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ジャネール・モネイやN・K・ジェミシンらが崇拝する伝説的SF作家の代表作がついに刊行!――藤井光による「訳者あとがき」を無料公開

「バトラーが予見した未来を私たちは生きている」ーーBBCニュース

 

2006年の死去から15年余りが経ったいま、作品がニューヨークタイムズのベストセラーリスト入り(『Parable of the Talents」)し、「オールタイムベストSF」で5位にランクイン(河出文庫『キンドレッド』)するなど、急速に注目を集めるブラックフェミニズムの伝説的SF作家オクテイヴィア・E・バトラー。
  「血を分けた子ども」は、バトラーの代表作であり、ヒューゴー賞・ネビュラ賞・ローカス賞を三冠受賞したSF史上の名作です。本書は表題作のほか、7つの小説と2つのエッセイを収録した著者唯一の作品集であり、現代の多くの表現者たちに影響を与え続けるバトラーを知り、極めるための一冊です。
 本書の刊行にあわせ、訳者の藤井光さんによる「訳者あとがき」を公開いたします。

Octavia E. Butler / Photo by Getty Images

 

訳者あとがき

 

 オクテイヴィア・E・バトラーは、一九四七年にカリフォルニア州パサデナに生まれた。七歳のときに父親が他界して以降は、母親と祖母の手によって育てられることになる。バトラーは子ども時代から非常に内気な性格であり、周囲の子どもたちからいじめを受けることもあったという。そのような現実から逃れるため、しばしば地元の公共図書館で時間を過ごしていたほか、ノートにものを書くこともはじめ、やがて作家の道を志すようになる。

 

 とはいえ、作家としての歩みは順調とは程遠いものだった。高校を卒業後、日中は生活のために働き、夜には地元のコミュニティーカレッジであるパサデナ・シティ・カレッジに通った。学業を終えても、作品の出版には漕ぎつけられない時期が続くが、電話による販売やポテトチップスの検査などさまざまな仕事に就いて生計を支えながら、毎日午前二時に起きて出勤までの時間を執筆にあてるという生活を続けた。長編第一作である『パターンマスター』(一九七六年)を皮切りとする長編小説シリーズの刊行が始まったあと、ようやく執筆に専念できるようになる。この時期には『キンドレッド』(一九七九年)という代表作も発表しているが、バトラーが作品にふさわしい評価を受けるようになるには、一九八〇年代に入るまで待たねばならなかった。

 

 一九八四年から一九八五年にかけて、短編小説「話す音」と「血を分けた子ども」がヒューゴー賞やネビュラ賞といったSF&ファンタジーを対象とする主要な文学賞を受賞したことで、バトラーは注目を集めることになる。勢いをそのままに、一九八〇年代後半には長編シリーズ「ゼノジェネシス」三部作を刊行、一九九〇年代には『種を蒔く者の寓話』(Parable of the Sower、一九九三年)などで名声を確たるものにした。一九九五年には、SF作家としては初めて、「天才賞」とも呼ばれるマッカーサー基金の助成も受けている。晩年は高血圧などの健康問題に悩まされ、二〇〇六年二月に五十八歳で死去した。死因は脳卒中と見られている。

 

 作家としての経済的成功にはなかなか恵まれなかった点には、バトラー本人もしばしば言及しているが、批評においては一九九〇年代からジャンルを越えた注目を集めるようになっている。タイムトラベルや超能力、異星人との遭遇といったSF的な手法や設定を通じて、奴隷制という過去、言語や想像力の役割、あるいは性的役割の流動化、身体をめぐる権力といった主題を探求しつつ、人間の本質を描き出そうとする作風が高く評価されている。二一世紀に入っても、植民地主義や人種、環境や遺伝子、身体や生殖といった、さまざまな観点からの読解が続けられているほか、二〇二二年現在も『キンドレッド』など複数の小説の映像化が進行中である。また、後続の書き手に与えた影響も大きく、N・K・ジェミシンやンネディ・オコラフォーといったアフリカ系のファンタジー作家たちが、バトラー作品との出会いを自身のキャリアにおける重要な出来事として挙げている。

