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今野真二『日本語の教養100』(河出新書)刊行記念 往復書簡 「知識の沼――ことばで巨人の肩にのる」第2回 今野真二→山本貴光

10年以上にわたって多彩な視点から日本語をめぐる著作を発表しつづけてきた今野真二さん。その日本語学のエッセンスを凝縮した一冊とも言える『日本語の教養100』が刊行されました。これを機に、今野日本語学の「年季の入った読者」と自任する山本貴光さんとの往復書簡が実現。日本語についてのみならず、世界をとらえるための知識とことば全般に話題が広がりそうな、ディープかつスリリングな対話をご堪能ください。

第1回はこちら

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山本貴光さま

御状ありがとうございました。

この往復書簡を読んでくださる方のために、まずは今野と山本さんとの「なれそめ」について書いておきたいと思います。今野と山本さんとが(今野と山本さん以外の方に具体的にわかるような)「接点」を持ったのは、山本さんが『図書新聞』第3466号(2020年10月10日)に、今野の『乱歩の日本語』(春陽堂書店、2020)の書評を書いてくださったことがはじめです。

山本さんはひじょうに丁寧に『乱歩の日本語』を読んだ上で、書評を書いてくださっており、『乱歩の日本語』の「書き手」として「我が意を得たり!」と感じました。書評の中では「日本語の名探偵」という表現が使われていました。もちろん「過褒」であることはいうまでもないのですが、嬉しく感じました。この本の担当をしてくださった編集者も「いい書評ですね」と言っていました。

あまりそういうことはしないのですが、思い切って、山本さんにお礼のメールをさしあげました。すると翌日には山本さんが返信をしてくださいました。そこから折々にメールを交わすようになり、お互いの書いた本を送り合うというようなことが始まりました。

2021年2月10日には、山本さんのおとりはからいで、あのゲンロンカフェで、対談をするということも実現しました。この時が初対面なのですが、とても初対面とは思えず、メールでの少しの打ち合わせ(といっても、ほとんど打ち合わせらしい打ち合わせはなく、ライブ感を大事にして、打ち合わせはしないでおきましょうという打ち合わせをしたのでした)とカフェでの数分の打ち合わせをしただけで、対談に入りました。

結局3時間半ほど対談をしたのですが、楽しく滑らかに時間が過ぎ、「あと2時間ぐらいはいけそうだ」というような気持ちで対談を終えることができました。終わってから二人で、しまった、「今日が初対面なんです」とどこかで言えばよかったですねと話しました。山本さんは今野の書いたものを、かなり前から読んでくださっており、それが「初対面とは思えない」という感じの裏側にあるのではないかと思います。

このことは、実は重要なことで、ふだんよく接している友人とは、いろいろなことを「共有」しています。その「共有」を背景にして話もはずみますし、「共有」を前提として話が展開していくことになります。通常は実際に会ったことがない人とはほとんど何も「共有」していないので、話がすぐにはずむということにはならないわけですが、山本さんが今野の書いたものをたくさん読んでくださっていたために、具体的には会ったことがなくても「共有」されているものがたくさんあった、ということなのだと思います。

今野は大学の教員です。山本さんもこの4月から専任教員としてのお仕事を開始しています。昨年度は、みなさんご存じのような状況下、大学ではいわゆる「オンライン授業」がほぼ1年間行なわれました。

この「オンライン授業」という表現なども今野は少し気になります。どう気になるのかといえば、「オンライン」の対義は「オフライン」だと思います。大学の授業には、資料や課題を大学のLMS(学習管理運営システム)に置く「オンデマンド型授業」もあります。これも教室で行なわない授業の一形態ですが、「オンデマンド型授業」は資料や課題にアクセスする時だけが、オンラインで、その後はオフラインであるはずで、「オンライン授業」とは呼びにくいということです。

今野の勤務している大学では、「対面授業」と「遠隔授業」というカテゴリーになっています。「遠隔授業」の中に「オンライン授業」と「オンデマンド型授業」とがある、ということです。どのようなカテゴリーを設定して、ことがらを切り分け、そのカテゴリーをどのように言語で表現するか、ということはささいなことのようにみえて、きわめて重要なことです。この往復書簡でも、そういうことが話題になることでしょう。

さて、今年度は、新型コロナウイルスの感染が世界規模で拡大した1年間の次の年ですが、大学の授業を「対面」で行なうのか、「遠隔」で行なうのか、ということがこれほど取り沙汰され、またそのことについてあれこれと考えた年はなかったわけです。

山本さんと今野とに「共有」しているものがあったとすると、それをどう呼ぶのがふさわしいかということがありますが、なんらかの「知識」ということにしましょうか。そうすると対面しなければ「知識」を共有することができないわけではないことがさきほどのことからわかります。なにしろ今まで一度も会ったことがなかったのに、話がはずみました。

そのことからすれば、「対面」でなければ大学の授業が成りたたないという「みかた」は(そういう「みかた」はあるかもしれませんが)それが絶対ではなさそうです。そもそも、プラトンの考えを知るためにはプラトンと教室でことばを交わさないといけないということはないでしょう。もちろん、「対面」で伝わることもありますから、「対面/非対面」は「知識」にとっては、どちらも「アリ」な「手段・方法」とみるのが自然でしょう。

