単行本 - 人文書

江戸から蓮實重彦、柄谷行人まで。日本初の個人編集・解題による批評全史『日本批評大全』刊行記念対談

『日本批評大全』

渡部直己

『日本小説技術史』の批評家が、江戸後期より蓮實重彦、柄谷行人まで──
近現代の批評から70編を精選し解題、日本批評の全貌を俯瞰・総括する初の個人編集による批評集生。

前人未到の比類なき偉業。

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「批評よ、甦れ──『日本批評大全』刊行によせて」
〈対談〉渡部直己×斎藤美奈子

 

「一行残れば勝ち」

斎藤 セレクションからして大変なお仕事でしたね。

渡部 選ぶだけでたっぷり半年以上かかりました。この本では、原典から抜いた惹句的な一行と僕の解題を読んでもらえれば、日本近代批評の主立ったところがわかるし、その惹句を付けた目次(後掲)だけでも、おおよそがわかると思います。
斎藤 私、これ買いだと思います。だって重要な批評ばっかりこんなに集めた本って、これまでにないですよね。
渡部 批評のアンソロジーは、『昭和批評体系』五巻本(番町書房)などが昔はあったし、いまも、岩波文庫に『日本近代文学評論』の二巻本がありますが、秋成・宣長から蓮實・柄谷まで七十本、ひとりの編著者が作った本はこれが最初だと思います。
斎藤 いまでは個人全集をひっくり返さないと読めない文章も多い。文庫の回転はこの頃えらく速いけど、真っ先に消されるのが文芸批評です(笑)。名前は知ってるけど、読んでないものも多い。
渡部 そういう方に原文に触れてもらうためのものです。で、撒き餌のように、原文の中でいちばん美味しいフレーズをフューチャーしてみよう、と。正岡子規の「貫之は下手な歌よみにて」(「歌よみに与ふる書」)とか、大杉栄の「美はたゞ乱調に在る」(「生の拡充」)とか。
斎藤 編集の妙ですね。トップの一行を読むだけでも、ものすごくおもしろい。渡部さんの編集マインドが炸裂してます(笑)。
渡部 これ、じつは、駆け出しの頃、中上健次に教わったんですよ。「いいか、何を書いても一行残れば勝ち。俺はいつもそのつもりでやっているんだ」、と。
斎藤 おお。文章家はコピーライターであるべきだと。「人間は考える葦である」とか「幸福な家族はどれも似通っているが、不幸な家族は不幸のあり方がそれぞれ異なっている」とかね。結婚式や卒業式のスピーチで、みんなそこだけ引用するんですよね。
渡部 それを僕はずっと肝に銘じていて、長い評論でもほんのコラムでも、どの一行が残るかなって意識して書くようにして来たんですね。その一行を重要な基準にして選ぶというアイディアが発端でしたから、この本、ある意味では中上さんの賜物なんですよ。
斎藤 中上さんのアイディアだっていうのは意外でしたが、一行があるかないかはたしかに重要です、特に書評家としては。
渡部 逆にいうと、それで落としたのもある。もちろん、内容が最優先ではありますが。
斎藤 「名作うしろ読み」っていう連載を前に新聞でやっていて、今は本にもなってるんですが、そういえば中上さんのラストはキマってたな。『紀州』は「ここは輝くほど明るい闇の国家である」で終わるの。文学作品のラストの一文を拾うだけでも、上手な人と、下手な人の差は歴然とあります。
渡部 あの本、とても好きです。僕の本も、斎藤さんのそのセンスに似ているかもしれませんね。斎藤さんよりはずっと依怙贔屓で(笑)、ちょっとややこしい理屈をまぶして、いろんな所から集めてみた面もあります。
斎藤 ここには文芸批評だけではなくて社会批評みたいなものも入ってますね。
渡部 狭義の文芸批評だけじゃなくて、良くも悪しくも、その時代の文学的感性を刺激した批評文ということです。たとえば、「六八年」の頃なんて、狭義の文芸批評家ではなく、宮川淳とか、中平卓馬や高橋悠治、他の領域の人たちの文章の方が圧倒的に冴えてる。少し前だと、土方巽ですとか。大正時代なら、柳田・折口・熊楠の三人がダントツで、彼らに比べると、島村抱月や相馬御風など、自然主義文学周辺の物書きの批評力なんて悲しいほど低い。「青鞜」や「水平社」の強烈さのほうがやわな物書きより上とかね。文学者のなかでは、岩野泡鳴や有島武郎はさすがでしたが、彼らの本業は小説ですし。ただし、総じてぬるいことを言ってる「文士」たちのなかでも、久米正雄の「私小説」擁護などは、馬鹿馬鹿しさのきわみのような弾みがあって(笑)、それはそれで捨てがたいとか。
