単行本 - 日本文学

【第1章全文無料公開】李龍徳『あなたが私を竹槍で突き殺す前に』第7回 「要塞都市」鶴橋


世界は敵だ。希望を持つな。殺される前に、この歴史を止めろ。

日本初、女性“嫌韓”総理大臣誕生。
新大久保戦争、「要塞都市」化した鶴橋。
そして7人の若者が立ち上がる。

新世代屈指の才能が叩きつける、怒りと悲しみの青春群像。


李龍徳
あなたが私を竹槍で
突き殺す前に

第1章「柏木太一 大阪府大阪市生野区 三月三十日」
全文無料公開
(毎日更新)
※第一回配信はこちらから※

シーンごとに震えの走る衝撃作。ぜひお楽しみください。
* * * * * * * * * * * * 

絶賛の声、続々!

日本の「今」に投げ込む爆弾のような挑発的問題作
柳美里

恐ろしい。血が騒ぐ。まがまがしくも新しい在日の物語が生まれた。
梁石日

この痺れるようなディストピアの過剰摂取は、
ぼくたちを“深淵(しんえん)の祈り”でつらぬく。
真藤順丈


* * * * * * * * * * * *

 

第7回 「要塞都市」鶴橋


差別が「正しい」行いとなってしまった世界で、はたして反攻の方法はあるのか。あるのならどこに? そしていつ、どのように? 太一は尹信(ユンシン)へと語り続ける。世界を覆いつくす憎しみの連鎖を。見えない無数の暴力の存在を。

 

