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医療人類学の不滅の古典、待望の復刊 『臨床人類学:文化のなかの病者と治療者』

医療人類学の草分け的存在として知られる、アーサー・クラインマン氏の記念すべきデビュー作『臨床人類学』が12月2日に復刊されます。

本作は、1992年に邦訳が刊行されたものの、長らく絶版状態が続き、復刊を希望する声が絶えない作品でした。

臨床人類学』の刊行に先駆けて、本作の復刊を誰よりも熱望されていた、精神科医の江口重幸さんに書評をお願いしました。

 

本書は,米国の医療人類学者アーサー・クラインマンのデビュー作である。原著『Patients and Healers in the Context of Culture: An Exploration of the Borderland between Anthropology, Medicine, and Psychiatry』は1980年に刊行されたもので,そのまま訳すと『文化の文脈コンテクストにおける病者(患者)と治療者:人類学と医療と精神医学の境界領域の探究』となる。やや長めのこの原題より邦訳の『臨床人類学』のほうが確かに適切であると思う。内容は,精神科医であり人類学者である著者による,おもに台湾におけるフィールドワークにもとづいた著作であり,英語版の副題が示すように人類学と医療と精神医学の「境界領域の探究」がめざされている。

邦訳の初版は1992年に弘文堂から刊行されたが,一般読者は想定されなかったのだろう,気軽には手の届かない価格(定価9800円)のものであった。時代を画するこの領域の必読文献であり,しかも翻訳陣の精緻をきわめた仕事も手伝って,邦訳は短期間に売り切れとなったが,重版は行われないままの状態が今日まで長らく続いていた。医学部を卒業して数年後に本書と出会い,決定的な影響を受け,医療人類学や文化精神医学の道をめざした評者にとって,今回のあらたな再版は何よりよろこばしい出来事である。

本書の内容を一言でまとめれば,異なった文化の人々の病いやその癒しがどのように行われているかを丹念に追跡し,比較分析したものと紹介したらいいだろうか。前半では,医療人類学が定式化したいくつかの基本概念が導入部で提示される。3つのセクターからなる「ヘルス・ケア・システム」,「臨床リアリティ」や「説明モデル」という視点,「疾病/病い」の二分法など,本書を読むうえで必要な視点が詳しく説明されている。こうした枠組みの背景には,当時の現象学的社会学や解釈学的人類学の視点が巧みに織り込まれていて,医療や疾患という自然科学的な文脈を扱いながらおのずと人間科学的文脈にも理解が広がっていく仕組みになっている。

導入部を過ぎると,病気の経験とそうした時に人々はどういう行動をとるのかという具体的調査と考察が続く。さまざまな病いに苦しむ現地の人の多くは,必ずしも現代の最新の医療にたどり着かないまま(またたどりついた後になっても),さまざまな民間の治療者の診療所や寺院を訪れることで癒しを得ているのである。

そして最終章に近い「癒しの過程」では一人の男性(中年男性の陳さん)が事例として登場し,「土着医療」を含むその具体的治療過程が描かれている。つまり本書は,トップダウン型の大枠の概念の説明からはじまって,個別事例をめぐる曲折に満ちた治療過程がボトムアップ型の具体例として示される構成なのである。本書を通読すると,臨床人類学,臨床民族誌とはこういうものかと腑に落ちるように理解できるであろう。

こうして,クラインマン自身が「おどろくべき」と記したいくつかの結論が待ち構えている。最終部では,「土着の治療者は,病いに対して文化的に是認された治療をおこなう限り,まちがいなく、、、、、、癒しをもたらすことができる」が,一方「現代の専門的な臨床ケアは,たいていのばあいまちがいなく、、、、、、癒すことに失敗する」(評者意訳)ことになると記されている。つまり,専門分化した現代医療に携わる医師は,童乩タンキーと呼ばれる憑依状態で治療にあたる土着のシャーマンに,病いの癒しにおいて到底及ばないという結果が述べられるのだ。それはなぜなのか。もしそうだとしたら私たちはどうしたらいいのだろうか。

クラインマンはこの難題に直面し,その背景にある文化的なコンテクストを理解することの重要性を指摘する。医学的視線と同時に人間科学的視線,つまり人類学や社会学で用いる民族誌学的エスノグラフィックアプローチが不可欠だというのである。こうして本書以降,米国の病院や医学教育・研究の場で,こうした難題を解決すべく具体的な方法を模索することに乗り出していく。さらにこの問いは,本書に続く,慢性的な病いを論じた『病いの語り』や『精神医学を再考する』に結実し,近年の『ケアのたましい』にまで連綿と続くクラインマンの長い思索と格闘の歴史を形成するのである。本書は,その後に展開する著者の思考や医療人類学の可能性を,萌芽的に宿した,記念碑的な,始まりの1冊なのである。

ページを開くと,読者は,読経の声と線香の香りがむせるように漂う台北の龍山寺ロンシャンスーとその界隈の治療院が軒を連ねた市街に投げ込まれる。そして,原著の刊行から約40年,邦訳から約30年を数えるが,ここで論じられたことは決して過去の異国の出来事ではないことを肌で感じることになると思う。評者が本書を医療人類学,臨床人類学の不滅の古典と考えるゆえんはそこにある。

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