単行本 - 人文書
世界500万部突破! リーダーの必読書『サピエンス全史』が試し読みできる!
ユヴァル・ノア・ハラリ
2017.07.03
世界500万人に読まれ、もはや人類の必読書との呼び声高い『サピエンス全史』。
我々人類が、他の人類種を根絶やしにし、力の強い他の生物を押しのけて、この地球の頂点に君臨できたのはなぜか。
その謎をホモ・サピエンスだけが持つ「虚構を信じる」という特殊な能力から読み解き、全人類史を俯瞰し、その性質ゆえにこれから人類がたどるであろう未来をリアルに予言してみせた、世界最高峰の知性・ユヴァル・ノア・ハラリ氏。
歴史書でありながら、
「人類史を描き、高い視点を得られる1冊。『そもそもビジネスは何のためにあるのか」に目を向け、新たなビジネスモデルを考えさせてくれる。』
との評を受け、2017年のビジネス書大賞を受賞し、新たなビジネスやを考えるための必読書ともなっています。
すでに世界中で、ビル・ゲイツやマーク・ザッカーバーグを始め、前アメリカ大統領のバラク・オバマ、日本では堀江貴文など有数の経営者やリーダーたちがこぞって絶賛しています。
このたびは世界500万部突破を記念し、試し読みを公開いたします。
試し読みだけでも人類史を俯瞰する巨大な知性に驚き、視点が変わるはずです。
第1章 唯一生き延びた人類種
今からおよそ一三五億年前、いわゆる「ビッグバン」によって、物質、エネルギー、時間、空間が誕生した。私たちの宇宙の根本を成すこれらの要素の物語を「物理学」という。
物質とエネルギーは、この世に現れてから三〇万年ほど後に融合し始め、原子と呼ばれる複雑な構造体を成し、やがてその原子が結合して分子ができた。原子と分子とそれらの相互作用の物語を「化学」という。
およそ三八億年前、地球と呼ばれる惑星の上で特定の分子が結合し、格別大きく入り組んだ構造体、すなわち有機体(生物)を形作った。有機体の物語を「生物学」いう。
そしておよそ七万年前、ホモ・サピエンスという種に属する生き物が、なおさら精巧な構造体、すなわち文化を形成し始めた。そうした人間文化のその後の発展を「歴史」という。
歴史の道筋は、三つの重要な革命が決めた。約七万年前に歴史を始動させた認知革命、約一万二〇〇〇年前に歴史の流れを加速させた農業革命、そしてわずか五〇〇年前に始まった科学革命だ。三つ目の科学革命は、歴史に終止符を打ち、何かまったく異なる展開を引き起こす可能性が十分ある。本書ではこれら三つの革命が、人類をはじめ、この地上の生きとし生けるものにどのような影響を与えてきたのかという物語を綴っていく。
人類は、歴史が始まるはるか以前から存在していた。現生人類と非常によく似た動物が初めて姿を現したのは、およそ二五〇万年前のことだった。だが、数え切れぬほどの世代にわたって、彼らは生息環境を共にする多種多様な生き物のなかで突出することはなかった。
もしあなたが二〇〇万年前に東アフリカを歩き回ったとしたら、きっとお馴染みの群像に出くわしたことだろう。心配そうに赤ん坊を抱いてあやす母親、泥まみれで遊ぶ屈託のない子供たち、社会の掟に苛立つ気難しい若者たち、くたびれ果て、そっとしておいてもらいたがる老人たち、逞(たくま)しさを誇示し、あたりに住む愛らしい娘の気を惹こうとする男たち、酸いも甘いも噛み分けた、賢い女性の長老たち。彼ら太古の人類も、愛し、遊び、固い友情を結び、地位と権力を求めて競い合った―ただし、それはチンパンジーやヒヒやゾウにしても同じだ。太古の人類に特別なところは何一つない。彼らの子孫がいつの日にか月面を歩き、原子を分裂させ、遺伝子コードを解読し、歴史書を書こうなどとは、当の人類はもとより、誰であれ知る由もなかった。先史時代の人類について何をおいても承知しておくべきなのは、彼らが取るに足りない動物にすぎず、環境に与える影響は微々たるもので、ゴリラやホタルやクラゲと大差なかった点だ。
