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『人間の解剖はサルの解剖のための鍵である』著者・吉川浩満さん 刊行記念特別インタビュー【後篇】

ninngenn_saru2吉川浩満さんの新作『人間の解剖はサルの解剖のための鍵である』の舞台裏に迫った特別インタビュー後篇。今回は、近年の吉川さんのご関心の変化、人間の定義をめぐる現状、そして未来についてなど、さらに踏み込んでたっぷりお話をお聞かせいただきました。

 

──ベストセラーとなった前著『理不尽な進化』から4年、吉川さんのご心境の変化などがあれば教えてください。

 

吉川■一部でちょこっと話題になっただけで、ぜんぜんベストセラーっていうレベルじゃないんですけどね……。それはともかく、心境の変化というか、関心の変化はあります。 『理不尽な進化』の末尾では、進化生物学における大論争の「人間的、あまりに人間的」な様相を描いたすえに、「我々のなかにある〈人間的なもの〉をどうするか」という問いを提出しました。科学(的思考)における人文的なアスペクトをどう考えればよいかということです。

SNSなどでもしばしば理系と文系、二つの文化(C・P・スノー)の対立が見られるとおり、この問題はなにひとつ解決されていないと思いますが、それ自体としてはだんだん私の関心地図の後景に退いていきました。代わりにせり出してきたのは、このたびの新刊のオビにもある「〈人間〉って何だっけ?」──これは装丁を手がけてくれた寄藤文平さんの言葉ですがキャッチーなので使わせていただいています──という今更ながらの問いです。当の進化的観点を採り入れた諸学の深化と普及によって、我々にとっての〈人間的なもの〉自体が変容をこうむりつつある状況こそ重大なことに思えてきたからです。

そうした次第で、関心対象は移行しましたし、若干ねじれた格好ではありますが、このたびの『解剖』は『進化』の続篇といえないこともないと思います。

 

──進化理論と認知科学にかんする諸科学によって人間の定義が多方面で揺らいでいる、という現状について、もう少し詳しく教えてください。

 

吉川■いまにはじまったことではないし、誰もが知っていることでもありますが、ここ数百年の自然科学の発展によって、かつては信じられていたかもしれない人間の特別さのようなものがどんどん切り崩されてきています。精神分析の創始者ジークムント・フロイトは、人類は科学によって三度自尊心を傷つけられたと言いました。コペルニクスの天文学で地球が宇宙の主人の座から転落し、ダーウィンの進化論で人間が生物の主人の座から転落し、そして自分の精神分析学で自我が人間の主人の座から転落したのだと。 フロイトは自分のプロジェクトが人類全体の自尊心にかかわる知識革命をもたらすだろうと見抜いた点で正しかったのですが、実際にこの革命を遂行したのは20世紀なかばから発展した進化と認知にかかわるサイエンスであった、というのが本書の見立てです。

 

──では、こうした諸科学の成果を承けた新しい人間定義はどのようなものになるのでしょうか?

 

吉川■本にも書いたことですが、誰も読んでくれていないでしょうからここでお話しすると、本書ではそれを、近代的人間の建前である「合理的な主体」と対比させて「不合理なロボット」と呼んでいます(本書「0—2・序章 人間(再)入門のために──2989/2019/2049」)。たとえば、ヒューリスティクスとバイアスにかんする認知研究は、人間が種々の錯誤や自己欺瞞から逃れられないことを明らかにしてきました。そして、そうした傾向には進化的な基盤があるという知見を進化心理学や人間行動生態学はもたらしています。

念のために申し添えておくと、人間が合理的な主体から不合理なロボットに進化したわけではないし、科学的な人間論の決定版ができあがったわけでもありません。人間も生物ですから、大人でも牛乳が飲めるようになったりなどの進化をつづけていますが、数十年数百年で大幅に変わったわけではない。また、科学は信頼性の高い知見を積み重ねていますが、それでもつねに暫定版の未完のプロジェクトです。ここでいう人間の定義というのは、もうちょっとフワフワした、ある種の時代精神のようなもので、我々の人間観、つまり自己像のことです。

興味深い実験結果があります。人は自由意志の存在を疑うと他人に対して非協力的になったり不正行為に走りやすくなったりするらしい、というものです(これに反する結果も最近発表されたようで取り扱い注意ではありますが)。こんな話をしたからといって、べつに自由意志を否定してはならない、なんてことを言いたいのではありません。人間の定義が変わるということは、すなわち我々の自己像が変わるということであり、ひいては我々の思考や行動のあり方を変えるであろうという、あたりまえのことを確認したいのです。進化と認知にかんするサイエンスとテクノロジーの発展を承けて、我々はいま、自分はどんな存在なのか、どうあるべきか、どうありたいのかという課題を再設定しなければならない局面にあるのではないかと思います。

 

──それがいわゆるポストヒューマン状況ということでしょうか?

