単行本 - 日本文学

第53回文藝賞受賞受賞作『青が破れる』刊行記念
町田康×町屋良平 特別対談(後編)& 試し読み

【町田康×町屋良平 特別対談】
「ままならない激情の静けさ」

前編はこちら

 

神様を思う

町田 一番作者に近い登場人物は秋吉ですか?
町屋 気が小さいところは近いですが、僕は秋吉みたいに、人間関係がどうでもいいとは考えられません。
町田 秋吉は異様ですよね。夏澄の家へ行って、「夏澄さんが子どものためにつくったシャーベット」を食べながら、子ども時代の回想をしますよね。ふたりの恋愛のなかでは、いつも子どもが鍵になっている。夏澄が死んだ後、まるで夏澄が息子の陽に憑依したように感じました。陽が秋吉の家に来て、女性の言葉でしゃべって、そして秋吉は勃起します。
町屋 たしかに、陽は中性的ですね。
町田 終盤のくだりで、秋吉が陽に言う言葉、「おれがお前のままの『たすけて!』をうまくキャッチしてたら、お前のままは死ななかったのかも。怒ってもいいんだぞ」から、秋吉から抱きあげられた陽が「痛いよ。力が、つよいよ」と言うところまで、夏澄の霊が取り憑いていると考えても意味が通じるんですよ。
町屋 ああ、なるほど。すごい。面白いです。確かに、秋吉と夏澄が公園で会っているところに陽が登場したあたりから、夏澄と秋吉というふたりの関係が、陽を含めた三人の関係に変わっていきます。秋吉の恋心も変化していて、夏澄という愛情の対象と、自分が子どもの頃の景色へのノスタルジーが、ドッキングしてゆくんです。陽は秋吉に対して、お母さんみたいな存在になりたいという気持ちを持っているようです。お互いにお互いをかわいそうだと思っていて、ここから、共依存とまではいかないけど、お互いに相手を慰めたいという、共同情とでもいうような段階に移り変わってゆく、というイメージです。
町田 そうした感情の変化も、明確に書かれていなくてもよく伝わってきました。普通は物語の背景にある感情を書いてしまうんだけど、町屋さんは書かない。これは、わざとそうしているんですよね?
町屋 最初に町田さんがおっしゃった、「実体のある言葉」ということと関係するかもしれませんが、僕は、言葉というのは仮にレンタルするもの、というようなイメージを持っていて、ひとつの小説のなかで言葉と小説の関係を結んで、その小説が終わったら言葉をどこかに返す、ということを考えています。だから、書き手である自分は、ひとつの小説の世界だけでしっかりと、言葉との関係を結んでいかなきゃいけないので、実感をたしかめるように書いています。だから自分が実感できないことはなるべく書かないようにしています。同時に、書かないことを読者が頭のなかでどう描くのかを意識するようにしています。書かないところは読者の経験にお願いして、それを繫げてもらうことで、読者のなかで小説が出来上がってゆくんじゃないかと。
町田 だから、視覚的な表現や感覚的な表現が生きているんですね。たとえば夏澄がコーラでうがいをする場面。地面に吐き捨てられた「コーラはくるしむように、土のうえでシュワシュワ弾けながら、甲高い音をたてて地面に染み込んでいった」という描写があります。単に比喩として優秀というだけでなく、コーラが茶色く泡立つ様子が、本当に苦しんでいるように感じる。五感に訴える文章ですよね。しかし、コーラでうがいというのは衝撃でした。秋吉とのキスがそんなに嫌なのか、って(笑)。
町屋 僕は幼少の頃アトピーで苦しんでいたんですが、医者に漢方薬を飲めと言われて、その漢方薬は水でうがいしてもぜんぜん味が取れなかったんです。それで、コーラとかスポーツドリンクでうがいをしていました。
町田 ジムの熱気とか、雨の後の蒸し暑さとか、表現がすごく効いていると思います。他にもコオロギの鳴き声とか、季節を思わせるような描写が随所に出てきて、効果をあげていますね。
町屋 感覚的な表現は、いわゆる描写の積み重ねとしてではなく、短い文章で入れるように意識しました。比喩は距離を縮めるものとして描くよりも、そこに本当にあると信じられるように。
町田 最後のモノローグに入ってゆくところで、梅生とのスパーリングの場面がありますね。そこに梅生の減量の話が出てくる。そこで、減量で腹が減る苦しみと同時に、ハルオととう子の死を思って、「神様……」と思う。感動的ですね。人間にはこういう、自分ではどうしても統御できない感情がありますよ。どうにもしようがない感情が。
町屋 その後の数行は、語る主体が梅生なのか秋吉なのかわからない唯一の箇所で、個人では持ちきれないなにかを書いたつもりです。ここだけは、たとえ小説のなかで浮いてしまっても、説明せずにしっかり書こうと思いました。
町田 神の名を呼ぶところが凄い。それまでの梅生にはそんな雰囲気はまったくなくて、むしろ調子のいい奴だった。統御できない感情の激しさを、ものすごく淡々と、抑制的に書いています。これは二回目に読んだ時に思ったことです。テンションが上がってひとりよがりになりがちなところですが、全然なっていない。
町屋 ここからは、自分の手を離れたという感じで、書きたいように書きました。普段は飄々とふるまう梅生が、じつは何事にも傷つきやすくて、何気なく対処できないものが溜まっていた、というイメージです。
町田 その後もすごくいい。傷ついて感情的になった梅生と別れた秋吉が、別れられた解放感を覚えながら、「梅生の感情を、当面、み放さない」と言う。この矛盾が美しいですね。ラストも、結局なにも解決されないまま投げ出されている。結末として素晴らしいと思います。どうしようもなく何かを持て余した人たちが、他人と関係することで変わったり、変わらなかったりする。それでも季節は変わって、人間の生命も変わってゆく。