生物学者は生き物を「種」に分類する。動物の場合、交尾をする傾向があって、しかも繁殖力のある子孫を残す者どうしが同じ種に属すると言われる。馬とロバは比較的最近、共通の祖先から分かれたので、多くの身体的特徴を共有している。だが、交尾相手として互いに興味を示すことはない。交尾するように仕向けられればそうするが、そこから生まれた子供(ラバ)には繁殖力がない。したがって、ロバのDNAの突然変異が馬に伝わることはけっしてないし、その逆も起こりえない。そのため馬とロバは、それぞれ別の進化の道筋をたどっている、二つの別個の種と見なされる。それとは対照的に、ブルドッグとスパニエルは外見がはなはだ異なっていても同じ種の動物で、同じDNAプールを共有している。両者は喜んで交尾し、生まれた子犬は長じて他の犬とつがい、次の世代の子犬を残す。
共通の祖先から進化したさまざまな種はみな、「属」という上位の分類階級に所属する。ライオン、トラ、ヒョウ、ジャガーはそれぞれ種は違うが、みなヒョウ属に入る。生物学者は二つの部分(前の部分が属を表す属名、後ろの部分が種の特徴を表す種小名(しゅしょうめい)から成るラテン語の学名を各生物種につける。たとえばライオンは、パンテラ(ヒョウ)属のレオ(ライオン)で「パンテラ・レオ」。そして、本書の読者はおそらく全員、ホモ(ヒト)属のサピエンス(賢い)という生き物である「ホモ・サピエンス」のはずだ。
属が集まると「科」になる。ネコ科(ライオン、チーター、イエネコ)、イヌ科(オオカミ、キツネ、ジャッカル)、ゾウ科(ゾウ、マンモス、マストドン)という具合だ。ある科に属する生き物はみな、血統をさかのぼっていくと、おおもとの単一の祖先にたどり着く。たとえば、最も小さなイエネコから最も獰(どう)猛(もう)なライオンまで、ネコ科の動物はみな、およそ二五〇〇万年前に生きていた、一頭のネコ科の祖先を共有している。
ホモ・サピエンスも一つの科に属している。このごく当然の事実はかつて、歴史上最も厳重に守られていた部類の秘密だった。ホモ・サピエンスは長年、自らを動物とは無縁の存在と見なしたがっていた。親類がなく、兄弟姉妹やいとこも持たず、これがいちばん肝心なのだが、親すらいない、完全なる孤児というわけだ。だが、それは断じて間違っている。好むと好まざるとにかかわらず、私たちもヒト科と呼ばれる、大きな、ひどくやかましい科に所属しているのだ。現存する最も近しい縁者には、チンパンジーとゴリラとオランウータンがいる。なかでも、チンパンジーがいちばん近い。わずか六〇〇万年前、ある一頭の類人猿のメスに、二頭の娘がいた。そして、一頭はあらゆるチンパンジーの祖先となり、もう一頭が私たちの祖先となった。
不面目な秘密
ホモ・サピエンスは、さらに不穏な秘密を隠してきた。私たちには野蛮ないとこたちが大勢いるばかりでなく、かつては多くの兄弟姉妹もいたのだ。私たちは自分たちが唯一の人類だとばかり思っている。それは実際、過去一万三〇〇〇年間に存在していた人類種が唯一私たちだけだったからだ。とはいえ、「人類」という言葉の本当の意味は、「ホモ属に属する動物」であり、以前はホモ・サピエンス以外にも、この属に入る種は他に数多くあった。そのうえ、本書の最終章で見るように、そう遠くない将来、私たちは再び、サピエンスでない人類と競い合う羽目になるかもしれない。この点をはっきりさせるために、私はホモ・サピエンスという種の生き物(現生人類)を指すときに、「サピエンス」という言葉をしばしば使い、ホモ属の生き物すべてを指すときに「人類」という用語を使うことにする。
人類が初めて姿を現したのは、およそ二五〇万年前の東アフリカで、アウストラロピテクス属と呼ばれる、先行する猿人から進化した(ちなみに、アウストラロピテクスとは、「南のサル」の意)。約二〇〇万年前、この太古の人類の一部が故郷を離れて北アフリカ、ヨーロッパ、アジアの広い範囲に進出し、住み着いた。ヨーロッパ北部の雪の多い森で生き延びるには、インドネシアのうだるように暑い密林で生き抜くのに適したものとは異なる特性を必要としたので、それぞれの地に暮らす人類は、異なる方向へ進化していった。その結果、いくつか別個の種が誕生し、学者たちはその一つひとつに仰々しいラテン語の学名をつけた。