 

吉川■ポストヒューマンという言葉はあまりにもさまざまに使われるので、いまいちよくわからないものになっていますよね。それもあって、じつは本文ではそれほど明示的には用いていません。それでも、この言葉が好んで用いられる理由はわかる気がします。

語感からイメージするのは、文字どおりヒト以降の、我々とは生物学的に異なる未来の種のようなものかもしれません。でも、本書が想定しているポストヒューマン状況というのは、もっとずっと手前というか、まさに現在の状況を指しています。べつに生物学的に変わる必要はない。いわゆる近代的な人間観、自己像が揺らいできたらすでにポストヒューマン状況です。そもそも近代人というのは、近代以前の人間のことを「まだ人間じゃない」と思ってきた節がありますよね。「人間らしい生活」とか「それじゃあまりに非人間的だ」といった言葉の使われ方を思い起こしてみてください。その伝でいけば、当の近代人による人間定義が崩れたとき、我々は「もう人間じゃない」となるのではないでしょうか。ほらもうポストヒューマンです。とりあえずこれくらいにゆるく考えておくのがおもしろいんじゃないかと思います。

いまかなり口が滑って適当なことをお話ししていますが、こうした与太話が妥当であるかどうかとはべつに、そういう気分がなんとなくあることはたしかだと思います。そうした気分の出所と行方をつかんでみたいという動機も本書にはありました。

 

──人間とはなにかを考え、また人間の未来を考えるための叩き台でもある本書ですが、吉川さんが描かれる未来とは、どのようなものでしょうか。また、「未来を語る」とはどのようなことだと思いますか?

 

吉川■想像力を目一杯はたらかせて未来を語ることは、我々の思考や行動に影響を与えることをとおして、未来社会のあり方にも影響を与えるものだと思います。また、想像された未来社会の姿が現在にバックキャストされることで、いま我々が生きている社会がどのようなものであるかが明らかになることもある。偉大なSF作家たちの作品群や、同じ河出書房新社が刊行したユヴァル・ノア・ハラリ氏の『サピエンス全史』、それに近々刊行される『ホモ・デウス』などはそうした影響力をもちうる書物ですね(ハラリ氏の仕事については本書「1—1・ヒトの過去・現在・未来──『サピエンス全史』とともに考える」で詳しく検討しました)。だから未来を語ることには一定の意義があると思います。

ただ、私個人が描く未来像というのは、経済学者の井上智洋氏が提唱するような「AI+BI」(人工知能+ベーシックインカム)の世の中になったらいいなあ、という程度の漠然とした希望にすぎません。私にはその種の想像力が決定的に不足しているようです。

未来を直接語る代わりに本書が採用した方針は、「ミドルレンジ」の思考法による問題設定です。これは社会倫理学者の稲葉振一郎氏が『宇宙倫理学入門──人工知能はスペース・コロニーの夢を見るか?(ナカニシヤ出版、二〇一六)で示した考え方で、現状のみを考慮に入れて対策を練るショートレンジと、あらゆる要素を考慮に入れて想像力をたくましくするロングレンジの中間に位置する、近い将来においてどのような問題が起こりうるかという可能性の空間そのものを仮設する思考法です。そうすることで、対症療法でも一般論でもない実のある問題提起ができるのではないかと考えています。うまくいっているかどうかは読者のみなさんの判断に委ねるしかありませんが。

