単行本 - 日本文学

語り、語られる「間」 いしいしんじーー『北野武第一短篇集 純、文学』書評

語り、語られる「間」

いしいしんじ(小説家)

 あらゆる「語り」でこの国の文化をつぎつぎと刷新してきた著者による初の小説集。
 五つの短編が収められている。そして、小説自身が、喋る、走る、語る。とちゅうから著者自身、余裕で手綱を放し、作品たちが突っ走るがままにまかせている。
 「ホールド・ラップ」では、売れない中年漫才師が、不満、悪態、たわごとを、リズムが合っているのか合っていないのか、よくわからないラップでつぶやきつづける。客席にいる誰の顔も見えなくとも、漫才師は、魂をひくひく痙攣させながら、唾にまみれたライムを吐く。彼には、それしか、うまくできることが他にないから。
 「実録小説 ゴルフの悪魔」。O橋K泉、石坂浩二、松尾雄治、リー・トレビノにトム・ワトソンと、つぎつぎに実名と、虚実まじえたグリーンの夢のようなエピソードがつらなる。和田アキ子なら、カップに入れた手が抜けなくなれば、ほんとうにグリーンごと持ちあげてしまいそうだ。とりわけ、この話のなかの長嶋茂雄は、古今亭志ん生の最高の噺に出てくる熊さんか八つぁん並にすばらしい
 「誘拐犯」。ロアルド・ダールがひと晩だけよみがえってエンピツで書ききった。と説明されてもふしぎじゃない。冒頭、少年が誘拐され、家政婦のフィリピン人イザベルが「ヘルプ! ヘルプ!」と悲鳴をあげる、その瞬間からきなくさい、透明な煙が小説内にたちこめる。意識して、のことではない。眠りからさめかけた休火山のように、語っている著者の奥から、自然現象として浮きあがってくる。それしか、うまくできることがない者がそれを正真うまくやろうと試みる。そのことは、南極をわたる風音や雪の結晶の、そうでしかあり得ないうつくしさに通じてゆく。
 「粗忽飲み屋」。北千住西口にある焼き鳥屋「吉田」に、昔なじみの三人の客と店主が集う。四人が「ホールド・ラップ」さながらに喋り、走り、語り、死にかけ、よみがえり、また死にかける。とちゅうから何人いるか、語っているのが誰かわからなくなり、またそんなことどうだって構わなくなる。意味やたくらみ、テーマなどなにもない。語り、だけがここにある。語ることなら、誰よりもうまくやれる人間のさしだす「語り」。長嶋茂雄が「ほら、これですよ」と、バットを差しだしてみせるのと同じことだ。
 「居酒屋ツァラトゥストラ」。酒場のカウンターで繰りひろげられる数学論。哲学。多次元宇宙論。ひも理論ならぬ泥縄理論。こちらも語りの骨頂。バットではなく、革紐で編まれたグローブか。著者が飲み屋に集め、語り語らせる人物たちは、ロベルト・ボラーニョの作品世界に、そのまま土足で踏みこんでいっても堂々となじめそうだ。
 すべての作品を通じ、見えない、きこえないコトバを感じる。「間」とでもいうんだろうか。その、ブレス、隙間で、著者は語りをすすめてゆく。インクでなく「白地」、具でなくて「だし」。絵でいえばドガのような、光をこえる速さのデッサン。音楽ならグレン・グールドのピアノ。「間」が、かがやく。「間」が豊かに響きわたる。目や耳でない、そのさらの奥の感覚へ。

 私事になるが、三十年前、よく隅田川沿いの隅田公園で寝泊まりしていた。部屋は近くに借りていたが、ホームレスのおやじたちと飲みはじめるとそのままベンチや橋の下で眠ってしまうのだ。木曜の朝には、統一教会の炊き出しが来た。僕もからだにタオルを巻きつけ、地べたにすわり、三十人ほどのホームレスにまじってその順番を待った。
 いちおう教会だから、食べものを配る前に聖書にちなんだ説教がある。くどくどと長い話に、みなのうっぷんが募る。そこでヤジが飛ぶのだが、さすが、さまざまな修羅場をくぐってきたオヤジたち、ガスの抜き方を痛いくらい熟知している。
「ハレルヤッ! あのよ、ハレルヤッ、だっての!」
「アーメン、もう、アーメン! アーメンでいいからよっ!」
 説教が終わり、最後に賛美歌をうたう。オヤジたち全員が立ち、手を後ろで組む。みな大口をあけ、暗記した歌詞を、いっせいに歌いだす。

 

 (一番)
  神様 ゆるして
  神様 ゆるして
  神様 ゆるして
  神様 ゆるして

 (二番)
  神様 ありがとう
  神様 ありがとう
  神様 ありがとう
  神様 ありがとう

 

 配られる飯は、毎回同じ。みそしるをぶっかけたごはんの上に、ハム二切れと白菜キムチがのっている。食べ終えると皆が皆ひとことも発さずプラの器をゴミ袋に投げいれ、怒りをかみしめたみたいな顔でそれぞれのねぐらに戻った。
 思いだしてつい長々書いてしまったのは、著者の語りに、記憶の底をかき乱されたからだ。東京下町にたちこめていた独特のにおいは、もう望んでも、かき消され、塗りこめられて消失してしまった。ウンコビルの横に巨大生ビール、背景にスカイツリーが建つ壮大な、失敗した天才バカボンのような風景。ホームレスもストリップの老女も、片手しかないおでん屋台のオヤジも、あのにおいみたいに、東京のLEDの光にかき消されてしまった。
 せめて、語ること。語られ、語り、「間」をひろげること。目にみえず、きこえないそこでなら、ホームレスもヤクザも片輪者も、食って笑って生きていかれる。語ることしかできず、だからこそ、誰よりも真摯に語る著者の「第一短篇」。それなら、第二、第三、そのまま第百、いきなり第千。壮大な「間」をジャンプし、ブラックホールをひろげていただきたい。ホワイトホールを抜け、光のなかまわりを見わたせば、白い月のとなりに浮かび、ゆっくりと回転をつづけながら、この天体の青い光を見おろす、巨大な胎児になっているかもしれない。

 

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