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1980年代ってどんな時代だったの?

『1980年代』斎藤美奈子/成田龍一編著『1980年代』斎藤美奈子/成田龍一編著

1980年代

斎藤美奈子+成田龍一

 

【はじめに】
なぜいま「一九八〇年代」か

 

■それはどんな時代だったか

一九八〇年代に、あなたはどんなイメージを持っているでしょう。
世の中全体が浮かれていたバブルの時代。サッチャリズム、レーガノミックスが台頭し、「小さな政府」を標榜する新自由主義経済への道が開かれた時代。コピーライターが時代の寵児としてもてはやされ、広告文化が開花した時代。雑誌文化が興隆をきわめ、メディアが教えるスポットに若者たちが群がったマニュアル文化の時代。マンガやアニメが「子ども文化」の枠から離脱し、家庭用ゲーム機という新ジャンルが誕生したサブカルチャーの時代。構造主義やポスト構造主義に関心が集まり、ポストモダンやニューアカ(ニューアカデミズム)といった言葉が流布し、現代思想がオシャレに感じられた時代。
このリストはいくらでも増やしていくことができそうです。
しかしながら、八〇年代からすでに三〇年以上が経過した現在、私たちがこの時代に対して抱くイメージに若干の混乱がみられるのも事実です。
たとえば八〇年代の象徴としてよく語られる、いわゆる「バブル経済」は、一九八五年のプラザ合意に端を発する、八七年から九一年ごろまでの現象で、必ずしも八〇年代全体を代表しているわけではありません。
また、バブル経済に目を向けた途端、私たちはつい「バブル以前/バブル以後」という枠組みに気をとられてしまい、一九八〇年代というまとまりを忘れがちです。冷戦体制崩壊も同様で、「冷戦体制/冷戦体制崩壊後」という発想にとらわれすぎると、八〇年代のまとまりはどうしてもぼやけてしまいます。それはあまりにもったいない。一九八〇年代は、私たちが記憶し、あるいは想像する以上に、多様性に富んだ時代だったのです。

 

■とりあえず政治の流れでふりかえると……

国内政治の流れを先に整理しておきますと、八〇年代は、選挙戦のさなかに大平正芳首相が急死し(六月)、「弔い合戦」の結果、七月の衆参同日選挙で自民党が圧勝、伊東正義臨時代理内閣を経て、鈴木善幸内閣が発足した(七月一七日)一九八〇年からはじまりました。
鈴木内閣は一年半(八二年一一月まで)の短命の内閣ではありましたが、今日の関心事に照らしていうと、八一年五月二九日の答弁書において「憲法九条の下において許容されている自衛権の行使は、我が国を防衛するため必要最小限度の範囲にとどまるべきものであると解しており、集団的自衛権を行使することは、その範囲を超えるものであって、憲法上許されないと考えている」という憲法九条の解釈を示した点が注目されます。安倍晋三内閣が二〇一四年七月一日に集団的自衛権の行使を容認するまでの三十数年間、専守防衛に徹するという日本政府の憲法解釈は、この答弁書に依拠していたのです。
一九八二年には、中曽根康弘内閣が発足します(一一月二七日)。中曽根首相は「日本列島は不沈空母のように、ソ連の爆撃機の侵入に対する巨大な防衛砦を備えなければならない」という、いわゆる「不沈空母」発言(八三年一月)や、戦後の首相としてはじめての靖国神社公式参拝(八五年八月)などで物議をかもします。また、この時期には日米関係が強められ、レーガン大統領との「ロン─ヤス」という親密な関係がアピールされました。国鉄の分割民営化(八七年四月)に踏み切るなどの「実績」を残し、中曽根内閣は八七年一一月まで五年間続きます。

ちょうどこの時期、日本経済には大きな動きがありました。
一九八五年九月、日本、アメリカ、西ドイツ、フランス、イギリスの「先進五カ国」の蔵相・中央銀行総裁会議(G5)がニューヨークのプラザホテルで開かれ、この五カ国が為替相場に協調介入、ドル高の修正を試みます。これが先に述べた「プラザ合意」です。日本の円は二倍以上に高騰し、さらには大企業の銀行離れが進んで「金あまり現象」が発生。その金が土地と株への投資に向けられたことから、「バブル経済」に発展したのです。
結果、日本は空前の好景気に沸き、地価が異常に高騰する一方、損害保険会社がゴッホの「ひまわり」を五三億円で落札した(八七年三月)などの「景気のいい話」が話題をさらいました。
そんなバブルのさなか、中曽根内閣の後を受けて発足したのが、竹下登内閣(八七年一一月~八九年六月三日)です。同内閣が「ふるさと創生事業」と称して、全国の市区町村に一億円を交付した(八八年~八九年)のは、バブル期らしい動きでした。しかし、竹下内閣は野党の反対を押し切って三パーセントの消費税を導入(八九年四月に施行)。リクルートの未公開株が政治家に渡っていたというリクルート事件も、内閣への不信につながりました。
一九八九年はまた、昭和天皇が死去し(一月七日)、元号が「昭和」から「平成」に変わった年でもありました。
竹下内閣は八九年六月に退陣。その後を受けて発足したのが宇野宗佑内閣(八九年六月三日~八月一〇日)です。しかしながら、リクルート事件、消費税の導入、さらには首相の女性スキャンダルまで加わって、七月の参院選で自民党は惨敗、結党以来はじめての過半数割れを喫することになります。この選挙では土井たか子委員長率いる社会党が躍進。「山が動いた」という土井委員長の台詞はこのときのものです。
宇野内閣が六九日で退陣後には、海部俊樹内閣(八九年八月九日~九一年一一月五日)が発足します。海部内閣時代には湾岸戦争が勃発し(九一年一月)、自衛隊がはじめて海外に派遣されるにいたります。また、バブル経済も崩壊し、日本は長い構造不況の時代に入りますが、それはまた後の話になりましょう。

