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全文公開第二弾! ユヴァル・ノア・ハラリ氏(『サピエンス全史』ほか)が予見する「新型コロナウイルス後の世界」とは? FINANCIAL TIMES紙記事、全文翻訳を公開。

世界的歴史学者・哲学者のユヴァル・ノア・ハラリ氏は、2020年3月20日付のイギリス経済有力紙FINANCIAL TIMESに「新型コロナウイルス後の世界―この嵐もやがて去る。だが、今行なう選択が、長年に及ぶ変化を私たちの生活にもたらしうる(原題:the world after coronavirus ― This storm will pass. But the choices we make now could change our lives for years to come)」と題した記事を寄稿しました。

 当社では、3月24日に全文公開を開始したハラリ氏寄稿文「人類はコロナウイルスといかに闘うべきか――今こそグローバルな信頼と団結を」(アメリカTIME誌)に続く、“全文公開第二弾”として、ハラリ氏の著作全てを訳した柴田裕之氏の翻訳による記事全文を特別掲載いたします。 

現代における「知の巨人」が、“今、人類に迫られている選択”、“この危機を乗り切った後、私たちが身を置く世界”を持ち前の鋭さで論考する本稿。是非ご高読下さい。

 

 

2020年3月20日「フィナンシャル・タイムズ」紙
新型コロナウイルス後の世界 ― この嵐もやがて去る。だが、今行なう選択が、長年に及ぶ変化を私たちの生活にもたらしうる
(原題:the world after coronavirus ― This storm will pass. But the choices we make now could change our lives for years to come)
記事全文

 

ユヴァル・ノア・ハラリ=著
(歴史学者・哲学者。世界的ベストセラー『サピエンス全史』、『ホモ・デウス』、『21 Lessons』著者)


柴田裕之=訳

 

 人類は今、グローバルな危機に直面している。それはことによると、私たちの世代にとって最大の危機かもしれない。今後数週間に人々や政府が下す決定は、今後何年にもわたって世の中が進む方向を定めるだろう。医療制度だけでなく、経済や政治や文化の行方をも決めることになる。私たちは迅速かつ決然と振る舞わなければならない。だが、自らの行動の長期的な結果も考慮に入れるべきだ。さまざまな選択肢を検討するときには、眼前の脅威をどう克服するかに加えて、嵐が過ぎた後にどのような世界に暮らすことになるかについても、自問する必要がある。そう、この嵐もやがて去り、人類は苦境を乗り切り、ほとんどの人が生き永らえる――だが、私たちは今とは違う世界に身を置くことになるだろう。

 今後、多くの短期的な緊急措置が生活の一部になる。非常事態とはそういうものだ。非常事態は、歴史のプロセスを早送りする。平時には討議に何年もかかるような決定も、ほんの数時間で下される。未熟なテクノロジーや危険なテクノロジーまでもが実用化される。手をこまぬいているほうが危いからだ。いくつもの国がまるごと、大規模な社会実験のモルモットの役割を果たす。誰もが自宅で勤務し、遠隔でしかコミュニケーションを行なわなくなったら、何が起こるのか? 小学校から大学まで、一斉にオンラインに移行したら、どうなるのか? 平時なら、政府も企業も教育委員会も、そのような実験を行なうことにはけっして同意しないだろう。だが、今は平時ではないのだ。

 この危機に臨んで、私たちは2つのとりわけ重要な選択を迫られている。第1の選択は、全体主義的監視か、それとも国民の権利拡大か、というもの。第2の選択は、ナショナリズムに基づく孤立か、それともグローバルな団結か、というものだ。

 

「皮下」監視

 感染症の流行を食い止めるためには、各国の全国民が特定の指針に従わなくてはならない。これを達成する主な方法は2つある。1つは、政府が国民を監視し、規則に違反する者を罰するという方法だ。今日、人類の歴史上初めて、テクノロジーを使ってあらゆる人を常時監視することが可能になった。50年前なら、KGB(旧ソヴィエト連邦の国家保安委員会)は、2億4000万のソ連国民を24時間体制で追い続けることはできなかったし、収集した情報をすべて効果的に処理することなど望むべくもなかった。KGBは諜報員や分析官を頼みとしていたため、国民の一人ひとりに諜報員を割り当てて追跡することは、とうてい不可能だった。だが、今や各国政府は、生身のスパイの代わりに、至る所に設置されたセンサーと、高性能のアルゴリズムに頼ることができる。

