★まるごと1話試し読み★「5分シリーズ」新刊発売記念!『5分後に禁断のラスト』収録「7歳の君を、殺すということ」

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★まるごと1話試し読み★「5分シリーズ」新刊発売記念!『5分後に禁断のラスト』収録「7歳の君を、殺すということ」

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新刊発売を記念して、まるごと1話試し読みを公開します!
あなたも5分で衝撃を受けてください。

5分後に禁断のラスト』(5分シリーズ)より、まるごと1話試し読み!

「誰でもよかった」という理由で母親の命を奪われた男は、ある人物から復讐の機会を与えられるが……。

 

_____________________

 

 

「7歳の君を、殺すということ」             関井薫

この街に来て、四十日が経った。
九月初旬、この街に来た時、まるで先急ぐように残りわずかな蟬(せみ)が鳴いていた。
けれど、そんなけたたましい叫びも今はもうない。先に散っていった、仲間や家族のもとへ行ったのだろう。
ポケットの中でくしゃくしゃになった煙草(たばこ)を手にとる。そこから一本取り出し、火をつける。
ベンチの背もたれに身体を預けながら、今日も目的を果たすことができなかった、と息を吐(つ)く。ゆらゆらと揺蕩(たゆた)う煙が、茜空に向かって消えていった。

 

僕に残された時間も、あとわずかだ。

 

公園内に設置されたスピーカーから、『夕焼け小焼け』が流れる。遊んでいた子供達が、次々と母親に手を引かれ帰っていく。

 

ばいばい、またね。
また明日遊ぼうね。

 

その中に、城崎拓也(しろさきたくや)の姿はなかった。今日はこの三角公園で遊ぶと言っていたのに、気が変わったのだろうか。
帰宅時間に合わせて公園に顔を出し「一緒に帰ろう」とでも言えば、容易に連れ出すことができると思っていた。拓也は警戒心の薄い七歳だし、なんたって僕は隣人なのだから。
足元で煙草をもみ消す。僕は重い腰を上げ、公園を出た。

 

住宅街に沿った道路を歩いていると、どこかしらから「晩ご飯」という匂いがしてくる。
もう随分と「晩ご飯」を食べていない。僕が食べる夕食は誰かが作ってくれたようなものではなくて、駅前の牛丼屋とか、コンビニで調達してくるような食料だ。
「晩ご飯」と呼べるようなものではない。だから僕の家から、こんな温かい匂いが漂(ただよ)うこともない。

「圭兄ちゃん!」

アパートの前で佇んでいた拓也が、僕の姿を見つけた瞬間走り寄ってくる。青く強ばった顔で、目に涙を溜め、僕の名前を叫ぶ。

「どうした? 何かあったのか?」

「母ちゃんが! 母ちゃんが!」

酷(ひど)く取り乱して僕の手を引っ張る。その指先が、少し震えていた。
急いで拓也と母親が暮らす、隣の部屋へ駆け込んだ。他人の部屋に入るということに一瞬躊躇(ちゅうちょ)したものの、拓也の様子を見る限り、そんなことを言っている場合ではなさそうだった。
玄関にも、入ってすぐの台所にも、ほとんど物がない。シングルマザーの家庭だから、贅沢(ぜいたく)はしていないだろうと予想していたけれど、ここまでがらんどうだとは思っていなかった。
奥にある引き戸の隙間から、拓也の母親が倒れているのが視界に飛び込んでくる。
苦しそうに丸まり、こちらに向けた顔を歪(ゆが)ませていた。

 

一瞬頭の中に、あの時の記憶が蘇(よみがえ)る。
足が硬直して前に踏み出せない。

 

大丈夫、大丈夫。
心配せんと、お母さんは大丈夫。

母の声が、記憶の中で僕に語りかける。
母は亡くなる直前も、僕を安心させようと笑っていた。痛いのに、怖いのに、それよりもまず僕の目を見て笑っていたのだ。

 

「圭兄ちゃん! 母ちゃんを助けて!」

 

