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「私と友人たちは以前から、ゆっくり、死につづけてきたみたいだ」ーーアジアの作家たちは新型コロナ禍にどう向き合うのか。「文藝」夏季号の緊急特集を無料公開。韓国のシンガーソングライターにして作家、イ・ラン「コロスウイルス」。

「私と友人たちは以前から、ゆっくり、死につづけてきたみたいだ」ーーアジアの作家たちは新型コロナ禍にどう向き合うのか。「文藝」夏季号の緊急特集を無料公開。韓国のシンガーソングライターにして作家、イ・ラン「コロスウイルス」。

4月7日に発売された「文藝」夏季号での緊急特集「アジアの作家たちは新型コロナ禍にどう向き合うのか」。発売前の公開が話題となった、閻連科さん厄災に向き合って――文学の無力、頼りなさとやるせなさに続き、中国の陸秋槎さん、韓国のイ・ランさん、台湾の呉明益さん、タイのウティット・ヘーマムーンさん、日本の温又柔さんの特別寄稿を連続無料公開します。

閻連科さんの手記を無料公開 河出書房新社がネットで(2020年3月30日 共同通信)
コロナ禍、文学に何ができるのか 閻連科、パオロ・ジョルダーノら海外作家の声(2020年4月15日 朝日新聞)
https://book.asahi.com/article/13302395

アジアの作家、新型コロナ禍で発信 未来志向の言葉 日本の読者に(2020年4月18日 日本経済新聞)

コロスウイルス

イ・ラン
(斎藤真理子 訳)

二月二十八日、未来統合党の代表ファン・ギョアンはニュースの取材を受けた際に、「コロナ19」を誤って「武漢コロス」と言った。「コロス」は日本語で、「殺す」という意味だ。病気の名称に地域名を入れるのは、特定の国家や地域へのレッテル貼りを招く。それを憂慮してみんなが「武漢肺炎」と呼ぶのをやめようとしているのに、この「武漢コロス」という彼の発言は、とんでもないコメディとして、朝から晩まで消費されているところだ。

 

全国の病院で一般人の出入りと面会が禁止されて一ヶ月が過ぎた。去年の三月に末期ガンの宣告を受けて闘病中の同い年の友だちが、何日か前に投薬のため入院した。彼は肝臓ガンのステージ4で、一年間さまざまな治療を受けたが、好転するどころか肺にも転移した。何週間か前に一緒にごはんを食べた後、彼と彼のパートナーは今後すべての治療を中断すると言った。だが何日かして、もう一回だけ抗がん剤をやってみると言って、最後の治療のためソウル大学病院に向かった。何日かかかる投与を終えて家に帰ってきたが、免疫力が非常に落ちているので、一週間以上「無菌状態」で過ごさなければならず、しばらくは彼と会うことができない。

 

二月二十七日。フローリストの知人が大きな花束を作って、私の仕事場まで直接持ってきてくれた。ソウル最大の花市場である「ヤンジェ花市場」の状況について、少しだが聞くことができた。コロナウイルスへの心配から全国で結婚式が取り消しまたは延期され、それとともに花市場も混乱を味わっているという。一週間のうち一日は花市場で、四日はブーケのアトリエで働く彼は、先週はたった一日しか仕事ができなかった。彼は日給十一万ウォンをもらうと、売れなかった花を捨てている市場の花屋さんたちを訪ねて回り、十一万ウォン分の花を買った。何年も顔なじみの花屋さんたちは、花を買った友だちに感謝し、注文した量よりずっとたくさんの花をくれたそうだ。そうやって作られた花束が今、この文を書いている私の机の上に置いてある。

 

二月二十三日。三月末に出演予定だった東京の音楽フェスティバルが中止されるという知らせを聞いた。三月の訪日のために興行ビザを申請し、私とチェロ奏者であるメンバーのエアチケットも買った後だった。毎回、荷物と楽器と二個ずつ送らなくてはならないので、多額の超過手荷物料がかかる。中止されたフェスティバルで受け取ることになっていた出演料を上回る料金を払ったところだった。三月の最大の収入源であり、最大のスケジュールでもあったフェスティバルが中止されても、ほかのライブもあるからどうしても行かなくてはならない。今の状況では、入国禁止と隔離がいちばん心配だ。

 

二月二十三日を皮切りに、毎日毎日イベントの中止、延期、取り消しのメールが入ってくる。四月はじめの台湾ライブは七月に延期された。それに合わせて三月の週末ごとにバンド練習のため予約しておいたスタジオに電話して状況を説明し、予約を取り消した。五月に予定されていたソウルライブも暫定的に延期された。去年の十一月にASF(アフリカ豚熱)ウイルスのために延期となり、今年四月に予定されていた講演は、さらに延期されるらしい。来週開講する予定だった手話通訳センターからも、暫定延期というメールが来た。ピラティス教室からも休館通知が伝えられた。

