単行本 - 人文書
選挙前だからもう一度考えたい! 【2日連続公開】民主主義ってなんだ?(高橋源一郎×SEALDs)試し読み
高橋源一郎/SEALDs
2016.06.16
いよいよ7月10日は参議院選挙。皆さん、投票の準備はできていますか? 去年国会前デモで注目を集めた学生団体SEALDsは現在、夏の選挙に向けて活動を展開しています。そして最新刊『民主主義は止まらない』、またSEALDs創設メンバー・奥田愛基さんの初の書き下ろし単行本『変える』が間もなく発売。
今回は、2015年9月に発売され、ベストセラーになった、前著『民主主義ってなんだ?』の一部を2日連続で公開いたします。
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高橋源一郎×SEALDs『民主主義ってなんだ?』
試し読み 第1回
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高橋:高橋源一郎
牛田:牛田悦正(SEALDs)
奥田:奥田愛基(SEALDs)
芝田:芝田万奈(SEALDs)
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1 SEALDsってなんだ?
趣味はラップとルジャンドル?
高橋 最初に、自己紹介からお願いしようかな。人の話を聞くというのは、どういう人かがわかってからできることです。誰だかわからない人の話はあまり聞きたくないしね(笑)。まずはその人の肉声を聞く。それが大切だと思います。今日もそうしましょう。できるだけ、詳しく。これがルールです。じゃあ端から順番にいこうか。
牛田 SEALDsの牛田悦正です。
高橋 おっと、いきなり名前が覚えられなさそう(笑)。
牛田 あ、今メモに「牛」って書きましたね(笑)。普段は勉強を毎日してます。明治学院大学の社会学部社会学科四年生で、やってるのはルジャンドルのドグマ人類学です。西谷修さんや佐々木中さんが専門にしている学問です。
高橋 わりと珍しい分野だね。
牛田 専門としては、経済と聖なるものの関係についてです。あと普段はラップしてます。
高橋 ラップとルジャンドルは関係あるの?
牛田 あるんです!
一同 (笑)。
牛田 完全にあるんです。大ありです。ルジャンドルが言っていることは、法っていうのは僕たちの目にとまるのは文章だけですが、そもそもラップすることとか、ダンスすること、絵を描くこと、小説を書くこと、そういうことも全部、「法」なんじゃないのってことです。あと、本当に大事なことって「演出」するしかないらしいんですよ。例えば、法を守らなきゃいけない根拠はないんです。民主主義も自由もそうです。それ自体が根源的な根拠だから、理由なしに大事だと思わせるしかない。だからラップで「これ大事だぜ」「これにムカついてるぜ」って言ってくこと自体が、すごい重要なんです。
高橋 SEALDsの方法論はルジャンドルからきてたのか(笑)。
牛田 後づけでもあるんですけどね(笑)。
高橋 小さいときは?
牛田 自分の話をするのはあまり好きじゃないんです、けっこうつらい感じに思われちゃうから。お祖父ちゃんがヤクザで、丁半ゲームのイカサマ師をしてたんですよ。イカサマがばれる度に指が落ちていくんですよ。
高橋 過酷な人生だね……。
牛田 「アイスコーヒー三つ」って指を立ててオーダーしても、二つにしかなってない(笑)。それが親戚中の持ちネタだった。僕はお祖父ちゃんに直接会ったことはないんですけど、親父はその血が嫌いで、パチンコをやらないって決めてたらしいんです。でも僕が生まれるちょっと前にパチンコ屋に行ってみたら、そこからどっぷりはまっちゃった。
高橋 牛田くんにもきっとギャンブラーの血が流れてるんだね。
牛田 父は二十五歳のときに都内に美容室をつくって、それを経営してたんですけど、パチンコにはまってしまってから店に行かなくなって、それで三千万借金をつくったんです。だから僕は生まれたときから家に借金があるみたいな生活で(笑)。それでしばらくお祖父ちゃんとお祖母ちゃんの家に預けられていたこともあるんですけど、ずっと親父と母親の悪口を言われるんですよね。「お前の親はダメだ」って。それがなかなかつらいんですよね。けっこう淡々と言われ続けるんで。そして僕が中学を卒業するときくらいに、母親が「もう嫌だ!」ってなって離婚したんですよ。そこから高校の間は親父と住んでました。
高橋 なんでまともなお母さんのほうに行かなかったの? 一人っ子?
