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私がいま、『共感の正体』を書いたわけ

日常の人間関係、ビジネスシーン、ケアの現場……いま、さまざまな場面で「共感」が注目されています。関連書籍の刊行ラッシュも続いています。しかし、「共感」とはいったい何なのでしょうか? その本質に迫る著書『共感の正体ーーつながりを生むのか、苦しみをもたらすのか』をこのたび上梓された山竹伸二さんに、執筆の動機をうかがいました。

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私がいま、『共感の正体』を書いたわけ

山竹伸二

 

■「共感」の時代がやってきた

 

ここ最近、「共感」をテーマとした書籍をよく目にするようになりました。「共感力」のある人は、仲間に愛され、組織において評価される優れた人間、より善良な人間の証であるかのように語られています。

共感できる人間は他者の気もちを理解できるため、苦しんでいる人を慰めたり、助けることができますし、喜びを分かち合うこともできるでしょう。協調性にも富んでいるので、周囲からの評価も高く、良好な人間関係、家庭の平和にもつながっています。

また、共感は看護や介護、心理臨床など、対人ケアの現場では古くから重視されてきました。苦しみや不安を抱えた人たちは、共感によって「わかってもらえた」と感じ、孤独や不安を緩和することができますし、共感を介して自己理解が深まるケースも多いからです。

最近ではビジネスシーンにおいても共感は注目されており、その重要性が認識されるようになりました。共感できる人は顧客や上司の信頼が得られるわけですから、当然と言えば当然なのかもしれません。

共感があまりできない人間は、思いやりのない、冷たい人間だと見られやすいため、心理的に距離を感じさせ、親密な関係に発展しにくい面があります。共感性の低い代表例として、自閉症者やサイコパスなどがよく挙げられますが、自己愛の強い人、自分の価値観に固執している人もまた、共感が生じにくいと言えます。なぜなら、他者の視点に立てない人、他者に無関心で自己中心性が強い人は、相手の感情を想像できず、共感を抱くことが難しいからです。

 

■「共感」に疲れている人もいる

 

しかし、共感力が強い人にもデメリットはあります。それは、相手の苦しみや悲しみに共感しすぎれば、自分も苦しくなり、強いストレスを抱えることになるからです。

近年、共感疲労、共感性羞恥、といった言葉もよく耳にするようになりました。共感疲労は共感のしすぎで疲れ果ててしまうことで、看護や介護など、ケアの仕事の人に多く見られます。共感性羞恥は、他者が恥ずかしい思いをしていると、自分まで恥ずかしくなってしまう現象のことで、これは一定の共感性のある人なら、誰しも経験したことがあるのではないでしょうか。

また、共感による苦しみが強い人として、HSPと呼ばれる感受性が高く、繊細すぎる人、敏感すぎる人もいますが、近年、HSPに関する本がかなり売れていることからも、共感による苦しみを抱えた人が相当数いることが窺えます。共感力を身につけることは、よりよい人間関係をもたらし、社会的な成功にもつながっていますが、共感しすぎると、相手と同じような苦しみを背負い、強いストレスにさらされる危険性もあるのです。

 

■「利他」との関係は? 「差別」との関係は?

 

一方、共感は他者を理解し、利他的な行為の原理を考える上でも重視されています。古来、共感は同情を生み、利他的な行為をもたらす道徳性の源泉と見られてきました。昨今の認知科学、心理学における共感の研究においては、赤ちゃんでさえ共感できることが明らかになっていますが、これは人間の道徳性の根源を考える上で、大いに興味深い事実と言えます。人間は生まれながらに善性を備えているのかもしれない。そんな想像さえ膨らんできます。

しかし、共感の強さが道徳性の高さを示すわけではない、むしろ共感に基づく行為はリスクが大きい、と主張する人も少なくありません。共感は利他的行動を生み出しますが、それはしばしば誤った行動を惹き起こすからです。

