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16歳、文藝賞優秀作で作家デビュー! 大人になる一歩目の瞬間を捉えた、新胡桃『星に帰れよ』【試し読みあり】

第57回文藝賞優秀作受賞者は新胡桃(あらた・くるみ)さん。16歳の高校2年生です。文藝賞史上2番目に若い受賞者となります。受賞作『星に帰れよ』で描かれるのは、作者と同じ16歳の高校生3人の世界。
家庭に問題を抱えながらも、クラスでは明るい「変わり者」キャラとして振る舞う、「モルヒネ」というあだ名の女の子。その親友で美人の麻優(まゆ)。その麻優に恋するサッカー少年・真柴(ましば)。夜の公園で、麻優への告白の練習をしているところをモルヒネに見られた真柴が、翌日思いがけず、その麻優から告白されます。しかし麻優は「私のこと好きっぽいから」という理由で告白してきたらしく、真柴の名前さえあやふやな様子なのですが──。

3人のさらに詳しいプロフィール

 

文藝賞の選考委員からは、「自意識の中に逃げ込まず、戦う主人公と著者の姿勢に胸打たれた」(島本理生氏)「時代は変わった。対人関係における意識の鋭敏さ、自己の客観視の強さに驚かされた」(穂村弘氏)、と称賛されています。
この清々しい才能にふれていただきたく、冒頭を公開します。

 

新胡桃  星 に 帰 れ よ

 

「コヨーテって一体何? 世界の隅まで冒険し隊、春の特別編!」

 映し出されたテロップの感嘆符までをも律義に読んだその時、鼻血が落ちた。「お姉ちゃん、独り言うるさいよ」という妹の声。痛みなしに鮮やかな血が体の外へ飛び出てくる事、自分が血と肉をでっぷり蓄えた生き物である事が怖い。人間である生々しさは、確かにここで息づいているのだ。

 コヨーテという語の響きから、すぐに私は遠い国の民族を連想した。瞬く間に口が渇く程の熱い外気、ギラギラと日焼けした男たち、長い睫毛の赤子に乳を与える、ふくよかな女たち。そして未開の集落に紛れ込んだ冒険者。

「コヨーテは体長約一メートルの哺乳類です!」

 私の空想はむなしく打ち砕かれた。その間にも、床には物騒な点々模様が広がっていく。

 ティッシュティッシュ、と声に出して部屋を見渡すと、モノが果てしなく散乱し、渦となっていた。靴下の山、角が折れたプリントのかさなり。自堕落と妥協が淀んで、重い空気を吐き出している。飲み込まれると憂鬱。でも片付けない、面倒くさいから。

 じっとり赤く染まった右手で卓上ティッシュを抜き取る。人を殺めてしまったみたいだと思い、あわてて鼻に詰め物をした。

 コヨーテはオオカミに似ているが小型でキツネのような太い尻尾をもつ動物で、北アメリカに生息するらしい。開始五分で謎を解いてしまうこの番組の大胆さには少し興味があるが、私は電源ボタンを押した。途端に液晶がおとなしくなる。

 噓と冗談の違いを教えて欲しい。不謹慎とか冗談とかオチ、そんな言葉をモットーに生きる人間として、切にそう思う。

 スマホの通知音がけたたましく耳に障った。「今回もめっちゃ面白いよ」「モルヒネほんと最高」「また百万再生いくかなー」砂利に心臓をこすり合わせたような心地がして、私はすぐに電源を切る。ブ、と短く震えたのを感知すると、ゴミ箱へとそれを投げ入れた。ついでに詰め物も鼻から抜いて投げたが、軌道が少しずれて、音もせずにフローリングへと着地してしまった。これは私の鼻孔の型だから、ある意味で個人情報だなと少しだけ考えたが、そのままにしておく。

「いってきまーす」

 私はもうとっくにしおらしくなった小鼻を撫で、財布を手に夜へと紛れ込んだ。自分に特別な事をしてあげたくなる、そんな夜に。

 