拓也の母親である城崎洋子(ようこ)が運ばれたのは、近所の総合病院で、彼女は胃潰瘍(いかいよう)を患っていた。それもかなり無理をしていたらしく、腹膜炎を起こしかけていたという。

「溝口(みぞぐち)さん、お願いです、お願いします」

病室で洋子さんが僕に、何度も頭を下げた。

「少しの間でいいんです。拓也を、拓也を……預かって頂けませんか。お願いします」

引っ越してきて一ヶ月も経っていない男に、大事な息子を預けるというのだから、それほどに動揺していたのだろう。それに拓也も、驚くほど僕に懐いていた。当然かもしれない。拓也に近付くために、愛想良く好青年を演じていたのだから。

頼れる人がいないんです。

洋子さんは深く、深く頭を下げた。

「いいですよ。ゆっくり身体を休めてください。拓也くんのことは僕に任せて」

僕は笑顔で、洋子さんの肩に手を置く。
チャンスがやって来た。そう思った。

 

 

母の通夜に訪れたのは、叔父さんとその家族だけだ。
マスコミを全てシャットアウトするために、家族でひっそりと葬儀を執り行った。
母の身体が煙となって、煙突から上空へと上っていくのを見て、やっぱり死んだ後は天に昇るのだと改めて思う。

「おばちゃん、殺されたの?」

空を仰ぐ僕の横で、従妹が言う。従妹と言っても、会ったこともなかったから、こんな小さな従妹がいるなんて今の今まで知らなかった。

「由里! 何てこと言うの!」

多分僕の叔母であろう人が、顔を引きつらせた。

「いいんですよ。気にしないでください」

僕は叔母にそう言い、由里ちゃんの視線から逃れるように、もう一度煙を見やる。

殺された。
そう、母は殺されたのだ。

「ちょっと、すみません」

そう言って、建物の脇に設置された喫煙所へと足早に向かう。煙草の箱を取り出し、一本摘まむ、火をつける。

まあた、圭悟はそんなん吸うて。
お母さんより先に死なんでよ。

母さんは殺しても逝かなそうだから、僕のほうが先かもしれないよ。

つい先日交わした会話を思い出す。
まだ実感が湧かなかった。

 

母を殺したのは、城崎拓也という男だった。
名前も顔も知らない男に、母は「誰でもよかった」という理由で命を奪われた。
僕の就職祝いにビジネスバッグを買ってあげると母は言い、ショッピングモールに足を運び、殺された。
すぐ近くに、僕はいた。何が起きたのかわからなかった。犯人の顔も見てない。気付いたら母が倒れていて、誰かの悲鳴が聞こえ、辺りに血が流れていた。

母さん、母さん!

圭悟、大丈夫、大丈夫。
心配せんと、お母さんは大丈夫。

 

「犯人が憎いですか?」

声にハッとし振り向くと、喫煙所の奥に男がいた。
長いこと洗っていないような、伸びきった白髪を垂らし、小汚いジャンパーを羽織っている。ホームレスだろうか。そんな風貌の男だった。
僕が黙って見ていると、もう一度男は言う。

「犯人が憎いですか?」

一瞬、マスコミから受けた質問が頭に過(よぎ)る。

──犯人に言ってやりたいことは?
──お母様の命を奪った犯人が憎いですか?

「なんなんです?いきなり失礼じゃないですか?」

この男も、マスコミも、僕に憎いと言わせたがっている。泣き叫んで、母を返せと、犯人を殺してやると言わせたがっている。
でもそんなことを言っても、母は返ってこない。煙になって、骨だけ残った。この後は丘の上の霊園で石になるんだ。

ふざけんな、ふざけんな。

僕は灰皿に、乱暴に煙草を投げ入れる。
その場を去ろうとした僕の背中に、男が言う。

「殺される前に、殺せばいいんですよ」

その言葉に、僕はカッとして、灰皿を蹴飛ばす。
金属がコンクリートに打ちつけられる衝撃音が起こり、灰皿の中の、ヤニが溶け込んだ茶色い水が、辺りに散らばる。

「いいかげんにしろよ!」

男は怯(ひる)む様子も見せず、微動だにしない。垂れ下がった前髪で、表情も見えない。笑ってるのか、からかっているのか、同情しているのかもわからなかった。

狂気が生まれる前に、消すんです。
大事な人が奪われる前に、その芽を摘むのです。
過去に戻って──。

男は確かに、そう言った。

 