 数か国の政府が、新型コロナウイルス感染症の流行との戦いで、新しい監視ツールをすでに活用している。それが最も顕著なのが中国だ。中国の当局は、国民のスマートフォンを厳重にモニタリングしたり、何億台もの顔認識カメラを使ったり、国民に体温や健康状態の確認と報告を義務づけたりすることで、新型コロナウイルス感染症の病原体保有者であると疑われる人を素早く突き止められるだけでなく、彼らの動きを継続的に把握して、接触した人を全員特定することもできる。国民は、感染者に接近すると、多種多様なモバイルアプリに警告してもらえる。

 この種のテクノロジーが利用可能な国は、東アジアに限られてはいない。イスラエルのベンヤミン・ネタニヤフ首相は最近、通常はテロリストとの戦い専用の監視技術を、新型コロナウイルス感染症患者追跡にも使用する権限を、同国の総保安庁に与えた。議会の当該小委員会がこの措置を許可することを拒むと、ネタニヤフは「緊急命令」を出してこの方針を押し通した。

 こうした措置には1つとして新しい点はないと主張する向きもあるだろう。近年は、政府も企業も、なおいっそう高度なテクノロジーを使って、人々の追跡・監視・操作を行なっているからだ。とはいえ、油断していると、今回の感染症の大流行は監視の歴史における重大な分岐点となるかもしれない。一般大衆監視ツールの使用をこれまで拒んできた国々でも、そのようなツールの使用が常態化しかねないからだけではなく、こちらのほうがなお重要だが、それが「体外」監視から「皮下」監視への劇的な移行を意味しているからだ。

 これまでは、あなたの指がスマートフォンの画面に触れ、あるリンクをクリックしたとき、政府はあなたの指が何をクリックしているかを正確に知りたがった。ところが、新型コロナウイルスの場合には、関心の対象が変わる。今や政府は、あなたの指の温度や、皮下の血圧を知りたがっているのだ。

 

非常事態のプディング令

 監視ということに関して、私たちがどのような立場にあるのかを解明する際には、さまざまな問題に直面する。自分たちがどのように監視されているのか、そして、今後の年月に何が登場するのかを、誰一人正確には知らないというのもその1つだ。監視技術は猛烈な速さで進歩しており、10年前にはサイエンスフィクションのように思えたものが、今日では早くも新鮮味を失っている。1つ思考実験をしてみよう。体温と心拍数を1日24時間休みなくモニタリングするリストバンド型センサーの着用を、ある政府が全国民に強要したとする。得られたデータは蓄積され、政府のアルゴリズムが解析する。そのアルゴリズムは、あなたが病気であることを、本人が気づきさえしないうちに知るだろうし、あなたがどこに行き、誰と会ったかも把握している。そのおかげで、感染の連鎖を劇的に縮め、完全に断ち切ることさえできるだろう。そのようなシステムがあれば、ほんの数日で感染症の拡大を止められることはほぼ間違いない。素晴らしい話ではないか?

 だが、そこには負の面もある。当然ながら、ぞっとするような新しい監視体制に正当性を与えてしまうからだ。たとえば、もし私がCNNではなくFox Newsをクリックしたことをあなたが知ったら、私の政治的な考え方や、ことによると性格についてさえもわかることがあるだろう。ところが、もしFox Newsのビデオクリップを見ているときの私の体温や血圧や心拍数の変動をモニタリングできたら、何が私を笑わせたり、泣かせたり、激怒させたりするのかまで知ることができる。

 ぜひとも思い出してもらいたいのだが、怒りや喜び、退屈、愛などは、発熱や咳とまったく同じで、生物学的な現象だ。だから、咳を識別するのと同じ技術を使って、笑いも識別できるだろう。企業や政府が揃って生体情報を収集し始めたら、私たちよりもはるかに的確に私たちを知ることができ、そのときには、私たちの感情を予測することだけではなく、その感情を操作し、製品であれ政治家であれ、何でも好きなものを売り込むことも可能になる。大規模な生体情報モニタリングが実施されれば、ケンブリッジ・アナリティカ社によるデータ・ハッキングの手口など、石器時代のもののように見えてくるだろう。全国民がリストバンド型の生体情報センサーの常時着用を義務づけられた2030年の北朝鮮を想像してほしい。もし誰かが、かの偉大なる国家指導者の演説を聞いているときに、センサーが怒りの明確な徴候を検知したら、その人は一巻の終わりだ。

