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【試し読み】大統領選に向けて「政治の季節」が続くミャンマー 春日孝之『黒魔術がひそむ国 ミャンマー政治の舞台裏』 から探る、 ミャンマー政治の深層!

「敬虔な仏教国」として知られるミャンマーですが、2011年に軍政から民政へ移管後は、その豊富な埋蔵天然資源から日本を含むビジネス層から注目され、急速に経済発展を続けています。しかし一方ではロヒンギャ問題をはじめとして、国内情勢はとても複雑……先のミャンマー総選挙はアウンサンスーチー率い国民民主連盟(NLD)が圧勝しましたが、来春の大統領選に向けて「政治の季節」は続きます。
知っているようで知らないミャンマーを、一見政治の世界とはかけ離れているかのように思える「黒魔術」をキーワードに、スリリングに読み解いてみましょう! まったく新しいミャンマー像が見えてくるはずです。

 

* * *

 

 始まりは、私の愚痴だった。

 2014年のある昼下がり。ミャンマー最大都市ヤンゴンの中心部で、一人の中年男と小さなテーブルを挟んで向き合っていた。高層のオフィスビル最上階。市街が一望できるスカイ・レストランだった。

 ここから見下ろすと、ヤンゴンの経済がいかに急ピッチで動いているか、よくわかる。あちこちにクレーンが配され、ボーリング工事の槌音が響く。縦横に伸びる道路は経済の血脈だ。長らく空洞のようにスカスカだったが、人と車であふれ返っているのが見て取れる。

 男は約束の時間から一時間余り遅れて姿を現した。白のワイシャツとこげ茶の腰巻きロンジーが、やや小太りの身体にまだら状に張り付き、汗がにじみ出ている。外は灼熱の暑さである。

 ミャンマーでは約束の時間などあってないようなものだ。

 約3年前の2011年3月、軍事政権から民主政権に移行した。「民政移管」である。テインセイン新政権が推し進める「民主化」改革に伴って経済の鼓動が次第に高まり、「バスに乗り遅れまい」とする外国資本を引き寄せていた。

 ただ、規制緩和がかなり急速で、許容の範囲を超えた輸入中古車の大量流入により、あちこちで大渋滞を引き起こしていた。バイパスの建設が方々で始まるが、かえって工事が渋滞に拍車をかけ、移動する時間を予測することなどできなくなっていた。

 天候の急変が多い熱帯地域では一般にルーズな時間感覚が常態化し、約束の時間を守らないことに寛容だが、ヤンゴンでは極度の交通渋滞がこれに輪をかけていた。遅れても「謝らない」、待たされても「理由を問わない」というのが、不文律となっていた。

 しかし、男は厚手の手拭いで顔の汗をごしごしとぬぐいながら、待たせたことに申し訳なさそうな素振りと表情をみせた。私はそんな人柄に好感を持っていた。

 情報省の中堅幹部である。首都ネピドーで単身生活をし、時々ヤンゴンの家族に会いに車で片道約六時間をかけて戻って来る。私とは同い年。そんな気安さもあり、一時帰宅の機会をとらえて雑談するようになっていた。

 駆け付け一杯、彼は冷えたミャンマービールをごくごくと飲み進んだ。ヤンゴンの自宅ではなく、この場に直行してくれたことに謝意を示した私は、ジョニー・ウォーカー赤ラベルを入れた手提げ袋を彼の足元に忍ばせた。

 彼はジョッキをテーブルに置くと、「ありがとう」と言って笑顔をのぞかせ、袋を自分の椅子の脚元に引き寄せた。洋酒はスーパーで簡単に買えていたが、政府が方針を変えたのか最近は国産モノしか置かなくなっており、闇で入手したものだった。「退屈だ」と言うネピドー暮らしの、ささやかな慰みになるはずだった。

 私は新聞社の記者としてこの国に駐在していた。情報省はミャンマーの主要官庁で、内外メディアを統括している。競合するメディアや政治の動静を知るのに、彼は情報源の一つになっていた。

