし、一週間過ぎてもあんたが引退を発表しなかったら、そのときは速攻でこの記事と写真をUPするからさ。
んじゃ、そういうことで(笑)
(樹里亜)

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

未瑠の手から滑り落ちたスマートフォンが、ベッドの上でバウンドした。
スマートフォンの横で仰向けに転がる文太に虚ろな瞳を向けた。
「笑っちゃうね」
未瑠は、無表情に文太に語りかけた。
(つづく)

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著者

新堂冬樹(しんどう・ふゆき)

1966年生まれ。98年に、『血塗られた神話』で第7回メフィスト賞を受賞。その後ノワール&バイオレンスな作品で読者を魅了している。2003年『忘れ雪』で純愛に挑戦、ベストセラーとなる。

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