斎藤 昭和初期ってプロレタリア文学と私小説しかない。それが二大潮流でしょう。すごく変な時代だなって思いますよね。
渡部 散文フィクションと一人称があんなふうに結託してるのって、日本の「私小説」だけです。「私」を主語に置くとなぜか座りがいい。いまだに座りがいい。これは一体どうしてなのか? 今回やってみて、ひとつ、この問題を痛感しましたね。これは理論的に容易には解明できないんだよね。つまり志賀直哉がなんでいいのかが、分析できない。で、それを良いことに、志賀の足下にも遠く及ばぬ連中までが、いまだにそこに居座っている。
斎藤 私も志賀直哉はどこがいいのかわかりませんね。『暗夜行路』のうしろの方に出てくる「大山の自然に抱かれてる私」とかが名文とされているわけでしょう。でも、すごい発明だったわけですよね、一人称小説は。三人称一元視点の小説も含めてですが。
渡部 ええ。日本の散文フィクションは、『舞姫』とか『坊っちゃん』をわずかな例外として、明治時代の終わりまではほとんど三人称の多元視点でやってたわけですから。これを、大正期、三人称一元視点もしくは一人称が、「私小説」の覇権を技術的に支える。この転換はまさに、特殊日本的な発明ですよ。他方のプロレタリア文学者も、転向したとたん揃って「私小説」を書きだす始末で……。
斎藤 中村光夫が『風俗小説論』で批判したのもそこですよね。日本だと三人称多元小説は通俗小説っていわれちゃう。原爆文学の嚆矢とされている原民喜の『夏の花』は、日記なのか私小説なのかわからない不思議な文章なんだけど、集英社文庫の解説で、リービ英雄さんが、こういう文学が可能になったのは、日本の近代文学に一人称の伝統があるからだっていってるの。西洋と違って、近代の日本文学はフィクションとノンフィクションの区別がはっきりしていなかった。「自然現象の中の私を書く」という手法があるからだと。言われてみると、そういう小説が本当に多いです。『俘虜記』もそうだし『黒い雨』もそうだし。
渡部 結局、小林秀雄がつくったとされる「近代批評」も、その一人称に批評がどう対応するかって話なんですよ。三人称多元小説的な「無常」なんてありえないわけだから(笑)。ずっと昔、上田秋成と本居宣長の「漢意」論争があったでしょ? 儒教理論的な「意」か、日本的な「情」すなわち「もののあはれ」かという。日本の批評は、結局あれをずっと引きずってる。宣長的な情緒至上主義が、そのまま小林秀雄から保田與重郎に取り憑いて、戦後の吉本隆明も江藤淳も、結局しみじみした奴が勝ちだっていう話になる。吉本が例の「転向論」で中野重治を救う際、宮本顕治のように転向しない者たちより、転向した奴のほうが人間的だなんていうのは、宣長が『源氏』を擁護して、たとえ義母と姦通しようが、そのせいで細やかな「もののあはれ」に浸れるんだから素晴らしいんだという話と同じですね。
斎藤 小林秀雄は圧倒的に「私を書く評論」ですよね。コバヒデの頭の中には、よく何かが突然降ってくるんですよ。モーツァルトとか、「なま女房」のなんちゃらかんちゃらいう鼓と歌とか。
渡部 ようやく蓮實、柄谷さんでその小林的なものを殺したと思ったら、何のその、殺しても殺してもまた出てくるって感じ。
斎藤 一時期、小林秀雄論でデビューしてくる批評家って多くなかったですか。
渡部 沢山いました。いまだに、ぐちゃぐちゃ書いている人もいますね。
斎藤 批評家が批評家を批評してデビューするっていうのって、なんか変な感じがするんですよね。ちゃんと小説作品の批評をやればいいのに、そこに男性批評家の屈折を見てしまう私は意地悪でしょうか(笑)。
渡部 小説をちゃんと読めない人が批評家になるという面も、小林秀雄以来の伝統に近い。
斎藤 批評とは何かってところにこだわりがあるわけでしょう。
渡部 僕にもちょっとありますけどね(笑)。しかし、この本をつくってみて、批評というのは、つくづく不粋なものだなあって痛感しましたね。中村光夫や蓮實重彥が、つい小説書いてしまう気持ちがわかります。僕はまあ、その不粋さに、なぜか惹かれてしまうんですけどね……。