ヨーロッパとアジア西部の人類は、ホモ・ネアンデルターレンシス(「ネアンデル谷(タール)出身のヒト」の意)で、一般にはたんに「ネアンデルタール人」と呼ばれている。ネアンデルタール人は私たちサピエンスよりも大柄で逞しく、氷河時代のユーラシア大陸西部の寒冷な気候にうまく適応していた。アジアのもっと東側に住んでいたのがホモ・エレクトス(「直立したヒト」の意)で、そこで二〇〇万年近く生き延びた。これほど長く存在した人類種は他になく、この記録は私たちの種にさえ破れそうにない。ホモ・サピエンスは今から一〇〇〇年後にまだ生きているかどうかすら怪しいのだから、二〇〇万年も生き延びることなど望むべくもない。
インドネシアのジャワ島に暮らしていたホモ・ソロエンシス(「ソロ川流域出身のヒト」の意)は、熱帯の生活に適していた。やはりインドネシアの島の一つで、フローレスという比較的小さな島では、太古の人類は矮小(わいしょう)化(小型化)した。人類が初めてフローレス島に到達したのは、海水面が極端に低かったときで、そのころこの島にはジャワ島から簡単に渡れた。その後、海面が再び上昇すると、一部の人が島に取り残された。ところが、島は資源が乏しかった。そのため、多くの食べ物を必要とする大柄な人が真っ先に死に、小柄な人々のほうがずっとうまく生き延びられた。幾世代も経るうちに、フローレス島の人々は小型化した。学者の間ではホモ・フローレシエンシスという名で知られるこの特殊な種は、身長が最大で一メートル、体重がせいぜい二五キログラムだった。とはいえ彼らは石器を作ることができ、島に住むゾウをときおり狩ることさえやってのけた。ただし、公平を期するために言い添えると、ゾウたちもまた小型化した、矮性(わいせい)種だった。
二〇一〇年には、私たちのさらに別の兄弟が忘却の彼方から救い出された。シベリアのデニソワ洞窟で発掘を行なっていた学者たちが、指の骨の化石を一つ発見したのだ。遺伝子を解析してみると、その指は、それまで知られていなかった人類種のものであることがわかり、その種はホモ・デニソワと命名された。他の洞窟や島、地域で発見される日を待っている私たちの失われた親戚たちが、あとどれほど多くいるか知れない。
これまで挙げた人類は、ヨーロッパとアジアで進化していたが、東アフリカでも進化は止まらなかった。この人類の揺りかごは、ホモ・ルドルフェンシス(「ルドルフ湖出身のヒト」の意)やホモ・エルガステル(「働くヒト」の意)、そしてついには、自らを厚かましくもホモ・サピエンス(「賢いヒト」の意)と名づけた私たち自身の種など、無数の新しい種を育み続けた。
これらの人類種のうちには、大柄なものもいれば、矮小なものもいた。恐ろしい狩人もいれば、温和な植物採集者もいた。単一の島にだけ住む種もいたが、多くはさまざまな大陸を歩き回った。だが、そのすべてがホモ属に属していた。彼らはみな、人間だったのだ。
ホモ・エルガステルからホモ・エレクトスが生まれ、ホモ・エレクトスからネアンデルタール人が誕生し、ネアンデルタール人が私たちに進化した、というように、これらの種を一直線の系統図に並べて考えることが多いが、それは誤りだ。このような直線モデルは、どの時点をとっても、ただ一つの人類種だけが地球に暮らしていたとか、先行する種は全部、私たちの古いモデルにすぎないとかいった、誤った印象を与えてしまう。じつは、約二〇〇万年前から一万年前ごろまで、この世界にはいくつかの人類種が同時に存在していたのだ。だが、これは格別驚くことではない。今日でも、キツネやクマ、ブタには多くの種がある。一〇万年前の地球には、少なくとも六つの異なるヒトの種が暮らしていた。複数の種が存在した過去ではなく、私たちしかいない現在が特異なのであり、ことによると、私たちが犯した罪の証(あかし)なのかもしれない。ほどなく見るように、私たちサピエンスには、自らの兄弟たちの記憶を抑え込むだけの十分な理由があるからだ。
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(続きは書籍でお楽しみください)