単行本 - 外国文学

きわめてポップでジャパネスクな新世代小説の誕生──『シブヤで目覚めて』訳者あとがき

『シブヤで目覚めて』
アンナ・ツィマ 著 阿部賢一 須藤輝彦 訳
本体2,700円(税別) 384ページ

チェコで日本文学を学ぶヤナは、謎の日本人作家の研究に夢中。

一方その頃ヤナの「分身」は渋谷をさまよい歩いていて──。

チェコで文学新人賞を総なめにした、話題の新世代ジャパネスク小説、

阿部賢一さんによる訳者あとがきをお届けします。

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『シブヤで目覚めて』訳者あとがき

 

 十七歳のヤナは、プラハのギムナジウム(日本の中学・高校に相当)に通う生徒。けれども同級生とはどこか波長が合わない。というのも、『ハリー・ポッター』のダニエル・ラドクリフやヒップホップに熱をあげる友だちとは異なり、彼女のアイドルは黒澤明の映画『酔いどれ天使』で主演をつとめた三船敏郎だからだ。念願のカレル大学哲学部日本学専攻に進学したヤナは、図書室でアルバイトを始める。蔵書整理中に目に入ったのは「川下清丸」という無名作家の名前だった。心と体が分離していく川下の話に魅了されたヤナは、作家の素性を調べ出す……。

 かたや、もう一人のヤナは、2010年の渋谷にいる。街中を歩いても、自分が「幽霊」であるかのように誰も見向きもしない。渋谷を離れてどこかへ行こうとすると、すぐにハチ公像の前に引き戻されてしまう。渋谷に閉じ込められたヤナは日本語を学びながら、行き交う人びとを観察するしかなかった。そんなとき、仲代達也似の若者に惹かれ、かれの跡を追いかけていくと……。

 本書『シブヤで目覚めて』は、21世紀初頭のプラハと東京という二つの都市を舞台にして、それぞれの物語が共振しながら進んでいく小説だ。2018年にプラハで刊行されると、書評やメディアで数多く取り上げられ、チェコ最大の文学賞マグネジア・リテラの新人賞、イジー・オルテン賞(ともに2019年)を受賞し、2019年のチェコ文学の新人賞をほぼ独占するという快挙を成し遂げている。

 日本を舞台にした魅力的な物語でデビューを果たしたのが、アンナ・ツィマ(1991年、プラハ生まれ)だ。その彼女が日本文化に目覚めたのは10代半ばのことだった。街角で目にした村上春樹の『アフターダーク』チェコ語訳(2007年)の表紙に魅了され、すぐに同書を買い求めに書店へ走ったという。それからというもの、本書の主人公ヤナ同様に、カレル大学で日本文学を学び、在学中には東京の大学への留学も実現している。翻訳家としても活躍し、パートナーのイゴル・ツィマとともに、高橋源一郎『さようなら、ギャングたち』、島田荘司『占星術殺人事件』をチェコ語に訳出している。現在は、東京を拠点にするチェコ語作家として執筆と翻訳に勤しんでいる。

 日本の読者からすると、どうしても日本との関係が気になるところだが、何よりも本書はチェコの文学界に新風を吹き込んだ作品として高く評価された点を指摘しておきたい。文学者ペトル・A・ビーレクが「近年のチェコ文学の中で最も注目に値する作品。成熟し、多層的で、読者にも多くをもたらす作品」と評したように、何よりも読み物としての面白さが本書の魅力であろう。

 いろいろな面白さがあるが、その一つは多層的な物語の構造によるものだろう。物語は、プラハでの学生生活と渋谷での彷徨生活が交互に並行して進むが、そこに、ヤナが翻訳を進める川下清丸の大正・昭和文学の世界が絡み合ってくる。川下の書いた小説をヤナが少しずつ訳していくという構成によって、読者は、ヤナの奮闘をたどりながら川下の小説を読むという二重の読書体験を味わうことになる。しかも、そこで訳出されるのが昭和初期の作品であるため、文体的にも異なる文学世界が広がっている。つまり、プラハと東京という二つの都市文化の要素に加え、大正・昭和と現代という異なる時間軸を往還することで、物語に奥行きと躍動感がもたらされているのだ。

 物語の仕掛けが多層的でありながらも、過度に技巧的なものに感じさせないのは、ヤナの軽妙な語り口のおかげだろう。また学生の視点から描かれることで何かを学んでいこうとする視点が共有できる。日本文学を学ぶヤナは先輩のクリーマとの対話を通して、日本の文学、あるいは文学研究についての知識を得ていくが、読者もページをめくりながら知識を蓄えていく。もちろん、あまたある「エキゾチック」な小説とは一線を画し、横光利一、芥川龍之介、松本清張、高橋源一郎、村上春樹、島田荘司といった近現代日本文学への目配りもなされている点は、日本文学を専攻した著者ならではのセンスが垣間見える。

 さらに巧みであるのが、「分身」というモチーフが、地理的、時間的に異なる位相を貫いて、物語の統一性をかたちづくっていることだ。ヤナは、架空の日本作家川下清丸の書いた「分裂」という小説に魅了され、川下の作品をチェコ語に訳していく一方、渋谷のヤナは幽霊になったかのように誰の目にも止まらず街を彷徨っている。「分身」をめぐる川下の物語の読解と、東京とプラハのヤナの「分身」の展開が最終的には川下をめぐる一つの物語へと収斂していく終盤は圧巻だ。もちろん、「分身(ドッペルゲンガー)」を題材とした作品は数多くある。チェコの文脈に引き寄せれば、グスタフ・マイリンクの『ゴーレム』(1915)があり、本作で言及される作家の中では芥川龍之介の「二つの手紙」(1917)がよく知られている。だが、これらの作品が人間の内面を扱い、往々にして陰鬱なトーンを帯びるのに対し、本書の語り口は一貫して軽やかだ。それは何よりも主人公ヤナがつねにユーモアを忘れないからだろう。

 日本文学との関係で言えば、現代作家だけではなく、大正・昭和初期の作家を参照している点は興味を惹く。なかでも横光利一らとの関係は綿密に調べられており、「川下清丸」という作家が実際にいたかのような感覚さえ覚えるだろう(チェコの読者には、実存の作家だと思った人が多くいたらしい)。また川下の父と関係をもった山田清子の人物造形は、島崎藤村の『新生』を想起させる(「チェコで目覚めて、日本を彷徨う アンナ・ツィマ インタビュー」『文学+』2号、2019年、78-101頁)。つまり、本書は大正・昭和文学へと読者を誘う書物でもあるのだ。そこにヤナとクリーマ、日本人の写真家アキラ、渋谷で遭遇する仲代とのラブロマンスの要素が加わり、身元不詳の作家川下の来歴をたどる推理小説の要素もある。これまでの東欧文学の暗さや重さとは異なる、きわめてポップでジャパネスクな新世代小説の誕生と言えるだろう。

 最後に余談だが、本書の日本語訳の刊行が決まった時、チェコの版元パセカ社の関係者は「シブヤの出版社が翻訳権を取得した!」と喜んでくれたらしい。シブヤを舞台にした小説を渋谷区に社屋がある出版社から刊行できた背景には、ヤナ(アンナ)の強い〈想い〉があったのかもしれない。

 

2021年2月
阿部賢一

 

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著者

アンナ・ツィマ

1991年、プラハ生まれ。カレル大学哲学部日本学専攻を卒業後、日本に留学。本書で2018年にデビューし、チェコ最大の文学賞であるマグネジア・リテラ新人賞、イジー・オルテン賞、「チェコの本」文学賞を受賞。

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