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千年読み継がれる『源氏物語』とは何か?|角田光代×池澤夏樹対談【第1回】

2017年9月19日、新宿・紀伊國屋ホールにて、角田光代さんと「日本文学全集」編者である池澤夏樹さんによる、『源氏物語』刊行記念トークイベントが行われました。なぜ池澤さんは角田さんを選んだのか、角田さんはなぜ新訳を引き受けたのか、お二人にとっての『源氏物語』とは何かなど、たっぷりと語り合った模様を2回にわたってお届けします。

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角田さんが『源氏物語』と現在にどんな橋を架けるのか見てみたかった(池澤夏樹)

池澤 「池澤夏樹=個人編集 日本文学全集」の編纂にあたって、真っ先に決めたのは、「日本文学全集」と名がつく以上は古典から現代の作品まで収録するということでした。しかし古典は難しい。原文のまま読める人はそう多くはありませんからね。そこで古典は現代語に訳してしまおう。それが重要な基本方針になりました。古典の専門家といえば国文学の研究者がたくさんいらっしゃいます。でも「日本文学全集」は文学ですから、文学者が手がけよう。お勉強として立ち向かう難解な古文ではなく、楽しくおもしろく読める現代語の文章にしよう。そう考えて、小説家や詩人の皆さんに頼んでみようと思い立ちました。
作家による古典の現代語訳はこれまでにもありました。今回いちばん心配したのは、「今さら古典なんて興味ないよ」と作家たちにそっぽを向かれることでした。それではこの企画は成立しません。
まずは編集部と僕とで相談しながらリストを作っていきました。どの作品にどんな作家がふさわしいのか。作品と作家のマッチングを僕らはずいぶん考えました。たとえば『枕草子』であれば、以前から酒井順子さんが愛読書だと公言していて、エッセイも書いていらっしゃる。ならば酒井さんに頼んでみようと、そういう理屈でリストを作成していって、作家の方々にお願いにあがりました。いきなり僕が顔を出すと脅すみたいで良くないから、最初は編集者が行きました。驚いたのは、作家の皆さんがお引き受けくださったことです。それほど皆さんが日本の古典に関心があったのかと、かえって僕は驚嘆しました。
さて、心配の種は『源氏物語』です。あまりに長くて難しい小説です。しかもこれまでに現代語訳がいくつも発表されている。『源氏物語』ばかりは誰も引き受けてくれないかもしれないと思っていました。でも僕にはまた別の思いもありました。従来の現代語訳に良作がたくさんあるのは知っていますが、いまの僕らが小説を読む姿勢で、いま書かれる小説の文体で、『源氏物語』を読んでみたい。その代表が角田光代さんだと僕は思ったのです。角田さんには唐突なお話だったでしょうね。これまで角田さんは『源氏物語』について文章で触れたり発言なさったりしたことはないでしょう?

角田 はい、なかったですね。

池澤 だからお断りになって当然。ただでさえ『源氏物語』の現代語訳なんて狂気の沙汰ですから。しかも角田さんは小説家として脂が乗りきって、縦横に活躍していらっしゃる。ところが、なんと角田さんはお引き受けくださった。
それから角田さんは大変な作業が始まりました。全三巻のうち上巻がこのたび刊行されましたが、中巻、下巻といまも翻訳は続いております。この間、僕は日本中の編集者たちに恨まれ、「池澤は角田光代を独占している。文学の敵だ」などと誹られております。これは僕の罪の告白です。
『源氏物語』を現代の作家になぞらえるなら、その文体はけっして角田的ではない。せいぜい谷崎(潤一郎)的です。この大きな隔たりに角田さんは大変ご苦労なさると思いながらも、角田さんが『源氏物語』と現在にどんな橋を架けるのか見てみたかった。そして完成した上巻をこうして目にして、僕は本当に嬉しいんですよ。僕の想像をはるかに超えた角田訳に驚喜しているのです。なぜ角田さんは引き受けてくださったのですか。

