単行本 - 日本文学
このグロテスクさは虚構じゃない
[レビュアー]永江朗
2017.03.07
『一〇一教室』
似鳥鶏 著
このグロテスクさは虚構じゃない
[レビュアー]永江朗
なんておぞましい小説だろう。この本を、たとえば夕食後ののんびりした時間だとか、ベッドで眠りにつく前の時間だとかに読むのはおすすめしない。消化に悪そうだし、悪い夢を見そうだ。
学園を舞台にしたミステリーである。恭心学園はまだ歴史が浅いにもかかわらず、学業でもスポーツでも高い成績を上げている全寮制の私立一貫校。しかも、この学校に入ると、ひきこもりや不良が「治る」というので、一部の親から絶大な支持を得ている。
ところがこの狂信、もとい恭心学園はとんでもないところだった。生徒を厳しい校則で管理するだけでなく、教師は生徒たちを暴力で屈服させる。なかでも体育教師や部活顧問による暴力はすさまじい。生徒たちのあいだでも暴力が蔓延している。教育という名のもとに、調教と洗脳が日常化しているのだ。まるで戦時中の日本軍のようである。
殴る蹴るはあたりまえ。少しでも反抗の色を見せると、さらに激しい暴力が加えられる。たとえ生徒が死のうとも。ひとりの生徒の死をきっかけに、死んだ生徒の従兄姉や学園から脱出しようとする生徒、異常に気づいた養護教諭(保健室の先生)らが動き出す。小説は次々と視点を変えながら進んでいく。
おぞましい小説だと書いたが、それは描かれている暴力がひどいからではない。小説の中の虚構が現実世界とつながっているからだ。
登場人物のひとりがいう。
「一九八七年一月、川崎市立桜本小学校の三十三歳の男性教諭が、授業中の指示に従わなかったとして、担当する養護学級の児童の頭を拳で数発殴りつけ、死亡させました」
以下、一九八七年埼玉県の私塾「不動塾」での暴行と死亡事件、一九九五年近畿大学附属女子高等学校における男性教諭による生徒殺し、二〇一二年大阪市立桜宮高等学校における体罰と生徒の自殺など、実際に起きた事件が列挙される。恭心学園は虚構ではなく、現実をつぎはぎしたものだ。
グロテスクなのは恭心学園の経営者や教員だけではない。彼らが唱える教育理念に共鳴し、わが子をこの学園に入れる親たちもひどい。親たちは学園内でおこなわれていることに気づきながら、見て見ぬふりをするだけでなく、積極的に隠蔽しようとする。そして、これもまた現実世界で起きたことだ。近畿大学附属女子高等学校の事件でも、大阪市立桜宮高等学校の事件でも、暴力教諭に心酔する親たちが処分軽減を嘆願した。さらには被害者やその家族に対する誹謗中傷まで蔓延した。
小説のなかで恭心学園の創立者が語り、また生徒たちに唱和させる理念が、その根底において自民党の憲法草案や安倍政権をあやつる日本会議のマインドと近いのに慄然とする。個人より国家を、自由より秩序を重視する奴らを信用してはならない。礼儀正しく清潔そうに見える社会は、たいていその裏で暴力と腐敗が進行している。