単行本 - 外国文学
読了後も、物語から出られたと思えない。──アンナ・ツィマ『シブヤで目覚めて』書評│深緑野分
評者・深緑野分
2021.04.28
シブヤで目覚めて
アンナ・ツィマ 著 阿部賢一 須藤輝彦 訳
384ページ
ISBN:978-4-309-20826-8
発売日:2021.04.26
評者・深緑野分
これまた変な小説の書評を依頼されたなあ……というのが、本当のところの、正直な感想である。
日本マニアで好きなタイプは三船敏郎、というチェコ人の主人公ヤナは、大学に通いながら、とある無名の日本人作家に引きつけられ、短編を訳すようになる。しかしなぜかヤナはもうひとりいて、17歳ではじめて日本にやって来た時のまま、しかも誰からも存在を認知されない幽霊のような状態になって、渋谷に閉じ込められている。プラハの大学生ヤナは、同級の男子学生クリーマの力を借りながら、無名作家川下清丸の翻訳を進め、それと同時に渋谷の若いヤナの章が重なっていく。しかしふたりは互いのことを知らない。いったいどこでふたりのヤナが繋がるのか――なんのために透明な幽霊状態で渋谷をさまよっているのか、どうしてこの作家の翻訳に拘っているのか、と不思議に思いながら読み進めていくと、ある驚きの一点で結ばれる。
とにかく珍妙な物語である。チェコ小説の難解なイメージを払拭するような明るさとポップさがあるけれど、でもやっぱりチェコ小説だ。魔術的で、不条理で、ギャグのセンスが独特。プラハの街を歩いていると思ったら、突然、生け簀から出されたばかりの活きのいい魚を抱きかかえさせられるみたいと言えばいいだろうか。
しかし読みながら「似てるな」と思ったのは、意外にもアメリカの作家コニー・ウィリスだ。特に、こそばゆくもどかしい恋愛のエッセンスが入ってくるところや、困った目に遭う主人公を助けてくれるヒーロー、無茶な冒険をする展開などが『クロストーク』と共通している。しかしSFの大家でもあるコニー・ウィリスの物語は円環が閉じるが、『シブヤに目覚めて』のアンナ・ツィマは閉じない。読者は酔ったような気分のまま(しかもどちらかというと悪酔いの方)、彷徨うことになるだろう。試しにコニー・ウィリス好きの人を捕まえて、「読んでみなされ」と本書を突きつけてみたい。
それでいて、読者の目の前に開陳されるのは、呆れるほどよく知っている日本の姿でもある。寸分違わない、グロテスクな日本の生の姿を、大正時代の架空の作家の短篇から現代の渋谷に至るまで、これでもかと味わわされる。作者は日本文学の研究者でもあるので、大正時代の作家がいかにも書きそうな小説を書くのがうまい。しかしやはりどこかずれていて、その違和感がこの本の珍妙さをより醸し出している。
面白いか面白くないかと訊かれたら、面白い、と答える。でもたぶん首を捻りながら言うと思う。間違いなくエンターテインメントしているし、非常に緻密な伏線が張られていて、特にミステリ好きはにやついてしまう展開が待っているのだが、どうにもこう、透明だけどカラフルなウロボロスの体内を延々歩いているような気分になるのだ。そして読了後も、物語から出られたと思えない。