 店内はクーラーが効きすぎるくらい効いており、冷え性の私はいつもホットコーヒーを注文する。目の前のカップは二杯目。すでに生ぬるい。

 しかし彼が遅れたことなど、とっくに失念している。ここに来てくれたことに感謝、である。話題はいくらでもある。なのに口走ったのが愚痴だった。

「いやぁ、本当に困ったもんだ。テインセイン大統領の誕生日を確認したいが、いつまでたってもできない。ネット上でも書籍でも二説が流れている。ウィキペディアの情報は英語版と日本語版で違うし、ミャンマーではこんな基本的なデータを確認することがいかに難しいことか……」

 異なる二説について、どちらが正しいのか、あるいはどちらも正しくないのか。確証が得られないのだ。大統領の生年月日に関しては「確認すべき」と思い至ってから、すでに二年の歳月が経過していた。

 大統領府に尋ねても要領を得ない。国家元首の生年月日という基本的だが肝心な問い合わせにもかかわらず、対応してくれる部署も担当者も明確でない。たらい回しにされる先々で「どこでどのように確認したらよいか」と質問しても、曖昧な答えしか返ってこなかった。大統領府がテインセイン大統領の生年月日を公表していないことだけははっきりした。

「普通の国ならネットで調べれば即座にわかるような初歩的なことに、膨大な時間とエネルギーを浪費させられている。時間の無駄がはなはだしい。どうしようもない」

 のっけから毒づく私に、彼は神妙な面持ちを寄せているが、自分が責められていると感じていたかもしれない。

 私は1997年以降、ニューデリー、イスラマバード、テヘラン、バンコクのそれぞれの駐在を経験し、最後の任地となったのがヤンゴンだった。カバー地域は途上国や新興国で、さまざまな紛争を抱えていた。情報戦や心理戦が繰り広げられ、言論統制されていた国もあった。

 しかし、ミャンマーでの取材の難しさは多くの場合で他の任地を超えていた。私はテインセイン政権(2011年3月末〜2016年3月末)の後半3年間を現地に駐在したが、それまでの半世紀に及んだ情報統制時代の余韻をたっぷりと残していた。

 軍政期にミャンマー大使(2002年〜2004年)を務めた宮本雄二は『激変ミャンマーを読み解く』(東京書籍、2012)の中で、米国ジョージタウン大学のデビッド・スタインバーグ教授(アジア地域研究)の著書から要旨として次のように引用している。

「ビルマとかミャンマーとか呼ばれる国は、アクセスがかぎられ、現地調査は禁止されている。情報には限りがあり、統計やデータも恣意的で政治的に歪められている。ミャンマーを分析しようとしても、その前にデータの問題をかかえているのだ。おかげでミャンマー国内において何が起こっているか、はっきり分からない。(中略)われわれができることといえば、ラングーン(ヤンゴン)で出されたお茶のなかの葉っぱから意味を読みとるくらいのことだ」

「お茶っ葉から意味を読みとる」とは言い得て妙である。ミャンマー人は占い好きで、この国は「占い大国」とも呼ばれる。情報統制は、民政移管に伴い格段に緩くなってきたが、そもそも信頼できる統計やデータが決定的に欠如している中で、事実の確認は容易くなかった。

 加えて私は情報統制とは別次元のハードルを感じていた。ミャンマー人自身、曖昧模糊とした世界に馴染んでいるようで、事実へのこだわりが希薄なのだ。時間に無頓着な熱帯気質にも通じるのだろうか。地元のメディア人と接していても、そう感じる。

 要人の生年月日の確認など普通の国に駐在していれば、ものの数分、百歩譲って数日もあれば片付く初歩的作業である。自分の無能と怠惰を棚に上げて言えば、それが年単位に及んでも解決できずにいた。

 赤ら顔になってきた彼は、私の愚痴を聞き終えて、軽く突っぱねるように言った。

「正確な誕生日なんて確認できっこないよ。とっととあきらめた方がいい。ネットに載っているような情報はどれも正しくない。断言していい。国家指導者は『アウラーン』を恐れているんだ」

 何かアドバイスでもくれないか。私のぼやきにはそんな底意があったように思う。ところが確認自体が無駄であり、「あきらめろ」と。その理由、「国家指導者はアウラーンを恐れている」とはどういうことなのか。

 初めて耳にするビルマ語(ミャンマー語)だった。アウラーンを英語に訳すと「ブラックマジック」だという。「黒魔術」だ。誰かを呪って危害を加える呪術、おまじないである。