牛田 一人っ子です。俺は三人で住みたかったんですけど、いろいろ理由があって……母親が出て行くって言うんで「なんで? 出ていきたいなら出ていけばいいじゃん。俺はここにいる」ってつい言っちゃったんですよ。そうしたら高二のとき、親父が癌になっちゃって、高二の終わりくらいに死んじゃって。そこから戸籍上は孤児というか、親戚の家の隣にしばらく一人暮らしをしてたんです。今は母と一緒に住んでますが。そこからしばらくつらい時期でしたね。
高橋 ラップはいつから始めたの?
牛田 大学に入ってからです。高校ではブレイクダンスと、ベースを弾いてました。でもロックよりヒップホップのほうが好きだなって。
高橋 明るくなったのはその頃から?
牛田 いや、前から基本明るいです(笑)。親父が死んだときはけっこう本気で「やべぇ」って感じだったけど、基本「別に大丈夫よ!」って感じです。
高橋 うちの父親もギャンブル好きで、まあひどかった。僕が高校生の時なんか、僕の本やステレオやら、いない間に勝手に売ってたからね(笑)。大学はなんで明学にしたの?
牛田 いろんな大学を落ちたから(笑)。
高橋 最初からルジャンドル読んでた?
牛田 最初はニーチェを読んでました。「ヤバい、俺が考えてたことがここにある。こいつは俺と同じことを思ってる」って思って。いちばん自分が大切にしてるものを考えたいっていうか、「なんで生きてるの?」っていうことの答えみたいなものを、俺は親父が死んだことで破綻しちゃったところもあって、求めてたんですよね。ニーチェもルジャンドルも同じことを考えてるんですよね。だからそれを勉強していこうと思って。
高橋 ここまでの話だと、政治は一ミリも入ってきていないよね?
牛田 そう……ですね。大学入って奥田に会ってからですね。
高橋 じゃあ、ひとまず奥田くんにうつろうか。
マザー・テレサがいる家はウザい
奥田 奥田愛基っていいます。明治学院大学国際学部の四年です。源一郎先生のゼミの聴講生でした。生まれは北九州の八幡製鉄所のある所です。親は貧困者支援とかホームレス支援をやってる人で。
高橋 奥田知志さんというキリスト教の有名な牧師さんだよね。NHKの「プロフェッショナル」でも特集されていた。牛田くんの場合は、お祖父さんもお父さんもギャンブル狂いだったけど。
牛田 ギャンブラーと牧師の息子が一緒にやってるんですよ(笑)。
高橋 素晴らしいコンビだ(笑)。奥田くんのお父さんは貧困支援をしてる。
奥田 そうですね。これまでとは違う枠組みで支援をやっていて、それが気持ちだけじゃなくて、ちゃんと実績を上げてるのはすごいと思ってます。
高橋 違う枠組みって?
奥田 それまでの支援はざっくり言うと、たとえば生活保護の申請が通ったら終わり、シェルターに入ったら「あとは頑張ってね」みたいな感じだった。もちろんそこまでの支援も大変なんですけど。父が違ったのは「人はパンのみにて生くる者にあらず」の人ですから、さらにその後、そういう人たちがちゃんと暮らしていけるかを考えていた。人間って関係性の中でしか生きられないから、その後も一人一人訪ねることを繰り返して、ホームレスから自立した人が働きながらまた他の人のお世話をしていく、っていうのをみんなでやっていて。みんながみんなその後生きていくことにずっと関わっていく。それってしんどいことでもあって、なんでそんなことできるんだろうって思う。
ある日、放火で服役してた人が出所して、でも、食う物もないし身寄りもない。仕方ないので役所とかに行って「これから先どうしたらいいんだろう」って相談した。するとたらい回しにされて、最後に「これで隣の駅まで行けるから」ってチケット渡されて、その人は隣の駅まで行ったんですけど、そこでまた放火したんですよ(笑)。それだけだったら「ヤバい人もいるね」って話で済むけど、なんとその人をうちの親が引き受けるということになって。家族会議ですよ。「うちが火つけられない? 大丈夫?」って(笑)。
高橋 何人兄弟?