一九八〇年代は、国際情勢が大きく動いた時代でもありました。
中曽根内閣の時代、イギリスでは保守党のサッチャー首相、アメリカで共和党のレーガン大統領という強面の指導者が登場し、緊張緩和の方向へ向かっていた冷戦体制に揺り戻しをかけます。
しかし八〇年代も後半になると、冷戦体制自体が崩壊へ向かいます。
ソ連ではミハイル・ゴルバチョフ書記長が登場して(九〇年三月に大統領に就任)、軍縮が進められ、八七年にはレーガン大統領とのあいだで中距離核戦略(INF)の全廃がおこなわれました。ゴルバチョフによるペレストロイカ(改革)とグラスノスチ(情報公開)は、結果的にソ連を崩壊へと導きます。また東欧でも、レフ・ワレサ委員長率いるポーランドの自主管理労組「連帯」などをきっかけに民主化運動が激化し、八九年にはベルリンの壁が崩壊。東欧の民主化が一気に進むと同時に、この動きはバルト三国(エストニア、ラトビア、リトアニア)の独立にまで波及しました。
奇しくも一九八九年は、昭和の終焉と東西冷戦体制の崩壊が重なったことになりましょう。冷戦体制の崩壊は、それまでの人びとの認識や思考の枠組みが、冷戦体制に基づく「冷戦的思考」であったと気づかせる事態ともなりました。

 

■本書を編んだ二つの理由

さて、以上のような時代的背景を踏まえた上で、本書『1980年代』は、政治経済から社会や思想や文化まで、一九八〇年代を表象するさまざまな事象を、鼎談、論考、コラムを通じて検証することを目的に編んだアンソロジーです。当時を知る世代は「そうだった、そうだった」という懐かしさを喚起されるでしょうし、当時を知らない世代には「そうだったのか、はじめて知った」という驚きと発見があるのではないかと想像します。
それだけでも本書の目的は半ば達成されたことになりますが、私たち編者が一九八〇年代を検討の対象に選んだのは、それなりの理由があります。
第一に、一九八〇年代は「戦後の転換点」ではなかったか、ということです。
最初に述べたように、八〇年代は、サブカルチャー、ポストモダン、ニューアカといったさまざまなキーワードで語られる時代ですが、それは旧来の「戦後思想」とは明らかに一線を画するものでした。意図的に「軽さ」を演出した面があったにしても、思想、文学、アートなど、あらゆる分野で「小難しさ」を相対化する動きが浮上し、ポップカルチャーの興隆とも相まって、新しい表現が模索され、また誕生しました。戦後(あるいは戦前から?)、人びとを呪縛していた「政治の言葉」が遠くなり、文化や言論の担い手が、一部の選ばれた知識人から、広義の大衆に移った時代だったといってもいいでしょう。
第二に、それゆえ一九八〇年代は「いま」の源流でないか、ということです。
「戦後七〇余年」を視野にいれた現在(二〇一〇年代半ば)からふりかえりますと、一九八〇年はちょうどその折り返し地点(敗戦から三五年~四五年)に当たります。
もちろん、九〇年代以降にも一九九一年(バブルの崩壊と湾岸戦争)、一九九五年(阪神・淡路大震災とオウム真理教事件)、二〇〇一年(9・11米国同時多発テロとその後のアフガン攻撃&イラク戦争)、二〇〇八年(リーマン・ショックと格差の拡大)、二〇〇九年(民主党への政権交代)、二〇一一年(東日本大震災と東京電力福島第一原発の事故)など、時代を画するトピックはいくらでも列挙できます。しかし、社会、文化、言論などのあらゆる側面において、一九八〇年代ほどドラスティックな転換の時期はなかったのではないか。いいかえれば、「戦後」ないし「近代」の大きな転換点だった八〇年代に芽吹き、定着した思想や文化の「経年劣化」が目立ちはじめた時代、それが現在(二〇一〇年代半ば)だといえるかもしれません。