 

女性関連の問題提起があるたび一緒に声を上げる女性シンガー・ソングライターのJから、何ヶ月かぶりに連絡が来た。ソウルには「フェミイベント四天王」と呼ばれる四人の女性ミュージシャンがいる。フェミニストのイベントのたびに祝賀ライブをしに出てくる人物がいつもこの四人に決まっているので、そう呼ばれるようになったらしい。私はこの四天王のひとりで、Jもそうだ。

「私、最近もう、すごく死にたい(でも大丈夫 実行に移す段階じゃありません)」

Jが送ってきた文章の最後には「クククククク」という笑い声を表す文字がいっぱいついていて、その文章の深刻さをちょっと軽くする効果を上げてはいたが、それでも事態の深刻さは重く迫ってきた。

 

お母さんがメッセンジャーでフェイクニュースを送ってくる。要は、お湯を飲めばコロナ19の予防になるというのだ。夕方のニュースでは、昼間メッセンジャーなどを通して拡散したフェイクニュースへの反論が報道される。でも翌日になると、お母さんはまたフェイクニュースを送ってくる。

 

日本円が上がっている。私はオリンピックという存在の意味が理解できず、この世の構成要素の中からオリンピックが消えることを切に願うものである。けれども、私の願望とは別に(現時点ではたいへん不透明だが)、二〇二〇年の東京オリンピックの時期には円が上がると予想されるので、円を現金で持っていた。韓国のコロナウイルス確定診断者が増えて、ウォンの価値がハイスピードで落ち、反対に外貨の為替レートが素早く上昇している。長い間一〇〇〇ウォンちょっとを行ったり来たりしていた円が一一〇〇ウォンを突破した。長い間引き出しに入れっ放しだった円を取り出し、お客が来ないのですごく暇そうな銀行を訪ねた。おしゃべりの好きな六番窓口の職員の前に行って座った。

「今、コロナのせいでお客さんが少ないでしょ?」

「そうなんですよ。普通、この時間帯には待っている人が三十人はいるんですけどね」

三〇万円を両替すると三三〇万六〇〇〇ウォンになった。このお金で五月まで生きられるだろうか。おなかがすいたので、サンドウィッチを買いに仕事部屋の近くのパン屋に行った。厨房では、十八歳のとき二年間同じ予備校に通っていた友だちが働いている。友だちが、私が注文したサンドウィッチを作って持ってきてくれた。友だちには以前から、包装ごみを減らすため、過剰包装はやめてくれと頼んである。サンドウィッチの味とは関係ないリボンやシールをとっぱらってすっきりと包まれたサンドウィッチが、私の手に渡された。友だちは湯気が白く立つチーズパンをおまけとしてビニールに入れてくれた。私たちは二人ともマスクをしていなかった。

「どうしてマスクしないの」

「マスクがなくて買えないんだ」

「今、〈中古の国〉(フリマサイトの名称)で一個二〇〇〇ウォン台なんだって」

「来週から政府が一〇〇〇ウォンでマスクを売るから、それで解決って言ってるけど」

「私たちは買えないよね」

 

二月二十四日。国民の党の代表アン・チョルスは国立ソウル顕忠院を訪問し、参拝を終えた後、芳名録に「コロナ20によって国民の生命と安全が脅かされています」と誤記した。現在、大勢の人の生命と安全を脅かしているのはコロナ19という名前のウイルスだ。「武漢コロス」でも「コロナ20」でもない。でも、みんなの生命と安全を脅かしているのは本当にコロナ19だろうか?

実は「コロスウイルス」というものが、コロナ19が現れる前からずっと存在してきたんじゃないのか。

私と友人たちは以前から、ゆっくり、死につづけてきたみたいだ。

 

三月十日。韓/日両国がビザなし入国の停止を施行した。すでに駐韓日本大使館で発給されたビザの効力も停止し、興行ビザの発給のために大使館に預けた私のパスポートは、いつ返してもらえるかわからない。日本大使館では就業ビザ、留学ビザ、ワーキングホリデービザの発給が停止され、パスポートを受け取れない人たちが朝から長い列を作って待っては、泣きながら帰ってくる。

当然、三月の訪日スケジュールはすべて取り消しとなった。昨日のニュースには、マスクを買えなかった六十代の男性が鎌を持って薬局へ行き、薬剤師を脅す様子が出ていた。

(初出=「文藝」2020年夏季号)

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著者

イ・ラン

1986年韓国・ソウル生まれ。シンガー・ソングライター、コミック作家、映像作家、イラストレーター、エッセイスト、小説家。2016年アルバム『神様ごっこ』では、リリースにあたり柴田聡子とともに日本全国七カ所のツアーを行う。著書に『悲しくてかっこいい人』など。近刊『アヒルの名づけ方』(仮題・河出書房新社)。

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