角田 ご本人を前にして言うのはひじょうに恥ずかしいですけれど……。私は本をすごくたくさん持っているんですけど、そのなかにサイン入りの本が一冊だけあります。それが池澤夏樹さんの本なんです。池澤さん、九六年に吉祥寺のパルコブックセンターでトークイベントをされたのを憶えていますでしょうか。池澤さんのサインが貰えて、なおかつお話が聞けるというので、二十代の私は嬉々としてイベントに出かけたんです。

池澤 いいえ、僕は憶えていません。

角田 それから二十年後、私が「日本文学全集」のお話をいただいたのが二〇一三年です。「池澤さんの個人編集で、『古事記』から始まって……」という説明とともに、作品リストを編集者の方からもらいました。リストにざっと目を通したとき、私はこれがやりたいなと思った作品が実はあったんです。でも「角田さんは『源氏物語』です。池澤さんからのご指名です」と言われてしまいました。
唯一サインを持っている作家の方から私の名前が挙げられた。これは本当に、本当に本当に光栄なことです。私は力不足かもしれないし、実は『源氏物語』に何の興味もないんですけど、これはお引き受けしたいと思いました。けれども一方で、池澤さんの名前を出せば角田は断らないと知ったうえで、編集者が誇張してお話ししているんじゃないかなとも思ったりもしました。「やらせていただきます」とお返事して、翻訳作業が始まって、どうしてお引き受けしてしまったんだろうと思うことも多々ありましたけれども、いまは違う気持ちです。先ほどの池澤さんのお話を聞いて、すごく嬉しいです。帰って泣きます。

池澤 サインしておいてよかったと思います。僕にもひじょうに嬉しいお話でした。
ただ、こうも思うんですよ。人には機が熟する時があって、そういう時に促しが来ると、しぜんとそれを始めてしまう。そういうことがあると思うんです。僕自身で言えば、まさに「日本文学全集」がそうでした。
たしかに僕は「池澤夏樹=個人編集 世界文学全集」をつくった。外国文学は僕の得意とする領域だったからよかったんです。僕は国内の文学のことを知らない。だから「『日本文学全集』をつくりませんか」と言われた当初、僕は一蹴していたんです。しかしその後、東日本大震災があり、僕は東北に通いはじめ、この国について考えているうちに、ふと「日本文学全集」のことを思い出しました。この国で日本人がなにを考えてきたか、きちんと考えてみようと思ったんです。
そのときはこの仕事がどれほど大変か、まだわかっていなかった。知らないから始めてしまうということがあるんですね。その意味で、僕と角田さんは同じではないですか。角田さんにとって小説を書くのは大事なことだけれども、別のものに移っていく促しがあったのかもしれない。そんな角田さんのボタンをたまたまた僕の指が押した。

角田 はい。たしかにそんなタイミングでした。
私はずっと連載がひじょうに多くてですね。十年前から少しずつ連載を減らしていって、二〇一五年四月にすべての連載が終わる予定でした。その後は仕事を入れていなかったので、ちょうど『源氏物語』にあてることができたんです。タイミング的にひじょうにいい時期だったと思います。

池澤 僕は「日本文学全集」のなかで『古事記』を訳しました。『古事記』は古いから難しいと皆さん思われるけど、そこが付け目でしてね。知らない言葉はいろいろあるけど、注釈書がたくさんあるから、それは調べればいい。文体がまっすぐで、凝ったところがない。話の展開が早くて、次から次に人びとは愛し合い、憎み合い、殺し合い、進んでいく。その速度をつかめば難しいことはないんです。
それに比べると、『源氏物語』をはじめ、王朝の女御文学は僕には難しくて手が出ません。僕の印象では、『源氏物語』が古典でもっとも翻訳が難しい。だからこそ角田訳を読みたかったのです。

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受験臭を払拭して、物語を読むものにしたかった(角田光代)