 

 

「店内でお召し上がりですか?」

「いや、持ち帰るので」

 ありがとうございました、の声を背に俺が向かった先は公園。まだ生暖かい九月下旬の夜中、あつあつのチーズバーガーを静かにバッグへと入れる。

 花火大会を通り越した郊外の星空は、ふと見上げた人々の足を止めさせるくらいの価値がある。でもそれだけ、それだけしかないくせに俺を見下しているから気に食わない。

 客には笑顔で接し、煙草は決められた場所で。この国を円滑に回している常識のさまざまを、ふと考えた。深夜に男子高校生が公園のベンチに腰掛けているのは世間のマナー的にどうだろうか。誰かといちゃついているわけでもなし、不審なだけだろうか。考え事やめ。時計塔は十二時ちょうどを指していた。

 ハッピーバースデー俺。

 今、真柴翔(ましば・しょう)は晴れて十六になった。ジュウゴ、よりも高校生感がちょっと増した響きの一方で、背丈はさほど伸びていない。

 スポーツ選手みたいな体型だったら俺、もっとモテたろうな、いやその前にこの童顔をどうにか、そもそも早見(はやみ)はどんな男がタイプなんだ。ジャニ系かKポップ系か。やっぱ吉沢亮が理想なのだろうか。

 早見麻優(まゆ)。

 お父さんが好きだったタレントとほぼ同じ名前なんだよね、と隣の席で苦笑していた早見。すらっと背筋が伸びていて色黒、締まった脚に大きな目。天然パーマを一つに結わえている。かわいい。それだけじゃない。グループワークで「真柴、ちゃんと作業して」とむくれる彼女のノートには付箋がぎっしりだ。俺はわざといびきをかく。ますます頰を膨らませるしっかり者の早見。「もう、いつもハゲは……」と口を尖らしていた(ハゲじゃねーし、と飛び起きる俺)。テスト返却でいつも拍手をもらう早見。体育会系に見えてピアノが弾ける早見。ワイシャツの袖から見える華奢で小麦色の早見、の腕。ぺたんこの胸。その色気の無さにかえって俺はドキドキが止まらない。単純な好みだけでは片付けられない魔力が早見にはあると、本気で思う。

 スマホを取り出し、SNSのアイコンに映る私服姿の早見、を食い入るように見た。毎夜欠かさない日課だ。

 明日は席替え。

 いつまでも天の邪鬼ではいられない。消しゴムを拾ってもらったあの時、「ありがとう」を素直に言えなかった。からかい合いでしかまともなコミュニケーションを取れず、不甲斐ない自分。でも明日は違うのだ。違う俺なのだ。大丈夫。

 声に出して言ってみる。好きです、俺と付き合ってください。好きです、俺と付き合ってください。どうにもサマにならず、声変わりを卒業したばかりの青い声帯を呪った。それでも言い続ける。部活と同じだ。練習の積み重ねが結果に大きく響くのだ。「好きで」

「なにやってんの?」

 ブランコのギーコギーコ、という音と共に子供のような笑い声が届いた。俺は驚きすぐに振り向く。

 なんとなく耳に馴染みがあるが、誰だろう、

「私だよ、モルヒネ」

 あっけらかんとした笑顔がそこにはあった。度肝を抜かれた俺の様子が相当面白かったらしく、モルヒネは「ちょっと、間抜けすぎ」と途切れ途切れに言いながら、腹を抱えて笑いだした。俺はだんだん恥ずかしくなる。さっきの予行演習も、見られていたのか。

「お前、一丁目に住んでたの」

 しばらくしてから遮るように言うと、徐々に笑いが鎮まっていく。そうだよー、と言いながらゆっくりとあいつは地面に立った。ジャリ、と砂が擦れる。取り残されたブランコの軋み方は素直で、モルヒネの動きをぎこちなくコピーしていた。赤い座面が振り子のように揺れる。