 ミャンマーの国家指導者はアウラーン、つまり誰かに呪われることを心底恐れているというのだ。誕生日が重要な意味を持つ理由は、呪詛に際して相手の正確な出生情報が必要なので、生年月日を明かさない──。

 アウラーンの反対にアテッラーンという言葉がある、と彼は言った。これは白魔術。アウラーンによる呪いを跳ね返したり、呪術によって病気治療を行うなど良いことに呪術を使うことを指すらしい。

 ただ、「ブラックマジック」とか「ホワイトマジック」という英語の語感は、ミャンマーでは馴染まない。何やら西洋的な呪術の印象が付きまとうし、しかも黒を悪、白を善とする捉え方も西洋の善悪二元論的な考え方が反映されているようで、違和感がある。

 彼は続けた。

「この国の政治指導者たちにとって、正確な誕生日はトップシークレット(最高機密)なんだ。国軍の幹部はミリタリー・アカデミー(国軍士官学校)の出身で、入校時に出生地を含めた出生情報が登録される。情報はそこで厳密に管理している」

 よもやの話の展開に、私は浮き立った。「誕生日が最高機密」という言葉を聞き流すわけにいかない。本当だとしたら、面倒でしかなかったテインセイン大統領の生年月日を確認するプロセスが、ミャンマーという国を読み解く新たな「切り口」を提供してくれるのではないか、そう直感したからだった。

 彼の話の続きは本章に譲るが、私はこれを出発点にミャンマーの深遠な精神世界に引き込まれていくことになる。

 

「精神世界」と言えば、日本では「スピリチュアル」という言葉が思い浮かぶ。一般に純粋な宗教とは少し次元の違う領域の世界を指しているようだ。しかし、ミャンマー的には「ミャンマー仏教の壮大なコスモロジー(世界観)」と言い換えられる。ミャンマー人が馴染んでいると私が感じた、曖昧模糊とした世界とだぶっているかもしれない。

 ミャンマーは「仏教国」として知られる。私はミャンマーの主に宗教問題について記事で触れる際、「敬虔な仏教国」という言葉を枕詞として使っていた。しかしミャンマーの宗教世界を知るにつれ、この表現の妥当性に疑問を抱き始め、使わなくなった。

「敬虔な」というのは信仰心の篤いさまを示す。必ずしもミャンマー人のすべてではないが、大筋で間違ってはいない。私が引っかかったのは「仏教国」という言葉だった。

 ミャンマー人の約九割は仏教徒である。国民の大半が仏教徒なら「仏教国」と表現して差し支えないだろう。この国で信仰されているのは、仏教の二大系統の一つである「上座部仏教」だ。上座とは、釈迦の入滅後に弟子たちが集まって話し合いが行われた際、上座にすわった長老たちを指す。仏陀の教えを厳格に守るべきだと説いたとされ、「原始仏教」の伝統を色濃く残している。輪廻転生を信じ、来世を強く意識して自己の魂の救済を求める。

 これに対し、日本に伝来した「大乗仏教」は、二大系統のもう一つで戒律を緩めた「大衆部仏教」から成立した。上座部仏教が個人の悟りを重視するのに対して大衆の救済に重きを置き、先祖を礼拝する。何やら別物の宗教のようで、私は日本の読者に誤解を与えないよう、一時期「上座部仏教国ミャンマー」と表記したことがあった。

 ただ、それでも十分ではなかった。ミャンマー人が信仰している仏教がどこまで本来の仏教なのかという疑念がもたげてきた。そして、大統領の誕生日について探求していくうちに気づいたのが、ミャンマーの仏教には占星術、ナッ(精霊)信仰、ウェイザー(超能力者)信仰、数秘術や手相術、さらに呪術といった要素も混然一体となって融合し、独特の世界観を形成しているということだった。ミャンマー仏教のコスモロジーである。

 このような広義のミャンマー仏教に包含される仏教以外の要素は、それぞれが仏教本体とともに複雑に絡み合い、その重層性と広がりは半端ではない。それらの要素は、どれも大なり小なり「占い」に通じており、私の眼には「秘教」とか「神秘主義」、あるいは「オカルト」のように映った。

