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旧東側の女性は西側の女性に比べてセックスの満足度が高かった!? 『あなたのセックスが楽しくないのは資本主義のせいかもしれない』より訳者あとがきを一足早く公開!

私たちが日常で感じているモヤモヤを吹き飛ばしてくれるような、とびきり刺激的な本が届きました。女性が経済的に自立できるような仕組みをつくり、新しい社会変革を模索すれば、仕事とプライベートのバランスも改善されて、さらにはセックスの質まで向上させてくれる。それはなぜーー? 男性にとっても女性にとっても生きやすい、より良い未来を考えたい人に、ぜひ読んでいただきたい一冊です。5月27日の発売に先駆けて、高橋璃子さんによる訳者あとがきを一足はやく公開します。

 

あなたのセックスが楽しくないのは資本主義のせいかもしれない
訳者あとがき

 

 本書は、社会主義国の恋愛や暮らしを手がかりに、資本主義の現在と未来を考えるユニークな読み物です。原書はWhy Women Have Better Sex Under Socialismというタイトルで、2018年にアメリカで刊行されました。これまで世界14か国語に翻訳されています。
 著者クリステン・R・ゴドシーは、ペンシルベニア大学教授。東ヨーロッパとロシアに関する研究で、数々の賞を受賞しています。
 ベルリンの壁が崩壊したとき、著者はちょうどアメリカでの大学生活を中断し、バックパックを背負ってヨーロッパを旅しているところでした。思いがけず社会主義崩壊の現場に立ち会い、民主化された直後の東ヨーロッパで、人びとの希望にあふれた顔を目にします。
 ところが、その後の東ヨーロッパにやってきたのは期待していたような楽園ではなく、新自由主義の導入による政治的・経済的混沌でした。著者はそこで目の当たりにした社会の激変を研究テーマにしようと決意。普通の人びと(とりわけ女性)の暮らしに焦点を当てて、社会主義から資本主義への移行が人びとの暮らしに与えた影響を調査していきます。
 ゴドシーはこれまで学術論文や学術書で高い評価を受けてきましたが、本書は初めて一般の読者向けに書いた読み物です。元になったのは、2017年にニューヨーク・タイムズ紙に寄稿した同名のコラムでした。「社会主義国の女性が、資本主義国よりも豊かな性生活を楽しんでいた」という斬新な主張は、たちまち大きな話題となりました。
 どうやら読んだ人には、ピンと来るものがあったようです。
 うまくいかないのは自分のせいではなく、資本主義のせいかもしれない、と。

 タイトルに「セックス」と入っていると、ちょっと引く人もいるかもしれません。このあとがきを書いている訳者も、実はセックスに興味がありません。しかし、セックスは資本主義を考えるうえで、かなりおもしろい切り口を提供してくれます。私たちの生活のなかで、もっとも私的で肉体的な体験が、実は政治的・経済的な条件によって規定されているのではないか、という視点です。
 それを考えるときに、20世紀東ヨーロッパや旧ソ連の社会主義の経験は、きわめて貴重な手がかりとなります。資本主義とは異なる社会のあり方が、数十年にわたって実践されていたからです。
 著者は過去の資料や最近の研究結果を吟味し、現地で暮らした人びとの話に耳を傾けて、旧社会主義国の暮らしを丁寧に掘り起こしていきます。そして見えてきたのが、女性の立場という点でいえば、社会主義国のほうが資本主義国よりもマシだったのではないか、という意外な実態です。
 男女平等を建前としていた社会主義国では、女性が男性と同じように働き、収入を得ていました。すべての人が労働することになっていますから、子どもを産むかもしれないという理由で雇用差別を受けることはありません。また、必ずしもうまくいったわけではありませんが、子育て支援の政策も世界に先駆けて実施されていました。
 女性たちは経済的自立を手に入れ、男性に依存する必要がなくなりました。男女の関係が対等になったのです。
 その効果がどのように現れたかは、本文に書かれているとおりです。とりわけ資本主義国の女性が置かれた状況との対比は印象的です。旧東ドイツと西ドイツを比較した結果、社会主義国だった東ドイツのほうがセックスの満足度が高く、オーガズムに達する率が高かったという驚きのデータも紹介されています。
 資本主義の影響は、私たちのベッドの中にも入り込んでいるのです。
 第二波フェミニズムの運動のなかで「個人的なことは、政治的なこと」というスローガンが生まれました。女性の個人的な問題はその人の自己責任に還元されるものではなく、男性中心社会と切り離せない問題であるということです。これに関連させて著者は「政治的なことは、個人的なこと」と述べています。政治という大きな問題を考えるとき、私たちの個人的な体験は、けっして取るに足りないものではありません。
 日々のささやかな生活こそが政治の起点であり、目的であるはずだからです。

