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★まるごと1話試し読み★『5分後に切ないラスト』より「おやすみ、また明日」

5分後に切ないラスト』より、まるごと1話試し読み!

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「おやすみ、また明日」

 

あー、良く寝た。おっ、コースケじゃん。お見舞いご苦労。
いやぁ、参ったね。突然入院なんてさせられてさぁ。……なんだよそんなシケたツラして。え? あたしの顔色、そんなに良くない? あはは大丈夫だよ。ちょっと寝すぎただけ。
なんか突然交通事故に巻き込まれてさぁ、意識なくして、気が付いた時にはこの有様だったんだ。
でも、ちょこっと頭を道路にぶつけただけで、ホラ、こんなにピンピンしてるし。検査入院ってやつだよ。今まで病院なんてあんま来たことねーけど、検査とか入院ってマジ面倒臭くて退屈なのな。ただこうやってベッドの上に居ろって言われて、やることないから寝っぱなしだよ。
だから大丈夫だって。何てったってあたしの取り柄は頑丈なこと。ガキの頃から高二の今まで風邪一つ引いたことないんだ。コースケだって知ってんだろ? あたしの渾名は『不死身のふーちゃん』。だから大丈夫。そんなショボくれた顔すんなよ。
あ? 何? お見舞いくれるのか。何だ菓子かよ。もっとこう、血の滴る松阪牛とか持ってこいよ。
……なんて、ジョーダンジョーダン。あたしこのザラメ煎餅大好きなんだ。覚えててくれたんだな、コースケ。さすがは生まれた時から一緒に過ごした幼馴染みだ。
うまそうだけど、食うのは明日にする。なんか眠くってさ。もうひと眠りしとくわ。
良かったらまた明日、来てくれ。退屈なんだ。
じゃ、おやすみ、コースケ。

ふわぁー。またずいぶんと寝た気がする。いい加減起きるかね。
おぉコースケ、来てたか。おはよう……って、もう夕方か。なんか時間の感覚なくなるな、入院してると。
げっ、なんだこの腕。ホラ、見てくれよ。入院前はがっつりチカラこぶができたのに、こんなに細くなってる。
昨日は結局、寝ててメシ食いっぱぐれたんだ。ああ、点滴してっから栄養は大丈夫みたいだけどな。しっかし、ちょっと入院しただけでこんなに衰えるなんて、あたしもまだまだだな。退院したらちゃんと食って、リハビリして、運動もしねーと。
あっそうだ。せっかくだし昨日お前がくれたザラメ煎餅、一緒に食うか。
……あれ? ここに置いといたのにないな。あーこりゃ、盗み食いされたわ。うちの母さんに。母さんの奴、あたしが寝てる隙に持って帰りやがったんだ。くそー、楽しみにしてたのに。あとで抗議してやる!
え? 煎餅はまた買ってくるからそんなに怒るなって? ハハッ。コースケ、お前は相変わらず甘っちょろい性格してんな。
そう言えば、コースケはおむつの頃からあたしに毎日おやつ取られてたけど、そんなに怒らなかったもんな。そのくせ、あたしが誰かとタイマンはってちょっと怪我しただけで、烈火のごとく怒るんだ。
はいはいわかってるよ。心配してくれてたんだろ?
あたしがどんなに無茶しても、離れていかないのはコースケくらいだよ。いつも真面目に説教するだけでさ。
あー、昨日言い忘れてたけど、入院なんてしちまって、心配かけたよな。ごめん。
退院したらちょっとは真面目になるかな、あたし。コースケにこれ以上心配かけるのも悪いしさ。
なんだよ泣きそうな顔しやがって。恥ずかしいからそんなに見つめるなよ。
なんか眠くなってきたし、あたし寝る!
おやすみ。明日は煎餅買ってきてくれよ。

……なんか、頭がボーッとする。寝すぎた。
ああ、コースケ、今日も来てくれたのか。ん? お前、昨日とちょっと感じ違わないか? なんか大人っぽくなってる。
え? ああ、何だ。昨日あれから床屋に行ったのか。ずいぶん大人しい髪形にしたな。でもなんか似合ってるぞ。お堅い企業に勤めてるリーマンみたいで。
あれ? お前何か背も伸びてねーか? 前はあたしより小さくて、もやしっ子みたいだったじゃん。
え? 成長期の男子なめんなって? 中学の後半からもうあたしのこと追い越してたって? あはは、悪ィ悪ィ、気付かなかったわ。いつまでも『弱虫コースケ』じゃねーんだな。
あ? え? 何だよ内緒話なんて……え?
……なななな、何だよ! 何で今、好きとか付き合ってくれとか、そういうこと言うんだよ! なんだこれドッキリか? あのなぁ、いくらあたしが入院生活で退屈してるからって……え? マジなの? 幼稚園の頃からって……。
いやいやいや! 嫌だって言ってるわけじゃねーよ? ただ突然すぎて、ビックリして……。えーと、そう返事。返事だよな。
今じゃなきゃダメか? ちょっと今、心臓が口から出そうで、落ち着かねーんだ。ちゃんとコースケの顔見て返事したいし。なんか眠くなってきたし。
ごめんな。いったん寝て、起きてすっきりしたら、ちゃんと返事すっから。
おやすみコースケ。また明日。

