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まえがき公開! 話題の新刊『オリンピック・デザイン・マーケティングーーエンブレム問題からオープンデザインヘ』のねらいとは?

オリンピック・デザイン・マーケティング』まえがき

加島 卓

 

■エンブレム問題とは?

二〇一五年七月二四日、二〇二〇年に開催される東京オリンピック・パラリンピック(第三二回東京大会)のエンブレムが発表された。一〇四点のなかから選ばれたそのエンブレムは、「TOKYO」「TOMORROW」「TEAM」の頭文字である「T」および平等を想起させる記号の「=(イコール)」を表し、東京都庁の都民広場で盛大にお披露目された。

ところがその数日後、このエンブレムとベルギーにあるリエージュ劇場のロゴとの類似性が大きな話題となった。そしてリエージュ劇場のロゴ制作者(オリビエ・ドビ)は盗作だと主張し、IOC(国際オリンピック委員会)にエンブレムの使用差し止めを求めた。これを受け、東京大会の組織委員会と佐野研二郎(エンブレムの制作者)は八月五日に記者会見を行い、エンブレムの独自性を主張することになった。いわゆる「エンブレム問題」の始まりである。

それからしばらくして、今度は佐野によるサントリーの景品デザイン(トートバッグ)の著作権侵害がインターネットで話題になった。そして佐野はスタッフが第三者のデザインを無断転用していたことを認め、管理者として謝罪した。組織委員会はこの件とエンブレムを区別したが、インターネットでは佐野への疑惑が深まり、エンブレムの動向が注目されるようになった。

エンブレムが問題になってから約一ヶ月後の八月二八日、組織委員会は選考過程と修正過程を説明し、リエージュ劇場のロゴとの違いを改めて強調した。しかしその場で公表したエンブレムの原案および展開例の画像が新たな標的となり、翌々日には類似して見えるデザイン(ヤン・チヒョルト展のポスター)と画像(個人ブログに掲載されていた写真)の存在をインターネットで指摘されることになった。

こうして組織委員会は、九月一日にエンブレムの取り下げを発表した。エンブレムのデザインはオリジナルだと主張してきた組織委員会だったが、展開例の画像には無断転用があったことを認め、もはやエンブレムは国民の理解を得られなくなったと判断した。また同日には佐野も声明を発表し、エンブレムの盗作を否定した上で、展開例の画像には不注意があったことを認めた。そして一連の騒動に人間として耐えられない状態にあると説明したのである。

これ以降、エンブレム問題は旧エンブレムの検証および新エンブレムの選考へと向かい、二〇一六年四月二五日には新エンブレムが発表された。本書はこのような顚末が一体何を意味するのかを、デザインの歴史および広告の歴史を参照しながら述べるものである。

(中略)

「パクリかどうか?」と「出来レースかどうか?」。エンブレム問題が抱えた論点はこの二つである。重要なのは、佐野研二郎や組織委員会がこれらを否定し続けたにもかかわらず、エンブレムは取り下げに至ったことである。ここには「疑惑は認めないが、説得することもできない」という注目すべき状態があり、こうした疑惑と説得の衝突にこそエンブレム問題の核心があるように思われる。それでは、「パクリかどうか?」や「出来レースかどうか?」という論点は一体何だったのか。本書はこの二つの論点に注目し、エンブレム問題で露わになった様々な混乱を整理するものである。

 

■本書のねらい

そこで本書は、「パクリかどうか?」についてはデザインの歴史から説明を試みたい。そもそも佐野研二郎に至るまでデザイン関係者はオリンピックといかに関わり、またエンブレムをどのように作ってきたのか。こうしたエンブレムの作り方が歴史的に明らかになれば、なぜこのタイミングで「パクリかどうか?」が論点になりえたのかも理解しやすいと考えるからである。

また、「出来レースかどうか?」については広告の歴史から説明を試みたい。(中略)それでは広告関係者はオリンピックといかに関わり、現在に至るまでエンブレムをどのように扱ってきたのか。こうした広告代理店とオリンピックの関係が歴史的に明らかになれば、なぜこのタイミングで「出来レースかどうか?」が論点になりえたのかも理解しやすいと考えるからである。