ついでにもうひとつの方針も述べておきます。それは「本性と運命」の区別です。これは哲学者の國分功一郎氏が『暇と退屈の倫理学 増補新版(太田出版、二〇一五)の付録で示した区別です。同書では「人間の本性」と「人間の運命」を区別することが提案されています。哲学や諸科学は長いこと人間の本性を明らかにしようとしてきたが、それだけでは実際の人間のありようを十全にとらえることはできない、なぜなら人間の本性があらわれるのはつねにそれぞれに固有の歴史つまり運命においてであるからだ、というわけです。これはサイエンスやテクノロジーの命運についてもいえることだと思います。このキーボードはなぜQWERTY配列なのか。キーボードがQWERTY配列であることは、キーボードの本性から必然的にもたらされるものではありません。それを考えることは、キーボードの本性だけでなく運命についても考えることです。ちなみに、私は前著『理不尽な進化』において生物進化は生物種の能力(遺伝子)と歴史的経緯(運)の交叉点において生ずると論じましたが、そこでの遺伝子と運のペアはここでの本性と運命のペアに対応しています。

 

──第4章の作品評の他にも、本書全体としてかなりの数の書名が記載されており、枝葉の広がりがあります。その意図をお聞かせください。

 

吉川■本書にたいして、「ハイパーテキスト」「ヴァラエティブック」「スクラップブック」という形容が寄せられました。多分にリップサービスも含んでいるでしょうが(あるいはディスだったかもしれませんが)、まさにそういう本を目指していたのでうれしかったです。

インタビューの前篇でも話しましたが、この本はべつに最終的な解答とか画期的な学説を提示するものではありません。そんなの私には無理です。サイエンスとテクノロジーの発展を承けた人間の身の振り方について考えてみたい人が、注目すべきさまざまなトピックや文物に飛んでいけるように、紙にインクという昔ながらの方法でリンクを張ってみた。それがこの本です。

知の海をただただ漂うというのもわるくないとは思いますが、しょうもないものではあれ、とりあえずそれとわかるような出発点や中継点があったほうが、なにかと動きやすいのではないでしょうか。私にとって本とはそのような存在ですし、本書もそうなればという思いで書きました。

 

──読者の方には、この本をどのように読んでもらいたいですか?

 

吉川■そういう本なので、どこを読んでもどこから読んでもどれだけ読んでもいいのではないかと思います。おっしゃるとおり多数の書物、論文、作品にリンクを張っているので、思い立ったらすぐに本書を閉じて、そうした文物に実際に触れてもらえたらと思います。科学読み物が好きな人や哲学・思想に興味がある人だけでなく、クリエイターやビジネスパーソンにとっても刺激的であろう文物をたくさん紹介しています。

せっかくなので大ベストセラーに便乗すると、9月6日にはユヴァル・ノア・ハラリ『ホモ・デウス──テクノロジーとサイエンスの未来(上下、河出書房新社)が発売されますよね。予習テキスト、あるいは副読本として、ぜひ拙著を横に置いていただけたらと思います。

やっぱり、人間にかかわるすべての人に手にとってもらえたらと思っています。【了】

 

(前編はこちらです。)

 

8/30開催!
『人間の解剖はサルの解剖のための鍵である』刊行記念
吉川浩満さん×國分功一郎さん対談 「人間本性論と幸福のゆくえ」

本書の刊行を記念して、國分功一郎さんとのトークイベントを開催いたします。
日 時:2018年08月30日(木) 19:00~21:00
場 所:代官山蔦屋書店1号館 2階 イベントスペース(東京都渋谷区猿楽町17−5)
定 員:70名

《参加条件》
代官山蔦屋書店にて以下のいずれかをご予約、ご購入のお客様先着70名
1.書籍『人間の解剖はサルの解剖のための鍵である』+イベント参加券のセット(3,000円/税込)
2.イベント参加券(1,500円/税込)

《お申込み方法》
以下の方法でお申込みいただけます。
・書店店頭(代官山蔦屋書店1号館1階 人文フロア)
・お電話 03-3770-2525( 〃 )
・オンラインストア

イベント詳細、オンラインストアはこちら。
http://real.tsite.jp/daikanyama/event/2018/07/post-637.html

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吉川浩満

1972年、鳥取県米子市生まれ。慶應義塾大学総合政策学部卒業。国書刊行会、ヤフーを経て、文筆業。関心領域は哲学・科学・芸術、犬・猫・鳥、卓球、ロック、映画、単車など。著書に『理不尽な進化ーー遺伝子と運のあいだ』、共著書に『脳がわかれば心がわかるかーー脳科学リテラシー養成講座』『問題がモンダイなのだ』(ともに山本貴光氏との共著)ほか。訳書に『先史学者プラトンーー紀元前一万年-五千年の神話と考古学』(山本氏との共訳、M・セットガスト著)など。

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