 

拓也はずっと、僕のTシャツの裾(すそ)を握りしめていた。
救急車に乗っている間も、病院の待合室でも、自宅への帰り道でもずっと握りしめていたから、僕の服の裾はすっかり伸びきってしまっていた。

服を脱ぎ、よれたTシャツを布団の上に投げる。拓也は部屋の隅で膝を抱え、唇を堅く文字に結んでいる。泣くのを我慢しているように思えるその姿は、ただの七歳の子供だった。

そこら辺に投げ捨てられたTシャツを着る。
僕の部屋は、拓也の家より何もないな、と改めて思う。殺すためにきたのだから、寝床さえあればよかった。

「拓也、何か食べる?」

拓也は俯(うつむ)いたまま、首を横に振る。

「そっか。それじゃあ、パジャマとか家にある?」

こくん、と頷く。

「よし、取りにいこうか」

拓也の手を引き、隣へと向かう。
今この瞬間だって、殺そうと思えば殺せるのに、どうしてもそんな気になれなかった。母に対しての罪悪感が湧き上がる。それと共に、憎しみも湧く。

けれど、どうしてもできない。
拓也に、昔の自分の姿が見えた気がした。

 

 

〝もうちょう〟ってなに?

お腹が痛い痛いってなっちゃう病気だよ。

おかあさん、びょうきなの?

大丈夫、すぐ良くなるからね。その間ばあちゃんと一緒に遊ぼうね。

 

僕が五歳の時、母が倒れた。盲腸だったから、そんなに長く入院していた訳ではない。その間僕は、近所のばあちゃんの家で過ごした。母もシングルマザーとして、僕を育ててくれたのだ。
父のことは覚えていない。僕が生まれた時から父はいなかったらしいけど、その理由を聞いたこともない。
ばあちゃんは優しくて、赤の他人である僕の面倒をよく見てくれていた。居心地もよかった。僕はばあちゃんが大好きだった。
でも、何日も母がいないという初めての体験に、どうしようもなく心細かったのを覚えている。

ねえ、おかあさんはいつ帰ってくるの?
なんでいないの?
なんでいないの?

もう二度と母に会えないのではないか、と僕は不安で仕方がなかった。あの時の痛みが、十七年ぶりに反芻(はんすう)してくる。

 

「拓也、さみしいか?」

僕がそう言うと、洋子さんがうずくまっていたその場所で、拓也は膝を抱えて座り込む。
小さい背中が震え、鼻をすする音が響いた。
その背中をさすろうと手を伸ばしかけた自分に気付き、拳を握る。

「大丈夫だよ」

一言だけ呟いた。なるべく冷たく聞こえるように、低い声を出した。

 

コイツは二十年後、母を殺すのだ。
期間は四十九日。その間に、狂気の芽を摘むのです──。
男の言葉が、僕の心を握りしめた。

 

二十年という月日を遡(さかのぼ)って来て、僕が最初にしたのは、拓也を探すことでも寝床を見つけることでもなく、母に会いに行くことだった。
わずか二歳の僕と、まだ生きている母がこの世界にはいる。会って話した所で、何て説明していいのかもわからない。あなたは二十年後に死にます、なんて言えるはずもない。
だから、ただ姿を見られれば良かった。母を感じることができれば、それで良かった。
電車に乗り、当時住んでいた街へと向かう。財布に入っていたお金は、五千円札が新渡戸稲造に、千円札が夏目漱石に変わっていた。
切符を箱に入れ、無人の改札をでる。知らない駅なのに、懐かしさを覚えた。
二歳の頃の記憶なんてないけれど、母に聞いた話と、アルバムを見て知った風景を重ねながら歩いていく。