「一丁目からうちの高校来てんの珍しいよね。近所住まいのクラスメイト発見したの、初めてかも」

 それな、と返しながらも、俺は少し戸惑う。まさしく猫の額ほどの広さしかないこの公園は、少し道を外れた場所に位置していた。近所にはコンビニと住宅、たまに畑があるのみ。どう頑張っても深夜帯に寄るのは安全ではない。こいつは何をしに来たのだろう。

「てか真柴こんな所で何してんの、危なくない? そうそう、痴漢とかって若い男子も狙われるからね。油断しない方が良いよー、今何時」

 俺の腕時計に急に目を近づけたモルヒネを見ながら、確かに俺も人の事は言えないな、と思い直す。チーズバーガーの温かみが、トートバッグを通して膝にじわりと伝わってきた。こいつがいなくなったら心置きなく食べられるんだけどな。

 こいつは男女みんなから「モルヒネ」と呼ばれている。理由はよく知らないが、名前が日根とか比根なのだろうか。だとしても物騒すぎやしないか。それより大きな問題として、モルヒネは早見と仲がいい。俺は脳内にあるモルヒネの情報を片端から並べてみる。こいつは俗に言う「不思議ちゃん」で、女子には愛されているけど大多数の男子には引かれがち。いや、不思議「ちゃん」というよりただの不思議で、そこには可愛らしさのかけらもない。声がデカく、授業中に排水口のようないびきをかく。「数学の単位がやばい」という共通項から親しくなったという男子もときたまいるから、関わってみたら気さくな奴なのかもしれない。もっとも今は、生ハムのパックを手に深夜の公園を徘徊しているが。

「で、なにやってんの? 夜空に求愛してたけど。そういうオタク? あの、鉄道オタクが車両に興奮しちゃうとかそういう感じの。空フェチとはなかなか歯ごたえある趣味してんね、それはそれで青春?」

 急に馴れ馴れしい絡み方をしてくる。しかも口が達者だ。こんな奴に出くわしたのは痛い。明日にでも俺の行いに尾ひれを付けて拡散するつもりだ。

「お前には関係ねえよ」

 穴があったら入りたいような心地で、俺は口を尖らせた。

「あ、そう。つまんな」

 モルヒネの笑みは崩れなかった。摑みどころのない奴って、苦手だ。わずかばかりの沈黙ののちにふと奴が口を開く。

「私さ、さっき十六になったんだよね」

 え? と聞き返すと、じゅうろくだって、じゅうろくじゅうろく、と三回繰り返された。

「誕生日前夜って興奮して眠れないんだよ、朝になったらラインめっちゃ来てて、私も一日だけ有名人気分を味わう平凡な大衆の一人になるんだ、とか、お菓子やコスメをくれる、女子力を武装した刺客もいるんだろうな、とか考えるけど、どうしてもその前に自分がご褒美あげたくて」

 そう言って生ハムを顔の横にもってくる。ずい、と俺の方へ顔を近づけるこいつの目には、女子特有のこちらを窺うような試すような、小悪魔的作為が少しも含まれていなかった。俺はほんの少し後ろに下がる。異性だからとか、そんな話した事ないからとか、そういう意識を言動に組み込まず距離を詰めてくるのは、モルヒネだからこそと言える。記憶の限りいつもこんな感じだ。

「深夜に生ハムとか塩分過多だろ」

「いや最初の感想それ? 落胆したぞ、もっとなんかあるでしょ」

「うーん、プレゼントあげ合う文化、男にはないから」

 俺も今日誕生日なんだよ、とは言わなかった。話題を提供する事で〝夜空求愛事件〟をうやむやにしても良かったのだが。新しい話を与え、会話を進める事さえ癪に思えた。なんとなくこいつが信用できない。膝で持て余した熱は、だんだん体温に溶け始めていく。もってのほかだ、という目で俺はトートバッグの隙間を覗いた。もし俺がここでチーズバーガーなんか食いだしたら、終わりだという感じがする。目の前をカクカクした軌跡で蚊が通り過ぎた。

