単行本 - 外国文学

プーチンとソローキン──対峙する二人の「怪物」

ロシアによるウクライナ侵攻を受けて書かれたウラジーミル・ソローキン(*)のエッセイ「プーチン 過去からのモンスター」は多くの海外メディアに掲載された。「文藝 2022年夏季号」(2022年4月7日発売)では、オリジナルのロシア語テクストからの全訳を緊急掲載している。
その掲載を受け、ソローキンの多くの作品の訳者であり、「プーチン 過去からのモンスター」を翻訳した松下隆志氏による、ソローキン作品とプーチンに関するエッセイを掲載します。

*ウラジーミル・ソローキン 1955年ロシア生まれ。コンセプチュアリズム芸術運動に関わりながら、非公式に作家活動を行う。「現代文学のモンスター」の異名をとる。主な作品に『ロマン』『青い脂』『氷三部作』『テルリア』、短篇集『愛』など。

 

対峙する二人の「怪物」

松下隆志

 2月24日に始まったロシアによるウクライナ侵攻を受け、ソローキンは速やかに「過去からのモンスター」(原題)と題した独自のプーチン論とも言える長文のエッセイを発表した。かつて「現代文学のモンスター」の異名を取った作家が自国の大統領をあえて「モンスター」と呼んだのだから、これはただごとではない。

 

ウラジーミル・ソローキン ※写真は2013年来日時、弊社前にて撮影

 プーチン政権下でNTVなどロシアの独立系メディアが相次いで国家の管理下に置かれたことは同エッセイでも触れられているが、実は言論弾圧の波は間接的にソローキン自身にも及んでいた。2002年、ロシア大統領府の職員だったワシーリー・ヤケメンコが設立した親プーチン派の青年団体「ともに歩む」(後に「ナーシ」に改組)が、ソローキンの本を対象に悪書追放運動を行い(同時にペレーヴィンやマルクスの本も対象になっていた)、『青い脂』を「猥褻図書」だとして裁判所に訴えるなどしたのだ。極めつけは、ソローキンがリブレットを担当したオペラ『ローゼンタールの子どもたち』のボリショイ劇場での上演に対する抗議活動だろう。彼らは発泡プラスチック製の巨大な「便器」を劇場の前に設置し、そこに『青い脂』のページをちぎって投げ捨てるという──ある意味できわめてソローキン的な──パフォーマンスを行ったのだ。まさに現代の焚書とでも言うべき出来事だった。

 ゼロ年代の前半を費やした大長編『氷三部作』(『氷』『ブロの道』『23000』)を完結させたソローキンは、早くもその翌年、『親衛隊士の日』と題したコンパクトな小説を発表した。舞台は2028年のロシア、国には絶対的権力を有する専制君主が君臨し、イワン雷帝時代に実在した「オプリーチニナ」と呼ばれる親衛隊の力を背景に恐怖政治を敷いている。さらに中世の官庁や身分制度なども復活しており、それらが近未来的なテクノロジーと融合して奇怪なアマルガムを形成しているのだ。ドイツの週刊誌『デア・シュピーゲル』のインタビューで、ソローキンは作品の意図について次のように語った。「もちろん、これは現在に関する本です。不幸なことに、それを描くには諷刺という道具を用いるしかありません。私たちは今なおイワン雷帝によって創られた国に住んでいるのです」

 実際、当初『親衛隊士の日』は一種のディストピア小説、すなわちあり得ない暗黒の未来を描いたフィクションだと受け取られ、これが現実のロシアの未来を先取りしたものだとまで考えた者は少なかった。しかし時が経ち、ロシア社会の中で愛国主義の蔓延、権力と宗教の癒着、急激な反米化などが鮮明になってくるにつれ、待てよ、これは諷刺ではなく予言ではないか、という声が読者や批評家の間から上がるようになった。そして作品の舞台である2028年もそう遠くない現在、ロシアの「皇帝」が他国への軍事侵攻によって世界をまさに暴力的な中世へ引き戻そうとするのを目の当たりにして、ソローキンの巧まざる「予言」がいよいよ成就しようとしていることに改めて戦慄を禁じ得ない。

 戦争開始以来ロシアは孤立化の一途をたどっているが、このままロシアが世界から切り離された場合はどうなるのか? 『親衛隊士の日』の2028年のロシアは万里の長城を髣髴とさせる巨大な壁によって文字通りヨーロッパから隔てられている。おもな収入源は天然資源の輸出だが、国内経済は明らかに悪化しており、外国のスーパーマーケットはすべて閉鎖され、国営の食料品店には「国民が選びやすいように」との建て前で品物がそれぞれ2種類ずつだけ並べられている。これも当時はブラックジョークに思えたが、実際にマクドナルドやスターバックスがロシアでの営業を停止し、西側諸国からの相次ぐ制裁による経済破綻も現実味を帯びてきた現在では決してあり得ない光景ではない。

