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近い未来の日本の姿として考えてもおかしくない悪夢的な世界──『呪文』星野智幸著

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『呪文』

星野智幸著

【評者】瀧井朝世

 

──使命をほしがる人々 ──

ああ、今、人々が切実に欲しがっているのは〈使命〉なのかもしれない。星野智幸さんの新作『呪文』を読んで強く感じたのは、それだった。
人気スポット、夕暮が丘の隣駅にある松保商店街。しかし隣町の恩恵にあずかるどころか、今は寂れゆく一方。このエリアの地代の安さに惹かれメキシコ風サンドイッチスタンドを開いた霧生も、すぐに経営難に陥ってしまう。商店街で唯一客の入りがよいのは居酒屋「麦ばたけ」だ。オーナーの図領も新参者だが、老舗酒店の娘と結婚して商店組合の事務局長に就任、さらには後継ぎのいない店に余所から後継者を呼び寄せて店を再生させてみせ、信頼を集めている男だ。
その図領の店に悪質なクレーマーが訪れ、噓で固められた中傷文がネットにばらまかれてしまう。図領が自身のブログで毅然と反論し相手を打ち負かすと、彼に共感した人々が余所から足を運ぶようになり、にわかに街は活気づく。カリスマ的存在となった図領は次々と街の改革に着手。そのひとつとして自警団「未来系」が結成されるが、彼らの行動は狂信じみていた。困窮状態の人々が目の前の救いの手にすがり、求心力のあるリーダーを崇め、彼に賛同しない人物や邪魔者が排除されていく。そう、これってまるでナチスだ。独裁国家の成立とよく似た行程のなかに、日本の商店街の現状、世代間の対立、クレーマー、ネットの弊害など、さまざまな現代的な問題が盛り込まれる。冒頭で私が感じた〈使命〉は二種類ある。まず、どんどん増長していく図領の内側にあるものとして。彼の本心は見えてこないが、自分の理想を実現させるという使命感を抱いているのは間違いないだろう(まったく違う動機があるなら、それはそれで不気味だ)。
もうひとつは、こちらのほうが怖いのだが、霧生にもたらされる使命である。商才もなく行き詰っていく彼の気持ちをラクにさせてくれたのは、他者から与えられた使命。彼は「未来系」の人間たちに感化され、自分を「クズ」だと認め、彼らが繰り返す「クズ道とは、死ぬことと見つけたり」という〝呪文〞に洗脳されていく。
図領と霧生の使命感は明らかに違う。図領のそれには、多少の功名心もまざっている可能性がある。しかし霧生は、他者からの承認を求める以前に、自分で自分の存在を肯定したくて懸命なのだ。だから、冷静な人間からすれば異様に思える使命を与えられても、簡単にすがってラクになろうとする。閉塞的な社会のなかで大きな力を持たない人間がおのれの存在意義を求めた時の心理を、この小説は残酷なくらい暴いている。
近い未来の日本の姿として考えてもおかしくない悪夢的な世界。しかしこの恐ろしい呪いを解くヒントも、著者は差し出してくれている。終盤、霧生を説得しようと試みる人物の言葉を、よく噛みしめたい。

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著者

星野智幸

1965年、ロサンゼルス生まれ。早稲田大学を経て、ラテンアメリカへ留学。映画の字幕やラテンアメリカ文学を翻訳。1997年、「最後の吐息」で第34回文藝賞受賞。

【評者】瀧井朝世

1970年生まれ。フリーライター。TBS系「王様のブランチ」ブックコーナーのブレーンを務める。

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