たとえば、苦しんでいる人に共感して、思わず助けた場合でも、それが別の人の迷惑になる可能性もありますし、ありがた迷惑だったり、かえって苦しみを増やしてしまう場合もあると思います。それだけでありません。仲間や身内の人間、少数の人々の苦しみに共感するとき、彼らを苦しめる人間に敵対し、攻撃的になってしまうこともありますし、場合によっては、集団パニックや差別、迫害を惹き起こすことさえあるでしょう。仲間への過度の共感は、仲間以外の人々への排他的意識を助長しやすいのです。

そう考えると、共感に基づく利他的行為には、一定の危うさが付きまとっていることになりますし、利他的行為においては共感よりも理性を重視すべきだ、という考え方もうなずけます。近年、共感ブームと拮抗する形で、こうした反共感論の主張が見られるようになりましたが、それは共感の本質に関わる重要な問題提起と言えるでしょう。

 

■だから、そもそもから考えてみた

 

しかし、私たちの日常を振り返ってみれば、共感は人と人とのつながりを生み、不安を緩和し、援助、癒しをもたらす重要な鍵になっています。共感のもたらす多くの利点を考えると、共感のデメリットやリスクばかり強調するのではなく、もっと共感のメリットを活かす方法を考えるべきではないでしょうか?

まず必要なのは、そもそも「共感」とは何か、その根本のところを明らかにすることだと思います。共感が私たちの生にとっていかなる意味を持つのか、いま一度熟考してみなければなりません。そこで私は本書において、現象学という哲学の思考法を使って、共感の本質を明らかにしようと試みました。共感の本質が見えてくれば、共感にまつわる多様な現象の意味も理解できる。そして、共感から生じるリスクを回避し、より有効に共感を活かす道を見出すことができる。そう考えたのです。

私は長年、心理療法やカウンセリング、看護、介護、保育など、心のケアの原理について考えてきましたが、この領域において共感が特別重要なものであることは間違いありません。共感は苦悩を抱えた人の不安を緩和し、信頼関係を育み、理解を深めていく上で欠かせないのです。無論、そこにも共感のリスクはあり、共感力があっても感情のコントロールができなければ心のケアはうまくいきません。ではどうすべきなのか。この謎を解くためにも、私は共感の正体を確かめる必要があったのです。

『共感の正体』は、このような思いから書かれています。共感の本質を明らかにし、共感という現象の謎を解き明かすこと。それによって、共感をよりよく活かす方法を見つけること。どこまで共感という現象の背後にある正体に迫ることができたのか、それは読者諸氏の判断に委ねたいと思います。

 

 

【『共感の正体』 目次】

 はじめに いまなぜ〝共感〟か?

Ⅰ部 共感の科学

 1章 動物も共感するのか?

 2章 共感の起源を探る──科学的研究の成果

Ⅱ部 共感の哲学

 3章 哲学者の捉えた共感と反共感論

 4章 共感とは何か──現象学から本質を問う

Ⅲ部 共感の未来

 5章 心を癒す共感の力──心のケアの原理を考える

 6章 なぜ私たちは人を助けるのか?

 おわりに

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著者

山竹伸二

(やまたけ・しんじ)1965年、広島県生まれ。学術系出版社の編集者を経て、現在、心理学・哲学の分野で批評活動を展開している。評論家。同志社大学赤ちゃん学研究センター嘱託研究員。桜美林大学非常勤講師。現代社会における心の病と、心理的治療の原理、および看護や保育、介護などのケアの原理について、現象学的な視点から捉え直す作業を続けている。おもな著書に『「認められたい」の正体』(講談社現代新書)、『「本当の自分」の現象学』(NHKブックス)、『本当にわかる哲学』(日本実業出版)、『不安時代を生きる哲学』(朝日新聞出版)、『子育ての哲学』(ちくま新書)、『心理療法という謎』(河出ブックス)、『こころの病に挑んだ知の巨人』(ちくま新書)、『ひとはなぜ「認められたい」のか』(ちくま新書)がある。

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