単行本 - 日本文学

【第1章全文無料公開】李龍徳『あなたが私を竹槍で突き殺す前に』最終回「殺される前に、この歴史を止めろ。」


世界は敵だ。希望を持つな。殺される前に、この歴史を止めろ。

日本初、女性“嫌韓”総理大臣誕生。
新大久保戦争、「要塞都市」化した鶴橋。
そして7人の若者が立ち上がる。

新世代屈指の才能が叩きつける、怒りと悲しみの青春群像。


李龍徳
あなたが私を竹槍で
突き殺す前に

第1章「柏木太一 大阪府大阪市生野区 三月三十日」
全文無料公開
(毎日更新)
※第一回配信はこちらから※

シーンごとに震えの走る衝撃作。ぜひお楽しみください。
* * * * * * * * * * * * 

絶賛の声、続々!

日本の「今」に投げ込む爆弾のような挑発的問題作
柳美里

恐ろしい。血が騒ぐ。まがまがしくも新しい在日の物語が生まれた。
梁石日

この痺れるようなディストピアの過剰摂取は、
ぼくたちを“深淵(しんえん)の祈り”でつらぬく。
真藤順丈


* * * * * * * * * * * *

 

最終回 殺される前に、この歴史を止めろ。

これは、現代の日本で人知れず進行しているかもしれない物語だ。生きるための場所を、奪い、奪われる者たちの怒りと悲しみの叫びであり、祈りだ。−−太一は、計画のために必要な駒はほぼ揃ったと確信する。いま、反攻の時がはじまる。私たちは、この爆弾のような物語のゆく先を目撃する。

 

「シン君、尹信(ユンシン)君。君と出会えて本当によかった」そう太一が言うと、ものすごく照れた、あまりにまっすぐな喜色を彼は見せる。彼の青白い肌がこの寒風の外気に光っていた。興奮するとそのゴム製みたいな肌には更に青の濃い血管の筋が稲光のように、珊瑚のように、首から顔にかけて走る。先ほどの強襲者三人は、そのビジュアルを目に焼きつけたことだろう。自らの生命が終わるかもしれないという恐怖と対峙したはずだ。かつて俺もそれと対峙した、──と太一は思い返す。彼に「おまえなんか五分で殺せる」と、脅し文句でない真実を突きつけられたのが、出会いのほぼ始まりだ。
 しかし、──とも太一は思う。あちら側に、君のような暴力のエキスパートがいなかったことは、それはただの運だ。反対の現実だって大いにあり得た。そしてあの愚かな足立翼が左派陣営で、処世に長けた神島眞平が右派陣営だったというのも、これもまた運だ。
 ただの運だからこそ太一は、そうは言っても尹信に、その出会いに、さほど感謝する気は起こらない。出会いに感謝するという発想がまずない。在日韓国人はすべて地下組織で繋がっていると本気で思っている無知な日本人がたまにいるが、いくら数が減ったからといってそんな全体を網羅できるはずもなく、尹信と出会えたのは、妻の手引きであり、もっと言えばキム・マヤさんのお兄さんとの出会いのほうがよっぽど稀少で幸運だったのだが、そちらのほうにしたところで、今は大阪市生野区に住んでいる、元恋人からの紹介があってこそのもので、つまりはすべてが過去からの理路整然とした流れだ。
 太一は運命論をはっきり相手としない。感謝や報恩も、それをしすぎるという人情に嵌まることがない。人間関係とはただの積み重ねだ。他人のおかげと過大視することもなく、他力は無用と自己過信することもしない。しかし積み重ねとは時間そのものであり、時間そのものは決して軽視できるものではなく、今こうして駒が三枚揃った。
 必要な駒のうちの三枚、あるいは三枚と半か。とにかく犠牲者遺族という駒はこれ以上ないほどに貴重で象徴的だ。よって計画も現実味を帯びてきた。まだ揃ってない残り二枚のうちの一枚は、ほとんど手中にあるも同然で、その説得も容易すぎるほど容易だろう。問題は最後の一枚だが、これはまずその人探しから始めないといけないし、すでに緩く始めてもいるのだがなかなかに難しい。今後も虎穴に出入りしなければならない。また人選が済んだとして、そのあとの覚悟が非情だ。時計の針が進まないことを願う気持ちのないわけでもない。しかし、世界を変えることが人のできる最大のことで、だから世界を、もしかしたらわずかにでも変えられるかもしれないと、そう光明を見たときには、狂信的とか非倫理的といった謗りを受けようとも、命を、あるいは命以上のものを犠牲にしてでも、行動者はその可能性に殉じなければならないのだ。
 なんとはなしにそのままJR鶴橋駅の改札口に行き着いていたが、このまま大阪観光を続けるか、それとも明日の予定もあるので少し早いがホテルに帰るか。
「質問はない? シン君」と太一は訊いた。
 少年時代から長く、質問すること自体を父母に封じられてきた尹信は、そのことを無制限に許された状況に戸惑い、ふわふわし、不慣れな日本語とも格闘しながら、ようやく口を開いたかと思うと続けざまに、
「ジミントウ、って、なんの略ですか? そしてカイライって? あと、ピンクウォッシュって?」
 太一は哄笑した。そして嬉しげに、
「やっぱり記憶力すごいね、シン君。うん、ちゃんと教えてあげる」
 世界とは大衆のことであり、世界の意思とは大衆の意思のことだ。──最終の敵はいつだって大衆。そしてそれには絶対に勝てない。言っとくからね。勝とうと思っては絶対に駄目。正面からぶつかっては駄目。別のやり方を、だから探るのよ。
「シン君、それでも僕は大衆に勝ちたいと思ってるよ。どうしても勝ちたい。僕はやっぱり大衆を、この世界を、打ち負かしたい、打ち倒したい、こちらの勝利を知らしめたい。だけど、歴史を学べと言われた。歴史を把握すれば、ナポレオンの登場と退場も、大衆の意思と知れる、すべては大衆の意思、しかし私たちはそこに参加できる、と。生きているということはそこに参加できるということだ、って。──でもね、シン君。参加できるという以上のことが、反攻が、いったい僕たちに、できないものかねえ」

 

(第1章 了)

 

※第10回は、「文藝」2020年春季号掲載の連載完結記念対談 柳美里×李龍徳「未来への苛烈な祈り」を配信いたします。3月20日 10時更新予定です。

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著者

李龍徳(イ ヨンドク)

1976年、埼玉県生まれ。在日韓国人三世。早稲田大学第一文学部卒業。2014年『死にたくなったら電話して』で第51回文藝賞を受賞しデビュー。2016年、第二作『報われない人間は永遠に報われない』が第38回野間文芸新人賞候補となる。2018年に第三作『愛すること、理解すること、愛されること』を刊行。本作『あなたが私を竹槍で突き殺す前に』は、「文藝」2018年秋季号(7月発売)〜2019年秋季号まで、1年あまりにわたって連載された、原稿用紙にして700枚におよぶ渾身の長編作である。

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