奥田 妹と弟がいます。
高橋 五人家族か。
奥田 でも五人家族って概念もけっこう曖昧で、朝起きたら知らない小汚いおじさんがいるんですよ。おじさんもいればおばさんもお兄さんもお姉さんもいるんですけど。で、「この人は新しい家族だから」って言われる(笑)。「いやいや、ちょっと待てよ」って思いながら、「パン、何枚食べますか? あ、二枚っすか」みたいな感じで(笑)。
高橋 すごい教育受けてるね(笑)。
奥田 小学校まではそれが普通だと思ってたんですよね。ぶっちゃけ今はおもしろおかしく話せるけど、小学校のときは他の家と違うことがよくわかっていなかった。最近よく思うのは、「いいお父さんだね」って言われるんですけど、よく想像してみてくださいよ。家にマザー・テレサがいたらウザくないですか?
一同 (笑)。
奥田 マザー・テレサなんて言ったら父親は「そんなんじゃない」って言うと思うけど(笑)。いちど酔っぱらった勢いで訊いたんですよ、「なんでそんなことやってんの?」って。そしたら親父が「僕な、人間が好きなんよな」って。「はぁ!?」って思った。ざっくり「人間が好き」とか言ってる奴を初めて見た。こいつヤバいぞって(笑)。
高橋 やっぱりマザー・テレサだったんだ(笑)。
奥田 ほんとに。「人間が好き」とか言うの、ヤバいっすよ(笑)。そういう親父のもとに育って、中学で家を出ました。北九州にいたときは不登校とかいろいろあって、というか家と世俗の価値観があまりにも合わなすぎて(笑)。だから九州を出て、八重山諸島の鳩間島っていう、ディズニーランドよりも小さい周囲四キロくらいの島に行って、そこで中学生生活をおくりました。卒業して、島根県の浅利町という人口が千人くらいしかいない所の高校に行って、そして今に至るという感じですね。
高橋 奥田くんは中学のときも高校のときも、人の少ない所にいるんだね。
奥田 鳩間島は人口五十人くらい、生徒は小学校と中学校合わせて十人くらい。
高橋 学校楽しかった?
奥田 楽しかったですよ。海パン履いて学ラン着て、学校終わった瞬間に学ラン脱いで海入って。
牛田 超羨ましい!
高橋 先生は一人で全学年教えてたの?
奥田 いや、一応数人いるんです。でも社会の先生が理科も数学も教えるみたいなことがざらにあって、教えるのがすっげぇ下手なんですよ。「全然わかんねーよ!」って言うと先生が逆ギレするっていうか、「こっちだって頑張ってんだよ。今まで教えたことねーよ!」って(笑)。英語の発音とかむちゃくちゃだもん。沖縄のなまりも入ってるし。「先生、もうしゃべらなくていいんで、CD聞かせてください」って。もう友達みたいな感じで。
夜、電話がかかってきて「アキぃぃ……」って唸ってる。「どうしたんすか?」「明日、一時間目は自習で」「何があったんすか」「二日酔いが……」って言うんですね。前日から二日酔いって(笑)。そういうふうな関係だったし、みんなの携帯の番号も知ってる感じだったから、テストヤバいってなったら先生の家行ってひたすらドリル解いたり。北九州のときは学校行かなくなったけど、そっちはけっこう行きました。勉強は半分くらいマジわかんなかった。英語とか、hiとheの違いがわかんなかった。そんなレベル。
芝田 そのときは寮だったの?
奥田 ドラマみたいな話だけど、島の外から来た子が俺以外に二人くらいいて、同い年の子と小学生の子と三人で小屋みたいな所に住んでた。
高橋 じゃあ、共同生活をしてたんだ。中学生と小学生で。うちの子どもたちも小学生で寮に入ってるけど、鍛えられるよね。
奥田 しかもお互いバックグラウンドが違う。沖縄から来た子もいれば沖縄以外から来た子もいるし、「蚊がいると寝れないんです」みたいな子もいる。おじいがつくった家なんで、隙間とかすごいんですよ(笑)。どうやったら寝れるか考えて、蚊が来ない仕組みをつくったりしてた。
高橋 その中学に行ったのは誰の勧めなの?