角田 池澤さんは古典を系統立ててご存知だから、どの作品と比べてどのように難しいと言えるのだと思います。私は古典について知識がないので、そういうことがわからないんです。
私は古典を原文のままでは読めません。ですから注釈書を二冊、新潮社の「新潮日本古典集成」と小学館の「新編 日本古典文学全集」を使いました。そこにある現代語訳を手引きにするので、原文が読み解けないということはないんです。私が難しかったのは、物語のどこに主軸に置いて訳すかということ。ひいては、現代語訳というのはどういうレベルのことをいうのだろうと考え始めました。
たとえば「超クール」「格差婚」「セレブ」といった現代的な言葉を入れたほうが、『源氏物語』はわかりやすい気もするんです。光源氏は格差婚をしますし、『源氏物語』ってセレブたちの話ですしね。そういうわかりやすい現代語訳がいいのか、もうちょっと原文に忠実なトーンでいくのか。さらに、光源氏の視点で書くのか、女性たちに主軸を置いて書くのか、あるいは……。

池澤 「格差婚」や「セレブ」といった言葉を使った現代語訳も「日本文学全集」にあるんですよ。ところどころで現代語をぽんと放り込む。その言葉が際立って、全体に勢いがつく。異化作用ですね。町田康さんの『宇治拾遺物語』がいちばんいい例です。あれはもう傑作で、町田さんが朗読すると、講演会場が寄席のように笑いに包まれる。ただしかし『宇治拾遺物語』だから異化作用が効いているのであって、『源氏物語』はそうではない。だから角田さんは苦労なさったと思うんだけれども、結果としてちょうどいいところにおさまったと僕は感じています。

角田 『源氏物語』は既にいろんな方の現代語訳があって、しかも有名な訳がいくつもあります。私には逆にそれがよかったんです。「谷崎訳や与謝野(晶子)訳、瀬戸内寂聴さんや円地文子さんの訳に対して、プレッシャーはありませんか」とよく言われましたけど、『源氏物語』をちゃんと読みたいならそっちをお読みなさい、という気持ちが私にはあったんです。私はそれらを上書きしたり否定したりするわけじゃありません。もうひとつ別の『源氏物語』を書くだけです。「ほら、『源氏物語』はこんなにたくさんあるんですよ」と言えることで、かえって気が楽になりました。
私はどういう立ち位置に決めたかというと、物語を前面に押し出すことにしました。それは私に『源氏物語』に対する思い入れがないからできたことだとも思います。私は高校時代から古文に触れては挫折してきました。いまでも古文というと受験臭がしてしまって、読み通せないものという印象がぬぐえません。ですから受験臭を払拭して、物語を読むものにしたかったんです。そのために、『源氏物語』がもっている優雅さをばっさり捨てることにしました。かつてなく格式の低い『源氏物語』を目指しました。
捨てたものがいっぱいあります。背景となる宮中の文化や、平安時代の人びとの習慣。それから、敬語表現です。古典のおもしろさのひとつに、敬語のバリエーションによって関係性を読み解くことがあるとよく言われますけれども、私はそれも捨てました。とにかく重視したのは、いまなにが起きていて、なにがどう展開しているかということでした。

池澤 翻訳は、原文が読めない人のために書き崩した文章ではなくて、それ自体が原作を離れた別個の作品なんです。だから翻訳者が書いた数だけ作品が増えていきます。翻訳はしかたなくやるものだという考えを捨てたいと、僕は「世界文学全集」を手がけた頃から思っていました。
可哀想なことに、イギリス人はシェークスピアを込みいった原文で読むしかないのだ。そんなふうによく言いますよね。シェークスピアの日本語訳はこれまでにも数十種類もあって、いまも松岡和子の「シェイクスピア全集」(ちくま文庫)が完成に近づいています。角田さんがおっしゃるとおり、僕らは数ある翻訳から好きなものを選んで読めるわけです。
翻訳者たちは文体を決めるのに苦労します。いろんな文体を試して、これも違う、あれも違う、と試行錯誤をくりかえす。しかし文体の方針が決まれば、一挙に動き出す。あとは毎日の肉体労働を重ねていく。この期間が長いので『源氏物語』はとりわけ大変ですが、しかし続けていけば必ず完成する。角田さんは欲張らなかった。捨てるものと残すものを明確に判断されました。それは翻訳としてとても正しい姿勢ですね。