「すごくない? もう夕方になってもカラオケから締め出される屈辱には遭わないんだよ、私」

 十六歳最強か、とつぶやきながら生ハムのパッケージをモルヒネはぺりぺり剝がす。人工的なピンク色の薄いかたまりが、俺からもちらっと見えた。

「正気? 素手で食うの?」

「悪い?」

「いや衛生的にどうなんだよ」

「コンビニのトイレでさっき手洗ったから大丈夫」

 汚ね、と言いながらも俺は笑った。モルヒネは丸い目を瞬いてきょとんとする。が、すぐに肉をちぎって口に放り込んだ。うまく嚙み切れないらしく、眉間にしわを寄せながら長い事顎を動かしている。変な奴。

「お前おもしれーな」

 何の他意もない。グラスの外側につく水滴のように、ごく自然な感想だった。

 でも瞬間、顔が曇る。

「ごめん、その褒め方やめて」

 季節の波に取り残されたセミが一匹だけ、リズムに固執してもがき喚くのが聞こえる。モルヒネは言葉を継ぎ足した。

「今日は大事な日だから、私は私でいるのをお休みするって決めたの、家出る時に。普通であろうってね。だけど今、それは無理だって分かった。私が違うと思っていた私は実の話、本物の私なんだね。それにだんだん意識的な肉付けをして、今の私がいるんだ。肉は癒着してどんどん無意識の動作を実行していく。私はビスケットの方が好きだよ。深夜に生ハムとか塩分過多でしょ。おかしい、それにむくんじゃう。でも買った。なんでだと思う?」

 俺はモルヒネの顔を見なかった。何に怒っているのか見当もつかず、怖かった。こいつなら言われ慣れているだろうとも思っていた。だってモルヒネは面白いから。クラスの女子の常套句でもある。モルヒネ、面白いね。そう言われたこいつが「私、エンターテイナーだから」と得意げに返していたのを思い出す。

「そっちの方が面白いからだよ。稚拙な理由だと思わない? 私の中で、食欲よりも面白さの美徳が勝っちゃったわけだ。真夜中の公園で女子高生が生ハム食べてたら面白いな、って。無意識にそう思ってた。私は自分を大事にするより先に、他人からの好奇を煽りたかったんだよ。誰に会うかなんて分かんないのに、学校に行くわけでもないのにね。虚しくてたまらないよ」

 漏れる嗚咽を隠すように言葉をハキハキ並べ、モルヒネは泣いていた。俺は呆気にとられつつも言葉を探す。女子を泣かせた事なんてない。だから言うべき事が分からない。

「俺本当に、その、なんていうか」

 いや、泣いているその理由が摑めない。だから励ます事も出来ない。でも俺の発言が何かしらのトリガーを引いてしまった事は確かだ。

「ごめん」

 謝った。

「違う」

 否定された。モルヒネはキッと俺を見据え、首を振る。

「真柴は何も悪くないじゃん。これはただの愚痴。私があまりにも私自身にのまれかけたから、つい泣いちゃったの。君は被害者、私が加害者」

 だから、とモルヒネは続けた。

「謝るのは私の方だよ。ばったり会っただけのクラスメイトが突然泣き出したりしてごめん。面倒くさくて、ごめん」

 言い終えたモルヒネは堂々としていた。目は少しの赤みも帯びず、ただこちらを見ている。電灯の無機的な光のせいで青みをまとったその姿は、何か底気味悪い印象を放っていた。気圧されつつも俺は聞く。