さて、少し話が「本線」を離れたかもしれません。「本線」や「脱線」という表現は、真っ直ぐに続いている線路を思わせます。しかし、エベレストに登るルートが一つではないように、「知識」に到る道は一本道ではないでしょうし、「道」としてきれいに整備されているわけでもなさそうです。

この往復書簡のタイトルは「知識の沼」です。「沼」ですから、ずぶずぶしているわけです。およそ「線路」とはかけ離れていますが、「知識」というものはそんなものではないかと思います。何かを明らかにしたいと思った時は、いわば「光明」に向かって進もうとするわけですが、どこまでいっても疑問がつきず、「底なし沼」にはまることだってありそうです。脱線は直線的な線路を前提にしている点で、まだまだかもしれません。

しかしまた、「沼」のずぶずぶ感は時にここちよいかもしれません。「泥遊び」ならぬ「知識の沼遊び」という感じでこの往復書簡を楽しく読んでいただけるとさいわいです。今野は沼遊びを堪能しようと思っています。きっと山本さんもそう思っていることでしょう。

山本さんのお手紙には、山本さんが今野の著書や論文の「年季の入った読者」だと書かれています。光栄なことです。そういう意味合いでは、今野は山本さんのご著書の「駆け出しの読者」です。

2014年に出版されている『文体の科学』(新潮社)は、すぐに購入しました。2015年3月1日の『朝日新聞』には佐倉統氏の書評が載せられました。今野の所持している『文体の科学』にはその書評が貼ってあります。山本さんとメールのやりとりをするようになってから『マルジナリアでつかまえて』(本の雑誌社、2020)、『人文的、あまりに人文的』(本の雑誌社、2021)をいただき、この2冊は一気に読ませていただきました。このあたりで今野も、遅ればせながら、「どうも私はこの山本貴光さんという人の書くものを、ともかく全部読んだほうがよさそうだ」と考えるようになっていました。 

山本さんと今野とは、いろいろな点で「違い」があります。しかしまたたくさんの共通点もありそうなのです。これは今野がここ数年考えている「同じ/違う問題」とかかわっています。これとこれとは、こういう「観点」からすれば「同じ」である、しかしこういう「観点」からすれば「違う」。こういうことはいろいろなところにあります。「同じ/違う」ということを追求していくところから見えてくることもたくさんありそうです。この往復書簡は、だんだん今野と山本さんが「どのように異なっていて、どのように重なり合いがあるのか」というところにはまりこんでいくような予感がします。

山本さんのご著書には今野がこれまで知らなかったようなことがたくさん書かれていて、いろいろな書物が紹介されています。それは古い表現でいえば「自家薬籠中」のものという趣きです。今野は山本さんのご著書を少し読むたびに、「なるほど」とつぶやき、紹介されている書物で、おもしろそうなものを注文します。山本さんのご著書を読むと注文する本がどんどん増えていきます。こんなに読めるだろうかと思いながらも、知らないことは知りたくなります。わかるかどうかわかりませんが、それでも一度きりの人生、思い切ってずぶずぶいくしかない、とも思います。

山本さんの書簡にあるように、往復書簡はどう書くのがいいのか、と思います。しかしまあ、公開で対談をしているような、そんな心持ちで書いてみようと思っています。そこで、「索引」ということについて山本さんにうかがってみたいと思います。

山本さんと吉川浩満さんとの共著『脳がわかれば心がわかるか 脳科学リテラシー養成講座』(太田出版、2016)の25ページに「しかし、ごまかさないで考えようとしたなら、どちらの事実もまともに受けとめる(taking seriously©リチャード・ローティ)しかありません」とあります。

この本の索引は「事項索引」「欧文事項索引」「人名索引」「作品名索引」と四つに分かれています。「taking seriously」はなんと!「欧文事項索引」に採られています。そしてリチャード・ローティも「人名索引」に採られています。今野はこの「taking seriously©リチャード・ローティ」という記述形式に初めて接したので、このあたりを説明していただくことから、山本さんが「索引」について、どのようにお考えになっていて、それを執筆や、読書などにどのように組み込まれているか、ということについて教えていただければと思います。いきなり山本さんの居室に土足であがりこむような不躾な質問になったかもしれませんが、その点についてはどうぞご海容ください。

窓の外をツバメが飛んでいます。ツバメが空を自由に飛び回るように、この往復書簡が自由で楽しいものとなるよう、二人で大風呂敷を広げていこうではありませんか。どうぞよろしくお願いいたします。

2021.04.28
今野真二

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著者

今野真二

(こんの・しんじ)
1958年生まれ。清泉女子大学教授。日本語学専攻。『日本語の教養100』『日本語 ことばあそびの歴史』『教科書では教えてくれない ゆかいな日本語』『図説 日本語の歴史』(以上、河出書房新社)、『言霊と日本語』(ちくま新書)、『ことばのみがきかた』『乱歩の日本語』(以上、春陽堂書店)、『振仮名の歴史』(岩波現代文庫)、『日本語の連続/不連続』(平凡社新書)、『『広辞苑』をよむ』(岩波新書)、『日本語が英語と出会うとき』(研究社)、『秋萩帖の総合的研究』(勉誠出版)、『『日本国語大辞典』をよむ』(三省堂)など。

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