 政治的なことといえば、ここで触れておきたいのが、2022年2月に起こったロシアによるウクライナ侵攻です。本書の翻訳を終えて原稿を送信した数日後に、この衝撃的なニュースが飛び込んできました。あとがきを書いている今も戦闘が続いています。ウクライナの人びとが一日も早く平穏な生活を取り戻せることを願いながら、刻々と更新される情報を見つめています。
 戦争という状況は、私たちを敵と味方に分断しようとします。国家の安全保障やリアリズムといった言葉が飛び交い、個々の人間の顔が見えにくくなってしまいます。
 しかし、そうした論調にのみ込まれてしまうことこそが、女性やマイノリティの暮らしにとっては何よりも危険なのではないでしょうか。戦争になると「国」が主語として語られがちですが、そこで実際に血を流し、仕事や住まいを失い、大切な人と引き裂かれるのは、戦争など望んでいなかった「ごく普通の人たち」です。
 かねてからフェミニスト理論は、相互依存的で傷つきやすい人間を主眼に置き、国家中心的な安全保障概念とは異なる世界観を提示してきました。政治学者の岡野八代は、ケアの倫理という観点から、安全保障や戦争、そして国家や政治をめぐる私たちの認識の枠組み自体を問い直します。*1
 私的領域におけるケア関係──本書の議論に引きつけるならば、性的関係や家庭内での女性の立場──が、安全保障という文脈で忘れられてはならないということです。誰の安全が守られるべきなのか。安全を守るとはどういうことか。何がそこから排除されているのか。
 国境という線引きで対立を煽る論調に乗らず、一人ひとりの人間の健康やニーズに思いをはせることが、戦争のような事態に対抗するための力となります。
 本書を日本の読者に紹介するのがこのようなタイミングになるとは予想もしませんでしたが、「鉄のカーテン」という言葉が再び聞かれるようになった今だからこそ、世界を白黒に塗りつぶそうとしない著者の言葉に耳を傾ける価値があると思います。

 本書で使われている「国家社会主義」という言葉について、ひとこと補足させてください。
 著者が明記しているとおり、本書では国家社会主義という言葉を、20世紀の東ヨーロッパやソ連の社会主義体制を指して使っています。ただし日本において、この言葉は異なる意味でも使われてきました。デービッド・レーン『国家社会主義の興亡』の訳者解題から引用します。

「国家社会主義(State Socialist)」概念は……議論の対象として魅力的なものである。同時に、日本語でのこの用語は、民族主義と社会主義の折衷的政策を指向したナチス(国家社会主義・国民社会主義:National Socialism)体制を指すものでもあり、厳格に区別されなければならない。翻訳上、同じ訳を使っているが、明らかに内容は異なる。*2

 

 ナチスを指す「National Socialism」の日本語訳については、国家社会主義ではなく国民社会主義という言葉のほうが適切なようです。高校世界史の教科書でも、ナチ党の訳語は「国民社会主義ドイツ労働者党」と記載されています(または「国民〈国家〉社会主義ドイツ労働者党」と併記)。要するに、本書で使われる国家社会主義という言葉は、ナチス的なものとは無関係であることをご理解ください。
 著者は全体主義をけっして肯定しません。社会主義と全体主義を混同してはならない、と繰り返し強調しています。北欧の社会民主主義モデルに見られるように、全体主義に陥ることなく、民主主義のなかで社会主義的な政策を取り入れることは可能です。そうしたやり方の選択肢を増やすために、過去の国家社会主義の経験を再検討し、私たちの暮らしを良くするための「実用的なツール」を拾い上げよう、というのが本書の意図です。

「資本主義の終わりより、世界の終わりを想像するほうがたやすい」という言葉がよく聞かれます。資本主義が一人勝ちした世界に生きる私たちにとって、資本主義ではない状態を想像するのはきわめて困難です。
 しかし、想像だけに頼る必要はありません。過去の社会主義国の経験から、多くを学ぶことができるからです。そこにはたしかに、今とは違うやり方が存在していました。歴史を学べば、現在の体制にとらわれない視点を手に入れることができます。
 格差と分断は、当たり前の現実ではありません。愛情やセックスが、どんな社会でもお金に換算されるわけではありません。無力感や冷笑主義に抵抗し、新たな政治的可能性を考えていくためにも、公平な目で過去を見つめることが大切なのではないでしょうか。

 

*1 岡野八代「批判的安全保障とケア:フェミニズム理論は「安全保障」を語れるのか?」『ジェンダー研究』第22号、2019年
*2 デービッド・レーン著、溝端佐登史、林裕明、小西豊著訳『国家社会主義の興亡:体制転換の政治経済学』明石書店、2007年

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著者

高橋璃子

翻訳家。京大卒。マキューン『エッセンシャル思考』『エフォートレス思考』などのベストセラーを訳す。他にコイル『GDP――〈小さくて大きな数字〉の歴史』、カトリーン・マルサル『アダム・スミスの夕食を作ったのは誰か?これからの経済と女性の話』など。

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