奥田 八重山にそういう所があるのはぼんやり知ってた。「瑠璃の島」っていうテレビドラマがあって。でもそのときは鳩間島のことは知らなくて、海外に行こうとか、国内でいちばん距離が遠い北海道に行こうとか考えてた。でも北海道は寒いってことで、グーグルで検索したら鳩間島が出てきた。
牛田 グーグルが教えてくれた(笑)。
高橋 自分で選んだってことだよね。
奥田 そうですね。西表島もよかったんですけど、いちばんインパクトがあったのが鳩間島だった。
高橋 遠くに行きたかったの?
奥田 いちばん遠くに行きたかった。もっと広い世界があるはずっていう。この北九州のこんなド田舎だけが世界のわけがないって。
高橋 でも都会には行かなかったんだね。もっと狭い田舎に行った(笑)。
奥田 島一周が一時間くらい。着いたときからインパクトがあって、朝起きたら見たことない大きい鍋で何か煮込んでるんですよ。しかも匂いが、それまで嗅いだことがない干物の匂いがする。「これ、何ですか」って訊いたら「犬汁だよ」って頭蓋骨見せられて、こんなでかい犬いねえだろって。聞いたら、猪のことを犬って言うんですよね。鮫とも泳いだし、ウミガメにも会ったし。
高橋 自然と共に生きたんだね。その後で島根の全寮制の高校を選んだのは?
奥田 海が好きだったから、高校は水産高校に行きたくて。水産高校に入ったらマグロ漁船に乗ってハワイまで行けるって聞いて、絶対ハワイ行きたいと思って(笑)。でもいろいろ事故があって、ハワイに行かなくなったらしいんですよね。ハワイに行かない水産高校なんて意味ない(笑)。で、西表島のことを俺は大陸って呼んでたんですけど、大陸に出てバックパッカーみたいに旅をしてて、いい感じの民宿に着いたんです。「カヌー貸してあげるよ」とか「ここ面白いよ」とか教えてくれてる所で。そこに修学旅行生が来て、それがめっちゃ自由って感じだったんですよ。みんな私服だし、ギター弾いてる子とかいたし、歌うまいし。
高橋 その高校に行ったんだ。偶然会ったってこと?
奥田 はい。「どんな高校なんですか」って訊いたら、「校則とか、自分たちで話し合って決めます」って言うんですよ「ええっ!」って(笑)。俺が聞いた話だと、みんなギターが弾けるって。その理由もおもしろくて、電化製品が禁止されてて、MP3とかの音源も一学期間禁止らしいんですよ。なんで禁止かっていうと、自分の世界に入っちゃうから。でも音楽は聴きたいじゃないですか。そうすると……。
高橋 自分で弾くしかない(笑)。
奥田 そう。でも、先輩たちが歌ってる音程が合ってるかどうか、みんなわからない。原曲を知らないから(笑)。校則を自分たちでつくってよかったし、修学旅行は三日間は平和教育をやって、あとの三日間は西表島だった。八重山にも理解がある学校だったら最高じゃんって感じで、体験入学で見に行ったんですよ。しっちゃかめっちゃかっていうか、ふだんでも修学旅行みたいな感じですげぇ楽しそうで。元々ヤンキーだった子とかもいるんですよ。東京から来てる子もいるし、チャラい男の子が一生懸命、島根の山奥で暮らしてて、そういうのも含めて、この学校はいいなって。
高橋 すごいね。
奥田 メシも、朝五時に食事当番が行って自分たちでつくる。俺、朝が弱いんで、怒られながらつくってた。一応厨房に立って、千切りしながら寝るみたいな(笑)。部活はないけれど、自分たちの生活に必要なものをつくる活動班があって、僕がいたのは水田山林班といって、米を育てるんです。あとは森林の間伐と植林をやった。それを切って薪をつくって、その薪でパンを焼いたり。
高橋 何人いるの?
奥田 三学年で五十人。
高橋 じゃあ、一学年十数人?
奥田 はい。多いときで二十人くらい。大学入って、周りに高校のこととか聞いたら、みんな一学年二〜三百人いたとか言うじゃないですか。僕はクラスが五人クラスだったんで、クラスに十五人いるって聞くと「おおっ! 俺の学校の三倍!」ってなる(笑)。家から出ちゃって寮生活って、みんなキツいじゃないですか。嫌な奴とも暮らさなきゃいけないし。みんな「帰りたい……」とか言うんですけど、俺は基本、帰る場所がなかったんで「しょうがないじゃん!」って(笑)。
高橋 帰る場所がないっていうのは?