 生体情報の監視を、非常事態の間に取る一時的措置だとして擁護することもむろんできる。感染症の流行が終息したら、解除すればいい、と。だが、一時的な措置には、非常事態の後まで続くという悪しき傾向がある。常に何かしら新たな非常事態が近い将来に待ち受けているから、なおさらだ。たとえば、私の祖国であるイスラエルは、1948年の独立戦争の間に非常事態宣言を出し、それによって、新聞の検閲や土地の没収からプディング作りに対する特別の規制(これは冗談ではない)まで、じつにさまざまな一時的措置が正当化された。イスラエルは独立戦争に勝利してから久しいが、非常事態の終息宣言はついにせず、1948年の「一時的」措置の多くは、廃止されぬままになっている(幸いにも、非常事態のプディング令は2011年に撤廃された)。

 たとえ新型コロナウイルスの感染数がゼロになっても、データに飢えた政府のなかには、コロナウイルスの第二波が懸念されるとか、新種のエボラウイルスが中央アフリカで生まれつつあるとか、何かしら理由をつけて、生体情報の監視体制を継続する必要があると主張するものが出てきかねない。わかっていただけただろうか? 近年、私たちのプライバシーをめぐって激しい戦いが繰り広げられている。新型コロナウイルス危機は、この戦いの転機になるかもしれない。人はプライバシーと健康のどちらを選ぶかと言われたなら、たいてい健康を選ぶからだ。

 

「石鹸警察」

 だが、プライバシーと健康のどちらを選ぶかを問うことが、じつは問題の根源になっている。なぜなら、選択の設定を誤っているからだ。私たちは、プライバシーと健康の両方を享受できるし、また、享受できてしかるべきなのだ。全体主義的な監視政治体制を打ち立てなくても、国民の権利を拡大することによって自らの健康を守り、新型コロナウイルス感染症の流行に終止符を打つ道を選択できる。過去数週間、この流行を抑え込む上で多大な成果をあげているのが、韓国や台湾やシンガポールだ。これらの国々は、追跡用アプリケーションをある程度使ってはいるものの、広範な検査や、偽りのない報告、十分に情報を提供されている一般大衆の意欲的な協力を、はるかに大きな拠り所としてきた。

 有益な指針に人々を従わせる方法は、中央集権化されたモニタリングと厳しい処罰だけではない。国民は、科学的な事実を伝えられているとき、そして、公的機関がそうした事実を伝えてくれていると信頼しているとき、ビッグ・ブラザー(訳注 ジョージ・オーウェルの『一九八四年』で、全体主義国家オセアニアを統治する独裁者)に見張られていなくてもなお、正しい行動を取ることができる。自発的で情報に通じている国民は、厳しい規制を受けている無知な国民よりも、たいてい格段に強力で効果的だ。

 たとえば、石鹸で手を洗うことを考えてほしい。これは、人間社会の衛生上、屈指の進歩だ。この単純な行為のおかげで、毎年何百万もの命が救われている。石鹸で手を洗うことは、私たちにとっては当たり前だが、その重要性を科学者がようやく認識したのは、19世紀に入ってからだった。それ以前は、医師や看護師さえもが、手術を1つ終えた後、手を洗わずに次の手術に臨んでいた。今日、何十億もの人が日々手を洗うが、それは、手洗いの怠慢を取り締まる「石鹸警察」を恐れているからではなく、事実を理解しているからだ。私が石鹸で手を洗うのは、ウイルスや細菌について耳にしたことがあり、これらの微小な生物が病気を引き起こすことを理解しており、石鹸を使えば取り除けることを知っているからだ。

 だが、手洗いに匹敵する水準の徹底と協力を成し遂げるためには、信頼が必要となる。人々は科学を信頼し、公的機関を信頼し、マスメディアを信頼する必要がある。ここ数年にわたって、無責任な政治家たちが、科学と公的機関とマスメディアに対する信頼を故意に損なってきた。今や、まさにその無責任な政治家たちが、一般大衆はとうてい信頼できず、適切な行動を取ってもらえるとは思えないと主張し、安易に独裁主義への道を突き進む誘惑に駆られかねない。

 通常は、長い年月をかけて蝕まれた信頼は、一夜にして再建しえない。だが、今は平時ではない。危機に際しては、人の心はたちまち変化しうる。兄弟姉妹と長年、激しく言い争っていても、いざという時には、人知れずまだ残っていた信頼や親近感が蘇り、互いのもとに駆けつけて助け合うこともありうる。監視政治体制を構築する代わりに、科学と公的機関とマスメディアに対する人々の信頼を復活させる時間はまだ残っている。新しいテクノロジーも絶対に活用するべきだが、それは国民の権利を拡大するテクノロジーでなくてはならない。私は自分の体温と血圧をモニタリングすることには大賛成だとはいえ、そのデータは全能の政府を生み出すために使われることがあってはならない。むしろ、そのデータのおかげで私は、より適切な情報に基づいた個人的選択をしたり、政府に責任を持って決定を下させるようにしたりできてしかるべきなのだ。