駅、パチンコ屋、銀行、公園、夕日が射し込む並木道──。

不思議と、覚えているはずもない記憶が、蘇ってくるようだった。迷うことなく、歩いていく。ふと立ち止まった古いアパートから「晩ご飯」の匂いがしてくる。

母の匂いだ──そう思った。僕は目の前の駐車場で、フェンスに寄りかかる。
「晩ご飯」の匂いだ。母の作った、甘すぎる肉じゃがの匂い。

 

こら圭悟、ニンジン残さんと、ちゃんと食べなさい。

嫌だよ、ぐにゃってするのが嫌なんだよう。

好き嫌いしない。さっさと食べんさい。
おっ、圭悟偉いねえ。
圭悟はやればできる子だ。

 

この匂いが、母の作った料理なのかもわからない。記憶の中でしか母の声は聞こえない。
錆(さ)びたフェンスが背骨にあたる。背中も痛いし、胸も痛かった。でも僕は、随分長いことそこに居続けた。

 

気が付くと、ホームレスの男が僕の目の前で胡座(あぐら)をかいていた。
あの男だ──そう思って声をあげようとした時、僕より先に男がしゃがれた声を出した。

「殺してください。城崎拓也を消しましょう」

垂れ下がった前髪の下で、男が口角を引き上げる。いい知れない気持ち悪さを感じながら、僕は男に聞く。

「城崎は、どこにいるんですか」

そう言うと、男は僕に鍵を差し出した。住所を言う。聞き逃さないよう、僕は必死に住所を覚える。

東京都練馬区──何度も何度も声に出して、呟いた。

男の告げた住所に着くと、そこは当時母と二歳の僕が住んでいたアパートより、さらに古い木造アパートだった。
錆び付いた階段を上り、一番奥のドアに鍵を差し込む。
僕がノブを回したのと同時に、隣のドアが開く。
出てきたのは、ひょろひょろとした色白の男の子で、僕を見て目を丸くした。手にはサッカーボールを持っている。

「こんにちは」

と、男の子が遠慮がちに言う。

「……こんにちは」

それが、拓也と僕の最初に交わした会話だった。

もう後戻りはできない。
僕は拳を強く握りしめた。

 

 

拓也はどこまでも、七歳の子供だった。
歩幅も、僕の半分もない。サッカーが好きで、サッカーボールは誕生日に買って貰ったのだと嬉しそうに話す。
僕の背中に飛びつき、突如(とつじょ)戦いごっこを始め、勝てないとふてくされる。
来る日も来る日も、僕は拓也と関わり続けた。
チャンスは幾度となくあったのに、実行に移すことができず、四十日が経過した。
探していたのかもしれない。
拓也の中の狂気を。二十年後、「誰でもよかった」といって、母の命を奪う奴なのだという実感を。
そして、殺人犯は子供の頃からどこか、「違う」一面を持っているのだ、と自分を納得させるために。

 

 

「違うよ、圭兄ちゃん、お味噌は少しずつ溶かすんだよ」

味噌を入れて、ぐるぐると鍋をかき回した僕に、拓也が呆れた声をあげる。

「えっ、そうなの?これじゃダメ?」

「だめ、だめ」

翌日、僕達は洋子さんのお見舞いに行き、病院の帰りにスーパーで材料を買い、拓也の家から調理器具を借りて、夕食を作ることにした。
魚フライは買ってきたけど、味噌汁と肉じゃがは作る。
朝食はコンビニで済ませたし、昼食はファミレスで食べた。ファミレスのハンバーグを、拓也は喜んで食べていたけど、さすがに夕食まで外食という訳にもいかない。
殺そうと思っている相手の食事の心配をするなんて、何だか可笑(おか)しな話だけれど、どうせ殺すのだからどうでもいいのかと言うと、そういうことではない。

 

ねえ、圭悟。
ご飯が圭悟を作ってくれるんよ。
気力、体力、それに愛情も。
ほら、好き嫌いせんと、食べんさい。

 