奥田 家が嫌だったから。今さら帰れない。
高橋 その学校、授業はどうだったの?
奥田 世界史とかほんとむちゃくちゃで、「世界史の授業を始めます。みんなで外に出ましょう」って外に出る。学校は山の上にあって、下に海が見えるんですよ。ロケーションは最高で、山もあるし海もある。降りて行くときに断層みたいなのがあるんですよ。それを指差して「見てください。これがだいたい二億年前です」って言われる。そこから授業が始まる(笑)。そこから「恐竜がどういうふうに絶滅したかには諸説ある。産毛があるやつもないやつもいる。しかし色はけっこう適当だ。つまり歴史ってけっこう適当だよ」とか「人類の歴史って、この断層に比べたら新しいもんだ」みたいな授業(笑)。世界史っていっても、宗教史とか思想史で、宗教がどうやってできてきたかとか、三大宗教とか各地の思想・哲学とかやってくんですけどね。テストが細かすぎて半分以上が論述なんですよ。ピタゴラスの思想がどんなだったかとか、普通は絶対出ないですよね(笑)。どうなるんだろうと思ったら、結局アッバース朝は七五〇年建国というマニアックな話で終わりました。
授業も受験教育じゃないから、それに抗議してる子もいましたよ。「こんなんじゃ受験できない」とか言って。そしたら先生が特別教室を開いた。そっちメインにしろよって感じだけど(笑)。それで受験対策をした。ちゃんとその子は国立大学に受かって良かったですよ。他は専門学校行く子とか就職する子もいれば、いわゆる難関校の国立大学とか、海外の大学に行っちゃう子もいた。
高橋 進路はバラバラなの?
奥田 バラバラです。たまに理系に行く人もいた。
高橋 高校のときの友達って、今でもけっこう仲いい?
奥田 めっちゃみんな仲いいです。
高橋 確かSEALDsにもいるんだよね?
奥田 います。同期はみんな働いてるからいないけど。僕が高校三年生のときに一年生に頭いい奴が入学してきて、そいつはもともと神奈川県の模試でトップ10には必ず入るみたいな奴で。スーパー賢くて、でも人のこと見下す嫌な奴だったので、先輩としては「お前、偉そうでほんとに嫌な奴だな」って言いながら、夜な夜な政治とか宗教とかありとあらゆる気になることを話し合ってたんですよね。「アキくん。円周率って実際、割り切れないのに、3.14って認識できる僕たちってなんなんでしょうね」とか、「インドで0が発見された時の話、知ってますか?」とか言う(笑)。「そうか! どうでもいいけど、お前の髪型おかしいな」なんてふざけあいながら。そうやって、宇宙はどこまで続いてくのかとか無駄に調べて喋ってた。そいつだけはSEALDsが始まる頃に声かけた。やり始めたら、高校の時から知ってる奴の中にも、実は興味があったっていうか、デモに来るって言う子がけっこういて。
高橋 「あ、奥田くんがやってる」って感じ?
奥田 そういう人とか、高校の友達の友達とか来るようになったりして、微妙につながっていくんですよね。
高橋 それで高校を卒業して、なんで大学は明学にしたの?
奥田 平和学を勉強したかったんです。平和学ってかなりふわっとした学問ですけど、やってる大学が十校くらいしかなかったんですよね。調べたらいちばんエッジがきいてておもしろそうだったんで、明治学院大学の国際学部にした。これは親父の影響かわからないですけど、僕は世界の貧困のことが気になったんですよ。日本のことは親父に任せようって(笑)。
高橋 牛田くんとはいつ知り合ったの?
牛田 僕が入学してすぐくらい。
高橋 入学した年は?
奥田 俺が二〇一一年で。
牛田 僕が二〇一二年。
高橋 学部違うよね?
