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サピエンスともあろうものが──『ホモ・デウス』書評(評者:山本貴光)

 

1.私たちはどこから来て、どこへ行くのか

 「私たちは何者なのか」とは、古くていつまでも新しい問いである。人類は他の生物とどこが違うのか。なぜ人類だけが地球上でこれほど繁栄したのか。加えて言えば、目下のところ宇宙でも唯一の知的生命体のようである。つい最近も科学雑誌『サイエンティフィック・アメリカン』2018年9月号で「人類――なぜ私たちはこの地上の他の種とまるで違うのか」という特集が組まれたのは記憶に新しいところ。

 

 これに対してさまざまな答案も提出されてきた。ホモ・ロクエンス(話す人)、ホモ・サピエンス(知恵ある人/リンネ)、ホモ・ファベル(つくる人/ベルクソン)、ホモ・ルーデンス(遊ぶ人/ホイジンガ)といった言葉は、人類が何者なのかを定義する試みだ。

 

 歴史学者ユヴァル・ノア・ハラリは、『サピエンス全史――文明の構造と人類の幸福』(原題を直訳すれば『サピエンス――手短かに書かれた人類の歴史』)で人類の長い歴史を描いてこの問いに答えてみせた。多様な領域の知を巧みに織りあわせ、20万年というスパンの人類史をわずか600ページ(邦訳書上下巻)に畳み込んだ同書は、世界中で多くの読者を魅了してきた。そこでは人類とは何者であり、どのような道を辿ってきたのかという問いに焦点が当てられていた。

 

 同書の姉妹編である本書『ホモ・デウス――テクノロジーとサピエンスの未来』(これも原題を直訳すれば『ホモ・デウス――手短かに書かれた人類の明日』)は、そのような来歴をもつ人類が、これからどこへ向って行くのかという未来に見通しをつけようとする本だ。

 

 といっても、著者が繰り返し注意するように、これは予言の書ではない。五年後に世界がどうなっているかも分からないのに、五〇年、百年という単位で未来を予測することなどできない相談である。では、なにをしようというのか。

 

2.汝はなにを欲するものぞ

 こういう本を読む場合、なによりのコツは、著者が探究しようとしている「問い」や「謎」を理解・吟味することにある。その問いを読者自身のものとして受け止められれば、より多くを得られるし、なによりいっそう楽しく読める。ここでは、これから『ホモ・デウス』を読む人のために、この点をご一緒に検討してみよう。

 

 では、『ホモ・デウス』はなにを問うのか。本書全体の序章ともいえる第1章のタイトルに示されている。「人類が新たに取り組むべきこと」はなにか。これはいったいどういう意味か。

 

 著者の見るところによれば、人類はこれまでとは異質の段階に移りつつある。というのもサピエンスは、長きにわたって飢饉、疫病、戦争と戦い続けてきたのだが、21世紀の現在、かつてと比べてこうした問題を相当程度抑え込むことに成功している。根絶は無理かもしれないし、個別具体的にはさまざまな問題が生じている。だが、もはや飢饉、疫病、戦争は、以前のように解決不可能で神頼みしか打つ手のない課題ではない。

 

 もしそのように捉えてよいとすれば、大局的に見て人類は史上かつてなく平穏な状態を迎えつつあると言えるだろう。では、そうした従来の課題が対処や制御できるものとなった後で、次に私たちはなにをすべきか。これが先ほどの問いであった。それならあとは、地球環境の汚染や変動によって生物の住めない場所に成り果てたりしない限りはそのまま静かに生きればよいではないか。

 

 理屈で考えればその通り。だが、歴史を見る限りでは、残念ながらそうはいかない。はしなくもパスカルの言葉が思い出される。

 

「人間の不幸というものは、みなただ一つのこと、すなわち、部屋の中に静かに休んでいられないことから起こるのだ」

(『パンセ』、前田陽一+由木康訳、中公文庫、1993、p. 92)

 

 じっとしていられない人間はなにをするのか。汝はなにを欲するものぞ。これが『ホモ・デウス』で提示される問題である。

 

3.盛者必衰のことわり?