角田 ああ、よかった。

池澤 読み手にも角田さんの方針が伝わる翻訳です。いえ、お勉強の読み方を否定するわけではないんですよ。注釈を見ながら原文を読み進めてもいいのですが、それでは『源氏物語』はあまりに時間がかかる。小説として読むならば、せめて一晩に一帖くらいのスピードでないと乗りが悪い。長い長い『源氏物語』が、角田訳ならどんどん読めます。角田さん、いいものをつくってくださいましたね。

角田 ありがとうございます。

『源氏物語』には運命のポイントがいっぱいある(角田光代)

池澤 訳していくなかで、『源氏物語』の物語をどのように受け止められましたか。

角田 この作業に取りかかる前は偏見がありました。いくら『源氏物語』に興味がないといっても、なんとなくストーリーを知っていたし、エピソードを断片的に読んでいました。ひじょうに人間離れした人が好き放題にやるみたいな話だろうと思っていたんですよね。だけど実際にとりかかってみると、そうではなかった。
私がいちばん興味をひかれたのは、運命です。運命というのは、ひとりの一生ということではなくて、もっと俯瞰したもの。ある人に前世があって、いまの現世があって、また後世があって、そういったものを全部ひっくるめて、人間の運命とはなにかということを『源氏物語』は描いている。前世も来世も、生霊も死霊も、夢の話も出てきますよね。それらを全て含めて『源氏物語』の現実があります。私に向かってこの小説が「ここがおもしろいんだよ」と言ってきたのは、そうした俯瞰図からとらえられる人間の運命でした。
いま、まるで正解を述べたみたいになりましたけど、『源氏物語』はたくさんの正解をもった作品で、いろんな読み方ができるんです。だからこそ、いろんな人が様々に関わってきたのだと思います。そのなかで、私はできるだけ運命というものを前面に出せるよう、心がけて訳しました。

池澤 原作をいちばん丁寧に読むのが翻訳者ですから、たいへんに重みのある言葉です。たしかに『源氏物語』は運命の物語だと思います。
光源氏が中心にいます。彼は美貌と欲望の主人公で、徹底的にスーパーマンとして書かれている。そこにいろいろな女性たちとの関わりが生じることで、女たちを変えるとともに、光源氏をも変えてゆく。この群像を、彼が生まれる前から亡くなる後まで、時の流れとともにゆっくりと追いかけたのが『源氏物語』です。人間というのは、個人の運命を絡み合わせながら、全体の運命を織り上げていくものである。『源氏物語』を読んでいるとよくわかります。

角田 そのことに私はびっくりしたんです。『源氏物語』が大昔にひとりの人が語った物語だとするならば、絶対に辻褄が合っていないはずだと思ったんです。これほど長い時間をかけて大勢が登場する物語ですから、エピソードごとにつなぎ合わせて読み直せば、どこかに綻びが出てくるだろうと。ところが、周到に伏線が張ってあって、それを見事に回収していきます。ノートやパソコンで相関図やプロットをつくることができない時代に、一体どうやって人物たちを整理したんだろうって、本当に不思議です。
私がおもしろいと思ったのは、『源氏物語』において、出来事はいつ始まっているのだろうかということです。たとえば「明石」で、光源氏は明石の姫君に会います。けれどもそのずいぶん前に、男たちの間で明石一家について噂されているんです。普通なら光源氏に会ったときから明石の姫君の運命が動き始めると思うんだけれども、本当はそうじゃないんじゃないかって。噂話が出た時点から、明石の姫君の運命は動き出していたのかもしれない。噂話が出なければ、光源氏は明石に行かず、二人が会うことはなかったかもしれない。そんなふうに、私たちの運命は自分が知らないところで動き出しているのではないかという気がしたんです。そうやって読んでみると、『源氏物語』には運命のポイントがいっぱいあるんです。人びとの運命が動き出したポイントを見つけるのがたのしくなってきました。