「批評家」=あなさがし

斎藤 文芸批評っていうジャンルはいつ認識されたんですか。
渡部 最後まで迷って外しましたけれど、石橋忍月という人がいました。
斎藤 はいはい、『舞姫』論争の人ですよね。『舞姫』を酷評されて鷗外が激怒したっていう。
渡部 彼あたりでしょうね、始まりは。その前には、江戸時代からの「評判記」っていうジャンルがあります。戯作や歌舞伎などについて、出版されたり上演されたりすると即座に何か注文つける人間がわらわらいて。その連中、当時は「あなさがし」と言われてたんです。で、「批評家」と書いて「あなさがし」というルビが……。
斎藤 なんかもう身も蓋もない(笑)。そのとおり!
渡部 ですよね(笑)。坪内逍遙もそれを踏襲して、英国の某は「批評家の親玉株なり」とか。
斎藤 嫌な奴らってことですね。
渡部 そうした連中のなかで、相手の欧化にあわせて出てきた最初の物書きが、東大の独法科出身の石橋忍月。山本健吉の父親にあたる人で、彼が、坪内逍遙の『当世書生気質』を皮切りに、二葉亭の『浮雲』や鷗外の『舞姫』など、当時の小説を出る傍から次々と批評し始める。
斎藤 けっこう辛口でしたよね。
渡部 ええ。しかも、当時としてはしっかり書いてます。『日本小説技術史』でも触れておきましたが、『舞姫』批判の一部はいまだに有益ですし、二葉亭の比喩の濫用なんかについては、『ラオコーン』のレッシングばりの辛口ですよ。そんな「あなさがし」の近代化だから、批評家の「私」なんてとうぜん関係なし。この伝統は大正くらいまでずっと続く。ところが昭和初期の小林秀雄のところで……。
斎藤 「批評する私」が認識されたってことですね。
渡部 小林以前には、夏目漱石が別にまたひとつ、立派なことを言ってます。「作物の批評」という短いエッセイですが、批評家というのは、自分の主義主張を押しつけるのではなく、批評する対象作品の特質をまず押さえて、それに則して物を言わなくてはいけないと。
斎藤 おお、めちゃくちゃ正しい。
渡部 だから、一人の批評家でも、相手どる作品の数だけ批評のパターンが違って当たり前なんだとなる。自分の書いた「写生文」という批評文は、その実例だというわけです。漱石からはこの「写生文」を取りました。で、先の「あなさがし」か、漱石流のこのコメンタリーというのが主流で、したがってものを読めない人は批評家になれなかったわけです。
斎藤 漱石は後継者を育てるのに熱心で、若い作家を朝日新聞に推薦したりしてるから、常に読んで批評するという作業が仕事の中に組み込まれていたんでしょうね。
渡部 そういう意味では、明治から大正にかけて、個々の出来不出来はともあれ、批評家たちは、皆やっぱり健全ですよ。

小林という分岐点

斎藤 小林から健全じゃなくなった(笑)。
渡部 その不健全さこそが批評の「自立」だったわけです。小林の「私」批評は最大の分岐点ですよね。
斎藤 ああ、なるほど。小林秀雄が文芸評論というジャンルを開いたという言い方がありますが、むしろ分岐点だったんだ。
渡部 その分岐前の、斎藤緑雨や正岡子規の批評なんて、まさにフォルマリズムです。緑雨の「小説八宗」だと、二葉亭の描写における「緻密」志向をからかって、そんなに細かく描写してる間にたいていの「煙草」は燃え切っちゃうぞ、とか(笑)。鷗外の批評にも即物的で立派なものがいくつもありますよ。
斎藤 そうですね。緑雨もそうだし、あと小林秀雄の論争相手になった正宗白鳥なんかも理詰めですよね。
渡部 間違っても「情」などに流されない。
斎藤 七〇年代に西洋式の批評理論の流れが紹介されて、流行ったことがあったでしょう。テリー・イーグルトンの『文学とは何か』が紹介してるようなやつ。印象批評から始まって、現象学、解釈学、受容論ときて、構造主義批評、ポスト構造主義批評、フェミニズム批評やマルクス主義批評に行き着く、みたいな。ああいう流れと日本の批評は全然違うということでしょうか。
渡部 欧米の批評に精通しているわけではないので、確言のかぎりではないですが、あちらでは少なくとも、こちらのような逆流が平気で起こるということはないようです。気がつけばまたぞろサント・ブーヴかなんて話にはなりません。しかし、こっちでは平気でまた「もののあはれ」ですからねえ。
斎藤 でも、「もののあはれ」って万能包丁みたいなところがあって、何でもそれで切れるんですよね。村上春樹も吉本ばななも、全部「もののあはれ」で行けちゃう。
渡部 なにしろ、分析や思考力よりも感動することのほうが重要だという論ですからね。あれはしかし、分析も思考もさして必要ない鎖国時代だから成立したものですよ。
斎藤 ホームの中だといいんですよね。アウェイに持っていくと通用しない。
渡部 「外部」を意識せずにすむときに成立するのが「もののあはれ」。それを、こともあろうに、もっとも「外部」的なプロレタリア文学に対する攻撃に活用したのが小林秀雄です。鎖国時代の理屈を反共思想に使うという戦略は、それとして確かに卓抜な判断でしたけれど。
斎藤 さらには、それが、日本が帝国主義化していく時代にもうまくリンクもしたっていうことですよね。
渡部 まさに! それが、左翼壊滅後、昭和一〇年代の「文芸復興」ってやつです。自分と同じ「もののあはれ」が同心円的に延長できると思えば、それは植民地主義になる。『忘れえぬ人々』の国木田独歩が先駆的に体現していた「同情」の侵略性ですね。
斎藤 ファシズムとも相性がいいんだ。
渡部 日本浪漫派なんてまさにそうでしょう。もう情感しかない。
斎藤 保田與重郎も、読んでると頭がこんがらがってきます。
渡部 保田與重郎の凄みってそこで、何を言ってるのかわからないがゆえに、全てを言ってるかのような感じになる。そもそも理屈が立たないでしょう、あれ。
斎藤 理解できないから権威が逆に保たれる。
渡部 「日本浪漫派はこゝに自体が一つのイロニーである」って、そんな広告が出ただけでものすごい予約が入ったり、雑誌が出る前から議論が起こったり。
斎藤 そうか、これって広告なんですね。じゃあ本当にコピーライトなんだ。
渡部 その「情」の源流が本居宣長で、それが、坪内逍遙の「人情」に移り、小林がこれを近代的にリサイクルして、保田がさらに、あられもないコピーにしたっていう流れですね。
斎藤 本居宣長か。そんな昔からなんだ。がっくりだな。私、ここ何日か、その小林秀雄の文庫解説について書いてたんですよ。