 吉と出るか、凶と出るか。そのつもりで同書の構成を見ると、どうやら無事では済まなさそうだ。

 

 第1部 ホモ・サピエンスが世界を征服する

 第2部 ホモ・サピエンスが世界に意味を与える

 第3部 ホモ・サピエンスによる制御が不能になる

 

 そう、これは世界を征服したホモ・サピエンスが、従来のやり方ではもはや世界を制御できなくなって、ついには征服者の座から転落するという物語なのだ。

 

 といっても根拠のない作り話をしているわけではない。著者は例によって歴史学はもちろんのこと、政治学、経済学、宗教学、遺伝子工学、行動経済学、認知心理学、神経科学、倫理学、哲学といった百学の知を博捜して、人類が置かれた現状とそこに至った筋道を浮かび上がらせる。その上で世界がこのまま進んでいったらなにが生じるかをシミュレーションしてみせているのだ。

 

 サピエンスは、植物の栽培と動物の家畜化で食糧を確保する一方、自然現象を解明しながら、そこで得られた知を応用し、言語によって互いに意思疎通・協力しあって、医療、交通、通信、コンピュータをはじめとするテクノロジーをつくりあげてきた。その結果、サピエンスは地上の覇者となった。

 

 その過程で生み出された遺伝子工学を典型とするバイオテクノロジーは、医療という範囲を超えて人間を強化することにも使える。例えば寿命を伸ばしたり、身体能力や外見、知能や記憶力を増強した人間が現れる可能性もある。それはもはやホモ・サピエンスではなく、超人、もしくはかつて人類が思い描いた「神(デウス)」に近い存在、ホモ・デウスだ。

 

 また、目下流行中の人工知能(AI)を典型とするアルゴリズムは、コンピュータとネットワークから集められる厖大なデータをもとに、文字通り人知を超えた世界のありようを明らかにし、またそれを制御している。アルゴリズムとは、なんらかの課題に対してこれを解決する手順のことだ。そうした手順を設計できれば、あとはコンピュータをはじめとする機械で自動化できる。人間の名人に勝つ囲碁のプログラムや、人間よりはるかに高確率で腫瘍を発見する装置はその一例だ。なにしろ機械だけに人間のように思い込み(認知バイアス)や感情に判断が左右されることもない。

 

 なんだ、いいことづくめではないか。どこに問題などあるというのか。

 

4.身の丈を超えたテクノロジー

 その鍵は他ならぬテクノロジーにある。

 

 ホモ・サピエンスが生活や環境を快適にするため、あるいは経済的な豊かさを目指してテクノロジーをつくり出した結果、ホモ・デウスが出現し、アルゴリズムが各方面で厖大なデータを通じてさらに広く深く世界を見渡し、効率的に動かすようになる。するとなにが生じるか。議論の細部を省略して図式にすればこうなる。これまで

 

 動物 < ホモ・サピエンス

 

 という関係が成り立ってきた。ここで「<」という記号は、右にあるものが左にあるものの上に立つというほどの意味だ。そこに

 

 動物 < ホモ・サピエンス < ホモ・デウス/アルゴリズム

 

 という上位の存在が生じる。上位の存在は、下位の存在であるサピエンスをどのように扱うか。これまでサピエンスが動物たちを扱ってきたように。あるいはサピエンスのなかでマイノリティや他者を差別し、虐げてきたようにかもしれない。

 

 こうしたシナリオは、これまでSFを中心としたフィクションで繰り返し想像されてきたものだ。なるほどそういう意味での新鮮さや驚きは少ない。

 

 ただ、このたびは切迫感が違う。というのも、バイオテクノロジーにせよアルゴリズムにせよ、世界に変化をもたらしつつあるのは事実だからだ。なにより私たちはすでに、自分たちの身の丈をはるかに超えたデータの洪水の只中におり、誰もその全体を把握できていない。身近なところでは、目にしたデータやニュースが事実なのかフェイクなのか、チャットの向こうにいるのは人間なのかアルゴリズム(AI)なのかも覚束ない、といったこともある。ひょっとしたら人類は自分たちのしあわせのためにつくり出したテクノロジーによって追いやられるかもしれない。多くの人がホモ・デウスになれず、アルゴリズムにも太刀打ちできないのだとしたら。

 

5.しあわせの条件

 あらまし以上のような未来像をシミュレートしてみせる『ホモ・デウス』は、もう一度言えば予言の書ではない。仮にそのような可能性があるとしたら、そしてそうなることを望まないとしたら、私たちはなにをすべきか。これこそ、著者が読者と共有しようとする人類の課題なのである。

 

 ここで話は冒頭の問いへ戻る。私たちはどこへ行くのか。なにを欲するのか。どうしたらしあわせなのか。ユヴァル・ノア・ハラリは、人類の歴史と叡智を集めてつくった鏡を私たちに差し出した。そこに映る過去と未来を材料に、今度は私たちが考える番だ。サピエンス(分別・知恵のある者)ともあろうものが、自分たちの首を絞めて終わるのか。はたまた新たなしあわせの形を見出せるのか。この問いかけを手に、いざ『ホモ・デウス』のほうへ。

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著者

山本 貴光

山本貴光(やまもと・たかみつ)

1971年生まれ。文筆家・ゲーム作家。

著書に『投壜通信』、『高校生のためのゲームで考える人工知能』(共著)、『文学問題(F+f)+』、『「百学連環」を読む』など。

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