 

誰にも似ない文章

町屋 町田さんは作家としての最初期から、ご自分の言葉と肉体が強く結びついていて、他の作家にはない独自性を感じます。ご自分の言葉を侵されないよう保つために、強く自分を持たれているということでしょうか? というのも今回、対談にあたって町田さんの作品を読み直していたら、今では頭の中がすっかり町田さんの文章になってしまっていて(笑)。
町田 いや、僕は他人の文章から侵されまくっていますよ。
町屋 なるほど(笑)。プロの作家としての心構えはありますか?
町田 作家には人それぞれスタイルがあって、自分自身が実験対象みたいなものだから、方程式はないと思います。「この薬を飲んだらこうなる」みたいなものはなくて、人によって効き方がちがう。だから心構えとかは、ないんじゃないでしょうか。
町屋 たしかに最近は、自分の生理に合ったやり方を、ひとりで見つけなきゃいけないと考えるようになりました。
町田 町屋さんは、これまでどういう小説を読んできたんですか?
町屋 海外だとヴァージニア・ウルフとソローキンが好きで、日本なら夏目漱石がすごく好きです。他には安岡章太郎とか藤枝静男、小島信夫などを読んでいます。
町田 たくさん読んでいるんですね。いつ頃から小説を好きになったんですか?
町屋 じつは、以前に文藝賞の最終候補に残していただいたことがあって、それくらいの頃から、小説への興味が強くなったんです。僕は高校を出てから、大学へは行かずにフリーターになって小説を書いていて、その頃はなんとなく好きな本しか読んでいませんでした。ちゃんと読むようになったのは、ここ六、七年です。だから、自分にはちゃんとした文章が書けないと思っていて、文章に厳しい人からすると、「なにこれ?」と思われるんじゃないかと。
町田 たしかに最初は「えっ?」っていうような文章だと思いました。でも、この小説はこの文章じゃないといけない。計算された文章ですよ。この感じを突き詰めたらいいと思う。これからはどんな作品を書いていこうと思っているんですか?
町屋 文学において、これまでに誰かがやってきたものと自分との関係を考えて、自分の色を出していけたらと思っています。
町田 じゃあ、その見取り図を拡げて行く作業も必要になってきますね。
町屋 はい。誰にも似ないで、一番中庸な自分と、言葉との関係を見つけていきたいです。例えば小説をがむしゃらに書いて思い切り突っ走ると、まっすぐ行き着いてもゴールの辺りでなにかに似てしまうことがあると思うんです。それが一番目につくところだから、しっかり自分と言葉の関係を測りつつやっていこうと。
町田 『青が破れる』は、ひとりの人間が突っ走るのではなく、人間がお互いに影響しながら全員でひとり、みたいな、まさにそういう小説ですよね。これから楽しみです。やれることは全部やって、たとえそれが余計なことでも、作家にとってはネタになるから、結果を恐れずに書き続けてほしいと思います。