日本的一人称の勝利

渡部 そうだ、あなた確か、第一回小林秀雄賞でしたよね?
斎藤 そうなんですが……(笑)。小林秀雄の文庫をとりあえず集めたら、新潮文庫の解説が全部、江藤淳だったの。全部が江藤淳ということは、それは名指しで指名されてあんたが書けと言われたとしか思えない。
渡部 それは小林の生前の指名ですか?
斎藤 だと思います、六〇年代の最初のほうですから、出ているのは。
渡部 江藤淳という人は、小林たちがずっと無視してきた「夏目漱石」でデビューして、さらには「作家は行動する」とか言って、むしろアンチ小林で出てきた批評家ですよ。
斎藤 ただ、彼は一九六一年に『小林秀雄』という評伝と批評の間みたいなのも書いてるでしょう。それ以来、コバヒデにすっかり共感しちゃったんじゃないですかね。もっとも、江藤淳の解説はつまらないし、わからないわけ。論理じゃなくて、小林の自伝的内容に寄せていくので、中原中也と三角関係になった長谷川泰子との関係のことを暗示しているのだろうなと推測はできても、明言は避けるし、背後の事実関係も伏せる。小林の評論をまさに「私小説」として読んでますね、江藤は。行間を読ませる解説だと思います。
渡部 「行間」なんて、そんなかたちで小林モードに取りこまれたわけですね。吉本隆明も「悲劇の解読」とかいって、小林への愛着を表明する。しかし、彼らはともに、「畏るべき後生」として、戦後の批評界に新地平を開いたはずだったのが、いつのまにか小林の圏内に吸い込まれていってしまう。
斎藤 何なんですか、この悪魔的な力は。
渡部 それがたぶん、日本的一人称の勝利なんですよ。一人称と情緒のセット。で、片方では私小説の伝統が連綿とあり、だから批評もそれに随伴せざるをえなくて、情緒的なものにこそ価値がある、と。さっきも言いましたが、吉本の「転向論」なんてその典型ですよ。
斎藤 でも、吉本隆明も、ここに入っているデビュー頃の詩人の戦争責任論(「前世代の詩人たち」)はものすごく冴えてるんですよね。
渡部 せっかく取るんだから、できればその人がいちばん光ってるものを選びたいという基準もありました。だとしたら、吉本はこれですよ。『共同幻想論』や『言語にとって美とはなにか』じゃない。
斎藤 そう、この詩人論は目が覚めますよね。吉本のイメージが一変します。
渡部 「前世代」にたいする戦闘力が、見事な批評になっている。僕も斎藤さんもブツが横にあって、それをいじるのが好きでしょう。それが批評の基本ですよね。吉本のこの文章も、敵のブツを並べて、見事に切り捌いてます。
斎藤 小林秀雄も最初のほうのはいいんですよ。
渡部 ですから、「様々なる意匠」を取りました。プロレタリア文学や新感覚派の観念性を衝くあの攻撃的な論理や啖呵の切り方は、さすがに冴えまくってる。小林がおかしくなるのは、その敵が消えた後、「歴史」とか「無常」とか「母親の眼」とか言い出すあたりからですね。あの呪文めいた気分主導……そういえば、丸谷才一がかつて、小林の文章を大学入試に出すなっていうキャンペーンを張ったことがありましたね。僕の高校時分もふくめ、入試の定番は小林秀雄という時代がずっとつづいてました。それを、「当麻」とか、あんな非論理的な文章は出すなと丸谷才一が言い出し、流れが変わりました。この点は、丸谷さんの功績でしょうね。
