単行本 - 日本文学
大高齢者時代に生まれた凄絶なフォークロア
[レビュアー]中島京子
2017.06.07
『どんぶらこ』
いとうせいこう 著
大高齢者時代に生まれた凄絶なフォークロア
[レビュアー]中島京子
日本の総人口における80歳以上の老人の数は、2015年に1000万人を突破した。このうち、要介護者の割合は、80~84歳で3割、85歳以上だと6割を超える。介護はいまや、誰もが直面する課題だ。
小説では、二つの介護ストーリーが交差する。介護者の一人は女性で、もう一人は男性だ。ともに80代の老父母を看取る立場にある。どちらも、若い時は親元を離れていたが、中 年になってから年老いた両親との物理的な距離を縮めた。女性は田舎の実家に帰り、男性は都心の自分の住まいの近くの高齢者施設に両親を引っ越させる。
老いた男親の視点、介護する女性の視点、介護する男性の視点が、めまぐるしく変化するので、読んでいると、老親がどちらの親だかよくわからなくなってきて、ちょっとした混乱に襲われながら、彼らの親たちが抜き差しならない老いを進行させていく様を読み進むことになった。男の親は、息子の近くに引っ越すために自宅の荷物を整理する段階で詐欺めいたごみ処理業者にひっかかり、女の親は、体の悪い妻によいと騙されたのだろう、一組の布団のために全財産を投げ出してしまう。男の父親も、女の父親も、かつて自分のものだった環境を奪われ、老いを突き付けられ、精神のバランスを崩す。男の母親も、女の母親も、それに振り回されて疲労の極致にある。老親の介護に立ち会う者なら誰でも、程度の差はあれ経験する、身につまされる感覚が、読み手の心を刺す。
どんぶらこ、どんぶらこ。
どんぶらこっこ、すっこっこ。
桃太郎の昔話の懐かしいフレーズを冒頭に置くこの小説が突き付けるのは、なんとも恐ろしい現実だ。
構造としては、ある事件記事をきっかけに、事件を連想させる父親の「どんぶらこ」に似た呟きを耳にした男性が書くに至った私小説とも読める。女性のほうの物語は入れ子状に差しはさまれる、男性によるフィクションであると。
いずれにしても、小説の中で、話者を変えて発せられる「なんでわしばっかりこんな目にあうずら。」「なぜ私がこんな目にあうのか。」という問いは、永遠に話者を変え、問われ続けることが可能で、巡り巡って読み手の側へゆらゆら押し寄せてくる。この大高齢者時代に、新しい民間伝承は、生まれるべくして生まれるのかもしれない。
ところで、この「どんぶらこ」の中でSちゃんと呼ばれる男性は、収録される別の二編「仮蜜柑三吉─蛾」「仮蜜柑三吉─犬小屋」の作者と重なるようだ。仮蜜柑三吉といえば、いとうせいこうの前著『存在しない小説』の翻訳家である。世界中の、存在しない小説を翻訳していた彼は、本書においては私小説作家に転身したらしい。難解なドイツ語の本の翻訳に取り組む傍ら、小説をまずドイツ語で書いてから日本語に訳しているという。仮蜜柑三吉の私小説二編はまた、そのトリッキーな体裁の内側に、日本の戦後を独特のスタイルで描き出した。
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★『どんぶらこ』刊行を記念して、「近頃読んで刺激的だった本」をいとうせいこうさんに選んでいただきました。hontoブックツリーにて公開中です。こちらから。