 一方、経済制裁への対抗策として今後ロシアは中国との協力関係をよりいっそう強化すると考えられるが、『親衛隊士の日』のロシアはもはや中国に隷属しているような有り様だ。街中には中国人があふれ、英語に代わって今や中国語が必須の外国語となり、セレブな貴族たちは中国趣味に没頭している。便器やベッドから自動車や飛行機に至るまでありとあらゆる製品が中国製で、ロシアの偉大さを讃えてやまない権力者たちも中国にはまったく頭が上がらない。欧米文化の影響を意識的に排除する一方で、イデオロギー的な対立者ではない中国は未来の帝国の身体にグロテスクな形で同化してしまっている。プーチンが目指す「ルースキー・ミール(ロシア世界)」はもはや破綻しているのだ。

 『親衛隊士の日』の後、ソローキンはまるで自ら仮構した世界に住みついたかのように、『砂糖のクレムリン』(2008)、『吹雪』(2010)と、未来の帝国の日常を丹念に描きつづけた。そして次なる転換点となったのは、2013年に発表された長編『テルリア』だ。こちらは『親衛隊士の日』よりもさらに先の未来が舞台で、ヨーロッパはイスラム原理主義勢力との戦争によって分裂している。国家としてのロシアもすでに崩壊し、モスクワを中心とするモスコヴィア、革命闘争が続くウラル共和国、「テルルの釘」と呼ばれる摩訶不思議な物質を産出するアルタイ地方のテルリアなど多数の小国に分裂している。なかにはSSSRという国もあるが、これはソ連ではなく「スターリン・ソヴィエト社会主義共和国」の略称で、スターリン主義者のオリガルヒたちが金に物を言わせて創ったテーマパーク国家だ。

 『テルリア』はその断片的な世界観を反映して全部で50の章から構成され、章ごとに文体も登場人物もまったく異なるという実験的な手法が取られているが、いくつかの章でプーチンへの間接的な言及がある。たとえば、ロシアを破滅させた三人の男の像をめぐる第39章。主人公の老女は孫たちに向かって亡き夫が製作した像の意味を説明する。

「お前たちの前に並んでいるのは偉大な禿三者さま、ドラゴンの国を打ち砕いた三人の偉大な騎士さまなんだよ。最初の一人、ほら、このひげを生やした狡そうな男はロシア帝国を破壊して、二番目の禿げ頭にシミのある眼鏡男はソ連を崩壊させ、この顎の小さな男はロシア連邦という名の恐怖の国をつぶした」

 念のために補足しておくと、一人目はロシア革命を成功させたレーニン、二人目はペレストロイカを推進したゴルバチョフ、そして最後がプーチンとなる。老女がとりわけ同情を寄せるのは三人目の「ヴォーヴォチカ(ウラジーミルの愛称)」だ。

「この三人目の人は、どんなにかつらかったろうねえ、誰よりもつらかったろうねえ、人の怒りを買ってまで、密かに、そして賢明に自分の仕事をやってのけたんだから。どれだけの侮辱を、愚かな国民の憎しみを、浅はかな怒りを、中傷を耐え忍んだことだろう!」

 もちろん、現実の「ヴォーヴォチカ」が何を考えているかは神のみぞ知るだ。しかし今回の野蛮かつ無謀な侵略行為を見ていると、ロシアというトロイカを駆るプーチンは「大国の復活」どころかむしろ自壊の道をひた走っているように思えてならない。冷徹なリアリストと評されてきた指導者は今や──同エッセイでメルケルの言葉として紹介されている表現を借りれば──「自分の空想の世界に住んでいる」かのようだ。フィクションだったはずの『親衛隊士の日』が「予言」となった。それは裏を返せば、政治がフィクション化してしまったということでもある。客観性は蔑ろにされ、偉大なロシアの名の下に発せられる「皇帝」の言葉のみが真実となり、現実と虚構の境界は消滅する。

 したがって、同エッセイにおけるソローキンのプーチンに向けたメッセージはきわめて単純明快だ──作家でも芸術家でもない以上、彼は自分の空想の世界から醒め、現実の世界を生きなければならない。もっとも、事ここに至ってもなお帰るべき何らかの「現実」が残されているとすればだが。かりに将来この戦争の責任を問われるとすれば、彼は何と答えるのだろう? 昨年ソローキンが発表した『吹雪』の続編となる長編『ドクトル・ガーリン』には、「ドナルド」や「シンゾー」などかつてのG8の首脳たちの名前を冠せられた、「pb(政治的存在)」と呼ばれる巨大な尻の形をした奇形生物が登場するが、「ウラジーミル」はあらゆる問いかけに対して次のように答える。

「エータ・ニェ・ヤー(それは私ではない)」[1]

 

 

[1] プーチンが責任追及を逃れる際の決まり文句で、ネット上のミームにもなっている。

 

 

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著者

松下隆志

1984年大阪生まれ。ロシア文学者。岩手大学准教授。著書に『ナショナルな欲望のゆくえ』、訳書にソローキン『氷三部作』『テルリア』、『青い脂』(共訳)、ザミャーチン『われら』など多数。

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