斎藤 でも、たしか二〇一三年に、二十年ぶりくらいで小林がセンター試験に出たんですよ。「鍔」っていう題の刀の鍔にかんする骨董好きのウンチクみたいな随筆で、試験問題なのに、注が二〇個以上ついていた。そのせいか、国語の平均点が下がった(笑)。
渡部 でしょうね。なにしろ、「宿命」だの「眼力」だの、不可視なものを作品の中核に措定して、それと交わるのが批評だと言い出した人の文章ですから、わかる方がどうかしている(笑)。そもそも、見えないものにどうやって正解・不正解の区別がつくんだろう? 簡単にいえば、反マルクス、反・唯物論です。だって唯物論の標的というのは、あくまでも現実の可視的な矛盾ですからね。
斎藤 唯心論なんだ。
渡部 国家が左翼を撲滅した後に、物書きたちの「心」が事態を謳歌するわけです。プロレタリア文学が元気な時期には、ブルジョワ文壇でも、まだ横光利一あたりが頑張って「機械」という世界級の、それこそ戦後サルトルを驚嘆させたくらいの作品が書けたわけです。あれは、並の「心」とは無縁の、きわめてメカニックな逸品ですよ。その横光も、敵がなくなったとたんに「純粋小説」なんて言い出して、ただの通俗長篇作家になり、その傍らにいた川端がやがて偉くなっちゃったわけでしょう。
斎藤 川端も唯心論の人ですよね。
渡部 あの川端ラインが今の村上春樹まで続いているんです。結局、村上春樹を好きな人って「他者」がないわけでしょう。小林・保田・川端とつづく、あえていえばファシズムといちばんなじみやすい文学的感受性を、彼は非常にお洒落に差し出してるんです。
斎藤 でも村上春樹は世界文学というか、世界的に読者がいるわけでしょう。
渡部 それはたんに、センチな馬鹿が世界的に族生しているってことですよ(笑)。
斎藤 文学業界じゃない人の話を聞いててなるほどと思ったのが、村上春樹は実用的だと言うんです。恋人とかの大事な人が亡くなって傷ついた青年が主人公でしょう。なので、同じような体験をした人には、ヒーリング効果がある。世界中に家族や恋人や友人の死を体験した人はたくさんいる。そういう人たちに村上春樹はすっと入っていくんだと。
渡部 それはまあ、そうだと思いますよ。基本的にあれはユング・河合隼雄のライン。「箱庭」ならぬ「文学療法」ですね。
斎藤 そうか、ユングか。さすが渡部さんだなあ。そう言われちゃうと、たしかにその通りですね。だから河合隼雄さんとあんなに話が合うんだ。
渡部 ええ。イメージ中心の世界だから、翻訳=流通可能なんです。他の国の言葉でもたとえば「井戸」のイメージなら簡単に共有できる。だから世界的になる。空からふってくる魚だの、人間の皮剝だの、リトル・ピープルだの、港町のカフェだのバドワイザーとピクルスだの(笑)。
斎藤 舞台が日本である必要は別にないですもんね。
渡部 古井由吉や金井美恵子を外国語に訳すのには、翻訳のとんでもない才能が必要でしょ。たとえばフォークナーがフランスに飛び火して、クロード・シモンを生んだのも、コワンドローという素晴らしい訳者がいて、自分の出身地の方言(ヴァンデ語)を駆使したからですよ。しかし、村上春樹なら、誰でも苦労なく訳せてしまう。だから世界的になるという話ではないでしょうか。

