単行本 - ノンフィクション

佐藤優が読み解く『武漢日記』|「欲望の王国」からのメッセージ

新型コロナウイルス感染蔓延による中国・武漢の都市封鎖解除から半年あまり――
いまだ世界で猛威をふるうこのコロナ禍を最初に体験した都市から、女性作家・方方(ファンファン)が発信し続けた60日間の記録『武漢日記』は、日本でも発売以降、大きな反響を呼んでいます。

いま、中国社会で何が起きているのか、そして、この記録から読み取れることとは――
この世界的危機を独自の視点で読み解き、多くの媒体を通して発信を続けている佐藤優さんによる書評をぜひお読みください。

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「欲望の王国」からのメッセージ

佐藤優(作家・元外務省主任分析官)

 中国の作家・方方(ファンファン、1955年生まれ、本名・汪芳)が、新型コロナウイルスの感染拡大を防ぐために都市封鎖された中国・武漢市の様子をブログで発信した。『武漢日記』は、2020年1月25日から同年3月24日までのブログを加除修正、編集し、書籍化したものだ。

 この発信の特徴は、徹底的に市民の立場に立っているところにある。本質において非政治的なのだ。方方は、ときおり激しい言葉で中国の極左を批判する。ここでいう極左は、日本の基準では体制に極度に迎合するネトウヨや行動する保守派に近い。極左が方方の市民的自由を侵害しそうになったとき、方方は政治的言語を用いる。3月23日の日記で方方はこう述べた。 

一つだけ、言っておきたいことがある。これは感染症流行期における私の個人的な記録だった。純粋に個人の記憶に基づく。最初、私はこれが「日記」だという意識もなかった。「日記」という言葉は、私が提起したものではない。この記録が一日一回の形で続いていったため、「日記」と呼ばれるようになった。私も異議を唱えなかった。最初の動機は、約束した原稿を書くために、役に立つ記録を残すことだった。いつの間にか、こういう形になったのだから、「初心を忘れた」と言えるかもしれない。

 

 方方は、日記文学という結果になったことについて「初心を忘れた」と若干心配しているようであるが、それは取り越し苦労と思う。「欲望の王国」に生きる個人の記録を残し続けるという初志を方方は貫徹した。

 ここで「欲望の王国」について、少し説明することをお許し願いたい。近代民主主義は、代議制を基本とする。選挙で政治家を選んだ後、国民は政治にどう関与するのであろうか。「関与しない」というのが正解だ。政治はプロに任せ、政治家以外の国民は、経済活動や文化活動で欲望を追求するのだ。だから、ヘーゲルやマルクスは市民社会を「欲望の王国」と呼んだ。近代社会において、国民の欲望の中心は経済になる。経済成長が続くならば、国民は政治に無関心でありつづける。経済状態が悪化すると国民の政治意識が高揚し、「政治の力で経済状態を改善せよ」と要求する。しかし、多くの国民が政治活動に熱中すると経済活動が疎かになる。社会全体から見れば、政治と経済はトレードオフの関係にあるからだ。政治意識の高揚と経済の停滞が相互作用を起こし、負のスパイラルに入ると社会も国家も弱体化する。

 もっとも中国国家は、共産党によって指導される。共産党の指導者は、国民の意思とは関係なく選ばれる。中国では代議制民主主義が存在していないにもかかわらず「欲望の王国」の論理に忠実な方方のような中国型市民が生まれているのだ。習近平体制下、中国でも中産階級が増大している。この中産階級が「欲望の王国」を形成した。「欲望の王国」の主体である中国型市民は、経済成長が続く限り、非政治的であるが、コロナ禍による経済危機に直面し、生活防衛のために政治化したのだ。共産党の政治エリートからすれば、こういう中国型市民は、生活保守主義者で、社会、国家、共産主義社会の未来を考えない不逞分子に見えるのであろう。『武漢日記』から伝わってくるのは、中国が急速に経済成長を遂げる過程で利害が一致していた共産党エリートと中国型市民の間にコロナ禍が回復不能な分断をもたらしたことだ。

 中国型市民にとって重要なのは、共産主義や民族という、特殊な価値観ではない。方方は、普遍的価値観である人道主義(ヒューマニズム)を価値観に据えている。2月14日の日記で方方はこう指摘した。