あー。まーた寝すぎたか。暗いな。何時だ今。
あれ、誰だそこにいるの。コースケ……? コースケだろ。何だよカーテンの向こうから声出して。中入ってくりゃいいのに。
ん? ちょっと風邪気味だからそこでいいって? 風邪ぐらい大丈夫だよ。顔が見たいんだ。入ってこいって。あ? どうしてもダメ? わかった、そこでいいよ。
ホントは顔見て答えたかったんだけどさ。何って、その……告白の返事だよ。
ん、返事、ずっと待ってたって……? 何だよ、お前が告白してきたのはつい昨日じゃん。正直あたしまだ、心の準備ができてねーんだけど。ああ、わかってる。ちゃんと返事するよ。今。
えーと、その、あ、あたしもコースケのこと……。
あ……れ、なんか眠くなってきた。
ダメだ。ごめん、明日こそちゃんと言うから。今は寝かせてくれ。
おやすみコースケ。明日……。また、明日。

あ……コースケ。来たか。うん、今起きる。
あれ……なんか身体が重いな。全然力が入んねー。声もばーさんみたいにしゃがれてるし。
お前昨日、あたしに風邪移しただろ。ああ最悪だ。起き上がれやしない。
ん? 何か妙な感じがするけど、そこにいるのコースケだよな。なんか目がカスんで良く見えないんだけどさ……。
告白の返事をくれって? お前もせっかちだな。退院するまで待てねーのかよ。
え? 待てないって? わかった。答える。
コースケ、あたし、コースケのこと……。
ああ、眠い。まぶたがくっつきそうだ。でも今日は……言わないとな。
あたしもコースケが好きだ。
……言えた。言えたから、もう眠っていいよな。
おやすみコースケ。また明日。
明日も明後日も、ずっとそばにいてくれ。

* * *

白いベッドに横たわる『彼女』の言葉を聞き終えて、僕は心から安堵した。
この言葉を、僕はずっと待っていた。そう、ずっと前から。
感慨にふけりながらベッドサイドに佇んでいると、病室の扉がすっと開き、白衣に身を包んだ医師が姿を現した。
「患者が目を覚ましたと聞きましたが」
「はい、確かに覚ましました。ですが……」
僕はベッドの前から少し身体をずらし、医師に彼女の姿が見えるようにした。医師はそれだけですべてを察したらしく、軽く苦笑する。
彼女はベッドの上で規則正しい寝息を立てていた。すでに完璧に寝入っている。
「今回の覚醒時間は、五分ほどですか」

医師は彼女の脈を取りながら尋ねた。僕は軽く首を横に振る。
「いや、良くて三分というところですね。どこかボーッとしていました。完全に目が覚めていたわけではないようです」
「三分、ですか……。短いですね」
「はい。あっという間でした。……四十一年ぶりの覚醒だったのに」
僕は彼女が目覚めるのを待っていた。彼女の返事を待っていたのだ。
約束を果たすために。

ベッドに横たわる『彼女』は、十七歳の時に交通事故に遭った。
外傷は軽く、命に別状はなかったが、事故の際転倒して頭部を強打し、それが思わぬ後遺症を引き起こしたようだ。
事故直後は普通だったが、病院に搬送されてから数時間後、彼女は突然眠り始めた。それ以来、人生のほとんどを眠って過ごしている。
脳の傷が睡眠中枢を刺激しているのが原因らしいが、詳しいメカニズムは良くわかっていない。医師は『不定期過剰睡眠症候群』と仮の名を付けた。詳細がわからないのでただ見守ることしかできず、今に至る。
彼女は基本的にずっと眠ったままで、何をしても起きることはない。だが稀に、目を開けることがあった。その時の彼女は、ごく短時間だが会話を交わせる程度に覚醒する。まるで後遺症などなかったかのように、元気に笑うのだ。
事故後、彼女が今までに目覚めた回数は、先程のぶんを入れて五回。
初回から四回目の覚醒の時に、彼女の傍にいたのは偶然にも彼女の幼馴染みのコースケだった。
コースケは、彼女の事故後、毎日病院に通って眠っている彼女に話しかけ続けた。それが功を奏したのかもしれない。
一度目の覚醒は事故の翌日だった。
しかし二度目は、その一か月後だ。
三度目に至っては六年後。彼女とコースケが二十三歳の時だった。
そのあとしばらくして彼女の両親が亡くなった。しかし彼女自身は生きたまま、こんこんと眠り続けた。
コースケは彼女の身元を引き受け、彼女を見守り続けた。雨の日も風の日も。
そのコースケこそ、僕の父親の兄である、康介伯父だ。
康介伯父は三十五歳の時、彼女の四回目の覚醒に立ち会った。
三回目と四回目の間は約十二年。つまり覚醒の間隔はどんどん長くなっていた。しかし彼女自身は一日程度しか経っていないと思い込んでいたようだ。
鏡もなく代わり映えのしない病室の中、ごくわずかな間だけ意識を取り戻す彼女にとって、時間の経過が曖昧になるのは仕方のないことだろう。