つまり本書は「パクリかどうか?」と「出来レースかどうか?」という二つの論点に注目し、前者とデザインの歴史、後者と広告の歴史を関連付けながら、オリンピックエンブレムの歴史を社会学的に述べていく。その目的は「パクリかどうか?」や「出来レースかどうか?」を判定するというよりも、そもそもなぜこれらが論点になりえたのかという文脈を明らかにし、それぞれの論点における疑惑と説得の関係を検討することにある。こうした作業を通じ、エンブレム問題で顕在化した様々な混乱に新しい見通しを与えることができれば、本書はひとまず成功である。

 

■デザイン史と広告史

それでは、本書にとってデザインの歴史や広告の歴史とはどのようなものか。日本のデザイン史がオリンピックを取り上げる時、しばしば言及されるのは亀倉雄策である。戦前・戦中・戦後を通じて日本のグラフィックデザインを牽引し、東京大会(一九六四年)のマークやポスターを制作した亀倉はデザイン史のわかりやすい代表例であり、褒めようと思えばどこまでも褒められてしまうグラフィックデザイナーである。

そうした亀倉による東京大会マークとポスター、そして批評家の勝見勝を中心にしたデザイン懇談会については専門的な論考が既にあり、一般向けの解説や図録も整えられている。また、「幻の東京オリンピック」として知られる東京大会(一九四〇年)のデザインについても専門的な論考があり、図版が充実した解説書もある。

こうしたデザイン史は、デザイン関係者がマークやポスターをいかに作ってきたのかに注目する点に特徴がある。またオリンピックと並んで、博覧会のマークやポスターを取り上げることも多い。さらにその書き方は造形的な評価を重視しており、総じて「作り方」に焦点が当てられている。本書もこうしたデザイン史に倣い、オリンピックや博覧会の報告書や関連史料、そしてデザイン関係者の業界誌や当時の新聞記事を参照しながら、デザイン関係者がマークやポスターをいかに作ってきたのかを書くことにする。

他方、広告の歴史がオリンピックを取り上げるようになったのは、ロサンゼルス大会(一九八四年)以降である。大会運営に伴う行政の財政負担が大きな問題になるなか、ロサンゼルス大会は広告関係者と連携して民間資金で財源を賄った。そのやり方は「ユベロス商法」と呼ばれ、オリンピックが商業化した転換点として知られている。

このような展開を踏まえ、一九八〇年代後半からオリンピックにおける広告代理店の役割に注目が集まり、とりわけ電通による独占的なスポンサー集めについては既にいくつかの書籍がある。いわゆる「スポーツマーケティング」は一九九〇年代に定着した考え方で、IOCのマーケティング担当者による回想やオリンピックが商業主義に至るまでの概説書も出版されている。

こうした広告史は、広告関係者がエンブレムやマスコットをいかに扱ってきたのかに注目する点に特徴がある。またその書き方はマーケティング的な評価を重視しており、総じてエンブレムの「使い方」に焦点が当てられている。本書もこれに倣い、オリンピックの報告書や関連団体の史料、そして広告関係者の業界誌や新聞記事を参照しながら、広告関係者がエンブレムをいかに使ってきたのかを書くことにする。なおテレビ放映権料や選手の肖像権、聖火リレーの商業利用なども関連しているが、本書ではエンブレムを中心に述べていく。

整理をすると、本書はデザインの歴史を参照しながら、デザイン関係者がマークやエンブレムをいかに作ってきたのかをまとめる。また本書は広告の歴史を参照しながら、広告関係者がマークやエンブレムをいかに使ってきたのかをまとめる。このようにデザイン関係者による「作り方」の歴史と広告関係者による「使い方」の歴史を区別し、マークやエンブレムをめぐって両者がいかなる関係にあったのかを検討するのが本書の方法論的な特徴である。

 

■デザインとアートの違い

ここで混乱を避けるため、デザインとアートの違いを確認しておきたい。デザインはクライアントの要望に適っているのかどうかが重要であり、クライアントによるオリエンテーション、他社との競合プレゼンテーション、そしてクライアントとの最終調整などを経て、ようやく完成に至る。デザインはクライアントと交渉しながら制作するものであり、アートのような自己表現とは制作過程が異なっている。