 もし私が自分の健康状態を1日24時間追うことができたら、自分が他人の健康にとって危険になってしまったかどうかに加えて、どの習慣が自分の健康に貢献しているかもわかるだろう。そして、新型コロナウイルスの拡散についての信頼できる統計にアクセスしてそれを解析できたなら、政府が本当のことを言っているかどうかや、この感染症との戦いに適切な政策を採用しているかどうかも判断できるだろう。もし監視が話題に上っていたら、同じ監視技術がたいてい、政府が各個人をモニタリングするためだけではなく、各個人が政府をモニタリングするためにも使えることを思い出してほしい。

 このように、新型コロナウイルス感染症の大流行は、公民権の一大試金石なのだ。これからの日々に、私たちの一人ひとりが、根も葉もない陰謀論や利己的な政治家ではなく、科学的データや医療の専門家を信じるという選択をするべきだ。もし私たちが正しい選択をしそこなえば、自分たちの最も貴重な自由を放棄する羽目になりかねない――自らの健康を守るためには、そうするしかないとばかり思い込んで。

 

グローバルなプランが必要だ

 私たちが直面する第2の重要な選択は、ナショナリズムに基づく孤立と、グローバルな団結との間のものだ。感染症の大流行自体も、そこから生じる経済危機も、ともにグローバルな問題だ。そしてそれは、グローバルな協力によってしか、効果的に解決しえない。

 このウイルスを打ち負かすために、私たちは何をおいても、グローバルな形で情報を共有する必要がある。情報の共有こそ、ウイルスに対する人間の大きな強みだからだ。中国の新型コロナウイルスとアメリカの新型コロナウイルスは、人間に感染する方法について情報交換することができない。だが、新型コロナウイルスとその対処法に関する教訓を、中国はアメリカに数多く伝授できる。早朝にミラノでイタリアの医師が発見したことのおかげで、夕方までにテヘランで何人もの人の命が救われるかもしれない。イギリス政府は、複数の政策のどれを選ぶべきか迷っているときには、すでに1か月前に同じようなジレンマに直面していた韓国から助言を得られる。だが、こうした情報の共有が実現するためには、グローバルな協力と信頼の精神が必要とされる。

 各国は隠し立てせず、進んで情報を提供し、謙虚に助言を求めるべきであり、提供されたデータや見識を信頼できてしかるべきだ。また、医療用品・機器の生産と流通のための、グローバルな取り組みも欠かせない。とくに重要なのが検査キットと人工呼吸器だ。各国がすべて自国内で調達しようとし、手に入るかぎりのものをため込む代わりに、協調してグローバルな取り組みをすれば、生産が著しく加速され、命を救う用品や機器がより公平に分配できる。戦時中に国家が基幹産業を国有化するのとちょうど同じように、新型コロナウイルスに対する人類の戦争では、不可欠の生産ラインを「人道化」する必要があるだろう。新型コロナウイルスによる感染例が少ない豊かな国は、感染者が多発している貧しい国に、貴重な機器や物資を進んで送るべきだ。やがて自国が助けを必要とすることがあったなら、他の国々が救いの手を差し伸べてくれると信じて。

 医療のための人員を出し合う、同様のグローバルな取り組みも検討していいだろう。現時点であまり影響を受けていない国々は、世界でも最も深刻な打撃を受けている地域に医療従事者を派遣することができる。そうすれば、窮地に立たされた国々を助けると同時に、貴重な経験を得ることも可能だろう。もし、後に派遣国に感染症流行の中心が移ったなら、今度は逆方向に支援が流れてくることになる。

 グローバルな協力は、経済面でも絶対に必要だ。経済とサプライチェーンがこれほどグローバル化しているのだから、もし各国政府が他国をいっさい無視して好き勝手に振る舞えば、大混乱が起こって危機は深まるばかりだろう。私たちはグローバルな行動計画を必要としている。それも、ただちに。