 

■「いま」と「これから」を考えるために

歴史にするには近すぎ、かといって思い出として語るには遠すぎる一九八〇年代。それをいまあえて俎上にのせることは、その後の節目となる出来事や、今日の混迷状況、ひいては明日へのビジョンを展望するうえで、有効な手立てとなるのではないかと考えた次第です。
本書に収録された論考やコラムは、すべて本書のための書き下ろし、ないし語り下ろしです。各論者の経験や関心領域に基づいて、一九八〇年代を自由に考察してもらいました。また各章の巻頭に配した鼎談は、編者である斎藤、成田の疑問に答えてもらうかたちで、それぞれの方の専門領域から見た八〇年代について、ざっくばらんに語っていただいたものです。
むろん本書で言及されたテーマや素材は、八〇年代の一側面にすぎません。が、それでも、この時代を俯瞰し、現在と未来を考え直すうえで示唆に富んだ論考やコラムが集まったのではないかと自負しています。一見ばらばらに見える事象を「一九八〇年代」という軸で統合したとき、何が見えるか。自由な発想で書いてもらった論集ですから、読み方も自由です。どうぞ、お好きなページから、お好きな順でお読みください。(……)
読者のみなさまにとって、本書が「あの時代」をあらためてふりかえり、「いま」と「これから」を考えるための有効な材料になることを願ってやみません。

 

 

▼『1980年代』もくじ▼

【はじめに】なぜいま「一九八〇年代」か(斎藤美奈子+成田龍一)


〈鼎談〉カタログ・サヨク・見栄講座(大澤真幸×斎藤美奈子×成田龍一)
【国際情勢】アジアの中の八〇年代、世界の中の八〇年代(姜尚中)
【政治】対米従属第二世代としての中曽根政権(白井聡)
[フード]グルメ化、無国籍化、そしてヘルシー化(畑中三応子)
[音楽]「みんなのうた」が存在した最後の時代(兵庫慎司)
【社会意識】あやふやな「総中流」とゆるぎない近代のベクトル(吉川徹)
【社会運動】反・核兵器から反・原発へ――「私たち」による「かっこいい」運動(山本昭宏)
[映画]撮影所システムの終焉と「フリー」の時代(鷲谷花)
[アート]「アート」の台頭と「八〇年安保」(椹木野衣)


〈鼎談〉ニューアカ・オタク・ヤンキー(斎藤環×斎藤美奈子×成田龍一)
【思想・批評】八〇年代日本の思想地図――外部と党派性、あるいは最後の教養主義(大澤聡)
【フェミニズム】「女の問題」の八〇年代――学問的深化とフェミニズムの「終焉」(瀬地山角)
【教育と学校】個人化教育のアイロニー――八〇年代教育改革の意図せざる結果(土井隆義)
[アイドル]スターからアイドルへ、グループへ(辻泉)
[ファッション]あらゆるアイテムが出尽くした至福の時代(谷川直子)


〈鼎談〉地方・フェイク・へるめす(平野啓一郎×斎藤美奈子×成田龍一)
【日本脱出①】「女の時代」とOL留学(中島京子)
【日本脱出②】生きられない飛行機――私はなぜ韓国に行ったか(斎藤真理子)
[マンガ]二〇〇万乙女時代の「りぼん」とドクダミの花冠の姫(横井周子)
[演劇]緩く、過激に、静かに、駆け抜けた笑い。(徳永京子)
【都市と景観】なめらかで均質な空間が顕在化し始めた時代(若林幹夫)
【広告と消費】誰もが広告を語る社会――天野祐吉と初期『広告批評』の居場所(加島卓)
[アニメ]オタクカルチャーの源流と多様な性(佐倉智美)
[プロレス]昭和プロレスの“リアリティ”(平野啓一郎)


〈鼎談〉文学・カタカナ・資本主義(高橋源一郎×斎藤美奈子×成田龍一)
[メタヒストリー]「歴史とはなにか」の八〇年代(成田龍一)
[本]一九八〇年代ブックガイド34(岩元省子・山之城有美)
一九八〇年代略年表

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著者

斎藤美奈子

1956年、新潟市生まれ。文芸評論家。『妊娠小説』『文章読本さん江』『紅一点論』『モダンガール論』『戦下のレシピ』『冠婚葬祭のひみつ』『名作うしろ読み』『ニッポン沈没』など多数。

成田龍一

1951年、大阪市生まれ。日本女子大学人間社会学部教授(近現代日本史)。『近現代日本史と歴史学』『「戦争経験」の戦後史』『大正デモクラシー』『〈歴史〉はいかに語られるか』など。

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