奥田 僕は東日本大震災の支援NPOを手伝っていて、そこの後輩に社会学部の奴がけっこう多くて。ヒップホップが好きで哲学とか思想が好きって言ったら、「ヤバい奴がいる」って紹介されたのが牛田だった。
牛田 震災の年はずっと浪人して勉強してました。入学してからは、友達と政治について考えるサークルをやったり。
奥田 牛田は大学入学したときは「勉強しない奴はみんな大学来るな!」とか言ってて。結構その学年では「変な奴いるぞ」って有名で(笑)、僕はそこまで言わないけど「まあ勉強するの大事だよね、大学生だし」って感じで哲学の話とか、政治の話をして。
高橋 そうやって二人は出会ったわけだ。この後はSEALDsの話になるね。
アメリカと日本の狭間で
高橋 ではもうひとりの方ですね。
芝田 芝田万奈です。上智大学の四年、国際教養学部で社会学と文化人類学を勉強しています。父は金融マンです。
高橋 また全然出自が違うね。ある種、違う方向のギャンブルだ(笑)。
芝田 私はニューヨークで生まれて住んでたんですけど、お父さんが転勤で日本に来て、そのときに私も初めて日本に来ました。五歳のときです。引っ越してきたら、いきなり小学校受験をさせられたんです。日本語ができなかったから、毎晩泣きながら勉強させられた。それが本当にトラウマでした。中学校のときにいじめられて、こんなの嫌だと思ったけど、私はアメリカの国籍を持ってたから、自分はアメリカ人なんだって思って(笑)。
高橋 そうか、国籍は二十歳で選択するんだよね。
芝田 今も一応持ってます。だからアメリカに行きたいって懇願したんですけど、ダメって言われた。それで高校に入ったら、一ヶ月くらいでお父さんが転勤になって、ラッキーなことに、またアメリカに連れて行ってもらったんですよ。それから三年間、ニューヨークにいました。
私がいたウェストチェスターはすごい白人社会で、みんな超お金持ちで、プールとかテニスコートとかある家が並んでる。ベンツで学校に来るみたいな所で、それが私のアメリカのイメージだったんですけど、いざ自分がそこに行ったときに「嫌だな」と思ってたんです。そのときに震災があって、お母さんが東松島出身だったので親戚が被災して、夏休みとか冬休みに東京に行くようになった。それが高校三年です。高校のときは国際関係学をやりたいと思ってたんですけど、日本にも問題があるんだと思って、しかたないから日本に帰ろうかなって思ったんです。でも日本の大学を見てても全然楽しそうじゃなかったから、カリフォルニアのオクシデンタル大学に二年間行って、去年の夏に上智大学に編入しました。
高橋 お父さんは今は?
芝田 シンガポールにいます。お母さんも向こうに行ってて、弟も向こうでアメリカンスクールに通ってます。
高橋 じゃあ、君だけ単身赴任? なんで日本に戻ろうと思ったの?
芝田 向こうの大学にいるときに国際関係学を勉強してたんですけど、これは無理だと思ったんです。国連で働きたいと思ってたんですけど、国連のことをちゃんと勉強したら、これは最悪だと思って(笑)。世界銀行とIMFは最悪だって。教授がそういう人だったんです。その人は南アフリカでずっと独立運動をやってて、投獄されたりもした人なんですよ。超かっこいい女の教授で大好きでした。それから社会学をやり始めて、カルチュラル・スタディーズとか批評理論を勉強しました。夏休みに日本に帰ったときに、福島の小高に行ったんです。原発ってヤバいんだと思って、そのときから、福島から避難してるお母さんたちの研究を始めました。それを続けたいと思って、二〇一四年五月に日本に帰ってきて、八月に大学に入りました。
高橋 なんでSEALDsに入ったの?
芝田 アメリカで通っていた大学はリベラルアーツの学校で、みんな授業とか行かないで座り込みとかするんですよ。「これはおかしい」とか「授業料が高い」とか何か問題がある度にやっていて、そのカルチャーに慣れてたから、日本に帰ってきたときに、「あれ、おかしくない?」とか「原発って怖くない?」とか言う場がなかったことに違和感を感じたんです。
高橋 みんなに言っても反応が乏しかったっていう感じ?
芝田 そうですね。「そうなのかな……」みたいに言われて、「そうなんだよ……」みたいに小声になっちゃう。たまたま去年七月に集団的自衛権の抗議が官邸前であって、そこに行って知り合ったのが今のSEALDsの子だったんです。
(続く)
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SEALDs新刊情報
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『変える』奥田愛基
「失われた20年」に生まれ、育ってしまった新世代の旗手による、怒りと祈り。
いじめ、自殺未遂、震災、仲間たちとの出会い、そして……
SEALDs創設メンバー、23歳のリアル。
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