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『おらおらでひとりいぐも』芥川賞候補入り記念公開 子どもの頃から小説家になりたいと思っていた──保坂和志×若竹千佐子(1/4)

『おらおらでひとりいぐも』刊行記念対談

9784309026374

最年長受賞ゆえの若々しさ

 

保坂 小説はいつから書き始めたんですか?

若竹 子どもの頃から小説家になりたいと思っていたんですけど、実際に小説を仕上げられるようになったのは、五十歳過ぎ頃からです。それまでは途中でやめてはまた書いて、ということをくりかえしていました。何を書いたらいいのかが、わからなかったんだと思います。

保坂 書き出すけど、作品として仕上がらなかったということですね。

若竹 そうですね。書いているうちに、こんなのはだめだと思って投げ出して。それでも本を読むのはずっと好きでした。とにかく私は小説を書くんだという想いを、根拠なく子どもの頃から持ちつづけていました。

保坂 その気持ちのない人は続かないんだよね。「俺はいずれ小説家になるから」みたいな、楽観的なところがないとなれない。じゃあ、実作を始めるようになって約十年ということですか。

若竹 十二、三年くらいです。

保坂 書きはじめの時期をどこに設定するかにもよるけど、普通、書きはじめてからモノになるのに、十年とか十五年はかかる。僕の場合は七九年に初めて百枚の小説を書いて、『プレーンソング』が八九年だったから、ちょうど十年。僕は生い立ちとかそういうことには関心ないんだけど、それでも最年長受賞ということには意味があって、五十歳だろうと六十歳だろうと、遅すぎるということはない。それを若竹さんが示したのは、多くの人に勇気を与えることだと思う。一方で、小説の新しさっていうのはいろいろあるんだけど、小説を知らない人で新しいものを書けるのは本当の天才で、そんな人はめったにいない。若いうちは小説を知らないで書く人が多いから、本人は新しいことをやっているつもりでも、じつは古くさかったりするわけ。

若竹 なるほど。

保坂 努力して作り出す人にとっては、知識とか、考える時間とかが必要になる。若竹さんの小説が若々しいのは、そうした時間を経ているからなんですよね。

若竹 ああ、嬉しい。

保坂 この作品を読んでいてまず驚いたのは、僕は北島三郎の歌に出てくる「与作」って、おじいさんだと思っていたの(笑)。それが最初の方で、主人公の桃子さんが主婦の仕事の多様さについて「木を切っている与作さんとは違うべ」と書いている。主婦はただ木を切っているだけじゃだめで、あれもしつつこれもしなきゃならない、と。ここで「与作」のことを、働き盛りの若い夫としてあたりまえのように書いていて、これは自分の知らなかったことというか、うっかり通り過ぎていたことを指さしてくれた気がした。この小説は面白いんじゃないかって思ったのはその時だったんだよね。それで、与作のくだりの後に、主人公の桃子さんが「今頃になっていったい何故東北弁なのだろう」と、東北弁がつい溢れ出てくることについて考える。うちの母はいま八十七歳だけど、メールで冷蔵庫を「れえどおこ」と書いたり、膝の下を「ひだのひた」と書いたりする。母は山梨の人間で、喋り言葉だけじゃなく、文字でもそうなっているわけ。だから、年をとると方言が出てくるんだなと思っていた。

若竹 方言は私にとって自分にいちばん正直な言葉です。自分の内側ではやっぱり方言を使っていて、標準語はどこか着飾った、体裁を繕うための言葉という感覚があります。私は三十過ぎてから都会に来て、こっちの生活のほうが長いんだけれども、やっぱり自分は遠野の人なんだと、しみじみ感じます。それで、遠野の言葉とか生活が滲み出る、手触りのある語りの口調で、一人の人間の哲学みたいなものを語ってみようと思ったんです。

保坂 そう思ったのはいつからですか?

若竹 私、ほんとうは教員になりたかったんです。大学を卒業して、地元の岩手で臨時採用の教師を五年間やっていました。柳行李に服と採用試験の問題集を入れて、岩手県を転々としながら教員採用試験を受けていました。柳行李っていっても、いまの若い人は知らないでしょうね。

保坂 スーツケースを大きくしたようなやつ。今でいうコンテナボックスですね。

若竹 毎年採用試験に落ちて目の前が真っ暗なときに、夫に出会い家庭の主婦におさまりました。もともと私は頭でっかちで、ぼうっと突っ立っているような人間でした。主婦になって煮炊きをして、掃除洗濯をやっているうちに、具体の人になってきた感じがします。赤ん坊の肌着を裏返しにして、中表に着せると縫い目が当たらないから痛くないなんて知恵に、やたら感動していました。身の廻りの生活を見直すきっかけでした。

 今回のような小説を書こうと思った一番のきっかけとなったのは、八年前に夫が亡くなったことで、そこで本当の悲しみが分かりました。それまでの私は、首から上で悲しみを理解していたと思います。本当に悲しいことがあると、全身で毛穴の隅々まで悲しいんです。今まで私は何をわかっていたんだろうと、揺り起こされるものがありました。「あの人が死んでしまった」と草や木に話しかけると、一緒に悲しんで、応えてくれるような気さえしました。時間が経つとどうやらその声は自分の内側から聞こえてくるとわかって、あれ、私の中に大勢の人がいるんじゃないか、と思ったんです。それで孤独なおばあさんが自分の中の大勢の人と一緒に生きて寂しさを乗り越えよう、みたいな小説を書きたくなりました。

保坂 すると、旦那さんが亡くなった頃が大きな転機になったということ?

若竹 そうです。実は息子のすすめで、夫の四十九日の次の日から八丁堀の小説講座に通いはじめたんです。みんな呆れるかもしれないけど。夫の死を悲しんで家にいる私を見て息子が、「どこにいても寂しいんだから、外に出ろ」といって。元々私が小説を書きたがっているのを知っているから、調べてくれて。夫の死は悲しかったけれども、いま思えば、同時にそれまで見えなかった世界が一気に開かれた感じがありました。喜びと言うと語弊があるけれども、そういうものが書いてみたいなって思って。

(つづく)

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