洋子さんのいない間も、しっかりと「晩ご飯」を作ってやりたかった。
そう思っていたのに、味噌汁でさえ拓也にダメだしをくらう。
料理なんて作ったことがないから、気張らずに買ってくれば良かったと後悔した。
全て作り終えた時、拓也が言う。

「ねえ、ご飯は?」

「あっ!忘れた!」

おかずだけ作って、米を炊くのを忘れていた僕を、拓也がじとりと睨(にら)む。
そうして完成した食卓には、味噌汁と肉じゃが、魚フライ、そして朝食用に買ってきた食パンが並んだ。

 

いただきます。

いただきまーす。

 

拓也が肉じゃがを口に運ぶ。

「どうだ!うまいか」

「うーん……不味いっ」

子供は正直だった。
僕も食べる。肉じゃがはしょっぱくて、ご飯が欲しくなる。僕は食パンをかじる。
正直、美味しいといえる代物ではない。当たり前のように「晩ご飯」を作れる母や洋子さんが、凄(すご)いと思う。自分で作ってみるまで、やらないだけで、自分にも簡単にできると思っていた。

「ごめんな、明日はちゃんと作るから」

拓也も食パンをかじる。うん、と呟き笑った。
その無邪気な笑顔を見て、僕は思わず目を逸(そ)らす。

明日……。明日、か……。

迷っていた。城崎を殺すと決意して、過去にまでやってきた。それなのに、僕は迷っている。迷っている自分が情けなかった。

 

 

僕の部屋の布団で眠る拓也を見ながら、自分は何をやっているんだ、と思う。
一緒にサッカーをし、戦いごっこをして、晩ご飯を作り、一緒の布団に寝ている。
その相手は、母を殺した殺人犯だ。
僕は、一体何をしているんだ。

コイツのことが許せない、憎い。

拓也は気持ちよさそうに、寝息を立てている。昨日は泣いていたけれど、お見舞いに行ったことで、安心したのかもしれない。
起き上がり、拓也の横で正座する。
ゆっくりと、右手を拓也の首に近付ける。片手でも事足りるくらい、拓也の首は細い。
母さんが助かる。こうすれば、母さんが生きていける。僕は母さんに買ってもらったビジネスバッグを持って会社に行き、帰宅して母さんの咤激励(しったげきれい)を受けながら、晩ご飯を食べる。
ホームセンターだの、ドラッグストアのセールなんかに付き合わされて、休日を送る。
そのうち彼女ができて、結婚して、母さんは僕の子供を抱く。
きっと母さんのことだから、泣くんだろうな。意外と、涙もろいから。
手が震えている。さらに左手を添え、徐々に力を加えていく。

 

圭悟は本当に優しいねえ。
お母さん、圭悟産んだのが一番の正解だったよ。

母さんの声が聞こえる。

 

いい、圭悟。
人っていうのは優しくなきゃダメなんよ。
弱い者いじめは絶対にやったらダメなんよ。

 

まるで、生きているように、母さんの声が降ってくる。
あの頃はたいして聞いてもいなかった言葉が、僕の中で生きている。

自分の信じる道を行きなさい。
あなたは絶対に、正しい判断ができる。
だってほら、母さんの子やけん。

 

ぶるぶると、馬鹿みたいに手が震えていた。
僕は布団に倒れ込む。
力を加えることが、どうしてもできなかった。
拓也を殺したくない──そう、思っている自分がいたんだ。

 

自分を好きでいられる、自分になるんよ。
圭悟なら、絶対大丈夫。

 

拓也を見ると、何も知らずに口を開けて寝ていた。阿呆っぽいその顔が、子供らしい子供の寝顔だった。

こんなことやめよう。もうやめてやる!