今こそ批評が問われる

斎藤 蓮實重彥、柄谷行人の出現はやっぱり衝撃的でしたよね。私はその前の流れがわからなかったのですが、渡部さんのこのアンソロジーを見たら、やはり蓮實・柄谷で批評が変わったんだとわかる。そのあと八〇年代はわりと批評が元気よかったですよね。蓮實さんも柄谷さんも吉本さんも江藤さんも皆、旺盛に書いていらしたでしょう。その後はどうなんですかって言われるんだよね。「批評が今元気ないじゃないですか」「そうですよね。すいません」みたいな感じになるんですけど、なんででしょうね。
渡部 八〇年代はたしかに批評の時代でしたよ。それが、東西冷戦の終結とともに、ある種の世界的な緊張感が消えちゃったからかもしれない……。斎藤さんのいちばん最初の『妊娠小説』は何年でしたっけ。
斎藤 九四年。
渡部 そのあたりから、いわゆる「ゼロ年代」にかけて、社会全体が批評を必要としなくなりましたね。斎藤さんはだから、一番不利な時期に登場されて、ずっと孤軍奮闘されてきたわけですよ。僕はその頃、批評を普通にやるのは難しいなとすごく感じて、差別や天皇を主題にしたカルスタ路線にしばらく転換しました。あの頃から、若い作家たちが批評と悪口の区別がつかなくなったり、匿名コラムが嫌がられたりし始めて。
斎藤 ネット時代になったことも大きいですよね。ある意味では批評的な言説が溢れてしまい、作品としての批評の価値が相対的に低くなったというのはあるかもしれない。
渡部 そのせいで、良い意味での選別機能が働かなくなっているのは確かですね。ひとつの批評が世に出るには、まず対象との間の緊張関係を保ち、編集者の目と戦い、論敵たちも意識してといった、何段階もの葛藤みたいなものがある。そうした緊張感や抵抗感じたいが、まるごと欠け落ちた「感想文」が、ネット上でうじゃうじゃ「批評のようなこと」をしてる。
斎藤 それに対するジャッジメントがないんですよね。
渡部 あの大半は、「批評」と言うよりただの「自己顕示」ですよ。本当の意味での批評すること、批評されることの残酷さを知らないんだよね。その自堕落な言説風土を、たとえば日本会議は狙ったわけでしょう。
斎藤 批評ではなく自己顕示だとすると、それも私小説の流れですね。日本会議はそのだらけた風土を狙った、と。
渡部 ええ。彼らは草の根的に、反・批評的な、というか単純に反・知性的なだらけた「承認欲求」を巧みに組織したわけです。今までだったら「馬鹿は黙れ」で終わった。彼らは声を上げたくても上げられないし、せいぜい飲み屋でぐだぐだ言ってる言葉が、そのつど空に消えていた。それが全部、消えない文字として表に出てしまって、他の言葉と表面上は横並びになってるわけでしょう。そこに対しては、本当に良い言葉とどうでもいい言葉を分けなくちゃいけない。だから逆にいうと、今こそ批評力が問われてると思います。
斎藤 でもそれ、その峻別っていうのはすごく難しいですよね。
渡部 しかし、同じ「批評家」だなんて言われたくないような書き手は、現にごろごろいるでしょ? 受け取る側でも、たとえば批評家と書評家の区別がつけられないとかね。編集者でさえ、斎藤さんと、何人かの書評家との間にある厳然たる違いがわからぬ連中がいたりして……。
斎藤 え、そうなの。そんなに違いがありますか?(笑) 私はなんちゃって評論家だから。
渡部 そんなことないですよ。あえて誰々とは言いませんが、はっきり違うじゃないですか。斎藤さん以外の誰が、村上春樹の例の「中頓別」差別を批判しました(『早稲田文学』一四年秋号)? 先ほどの「名作うしろ読み」にも、「ネタバレ」を自粛するなんて「批評の自殺行為」だといった爽快な啖呵がありましたが、書評家たちがそんなこといえますか? 東京新聞の「本音のコラム」もさすが。そうした峻別は僕の中では歴然としているので、この本、こうしてイの一番に読んでいただいたわけです。たんに本が読めるだけでは、批評家じゃない。その違いが、ネット環境のせいも手伝って、思いきり見えなくなってる。これをつくった動機のひとつもそこにあります。噓でも批評家と名乗るなら、この程度の名前とキャッチフレーズくらいは覚えておけと。そうしないと次の話ができないですよね。石川啄木の至言じゃないけれど、「明日の考察」ができない。何も知らないと、そのまま歴史が消えちゃうわけだから。歴史の蓄積なんか要らないでその場で思ったことを言えばいいんだっていう人もいますが、それはないと思う。
斎藤 まあ、私のことはともかくとして(笑)、宇野常寛さんくらいから、また批評が変わった感じがありますね。文学もアニメもテレビドラマも一緒に論じる、みたいな。あれはあれで新鮮だったけど、でもそれをやっちゃうと何でもありな感じになっちゃう。
渡部 かつて、「岩波文庫もルイヴィトンも同じだ」といった田中康夫にはまだ含羞があったわけですよ。批評性もあったし、それなりの知識もあった。対して、宇野的なものは、そのまま何も知らない学生が、厚顔無恥に真似できてしまう。
斎藤 あれはネタをどれだけもってるかが勝負だから、けっこういい感じに見えるんだよね。宇野さんを読んでる世代には、宮台真司や東浩紀が「年長者」として意識されている。蓮實、柄谷までは行き着かないんですね。ただ、アニメのこれこれと小説のこれとこれは同じだ、とか言われるとたいへん批評的に見えるわけです。一見、気が利いたふうに見えるじゃないですか。
渡部 それは逆にいうと底が浅いからできるわけで、この情報環境でちょっと運動神経が良ければ、ある種の知識はコーディネートできるわけでしょう。知ったふりもできる。彼らが挙げてる名前をちゃんと読んでるかっていったら、ウィキペディアレベルの話を上手くミキシングしてるだけなんだよ。そこへいくと東浩紀さんは最近、わりと正統派に戻ってる。彼には、まともな批評の遺伝子がありますね。一種の使命感もある。
斎藤 デビュー当時の彼の文芸批評は面白かったですよね。
渡部 彼には文学へのまっとうな畏怖がありますよ。だから、ある程度信ずるに足る。彼は今「ゲンロンカフェ」で批評の場所をつくったり、自分の雑誌『ゲンロン』で、一九七五年からはじまる批評年表をつくったりしています。別に示し合わせたわけではないんですが、ちょうど僕がこの本で終えたあたりから今日にかけて、市川真人、大澤聡、福嶋亮大といった人たちと一緒に、日本批評の再検討をしています。
斎藤 へえ、そうなんですね。この本の後から始まってるんだ。