 

 日本語で読める作品としては、初期の代表作である『キンドレッド』(風呂本惇子・岡地尚弘訳)が復刊されたほか、『種を蒔く者の寓話』をはじめとして複数の翻訳刊行が予告されており、この作家の全貌がようやく見え始めてきたといえる。本書の刊行が、そのささやかな一助となれば幸いである。

 

 

 バトラーはみずからを基本的には長編作家とみなしており、キャリアを通じて発表された短編小説は、学生時代の未発表作を合わせても十編にすぎない。一九九五年に、それまで個別に発表されていた短編五作とエッセイ二本を収録した『血を分けた子ども』(Bloodchild)が刊行され、その後、二一世紀に入ってからオンライン雑誌で発表された「恩赦」と「マーサ記」の二作が同書に追加収録された。その後、中編「必要な存在」(“A Necessary Being”)と、初期に執筆された短編「子ども探し」(“Childfinder”)を収めた『予想外の物語』(Unexpected Stories、未訳)が二〇一四年に刊行されている。その二冊のうち、バトラーの短編を最良の形で読めるのは、やはり本書『血を分けた子ども』だといっていい。

 

 エッセイも含めた、本作収録の各編には著者自身によるあとがきが付けられ、執筆のきっかけなどについての情報を与えてくれる。そのため、この訳者あとがきは、あくまでそれを補完する形にとどめたい。

 

「血を分けた子ども」は一九八四年にネビュラ賞を、翌一九八五年にはサイエンス・フィクション・クロニクル賞、ローカス賞、ヒューゴー賞を受賞した、バトラーの短編の代表作である。人類と地球外生命体との「ファースト・コンタクト」について、バトラーは、人類が外に出て出会いが起きる場合は地球外生命体にとって災いであり、地球外生命体が地球に到来して出会う場合は人類にとって災いとなる、と述べたことがある(『オブシディアンIII』でのインタビュー)。「血を分けた子ども」は前者であると同時に、生殖や性や身体、権力関係を探求する物語でもあり、実に多様な要素が、語り手となる少年が迫られるある決断をめぐるラブストーリーとしてまとめ上げられている。

 

「夕方と、夜と、朝と」は、一九八八年のサイエンス・フィクション・クロニクル賞の受賞作である。生殖や家族といった「血を分けた子ども」の主題を引き継ぎつつ、本作は破滅的な遺伝性疾患を抱えてカリフォルニアで暮らす大学生リン・モーティマーの絶望と希望を追っていく。同じ疾患を持つ学生同士のアランとリンの二人は出会い、やがて、アランの母親が入所している保養所を訪れ、いずれはみずからに降りかかるであろう選択を知ることになる。バトラー自身があとがきで述べているように、遺伝的あるいは生物学的要素によって人の行動はどこまで決定されるのかという問題を、この短編は突き詰めた形で示している。

 

「近親者」は、バプテスト信徒の祖母と母親のもとで厳格に育てられたバトラーの、聖書の物語への長年の興味から生まれた。生前は疎遠だった母親の死後、遺品の整理に訪れた娘と伯父のやり取りは、思わぬ形で家族の過去を明らかにする……。SFやファンタジーといった要素を排し、会話を中心として進行する家族ドラマは、バトラーの作風の幅広さを物語っている。

 

「話す音」は一九八四年にヒューゴー賞の最優秀短編部門を受賞した。謎の伝染病の世界的流行によって社会が機能しなくなったカリフォルニアを舞台に、ライという女性の一日の体験を描く本作は、言語とそれ以外のコミュニケーション手段が「人間性」にとってどのような意義を持つのかという思索を軸に据えている。疫病という設定によるディストピア小説の緊迫感を主人公の経験に凝縮しながら、人間の性を見つめるバトラーの特質をよく伝えてくれる作品である。

 