「問え!」
「日本を愛せ!」
「日本を愛せ!」
「皆様、今度の衆議院選挙ではどうか我が党『新党日本を愛することを問え』に、切実なる、血の一票を投じてくださることを、心から願います」
 神島の背後にある「血の一票を!」という垂れ幕の一つを、カメラが映す。
「忠誠を!」
「忠誠を!」
「さて我が党の、今度の新しい公約ですが『議員定数の半減』を我が党は絶対にこれを実現させます。次に、我が党の柱となる福祉政策として『ベーシックインカムの導入』を、外国人は決してその対象としないことを固くお約束した上で、いよいよ本格的に訴えようと思います。これが実現すれば──」
 太一は動画を止めていた。モバイルをテーブルの上に置く。
「これで、神島のスピーチのうまさはわかってくれたと思う。内容はでたらめでも、ごまかしでも、あの抑揚と声質と、ボディランゲージ、身のこなし、そしてハンサムなあの顔は──」
 太一さんのほうがハンサムです、と彼は言った。スンデの残りをトッポッキのタレに付けて食べていた。
「え?」と驚き「まあ、でも神島ほどじゃない」と太一は反射的に言った。そう言ってから、じゃあ自分はある程度はハンサムだと無意識では思ってんだなと、太一は自己認識の愚かさを楽しむ。
 ハンサムです、と彼は繰り返した。
 ところで太一は会った初日から気づいていたことではあるが、アメリカ帰りだから特にそうなのか英語を発音するときにはあえて、日本語流のカタカナ発音を意識して彼は言葉を発しているようだった。
 年上の太一を前にして彼は、お酒を飲むとき横を向いて片手で口元を隠す。太一に手酌を絶対にさせず、盃が空になれば必ず酌をしてくる。そういう前時代的な韓国の風習やマナーを、太一は決して是認しないが、それをしてきたがる彼を、あえて否定もしない。
 また、その韓国人らしい振る舞いに後背の席の男たちがいよいよ嬉しそうに目を見開いているのを、太一は感じていた。指でもさして、おい見ろよ、と仲間に喚起(かん き)していた。
 ネットでは「在チョン・帰化チョンを純粋日本人と見分ける方法」というマニュアルが流布されていて、そのなかの二例を今、彼らは目撃したのだ。そのうちの酒を飲む際の例の他には、──目上の人との握手のときには別の手を添える、というものがあってだから相手のルーツが朝鮮半島かどうかを「炙り出す」ために、握手をしにいくことをそのサイトでは推奨していた。
 相手に意図を隠して握手を求める、そのときの反応で何者かを峻別し、あとの対応を分ける、そういうテストがいかに非人道的で残酷な行為かわかっていないような、──本当はわかっているはずなのに、ぎこちない、笑顔の引きつった、そうした下卑た握手を求められたことが、太一も幾度かあった。
「時雨(シウ)事件から在日差別、韓国人差別はひどくなって例えば、観光客減と悪戯防止を理由に、全国の電光掲示を含めた案内板のほとんどからハングル表記が消えた。この鶴橋や新大久保ではそれはないけど、他の町の韓国料理屋なんかでは『私たちは日本を愛しています』とか『竹島は日本領土』とか『経営者は日本人です』とかいった貼り紙やステッカーがベタベタ貼られるようになる。けど、効果なくてほとんどが廃業に追い込まれたね。焼肉屋は『焼肉は日本料理です』と宣伝して『日本式焼肉』とか『純和風焼肉』とかに看板を変えて経営を続けているところはある。韓国語はもうほとんど敵性語で『カルビ』は『ともばら肉』とか単に『ばら肉』と呼び変えられて、それから『キムチ』も『辛味漬物』となったけどそもそも、もうキムチなんて日本のスーパーとかで全然見ないんじゃない? それから、世界的に有名な漫画家が、自分の作品の韓国語版を今後は出版させない、アニメ放映も許可しない、って発表した。──知ってんの? シン君」
 これまでになく何度もしっかり、うなずく彼の反応を見て太一は、
「やっぱりアメリカでも有名なんだね」と感心する。「僕はあまり漫画とかアニメとか、映画や小説や音楽もよく知らないんだけどね、その漫画家の大人気の連載作品では最近、韓国人っぽい名前と韓国人を悪くカリカチュアした顔の敵軍団が、いかにも下劣で悪賢いキャラとして出てきてるみたいじゃない。コメントでも『かの国にはもう我慢がならない』とか『かの国の暴挙に漫画家としてできることをしたい』とか載せてるらしいけど、少年誌にそんなこと載せるなよって。僕の知り合いの子供が、まあその子もすでに高校生なんだけど、その子が言うには他のどのことよりもその漫画家が韓国批判を始めたことがいちばんショックだったって。シン君もわかる? わかるのか。まあそういうもんかもね。小説や映画ではもっと以前から、韓国批判や在日批判の取り込みを当たり前にしてたみたいだけど、漫画はやっぱりずっとメジャーでワールドワイドだからね。その問題の漫画も、軸はしっかり勧善懲悪で弱者を扶(たす)けて子供には夢を与えるというストーリーだったみたいだから、これに衝撃を受けた在日の子供は、まあ大人も、少なくなかったみたい。他にも、──応援してたアイドルに言われて初めて自分たち在日韓国人が日本中から嫌われていたと知って、自殺した子もいた。まあその自殺もニュースになんかならずに僕は人づてに知っただけだけど。とにかく僕だって、実は僕は将棋が幼いころからの趣味だったんだけど、ずっと尊敬していた棋士の一人が雑誌上で極右差別者の小説家と楽しそうに対談するのを見て、それからもう駒に触ることもできなくなったもんね。意外な方面からの、意外なほど大きなダメージがある」
 窓の外、赤い残照はすっかり消えていた。JR鶴橋駅の灯りをともしたホームに、乗客の顔がはっきりとわかる煌々とした電車が入る。商店街側ではないその静かな通りには、人影もまったく見られなくなっていた。
「排外主義者たちの夢は叶った」そう太一は言った。「元特別永住者の権利は一般永住者と同等になり、つまり再入国手続きは煩雑になって、国外追放処分は容易となった。帰化申請に元特別永住者が殺到しているというニュースに『生活保護目当てだ』とか『犯罪予備軍が強制送還されたくなくて列をなしてる』とか指さしての嘲笑が起きる。在日コリアンには税制上の優遇や抜け道や、生活保護を受けるための裏ルートがあるといまだに信じている、こんな時代になってもいまだに信じている! そういう連中が、消えずに一定数いる」
 溜め息を、太一はつく。
「さて一方で、日本国籍への帰化申請の運用にて、在日コリアンは不当に排除されているという説に『それは正しい行政判断だ』と手を叩く層も強固だ。在日コリアンによる犯罪率が上昇しているという調査結果に眉をひそめながら、内心は嬉しそうだ。猶予期間も短いうちにほとんど突然生活保護を打ち切られたら、それは生きてゆくために犯罪に手を伸ばす在日同胞も出てくるさ。しかしその在日同胞が逮捕されてそして有期刑以上になれば──この厳罰化の流れではそうなる可能性のほうが高いのだけど──法改正後の、ただの『永住者』としてやはり強制送還となる。これを報道で見て排外主義者たちは『今日も一匹巣に帰らせた』とか『駆除成功』とかって喜ぶ。空港での泣き別れの映像。そうして家族と離れ離れになってしまうケースもあるけど、そんなの奴らは知ったことではないのだろう。むしろ自業自得として更に快哉(かいさい)を叫ぶ。それまで正当に受けていた生活保護費を、急に奪われてそれで抗議の焼身自殺を遂げた在日同胞のご老人もいるけど、現代ではもう誰も国際社会も含め、老人一人の焼身自殺ぐらいでは振り向いてもくれない」

 

第8回へ続く

第8回「世界は敵だ。希望を持つな。」は、3月18日 10時更新予定です

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著者

李龍徳(イ ヨンドク)

1976年、埼玉県生まれ。在日韓国人三世。早稲田大学第一文学部卒業。2014年『死にたくなったら電話して』で第51回文藝賞を受賞しデビュー。2016年、第二作『報われない人間は永遠に報われない』が第38回野間文芸新人賞候補となる。2018年に第三作『愛すること、理解すること、愛されること』を刊行。本作『あなたが私を竹槍で突き殺す前に』は、「文藝」2018年秋季号(7月発売)〜2019年秋季号まで、1年あまりにわたって連載された、原稿用紙にして700枚におよぶ渾身の長編作である。

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