「女性作家の時代」

渡部 ですから、僕の本と、『ゲンロン』を合わせれば、逍遙から今日までの一応の筋が見える。それを読んでなければ話にならないよっていう線を、こうして引いておけば、逆に、線から外れたものも同時に問題になるわけで。ともかく、そうした線は引いておいたほうがいいかなって。だからこれはネット時代に対する紙の反撃っていう感じですかね。で、その『ゲンロン』のリストには、とうぜん、あなたの『妊娠小説』や、上野千鶴子さんの本も大きく扱われています。僕の本は、柄谷行人『日本近代文学の起源』一九八〇年で終わってますが、そのあとは、なんと言っても、フェミニズムですね。すぐれた女性作家たちも続々登場する。松浦理英子とか笙野頼子とか、あのへんが突破口でしょうか?
斎藤 多和田葉子さんとかね。八〇年代後半ですよね。
渡部 おっ!と思うのはたいていが女性の作家という時代が来ます。逆に、新しい男性作家たちの影がうすくなる。目立ったのは、阿部和重と中原昌也くらいかな。
斎藤 そうですね。あとは青木淳悟とか? でも女性作家のほうが目立ってはいるかな。
渡部 さすがそこは大江健三郎で、今は「女性作家の時代」だって、どこかで断言してましたね。あれ、十年くらい前かな。
斎藤 俗っぽく言うと、直木賞と芥川賞の両方女性だったのが九六年かな。川上弘美さんと乃南アサさん。両賞を女性が独占したのがその年で、まったく嘆かわしい、みたいなことを言ってる人がいっばいいましたね。
渡部 え、そう?!
斎藤 男は何やってるんだ、みたいな。いままで男が独占していたくせに、まだそんなこと言ってるのかっていうのが九六年だったから、まだ二十年前ですよね。『男流文学論』が出版されたのが九二年です。私、九七年に文庫化されたとき、解説を書いたのでこの本の書評を全部読んだの。段ボールいっぱいくらいあるわけですよ。それでね。みんな怒ってんの(笑)。男性の評者が全員、頭から湯気噴いている。
渡部 僕も書いた記憶があります(笑)。
斎藤 蓮實さんも書いてた。わざわざそういう人に依頼するんだよね、書評を。
渡部 蓮實さんはたしかに殺しにかかってましたね。ただ、言ってることは盲点を突いてて、「男流文学論」の女性論客たちは、残念ながら、「文学」を信用すること自体がやばいんだということに気がついていない、とか。
斎藤 そうそう。『男流文学論』は文学そのものを否定するところまでは行ってませんからね。でも、理由はいろいろでも、全員この本が気に入らないってことはわかった。赤旗から産經新聞まで、文芸誌は言うに及ばず総合誌にも、山ほど書評が出たんですよね。ほとんど男性が書いてて、全員不機嫌(笑)。朝日新聞では森毅さんが余裕ぶっこいて褒めてるように見えるんですが、それがまた上から目線で。ともかく、全員不機嫌。それがものすごく可笑しかった。
渡部 すみません……(笑)。
斎藤 いえいえ、おもしろかったですよ。あの本はぶっちゃけ井戸端会議なんですよね。それをやられると、文学者をもって任じる人はみんなムカッとするんだなってわかった。なんとなく不機嫌にさせただけでも存在価値は高い。
渡部 あれは確かに、エポックメイキングな試みでしたよね。その勢いに乗って、若手の女性研究者たちの文芸批評もいろいろ出てくるんだけど、ただ、しばらくすると皆アカデミズムに戻ってしまう。これが寂しい。
斎藤 それはね、賢いからでしょう、やっぱり。
渡部 そうかもしれませんね。
斎藤 文芸評論家と名乗るのは、誰とは申しませんが、あの連中の仲間になるのか……ってことですから(笑)。それは敬遠するでしょう。文学研究者のほうが安全です。
渡部 しかし、女性の批評家が沢山いてほしいと思います。というのも、身も蓋もない話かも知れませんが、学生レベルだと、明らかに男たちには期待がもちにくい。
女子学生のほうがずっと利口で、僕のゼミは「批評」と「思想」が軸ですが、もう十年、二十年くらいそのゼミ生たちを見てきて、いまやもう、この男たちから批評家が出てくるとはとうてい思えない。男性たちにもまあ、ほかの長所がないわけじゃないけれど……。
斎藤 そんなこと言っていいんですか(笑)。
渡部 女性たちはしかも、その優秀さの表現が上手くなってきた。それと、じつは僕、ごく最近、「腐女子」というものを見直しまして……(笑)。それまでは敬遠してたんですが、ここへ来て、待てよこれ捨てたもんじゃないぞって。よくよく考えると、あれは「関係」を読むことだから、それじたい批評的なんですよね。
斎藤 それはちょっと遅いですね(笑)。でも、腐女子こそ批評的な立場ですよね。
渡部 ただ、読み取る「関係」が限定され、かつ、対象が狭いというフロイト的な難点はありますが、形態の細部への注視を競いあうという姿勢は、したたかに批評的なんですよ。「内面」なんてほとんど関係ない。形態の中のちょっとした違いこそ重要なわけで……ですから、僕は最近、「腐女子」の女の子たちをむしろ積極的にゼミに取るようにしてます。
斎藤 ははは、そうか。上野千鶴子さんはだいぶ前から「これからは腐女子の時代よ」って言っていたような気がします。