「なんか嫌な事でもあったのかよ」

「別に」

「なら、いいけど」

 全然良くもなければ納得もしていない。でもこれ以上こいつの事情に踏み込むのも野暮だと思った。

「じゃあね」

 あくびをひとつ放ち、モルヒネは路地の方へと歩き出した。影が薄く伸びる。しかし出口のポール付近で立ち止まると、何かを思い出したのかこちらを振り向いた。大きな声を弾ませる。

「告白の練習してたんでしょ! 頑張ってね! 知らないけど応援してる!」

 マジめっちゃ響いてる待ってほんとにやめろ、と俺が慌てるさまを見て、あいつはけらけら笑った。

 時計塔は一時を指している。

 ビクビクするだけ無駄だった。朝の教室は変わらない様相で、ほどよく砕けた机の並びにはいつものメンバーが配置されている。おはよ、と色んな奴に声を掛けられ、ああ、とかおう、とか返して俺も定位置についた。

 スマホの画面をスワイプしてツイッターを開く。昨日見つけたモルヒネのアカウントは動いてさえいない。ネットで俺の奇行が拡散されたわけではないらしい。つい安堵のため息が漏れる。

 狐につままれたような気分だった。昨夜の事は夢のようで、霞みつつ、しかし確かに思い出す事が出来る。本当に妙な奴だ。

「ごめん、その褒め方やめて」

 面白いなんてくだらない、そう軽蔑するような目のモルヒネに俺は、でも、と言い返そうとしていた。

 面白いって思われたいんじゃないの、お前。

 だからそんなキャラしてるんだろ。

 それってそんなに悪い事なの。

 何がどうしてあいつの気に障ったのか分からず、それだけがしこりとなって胸に居座る。

 早見は黒板の前の方で、モルヒネに頰をつつかれていた。いつもより女子の輪が濃い密度だから、内緒話の最中といった所だろうか。モルヒネも早見もその輪に隠れ、やがて見えなくなる。

 他愛ない話を大声でしている女子より、声を潜めて何か囁き合う時の女子の方が断然、俺にとって遠い。違う種の生物だといたく実感してしまう程に遠い。でも、その彼女たちは生々しい程に「女子」をしている。牙を剝くポメラニアンとか、爪を立てる三毛猫、毒針を仕込んだクラゲみたいな。可憐さに一さじの意地悪を含んでいる女子の形態に、俺はどうしようもない恐怖を覚える。たぶん、他の奴らもそうだ。それを分かっていて恋したり結婚したり、セックスして子供をコロコロ作ったりするのだ。相容れない事、理解不能な事、二人は絶対に他人である事。それらから興味が芽生える。興味から恋が芽生える。

 ふと輪が崩れて、視力検査表のCのような形になった。隙間から出てきたのは早見。モルヒネがキョロキョロとあたりを見回しながら楽しそうにしている。それを他の女子が固唾をのんで見守る、という具合だ。一体何が始まるのだろう。俺は後ろの席の奴に大声で話しかけ、気を紛らわした。

 さして仲が良いわけではないが、話しかけたり切り上げたりするタイミングは完全にこっちのペース。最初から目を合わせてこない。そういう人間はたいてい文化部に所属していたり、アイドルアニメのストラップを持っていたり、色が白かったり、早口だったりする。俺みたいに運動部で見境なく人と話す色黒の奴を怖がる。別に陰キャとか陽キャとかどうでもよくね、気負わずに喋ろうぜ、と俺は思うけれど、その手の奴らは暇つぶしに丁度いい。くちゃくちゃ嚙んで飽きたら捨てるガムだ。こいつの苗字なんだっけ、と思いつつ朝テレビで見た話題を適当にこね回す。目の前のガム君が目を伏せて返答にまごつくのを見て、「ちょ、キョドりすぎ」とか「物理の宿題みせてくんね?」とか言葉を投げる。

 瞬間、何か破裂する音がして、はじけるような拍手が女子の輪を包んだ。

「モルヒネ、誕生日おめでとう!」

 おめでとうおめでとうおめでとう、と早見のメッセージに他の奴も続く。クラッカーなんか鳴らしちゃって、後片付けどうすんの。喜びで飛び跳ねているモルヒネにピンクの包みを渡す早見。