医師と彼女の関係者たちは、彼女にショックを与えないように、時間の経過を隠そうと話し合っていた。伯父は四回目の覚醒の時、相応に年を取った姿を見られないようにカーテンの後ろに隠れたという。
僕が生まれたのは、その四回目の覚醒のあとだ。寝たきりの彼女に、どうして康介伯父が付き添っているのか、幼い頃からずっと不思議だった。
時はさらに流れた。五度目の覚醒がいつ起こるのか、あるいはもう起こらないのか、わからぬままに。
僕が伯父から事情を聞かされたのは昨年のことだ。四度目の覚醒から四十年の月日が経とうとしていた。
康介伯父は、彼女の事故とそれによる後遺症を僕に説明し、さらに自分と彼女の関係を聞かせてくれた。
僕は康介伯父がずっと独身を通していた理由をその時初めて知った。
伯父は彼女に寄り添いながら、彼女が再び目を開けるのを信じていた。伯父の気持ちに応えてくれるのをずっと待っていたのだ。
愛の一言で片づけてしまうには余りにも長い時間だった。甥の僕でさえもう中年になっており、妻子がいる。
伯父は長い時間一人で彼女を見守り続けた。そしてその果てに僕に言った。彼女のことを頼む、と。
すでに七十五歳の康介伯父の肺には癌が巣食っていた。もう先が長くないことを知り、僕に彼女を託したのだ。
僕は伯父と約束した。
彼女の五度目の覚醒に立ち会うこと。そして、彼女から告白の返事を聞くこと。その後彼女が息を引き取るまで、伯父の代わりに見守ること。
伯父は僕が頷くのを見ると穏やかに笑った。それから数か月も経たないうちに癌が悪化し、息を引き取った。
正直、彼女の五度目の覚醒は絶望視されていた。再び目覚める前に眠りながら死を迎える確率の方が高いと思われていた。
そして万が一目覚めても、僕が席を外している時だったら意味がない。僕は伯父の後を引き継いで彼女を見舞った。かつての伯父がそうしたように、仕事の合間を縫って多くの時間を病院通いに充てた。
いつ目が覚めるかわからない以上、賭けのようなものでしかなかったが、しかし不思議と、僕はその賭けに勝てるような気がしていた。何といっても僕には伯父との約束がある。彼女のことが絡むと、何か不思議な力が働いているように思えたのだ。
かくして、僕は賭けに勝った。

老化のせいで目が良く見えず、彼女は僕のことを康介伯父だとカン違いしていたらしい。だが時間の経過が露見せずに済み、かえって良かったと思う。
「もう、彼女が目覚めることはないかもしれませんね」
医師は無機質なパイプベッドを見下ろした。そこには真っ白な髪をした小さな老女が眠っている。
老女の瞼は固く閉ざされていた。先程覚醒した時も身体に力が入っておらず、夢うつつだった。医師の言う通り、おそらく彼女はこのまま穏やかに死を迎えるのだろう。
確実に小さくなっていく命の炎の向こうに、僕は康介伯父の姿を思い描いていた。
軽く口角を上げて、静かに彼女を見つめていた伯父の姿を。
「覚醒に立ち会えて良かったです。彼女の気持ちが聞けました。これで心置きなく、伯父と一緒のお墓に入れることができる」
僕の言葉に、医師の表情が緩む。
「そうですね。あなたの伯父上は、長いこと、お一人で待たれていた」
康介伯父は願っていた。彼女を精一杯抱きしめることを。
そのために、彼女の気持ちを聞いておきたいのだと言っていた。
彼女はじきに本当の眠りにつく。そこでやっと、二人は一緒に過ごせるのだ。
穏やかに寝息を立てる彼女の傍に、僕は身を寄せた。
そして皺だらけの手を握ってそっと囁いた。

「おやすみなさい。良い夢を」

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