単行本 - 文藝
「植本さん」植本一子『降伏の記録』書評
レビュアー:戌井昭人
2018.03.22
自分は、家族や自身をどこまで晒すことができるのか? 植本さんの本を読むといつも考えてしまう。洋式便所に溜まっている水を泡立たせながら小便をするのが密かな楽しみだったり、父親が一度蒸発したことがあるのだが、どこまで晒せるのだろう。
父の蒸発は、拙著で小説にしたけれど、あくまで小説なので、そのまま書いているわけではなく、いつでも逃げることができるような気がする。
しかし植本さんの本は、逃げることのできない事実が書かれていて、その事実を、どんどん掘り下げていくから、啞然とする。そこに醍醐味があるが、もちろんそれだけではない。とにかく他人の日記を、どうしてこんなに面白く読み進めることができるのだろうかと、植本さんの本を読むと、いつも考えてしまう。
たとえば、破天荒な生き方をしていて、自分を晒しきっている人が文章を書いたとする。それも確かに面白いが、わたしは、そのような破天荒エピソードよりも生活を見たかったりする。その方が現実がひしひし迫ってきてスリルがある。
植本さんの場合は破天荒というよりも、生活がベースにあって、そこから発生する諸々が面白い(いろいろ大変そうなので、面白がってすみませんといった気持もあります)。とにかく発生した諸々が、楽しかったこと、嫌だったこと、腹がたったこと、悲しかったこと、感動したことになり、その捉え方が絶妙なのだ。それならば生活や日常をSNSに発表している多くの人たちと同じだとも思えてくるけれど、それは全く違う。
決定的なのは、植本さんの文章が、ものすごく格好いいからだ。「格好いい」などという言葉しか見つからないくらい、わたしが大好きな文章で、自分も、こんな風に文字を綴って小説を書いてみたいなと思えてくる。
その文章は、簡潔だけれど、ウネリがある。無駄がなく、衒いはないが、どこかにユーモアがある。このような文章で、事実がどんどん記されていくのだから、これはもうかなわない。
植本さんの本を読んでいると、わたしもいつの間にか、彼女の家族の周りにいる一人になっている気がしてくる。そして、「おれ、べビーシッターやらなくて大丈夫かな」などと思ったりしている。とにかく、そのくらい没頭してしまっている自分がいるのだった。
さらに今回の『降伏の記録』には、本当にわたしの名前が出てきて、ドキリとしてしまった。自分だけど他人かと思った。しかし後からジワジワと嬉しくなってきた。そして、この本に書かれている現実は、わたしの現実以上に、現実なのかもしれないと思えてきた。なんだか、なにを言ってるのかわからなくなってきましたが、そのくらい現実というものが揺らいでいくような体験ができる本です。また、そこに書かれている現実を目にすると、誤魔化しながら生きている自分があらわになっていく気もするから怖い。
もし自分の名前が出てこないとしても、いつか出てくるかもしれないといったスリルを味わうくらい没頭してしまうことでしょう。そのくらい、皆様の真に迫ってくる本です。