単行本 - 文藝
作家の想像力/創造力は、『源氏物語』と『平家物語』の世界を、一筋につないでしまった。『女たち三百人の裏切りの書』古川日出男
【評者】中島京子
2015.09.30
『女たち三百人の裏切りの書』
古川日出男著
【評者】中島京子
子どものころ素朴に疑問だったのは、『源氏物語』と『平家物語』がまったく違う話なのはなぜか、だった。『源氏』のなよなよぶりがまったく「源平合戦」と結びつかない。時代が違うとか、一方はフィクションで一方はノンフィクションだとか聞かされてもなお納得できなかった。本書は、幼かった私に明解な答えをくれるはずの一冊である。作家の想像力/創造力は、『源氏物語』と『平家物語』の世界を、一筋につないでしまったのだ。
紫式部が世を去って百有余年のち、『源氏物語』は既に人々に読まれ親しまれている。ところが冒頭、紫苑(し おん)の君と呼ばれる姫君に物怪(もの のけ)が憑く。これを祓うために用意されたのが、うすき、という少女で、この娘に物怪は乗り移り、自分は紫式部であると語りだす。人口に膾炙している「宇治十帖」は贋作で、自分が「本もの」を語り直すから、書きとめて本にせよ、と言うのだ。紫苑の君の愛人である中将建明(たて あきら)も、女房のちどりも従うほかはない。うすきの語る「本もの」を、才女ちどりが書き写し、新説というか真説「宇治十帖」が作られていく。
薫大将、匂の宮、大君、中の君、浮舟といった登場人物を持つ、あの物語が語り直されていく部分はたいへん楽しい。ウジウジした薫や破廉恥な匂の宮にダメだしする感覚に共感しながら読み進み、随所で思わず吹き出さざるを得ない場面に遭遇するからだ。
一方で、物語は一見「宇治十帖」とも紫式部とも関係ない面々を登場させる。西国の海賊、大和朝廷に平定されて後に島流しに遭った蝦夷(えみし)の末裔、早蕨(さわ らび)の形の刀を持つ奥州武士たち。彼らがそれぞれに、なんとも眩惑的な世界を引きつれてくる。いま一度確認しなければならないのは、この書の扱う「当代」だが、紫式部の没後百年といえば、摂関家はすでに弱体化して北面の武士が登場し、平家が源氏を破る保元・平治の乱までもそう遠くはない。つまり、なよなよした貴族の時代が武士の時代に変わる直前の、武士勃興の時代なのである。そこに新勢力が描き加えられるのは必然なのだろう。しかしそれはまだ、神仏や物怪が人の隣にいる世界でもある。
こうして、王朝絵巻は卑俗な新勢力を抱え込んで複雑怪奇な様相を呈していくが、複雑なのはそればかりではなかった。肝心の「宇治十帖」が、おそるべき変貌と分裂を遂げるのである。それを語る女たちの、とんでもない「裏切り」によって。
小説は、小説ならではの方法で「歴史」を召喚すると共に、書くことの本質に分け入っていく。由見丸(ゆ み まる)、犬百(いぬ ひやく)、むく、といった個性的な登場人物にも魅了されたが、何よりも、読み進むうち、いくつもの裏切り、いくつもの語り/騙りに、頰を張られるような驚きに遭遇する。表を書き、裏を搔きながら物語は進み、「宇治」とは「憂し」であり「氏」であると、本書は看破する。千年後の『源氏物語』は、このように書かれ得たのかと、それもまた大きな裏切りであり、驚きだった。