池澤 ある帖では脇役的に名前が挙がった人が、しばらくしてから主役として登場し、また後の段では別の役柄になっている。人物の糸が何本もあって、それが見え隠れしながら、全体がひとつの織物になっている。あまりの登場人物の多さに、読むほうは「これは誰だったっけ」とメモをとって思い出したりしながら、まさに運命をたどるおもしろさがある。そうやって『源氏物語』に取り込まれていくんですよね。
僕はこの五日間、メモをとりながら比較的丁寧に読んだんだけれども、頭がすっかり『源氏物語』になってしまって、新聞を読んでも町を歩いてもリアリティがないんです。それくらい『源氏物語』は濃密につくってあるのだと驚きました。現代の僕でさえそうなのだから、当時の読者たち、それから何十年後か何百年後かにも本好きの女たちがどれほど夢中になったのだろうと思いをはせます。文字どおり寝食を忘れて夢中になるということがよくわかりました。
中国に「紅楼夢」という長い物語があります。清朝の南京を舞台にした、賈宝玉という若い貴公子と十二人の少女たちの物語です。これが中国では人を夢中にさせる小説の典型だと言われていまして、夢中になってしまった人を「紅癖」と呼ぶそうです。癖になって止まらず、本を買い続け、読書に時間を費やし、小説世界から抜け出せなくなる。そんな状態を「紅癖」と揶揄するんですね。『源氏物語』も同じです。ふとしたときに女たちの顔が浮かんだり、こんなとき朧月夜の尚侍は何と言うんだろうなんて思ったり。そんなふうになると危ない。

角田 顔が浮かぶというお話ですが、私には光源氏の顔が見えないんです。人間の形をとって現れない、空洞みたいなものが光源氏にはあります。けれど女性たちは薄ぼんやりと顔が見えてくる。なぜ見えてくるかというと、感情です。彼女たちの感情がじつに細やかに書き分けられているからなんです。
自分が書く小説について考えると、キャラクターで書き分けるということを普段やっています。たとえばAさんが気の強い女性だとしたら、その対比としてシャイなBさんを出すだとか、そういうふうにキャラクターで人物を分けるんです。『源氏物語』では男性はキャラクターで設定されています。色恋沙汰にちょこちょこ顔を出して気働きができる男とか、マッチョで野暮な男とか、その人の性格や資質で説明がつくんです。
男性がキャラクターであるのに対して、女性は光源氏にたいする感情で書き分けられています。その人自身がどういう性格かはわからないけれども、光源氏に会ったときにどういう感情でいるかで書き分けられているんです。たとえば光源氏よりも年上であることに気後れしたり、光源氏があまりにも美しいために恥ずかしかったりして、普通に接したいのにツンとしてしまう。これはいまの私たちにも共通して理解できる感情ですよね。私も綺麗な男性が苦手で、そばにいると緊張しちゃって普通に話せない。それでわざと興味のないふりをしちゃうんですよ。この感情がすごくわかり合える。感情をもって人物を書き分けていけば、きっといまの私たちと交換可能だと、訳している途中で思ったんです。このとき、私はまさに源氏ワールドに入ったのかもしれません。

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第276回新宿セミナー@Kinokuniya(2017年9月19日)

★イベントの続きはこちらから

*書籍詳細は河出書房新社公式HPまで
*『源氏物語』角田光代訳 特設ページ
( 
「若紫」冒頭の立ち読み角田光代による「新訳について」編集部からの解説などを掲載)
*池澤夏樹=個人編集 日本文学全集 特設サイト

*youtubeにて動画も公開中

*cakesにて「話題の角田光代訳『源氏物語』に迫る!」を好評連載中!

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