 ミャンマーは「パゴダ(仏塔)の国」と呼ばれる。観光パンフレットにもそう謳われている。パゴダは上座部仏教の頂点に位置する仏陀の象徴だ。人々はパゴダで拝むのではなく、パゴダを拝む。

 一方で、この国は「占い大国」である。しかし仏陀は占いを戒めていた。敬虔であるはずの仏教徒が、本来はタブーである占いにも専心するという、このアンビバレンツ。相反する両面を信奉するという鷹揚さもミャンマー仏教の特徴なのだろう。

 しかし、ミャンマー仏教をどう把握すべきか宗教学や文化人類学の専門家の間で論争が続いてきた。土着の精霊信仰が土台になっているとの主張もあるが、仏教を中心に据えることに大方で異論はない。ただ、占星術や精霊信仰、超能力者信仰といった世俗にも通じた要素を仏教の周縁部や付随物として含めるのか、あるいは不純な非仏教要素とみなして区別するのか、見解は分かれている。

 私の感覚では、ミャンマー仏教は広大無辺であらゆるものを包み込むイメージだ。

 このような宗教的土壌で醸成されてきたミャンマー人のメンタリティ(精神性)が、果たして日常生活だけでなく政治の世界にどのように反映されているのだろうか。ミャンマー仏教の周縁部とか不純物と称される要素は、占星術が中核を担う。これらの要素が国家の政策決定にどれほどの影響を与えているのだろうか。「テインセイン大統領の誕生日」から出発した私の関心は、このあたりに集約されていった。

 ミャンマーの代表的ニュース誌イラワジのアウンゾー編集長も、軍政期の2008年にこんなことを書いていた。

「『ミャンマーについてもっと知りたい』という外交官や外国の友人と話をする時、私はいつもこの国の政策決定と占星術や厄払い、黒魔術との関係性について学ぶよう勧めている」

 

 本書は、ミャンマーの「政治とおまじない」について、四つの視点から描き出した。第1章は「誕生日は国家機密」。テインセイン大統領の本当の生年月日は、果たして確認できるのか。そのためには是が非でも大統領本人に会いたかった。国家指導者の誕生日と呪術(黒魔術)の関係について、一連の取材プロセスから見えたミャンマー政治のもう一つの景色を描いた。

 第2章は、2015年の民政移管後初の総選挙を前に、国民の間で話題になった「アウンサンスーチーは大統領になる」旨の予言を扱った。予言の主は「国民的作家」でもある著名な占星術師だった。当時ミャンマーでは「スーチー大統領」待望論が高まっていたが、憲法上の制約から可能性は限りなくゼロに近かった。最終的に「大統領の上」の存在である「国家顧問」に落ち着くまでの一連のスリリングな展開を紹介したい。

 第3章は「ネピドー遷都」がテーマだ。旧軍政は2005〜2006年、ヤンゴンからの遷都を国際社会に秘してやりきった。そんな驚天動地の国策に占星術師の関与が従来から指摘されてきた。遷都は国家の命運を左右しかねない大事業である。一体、軍政は何を目指したのか。通説では、「軍政は国家戦略上さまざまな合理的判断に基づき決断したが、一部で占星術師のアドバイスも参考にしたのだろう」というものだ。そうなのか、そうではないのか。遷都の背景を追ってみた。

 第4章は、軍政期の2002年に起きたクーデター未遂事件を扱う。最高指導者タンシュエ率いる軍政に対し、かつての独裁者ネウィンの一家四人が政権転覆を企てたとして逮捕、死刑判決が下った。クーデターの証拠の一つとして押収されたのが、タンシュエらのフィギュアである。「呪いの人形」を使って呪詛しようとしたというのだ。一家の顧問占星術師も投獄された。彼は「黒魔術師」とも報じられた。実際にクーデター計画はあったのか、軍政側のでっち上げだったのか。事件後にタンシュエが政権を盤石にしたという意味でもミャンマー現代史の核心に触れる、そんな事件の謎解きに挑んだ。

 