「交差点」は、一九七一年にバトラーが初めて出版した作品である。さまざまな職場を転々とした作者自身の経験を踏まえつつ、社会の底辺でもがく主人公を見つめた、十頁に満たない語りは、ふとした瞬間に非現実の世界に足を踏み入れる。

 

 これらの短編に続いて、二つのエッセイ「前向きな強迫観念」と「書くという激情」が収録され、作家になるきっかけや重要な節目、創作に対する姿勢を垣間見ることができる。SFというジャンルで書き続けることの意義や、書くうえで「閃き」には頼らなくてよい、というくだりなど、バトラーの人としての芯の強さを存分に伝えている。

 

 新作短編として収録された二編のうち、「恩赦」は、バトラー自身があとがきで触れているように、一九九九年、アメリカの核開発に関わっていた台湾出身の研究者がスパイであるとの疑いをかけられて拘束された事件をきっかけに執筆された。突然すべてを奪われてしまい、奪った側は罪に問われないという出来事について書くにあたり、小説としては、「集合体」と呼ばれる地球外生命体と人類との出会いが地球で発生することによって、人間社会が精神的にも社会的にも混乱に陥った設定が選ばれている。異なる種のあいだの通訳を務める女性ノア・キャノンが主人公となり、「集合体」のもとで働く候補となる六人の人間に対し、仕事の内容だけでなくみずからの体験も語っていく。その過程で、人間とはどのような存在なのか、みずからを超える存在とのあいだで人間はどのような関係を作ろうとするのか、といった主題が幾重にも展開される。

 

「マーサ記」は、世界を救うという主題の長編小説の執筆が難航した後、合衆国が対テロ戦争からイラク戦争に突入したこともあって、その主題を取り上げて書かれた作品だという。バトラー本人を思わせる、アフリカ系女性作家マーサのもとに、ある日突然神が現れ、人類を救うという務めを任されることになる。人間のなにかをひとつだけ変えることで、いい方向に導けるとすれば、それはいったいなにか? 神との思弁的な問答が、人間にとってフィクションはどのような意味を持つのかという問いを中心に回っていく、バトラーにとっては集大成的な作品である。

 

 バトラーの物語はしばしば、人間の破壊的な行動が繰り返されることへの深い絶望感をにじませる。人間とはそもそもどのような存在なのか。現在の地球とはまったく異なる世界にいれば人間が変わらざるを得ないのなら、どのような変化がもたらされるのか。そうした問いを通じて絶望と希望を交錯させ、緊迫感に満ちた物語を構築するこの作家の手腕は、それぞれの短編に凝縮されている。それを翻訳でうまく伝えることができているのかどうかは、読者のみなさんの判断に委ねることにしたい。

 

 

 本書の翻訳は、多くの人のサポートがあって日の目を見ることができた。まず、企画の実現にあたっては、河出書房新社の坂上陽子さんにリードしていただき、編集の段階では竹花進さんに的確に引っ張っていただいた。また、編集者の平岩壮悟さんがゲラと英語の原文を突き合わせてさまざまなアドバイスを送ってくださり、装丁を川名潤さんが担当してくださったことにも感謝したい。どうもありがとうございました。

 

「マーサ記」の翻訳、および「恩赦」の主題については、東京大学の現代文芸論研究室で開講している授業で話し合う機会があった。作品を面白がり、議論を通じて多くのことを教えてくれた学生たちにも感謝したい。

 

 最後に、家族に最大の感謝を。ともに笑ったり話し合ったりするなかで僕の希望を支えてくれる妻の河上麻由子と、お勧めの本をときどき教えてくれる娘に、愛と感謝を込めて、本書の翻訳を捧げたい。

              二〇二二年四月

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著者

藤井光

1980年大阪生まれ。同志社大学英文学科教授。おもな訳書に、D・ジョンソン『煙の樹』、A・ドーア『すべての見えない光』、N・ドルナソ『サブリナ』、C・ホワイトヘッド『ニッケル・ボーイズ』など多数。

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