拓也を殺そうとした手を見ると、笑えてきた。そして、泣けてきた。

「ごめん、母さん……助けられんかったよ」

枕に顔を押しつけた。拓也を起こしてはいけないと、声を殺して泣いた。
母の言葉が生きている。
それだけで、自分が取り戻せたような気がした。

 

 

七歳の君を、殺すこと。
それは僕が、僕でなくなることだったのかもしれない。
あの夜から吹っ切れた僕は、晩ご飯の研究をした。拓也に文句を言われながら、手伝ってもらいながら、二人で作った。
ハンバーグ、カレー、キンピラゴボウ、豚肉の生姜焼き、筑前煮まで作れるようになった。勿論(もちろん)、肉じゃがのリベンジもした。今度はお米を炊くのも、忘れずに。
拓也とはサッカーをして、戦いごっこをしながら、たくさん話した。

 

いいか、拓也。
自分を好きでいられる、自分になれ。
拓也なら、絶対に大丈夫。

 

拓也は、よくわからない、という顔をしたけど、それでいいと思う。
いつか、どうしようもなくなった時、ふと思い出してくれればいいのだ。生きている言葉として、思い出す時があればいいと思う。

「本当にありがとうございました」

洋子さんが僕に言う。退院して来た洋子さんの隣で、拓也が嬉しそうに、けれど、ちょっと恥ずかしそうに立っている。

「いえいえ、楽しかったです」

僕は心から、そう言っていた。

 

ばいばい、またね。
また明日遊ぼうね。

 

拓也が僕に手を振り、洋子さんと隣の部屋へと入っていく。
部屋に戻って、何もない空間で、僕は煙草を手にとる。
一本摘まむ、火をつける。
大きく煙を吐き出すと、ゆらゆらと揺蕩う。白い煙が昇っていく。
程なくして、隣から「晩ご飯」の匂いがしてきた。今日は拓也の好きな、生姜焼きかな、と思う。
薄れゆく意識の中で、昨日作ったんだけどなあ、と笑った。

 

僕と拓也の四十九日が終わる。
真っ白な意識の空間で、ホームレスの男が言う。

「なぜ、殺さなかったのです」

僕はぼんやりと、男を見る。ああ、そうか、と思った。
男は続けざまに叫んだ。

「なぜ、殺してくれなかったんだ!」

「罪は消えないんだよ。だって、僕に殺せと促した君を殺してしまったら、僕がここに来る理由もないだろ」

男は目からも、鼻からも水を垂らし、震えながら僕を見る。無数に刻まれた皺(しわ)が、生きてきた年月を感じさせた。
それでも僕には、七歳の拓也が目の前にいるように思えた。

「圭兄ちゃん……ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい」

拓也がこの後、どんな風に成長し、どんな想いを抱えていたのかはわからない。今でも、母を殺した城崎拓也を、許すつもりもない。
でも──。
僕の言葉を、一緒に過ごした四十九日を、思い出す日がきっと来たのだと思う。

「罪は消えない、消したくても消えないんだよ、拓也」

拓也は、まるで幼い子供のように、頭を抱え、小さくなりながら、僕に謝り続ける。
自分が歩いてきた道は、変えることのできないものだ。
だからこそ、自分の信じる道が、必要なのかもしれない。
次第に、拓也の声が遠ざかっていった。

 

気が付くと、喫煙所にいた。灰皿も倒れていないし、男もいなかった。
長いこと、夢を見ていたような気分だ。
僕は、叔父のもとへと急ぐ。
叔父は、骨になった母さんを抱えている。それを僕が受け取り、車に乗り込む。
これから僕には、母さんとの四十九日が待っている。
母さんと一緒に、色んな場所に行こうと思う。今まで何かと理由を付けて、母さんの誘いを断わっていたから。
もしかしたら、ホームセンターとか、ドラッグストアのセールにだって行くかもしれない。
そうして、僕は一人で、日常を過ごしていく。

 

四十九日が終わったら、母さんは、丘の上の霊園で石になる。
不思議と、悔しくも、悲しくもなかった。僕の中には、生きた言葉がある。
母さんが残した、生きた言葉が。

 

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エブリスタ

「エブリスタ」は、国内最大級の小説投稿サイト。『王様ゲーム』『櫻子さんの足下には死体が埋まっている』など、書籍化に留まらず、コミックやゲーム、実写映画やTVアニメに展開される作品を次々生み出している。

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