 

 今回の感染症は、社会全体が示す人道主義の水準がどの程度なのかを浮き彫りにした。感染症との闘いが終わったら、呼びかける人が出てくるに違いない。人道主義の教育を強化せよ、これは緊急の課題だ、と。これは本来、基本的な常識教育に属することだ。例えば、映画では普通、戦場の医療スタッフが負傷者を救助する際、民族や地域の違いで排斥はしないし、敵味方の厳格な区別もしない。人間である限り、救助する。これは最も基本的な人道精神だ。いま、この感染症治療の最前線は、戦場と化している。ところが、私たちの示す人道精神の低さ、これは本当に口に出すのも恥ずかしい!

 そうだ、人はいつも口実を用意している。我々は文書に基いて仕事をしている、とか。だが、現実は様々に変化しているのに、多くの文書は軽率に出され、内容は大雑把だ。同時に、文書の多くは常識に基づいて作成されるので、人道主義と矛盾はしていない。法の執行者に少しだけ人道精神があれば、高速道路を二○日間走り続けた運転手の命が危険にさらされることはなかった。また、感染者が出た家に、何人もの人たちがすぐに駆けつけて、入口を鉄の棒で封じてしまうこともなかった。さらには、親が隔離されたため病気の子供が在宅のまま餓死することもなかった。こういうことが起こらないために人道精神が必要なのだ。

 

 マルクス・レーニン主義、毛沢東思想によると、階級を超えた人道主義は存在しない。抽象的な人道主義は資本家階級の支配を正統化するイデオロギーだったはずだ。しかし、方方が説くのは、社会体制に関係なく、普遍的に通用する人道主義だ。この言説には既視感がある。評者は日本の外交官としてソ連末期のモスクワで勤務した。ロシアの知識人は、18世紀の啓蒙主義的な人道主義に回帰することで、硬直したソ連体制を脱構築しようと試みた。ソ連末期の西欧派知識人と方方の思考は似ている。人道主義による隣人愛を方方は説く。この日の日記で方方は自らの思想がもたらす実践的帰結についてこう述べた。

 もし私たちに十分な人道精神があるなら、手ごわい病気との闘いに勝つためとは言え、そのほかの病人を無視することはあり得ない。そんなときは何とか方法を考えて、病に苦しんでいる人が継続治療を受けられるようにしろと、人道精神が私たちの後押しをしてくれるはずだ。方法は人が考え出すものではなかったか? 私たちの社会の環境は劣悪ではないし、国力も弱くはない。この問題を解決するのは難しくないだろう。問題は、人々の人道精神は果たして他者のことまで考え及んでいるかということだ。もし及んでいるなら、事前にこうした可能性をすべて考慮するはずだ。ああ、私はいつも常識問題について話しているが、人道精神を身につけることこそ、私たちの最も基本的で最も重要な常識なのだ。なぜなら、私たちはみな人間なのだから。

 

「私たちはみな人間なのだから」という素朴な人道主義は、マルクス・レーニン主義、毛沢東思想と相容れない。『武漢日記』が世界15カ国で出版されたことによって「私たちはみな人間なのだから」という方方の叫びに共感する人が増える。その結果、中国共産党によって、方方は以前よりもはるかに危険な作家になった。しかし、方方はそんなことに怯むような人ではない。人道主義の道を今後もまっすぐに進んでいくであろう。
 2月24日の日記で方方はこんな見方を示した。

 

 私は言っておきたい。ある国の文明度を測る基準は、どれほど高いビルがあるか、どれほど速い車があるかではない。どれほど強力な武器があるか、どれほど勇ましい軍隊があるかでもない。どれほど科学技術が発達しているか、どれほど芸術が素晴らしいかでもない。ましてや、どれほど豪華な会議を開き、どれほど絢燗たる花火を上げるかでもなければ、どれほど多くの人が世界各地を豪遊して爆買いするかでもない。ある国の文明度を測る唯一の基準は、弱者に対して国がどういう態度を取るかだ。

 

 方方が提示する「ある国の文明度を測る唯一の基準は、弱者に対して国がどういう態度を取るかだ」という基準も人道主義に基づく普遍的価値観だ。評者も日本の作家として方方の人道主義から学び、弱者に対して優しい日本社会をつくるべく努力したい。

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