 それに加えて、移動に関するグローバルな合意に達することも欠かせない。何か月にもわたって国際的な移動を停止すれば、途方もない苦難を招き、新型コロナウイルスに対する戦いを妨げることになる。各国は協力し、せめて絶対に必要な少数の人々、すなわち科学者や医師、ジャーナリスト、政治家、ビジネスパーソンには越境を許し続けなければいけない。移動者が自国による事前検査を受けるというグローバルな合意に至れば、これは達成可能だ。厳重な検査を受けた移動者しか飛行機の搭乗を許されないことがわかっていれば、入国側も受け容れやすくなる。

 あいにく、現時点ではどの国もこうしたことを1つも実行していない。国際コミュニティは集団麻痺に陥っている。大人の振る舞いを見せる国が見当たらないようだ。もう何週間も前に、世界の指導者たちが緊急会議を開いて、共同の行動計画をまとめていて当然のように思えるのだが。G7の首脳は、ようやく今週になってどうにかテレビ会議を開いたが、そのような計画にはまったくたどり着けなかった。

 2008年の金融危機や2014年のエボラ出血熱の大流行といった、これまでのグローバルな危機では、アメリカがグローバルなリーダーの役割を担った。だが、現在のアメリカの政権は、リーダーの仕事を放棄した。そして、人類の将来よりもアメリカの偉大さのほうをはるかに重視していることを、明確に示してきた。

 この政権は、最も親密な盟友たちさえも見捨てた。EU(欧州連合)からの入国を完全に禁止したときには、EUに事前通告さえしなかった。この思い切った措置について、EUと協議しなかったことは言うまでもない。そして、伝えられるところによれば、新しいCOVID-19ワクチンの専売権を買い取るために、あるドイツの製薬会社に10億ドルという金額を提示したとのことで、ドイツを呆れ返らせた。現政権が最終的には方針を転換し、グローバルな行動計画を打ち出したとしても、その指導者に従う人は皆無に近いだろう。なにしろその人物は、責任はけっして取らず、誤りは断じて認めず、いつもきまって手柄は独り占めし、失敗の責めはすべて他人に負わせるのだから。

 アメリカが残した空白を埋める国が出てこなければ、今回の感染症の大流行に歯止めをかけるのがなおさら難しくなるばかりか、その負の遺産が、今後長い年月にわたって国際関係を毒し続けるだろう。とはいうものの、危機はみな、好機でもある。グローバルな不和がもたらす深刻な危機に人類が気づく上で、現在の大流行が助けになることを、私たちは願わずにはいられない。

 人類は選択を迫られている。私たちは不和の道を進むのか、それとも、グローバルな団結の道を選ぶのか? もし不和を選んだら、今回の危機が長引くばかりでなく、将来おそらく、さらに深刻な大惨事を繰り返し招くことになるだろう。逆に、もしグローバルな団結を選べば、それは新型コロナウイルスに対する勝利となるだけではなく、21世紀に人類を襲いかねない、未来のあらゆる感染症流行や危機に対する勝利にもなることだろう。

 

 

ユヴァル・ノア・ハラリ
1976年イスラエル生まれの歴史学者、哲学者。2014年『サピエンス全史』の世界的ヒットにより一躍時代の寵児となる。2016年の『ホモ・デウス』では衝撃の未来予想図で世界を震撼させた。最新作『21 Lessons』では現代世界を鋭く読み解き、人類を力強く鼓舞する。

 

出典・初出

The World After Coronavirus, first published in English in The Financial Times
(https://www.ft.com/content/19d90308-6858-11ea-a3c9-1fe6fedcca75)
© Yuval Noah Harari 2020

 

すでにこの寄稿記事は日本でも紹介され、「クーリエ・ジャポン」(3/28)、「日経電子版」(3/30)、「日本経済新聞」(3/31朝刊、抜粋)に別訳が掲載されています。

 

 

『サピエンス全史──文明の構造と人類の幸福』上巻

『サピエンス全史──文明の構造と人類の幸福』下巻

 

『ホモ・デウス──テクノロジーとサピエンスの未来』上巻

『ホモ・デウス──テクノロジーとサピエンスの未来』下巻

 

『21 Lessons──21世紀の人類のための21の思考』

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著者

ユヴァル・ノア・ハラリ

イスラエルの歴史学者・哲学者。オックスフォード大学で中世史、軍事史を専攻して博士号を取得、エルサレムのヘブライ大学で教鞭をとる。著書『サピエンス全史』は世界で1200万部を超えるベストセラー。

柴田 裕之

翻訳家。早稲田大学・Earlham College卒業。訳書にドゥ・ヴァール『道徳性の起源』、リドレー『繁栄』(共訳)、リフキン『限界費用ゼロ社会』、ハラリ『サピエンス全史(上下)』など。

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