批評家は人のため

渡部 それがやっとわかりましたよ。……それはともかく、どこかで唯物論的な姿勢を維持しないと、批評なんてまともには成立しない。批評家って、斎藤さんもそうだと思うけど、そもそも人のために生きてるわけですよね。
斎藤 そうですよ。人のために、人の作品を論じるんだから。
渡部 小説家は自分のために書いてるところがある。それはまあ、彼らの権利ですね。ところが小林秀雄は、批評家にもその権利があるといっちゃたわけです。「他人をダシにして己の夢を語る」のが批評の精髄だとかね。しかし、批評というのは本来「他人」のためにあるものでしょうが。
斎藤 批評家と小説家の立場を比べたら、小説家が絶対に偉いんだと蓮實さんがおっしゃるのは、本当にそうだと思いますね。
渡部 それが妥当するのはむろんごくわずかな作家ですが、原理的には、そうですよね。
斎藤 という風に作家の質を選ぶから、依怙贔屓っていわれる(笑)。
渡部 うーん(笑)。しかし、まあ、良い意味で、われわれはいつでも負ける準備がある。その負け方が、小説との間にまた新しい関係をつくるといったコーポレーション。そうした緊張も生きずに、たんなる自己顕示欲だけで批評の真似はしてほしくないというのがあるよね。それがネットに溢れてるわけで。
斎藤 ですね。私小説的な批評はやめろ、と。でも、そういうことを気にとめる渡部さんは先生マインドが高いですよね。啓蒙家だよね。すごく教師体質だと思う。
渡部 性分ですかね。
斎藤 いつか渡部さんは「評論界の金八」だって書いたことがある(笑)。私、褒めてるんですよ。
渡部 わかってますよ(笑)。あれはたしか、『メルトダウンする文学への九通の手紙』という本に寄せていただいた書評でしたっけ。
斎藤 そうです。「新潮」だったと思います。この本は「おい、そこに坐って俺の話を聞け」という風に他の評論家を教育的に指導するタイプの評論だ、という意味のことを書いた覚えがあります。渡部さん怒るかなと思ったけど、まあいいやって。でも渡部さんは金八がお嫌いでしょう? そう思ったので、わざと書いた(笑)。
渡部 それも立派な批評ですよ。渡部は、まあ少し役には立つけど暑苦しい奴、って話でしょ?(笑)
斎藤 その後で渡部さんからメールをいただいて、「金八が嫌いだとわかった上で書かれたんだと思います」って書いてあった。「じゃあ夜回り先生のほうが良かったですか」って(笑)。でも『批評大全』みたいな本は、啓蒙家の教師体質の人でないと作れない。こういうことって、誰かが引き受けなくちゃいけないんですよね。
渡部 意図したわけでもなくて、自然とこうなっちゃったんですがね……。
斎藤 でも誰もやらないじゃん。誰もやらないから、やったるで、だったわけでしょ。
渡部 そうですね。とにかく、これでまあ、中上さんや柄谷さん、蓮實さんへの恩返しができたかなという感じはしています。

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