単行本 - 日本文学

高橋源一郎氏による『そして、みんなバカになった』「はじめに」全文公開

小説・評論・エッセイ・古典の現代語訳・マンガ・イラストなど、幅広い領域で活躍された橋本治さん。2019年1月29日に惜しまれながら逝去されたあとも、その存在の大きさは増すばかりです。

 

2020年4月末に刊行した、橋本治さんのインタビュー集『そして、みんなバカになった』(河出新書)も数多くの反響をいただき、早くも3刷が決まりました。重版を記念して、本書収録の高橋源一郎さんによる書き下ろしの「はじめに」を公開します!

 

はじめに  「橋本治」とはなんだ?

高橋源一郎

 この本を手にとったみなさん、こんにちは。

 みなさんは、「橋本治」という人の本を読むのは初めてでしょうか。それとも、もうたくさん読んでいて、「橋本治」のことならなんでも知っている(と思っている)のでしょうか。どちらでもかまいません。だって、「橋本治」という人は、ものすごく有名なのに、実はほとんど知られてはいないんじゃないか、ってぼくは思っているからです。

 橋本治さんは1‌9‌4‌8年3月生まれ。なので、1‌9‌5‌1年1月生まれのぼくより3学年上の世代になります。3つ年上のお兄さん、ってことですね。この本を手にとる若い人たちにとっては、まだ生まれてもいない大昔の1‌9‌6‌8年、東京大学の駒場祭という大学祭でのポスターが大きな話題になりました。いまから考えてみると、たかが大学祭のポスターが新聞やテレビで取りあげられるなんて不思議なことですが、そうなるべき理由があったのです。

 騒然とした時代でした。ずっと続いていたアメリカによるベトナム(への)戦争とそれに反対する反戦運動、そしてその時代に盛り上がっていた様々な文化運動は、69年にその頂点を迎えます。日本でも激しい学生運動が起こっていました。その中心が東大であり、その東大の大学祭のポスターは「とめてくれるなおっかさん 背中のいちょうが泣いている 男東大どこへ行く」というコピーのもとに、東大のマークのいれずみをした男の後ろ姿を描いたものでした。ヤクザ映画の宣伝ポスターみたいだったのです。というか、なんだか歌舞伎のポスターのようにも見えました。当時高校生だったぼくは、「ああ、なんてカッコいいんだ!」と唸ったのでした。ぼくのように、このポスターに憧れた若者は多かったでしょう。忘れることのできない一枚だったのです。でも、このポスターを描いたのが「橋本治」という人だってことは知りませんでした。もしかしたら、当時、名前がどこかに載ったかもしれないけれど、そんなことはすぐ忘れてしまいますよね。

 そして、時が流れました。およそ9年後、「橋本治」は、「桃尻娘」という、ちょっとエッチな青春小説を書いて、ある雑誌の新人賞の「佳作」になります。「佳作」っていうところが、橋本さんらしいですね。この小説は翌年、単行本になり、その年、映画化されました。「日活ロマンポルノ」の一作として、です。ぼくは、小説も読んだし、映画も見ました。「ああ、あのポスターの橋本さんなんだ」、そう思った記憶があります。

 ぼくは、その頃、肉体労働をしていました。そして、いつか、自分が過ごした「あの時代」を小説として書きたいと思っていたのです。早く書かなきゃ。そうしなければ、誰かに先を越されてしまう。正直なところ、そんな気分もあったように思います。

『桃尻娘』の二年後、1‌9‌7‌9年、二つの本が本屋の店頭に並びました。一つは、村上春樹さんのデビュー小説『風の歌を聴け』、もう一つが、橋本さんの『花咲く乙女たちのキンピラゴボウ』という少女マンガ評論でした。その後の村上さんの活躍は、みなさんもご存じの通りです。村上さんは、1‌9‌4‌9年1月生まれで、ぼくの2年上、橋本さんより1年下になります。村上さんは、『風の歌を聴け』で鮮やかに「あの時代」を描きました。いや、直接、書いたわけではありません。けれども、『風の歌を聴け』の中には、「あの時代」の空気が十分すぎるほど書きこまれていたのです。それに比べると、橋本さんの『花咲く乙女たちのキンピラゴボウ』は、評論だったせいもあって、一部のマニアを除けば、話題になることはほとんどありませんでした。

 ぼくは、この2冊の本に大きなショックを受けました。それは、「あの時代」を先に描かれたことであり、また同時に、この2冊が、時代を直接に描こうとはしていなかったことです。そうなのか。そんなやり方があったのか。心の底から歯噛みするほど悔しかったのです。

 でも、変ですよね。村上さんはともかく、橋本さんが書いたのは評論です。しかも、少女マンガがテーマの。「あの時代」のことを書いているわけじゃないのに。

 ぼくにはわかったのです。なにかについて直接に書くよりもずっと大切なことがあるってことが。

 橋本さんは、「あの時代」について書こうとしたのでしょうか。それは、ぼくにはわかりません。橋本さんは、ただ正直に、感じたこと、書きたいと思ったことを書いた。それはたまたま少女マンガについての評論だった。それだけのことでした。

 ぼくもまたマンガ、もちろん少女マンガのファンでした。でも、そういうことって、すごく「個人的」な趣味で、他の人にいうことじゃないと思っていたのです。橋本さんは、そうではありませんでした。自分がいちばん興味があることを書いたのです。そして、それは同時に、時代や社会について書くことにもなっていました。そんなことがありうるのか。ぼくには信じられなかったのです。そして……いえ、この先は、本文を読んでから最後にお伝えすることにしましょう。その方がずっとわかりやすいはずです。では、後ほど。

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著者

高橋 源一郎

1951年、広島県生まれ。81年『さようなら、ギャングたち』で群像新人賞優秀作を受賞しデビュー。『優雅で感傷的な日本野球』で三島賞、『日本文学盛衰史』で伊藤整文学賞、『さよならクリストファー・ロビン』で谷崎賞を受賞。

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