 俺はピンと伸びたその背中にヤジを投げた。

「あと五分で先生来るぞ」

「いつもは謹厳実直ただのハゲ、そんなクソ教師坂出(さかいで)も私の誕生日は祝ってくれるからノープロブレムだな」

 真顔でそうのたまうモルヒネに笑いながら、早見はどこからともなく取り出したちり取りの尻を、床にトントンと打ち付けた。今から綺麗にするから大丈夫。私ってテキパキしてるからさ。真柴、ちょっとくらいは尊敬してくれてもいいんだよ?

 澄んだ声が、床の木目に従って真っ直ぐ進んでくる。はちきれそうな鼓動にたちまち支配された俺の前を通りかかると、早見はしゃがみ込んで何かをゴソゴソとやり始めた。そして俺の机の上に紙切れを置く。

「落ちてた」

 いやこれ俺のじゃねーし、てかただのゴミじゃん。そう言いかけ、思わず口をつぐんだ。

 真柴へ。放課後、四号館の空き教室で待ってます。

 誰にも言わないでね。早見麻優より。

 紙くずに書かれたそれを目にジュッと焼き付けるように、何周も何周も読み返す。

 あいつが掃除用具入れのドアを閉めたその瞬間に、担任が教室に入ってきた。何でそこに立っているんだ。もうチャイムは鳴ったんだぞ。小言に追われるように、早見は俺の隣に着席する。照れくさそうにおくれ毛を触る。

 俺は心の中でガッツポーズをした。ハゲ教師の話が左耳から右耳へするりと抜けるようで、まるで頭に入ってこない。やったやったやったやった十中八九これは告白だ。早見が俺に。予想外。なんで今日なのだろう。夏休み中にかけたパーマが功を奏したとか。

 俺は髪を撫でつけながら、どこまでも上がる口角を抑えきれず後ろを向く。勢いにおされて、ガム君が肩をびくつかせた。

「なあガム」

「え?」

 ああ違う、忘れて、と俺は首を振って、再度こいつの目を見る。声を極めて小さく、でもガムには聞き取れるようなうまい塩梅に調節する。

「このクラスの中で一番かわいいのって、誰だと思う? もしくは気になる子でもいいんだけど」

「や、急に言われても……ていうか、今」

「あのハゲ? いいんだよちょうど板書してるし。つうか俺さっき観察したんだわ。あいつ毛が無い割にサイドの髪は真っ黒なわけ。白髪一つないのウケるくね? 染めてんのかな、天然でそうだとしたら頭皮の老化バラバラ過ぎてすげー」

「なんか真柴君、今日よく喋るね」

「まあな、んで、このクラスで一番かわいいのは誰よ」

 顔をトマトみたく真っ赤にしながらガムは首を振る。

「そんなの、考えた事ないよ、本当にいない」

「あーはいはい、そういうのいいから」

 普通に教えてくれていいじゃん、てかついでに消しゴムも貸してくんね、と両手を合わせておねだりする俺の背中に、突如怒号が突き刺さった。

「前を向け、真柴」

 担任のガミガミ坂出だ。いつも通りツバとんでますよ、とかいい加減アートネイチャー、だっけ、に行った方がいいんじゃねーの、とか、ネタとしてしか機能しないそのビジュアルに心でツッコミを入れる。

「テストでたまたまいい点とれたからって気を緩めるなよ、こういう授業態度も評定に響くんだぞ」

 へらへらと笑みを浮かべながら、サーセン、と呟いて俺は前を向いた。クラス中から、どっと温かい笑い声を受ける。

 

続きは11月16日発売『星に帰れよ』でお読みください。

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新胡桃

(あらた・くるみ)

2003年、大阪府生まれ。本作で第57回文藝賞優秀作を受賞しデビュー。

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