 

 

『青が破れる』冒頭試し読み

 

「あいつ、ながくないらしいんよ」
とハルオはいった。
ハルオの彼女の見舞いにいったかえりだった。
おれは、
「ビョーキ?」
ときいた。
おそるおそるだったけど、内心の動揺を気どられないぐらいには、気力をふり絞ってきいた。
「そうらし」
「ガン? 白血病とか?」
「しらん」
ハルオは、片手にもっていた缶のコーラをジビリとのんだ。噴水を囲う池のほとりに腰かけているので、背後がさむざむしい。周囲はうだるような暑さだというのに。
「教えてくれんのよ。なんか、ナンビョーのたぐいっぽい。でも、教えてくれんのよ」
「つら……」
おれはつぶやき、地面をみた。
蟻が、地面のひかりと影を横断するように、行進していた。すると、
ボチャ
という、かわいい音がした。横をみると、ハルオはいない。うしろ向きに、池に落ちていた。
おれは、驚いてかたまった。やけに真剣な目でこっちをみているハルオの表情をみて、わざとやったのだということがわかった。
「おちてもうた」
どうして、こんなときまで明るくしようとするのだろう。おれはハルオの、滑稽でなければひとといっしょにいられないとでもおもっているような性癖が、とてもいやだった。
「なあ、タオルもってる?」
「もってるわけねえだろ」
だよなあ、といってハルオは池から戻った。子どもでも膝までしか浸れないような浅い池だったけど、ハルオのシャツの背中と短パンから、ボタボタ水滴が垂れた。
ハルオからおちたとげとげした水滴がまっくろに、アスファルトを濃くしていた。
「どうすんだよ」
おれはいった。
「どうすんだよこれから」
ハルオは気弱げに笑った。

「お前とあるくの、はずかしいわ」
「そらそやな、でも、かわいてきたで?」
と、わりに真剣な声でハルオはいった。
「でも、バイバイしよか。んじゃ」
そうして、ハルオはさっさとどこかへいってしまった。
サヨナラするつもりはなかったのだけど、わかれて五分もすると、これでよかったのだというきがした。ひとりになれてすっとした。
きょう、あうなりとつぜん「ついてきてくれへん?」といわれ、初対面の病人を見舞
った。ナンビョー患者だというハルオの彼女はきれいだった。
「ちょうどよかった」
と微笑んで、「喫煙所にいくから、さりげなーくしてて」と、彼女はパジャマのまま
引き出しをまさぐってライターとラッキーストライクの箱をもち、たちあがった。
「タバコなんて、いいんですか?」
喫煙所は、小学校の体育館と校舎の間をおもいださせた。じめじめしていて、地面がパチパチ音をたてていた。
「いいのいいの、確率の問題だから、純粋に」
ハルオの彼女はいった。
「死ぬとか生きるとか、わたしのは、健康と関係ないから」
ハルオもいっしょにセブンスターを吸っていた。
「ごめんな、ボクサーの前で」
「ボクサーじゃない。ボクサー志望」
でもおれは、ほんとに自分がプロボクサーのライセンスをとって、プロの試合のリングにたって、それでどうしたいのか、よくわかっていなかった。
ハルオの彼女は、「ボクシングやってるの?」とはいわなかった。
「はー、空がたっかー」
といった。
「あなたたちにも、健康がどうでもよくなった人間のすがすがしさと生きやすさを、わ
けてあげたいわ」

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