ところがデザインの「作り方」は、アートの「作り方」と同じように語られやすい。これはどちらも造形に関心を持っていることに由来するのだが、実はそのことがデザイナーとアーティストの区別を難しくもしている。ここで両者を区別するポイントは、「使い方」である。デザインはクライアントやユーザーの「使い方」に訴えるが、アートは批評家や鑑賞者の「見方」に委ねられる。使ってもらうために作ることと、見てもらうために作ることは同じではない。この意味において、デザインはアートと似ているようで異なる。

もちろん、マークやエンブレムを「作品として見る」ことは可能だが、それはデザインを「アートとして見ている」ことになる。情報伝達に特化したグラフィックデザイン(たとえば、マークやポスター)では、クライアントによる「使い方」を消費者が「見ている」ため、デザインとアートの混同が特に生じやすい。しかし、グラフィックデザインは消費者が見る前にクライアントが使うかどうかを決めるものである。クライアントが使わなければ、消費者はそもそも見ることもできない。そこで本書は「作り方」と「使い方」がいかなる関係にあるのかに注目し、これによってデザイン固有の問題に迫りたい。そしてこうした「作り方」と「使い方」の関係こそ、エンブレム問題を読み解く上での鍵になると考えている。

なおデザイン関係者と広告関係者という区別は、広告業界におけるクリエイティブとマーケティングという区別に対応させている。多くの人にはどうでもよいかもしれないが、クライアントの要望を満たさなくてはならないデザインや広告において、造形的な評価を重視するのか、それともマーケティング的な評価を重視するのかは判断が分かれるところである。本書がクリエイティブ(デザイン関係者による「作り方」)とマーケティング(広告関係者による「使い方」)の両方に目を配るのは、こうした区別がエンブレムの歴史のなかで実際に使われていたからであり、また両者の関係の変遷が明らかになれば、エンブレム問題への理解も進むと考えるからである。

少しだけ先回りしておくと、組織委員会はある時期までデザイン関係者との距離が近く、マークの造形的な評価(作り方)を重視していた。しかしある時期から組織委員会は広告関係者との距離が近くなり、マーケティング的な評価(使い方)を重視するようになった。エンブレム問題をめぐる混乱を整理するためには、こうした「作り方」と「使い方」の歴史的な関係に注目する必要がある。

(後略)〔※適宜本文を略し、注を割愛した。〕

* * *

 

【『オリンピック・デザイン・マーケティング』目次】

 

まえがき

 

第1章 美術関係者からデザイン関係者へ

1-1 オリンピックシンボルとエンブレム

1-2 幻の東京大会と美術関係者

1-3 東京大会と亀倉雄策

 

第2章 「いつものメンバー、いつものやり方」へ

2-1 日本万国博覧会と勝見勝

2-2 札幌冬季大会・沖縄国際海洋博覧会とデザイン関係者

2-3 マークの「作り方」

 

第3章 デザイン関係者から広告関係者へ

3-1 マークの乱用と商業利用

3-2 広告代理店の登場とロサンゼルス大会

 

第4章 エンブレムとオリンピックマーケティング

4-1 寄付からマーケティングへ

4-2 長野冬季大会とスポンサー優先社会

4-3 「作り方」から「使い方」へ

 

第5章 東京大会への道

5-1 ロンドン大会と知的財産保護

5-2 電通と大会招致

5-3 東京大会とデザイン関係者

 

第6章 エンブレム問題:パクリかどうか?

6-1 発表から取り下げまで

6-2 ネット世論と識者の説得

6-3 佐野案の「作り方」と「使い方」

 

第7章 エンブレム問題:出来レースかどうか?

7-1 広告関係者への疑惑と選考方法

7-2 組織委員会による参加要請文書

7-3 「作り方」と「使い方」の調停

 

第8章 新エンブレム:市民参加とオープンデザイン

8-1 市民参加とエンブレム委員会

8-2 専門性 対 大衆性

8-3 市松模様と意図せざる結果

 

あとがき

 

 

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