 ミャンマーは民政移管以降、国際社会の脚光を浴びる。大胆な民主化改革を進めたテインセインや民主化運動の闘士アウンサンスーチーといった政治リーダーの存在はともかく、この国は資源大国で経済成長の大いなる可能性を秘めている。日本を含め外国企業の投資、進出が加速した。言うまでもなく、ビジネスの世界も政治の世界と同様にミャンマー人のメンタリティという共通の土壌で営まれている。

 日本経済新聞の英字週刊誌「ニッケイ・アジア・レビュー(Nikkei Asian Review)」が「ビジネスと占い」の関係をテーマにした記事を掲載(一四年三月六日電子版)している。筆者のフィオナ・マクレガーによると、ミャンマーのビジネスマンは大きな決断をする際、占い師にアドバイスを求めることがある。そして「(日本など)遠方から来た人々(ビジネスマンや投資家)を混乱させる可能性がある」と注意を促すのだ。

「個人によって程度の差こそあれ、占い、占星術、数秘術への信頼(信仰)がミャンマー社会にどっぷり浸透していることは間違いない」と力説。こうした要素は「ミャンマーでビジネスをしようとするための豊かなタペストリー(多様性)の一部」であり、参考にされたし、という趣旨だった。

 ミャンマー人のメンタリティをより一層理解すれば、ミャンマー人との付き合い方もビジネスの作法も深みが増すに違いない。

 

 私は取材を進める中で、繰り返し自らに言い聞かせてきたことがある。「占い」や「呪術」の視点からミャンマー政治に着目しつつも、こうした要素に過度に入れ込むべきではない、との自制の念だ。

 ミャンマー情勢の分析について、その難しさを「お茶っ葉から意味を読みとるだけ」と嘆いたスタインバーグ教授は、こうも述べている。ミャンマーについて書くということは「ある程度の傲慢さと信念がなければできない」。

 ミャンマーは半世紀も続いた情報統制の遺産として、「うわさ社会」になっていた。テインセイン政権の民主化改革により状況は次第に改善されていたが、火のないところにも煙は立つ。根拠のないうわさや憶測、裏付けのない情報を、雨後のタケノコのように刊行された新聞や雑誌が競うかのように垂れ流していた。自省を込めて言うと、外国メディアもしばしば真偽を十分検証せずに引用、転電していた。

 ただ、報道が偏るのは宿命である。客観報道というのはあり得ないし、不偏不党も建前に過ぎない。ジャーナリズムはそうした報道の限界を明確に認識することから出発し、物事の真相をどう把握し、どう伝えていくか、試行錯誤を繰り返すプロセスの営みだと思っている。何を「主(メーン)」に取り上げ、何を「従(サブ)」として扱うか、何にどの程度の分量を割くかでも、書き手の立場や主観があらわになる。どういう角度や視点で眺めるかで目に映る景色は全然違ってくる。

 モノを書く行為は、ある種のあきらめと割り切りが必要だ。本書では、現場主義を踏まえて当事者への直接取材と事実関係の裏取りに努めたが、さまざまな物理的困難に直面した。確証が得られなかったりつまびらかでない部分、つじつまが合わないところも、ありのまま記すよう心掛けた。テーマ自体にいかがわしさが付きまとうだけに、できる限りの信用性の担保とした。

 現代ミャンマー史には、随所に広大な空白域がある。これも長い情報統制時代の遺産だ。この間、国家指導者たちは黙して鬼籍に入り、指導者の多くは今も、政治的に機微に触れるテーマには容易に口を開かない。何かについて証言しても、どこまで正確なのか検証は生半可ではない。本書は、ミャンマー政治史の空白を埋めるパズルの一片になればとの思いもあり、新聞社を辞めた後、重い腰を上げて書き進めたものだ。

 占いや呪術は文化の一部である。世界でも稀にみるミャンマーのこうした文化は貴重な世界遺産だと思う。しばし、そんな世界の深淵を一緒にのぞき込んでみませんか。

 

 

(『黒魔術がひそむ国 ミャンマー政治の舞台裏』「はじめに」より/続きは本書でお楽しみください)

 

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著者

春日 孝之(かすが・たかゆき)

1961年生まれ。ジャーナリスト、元毎日新聞編集委員。アフガン、イラン、ミャンマー報道でそれぞれボーン・上田記念国際記者賞候補。著書に『イランはこれからどうなるのか』、『未知なるミャンマー』ほか。

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