単行本 - 日本文学
あたらしい「日本語文学」の地平──温又柔『空港時光』書評
評者・江南亜美子
2018.10.09
イルマ・ラクーザという、一九四六年にチェコスロヴァキア(現スロヴァキア領リマフスカー・ソボタ)に生まれた作家のエッセイ集がこのところ続けて邦訳された。その内の一冊、『もっと、海を』(鳥影社/新本史斉訳)には表紙を開いてすぐに、スカンジナヴィア半島から南は地中海まで、ヨーロッパ全域をカバーする地図が挟みこまれている。それは、動乱の東欧から移動し続けて居場所を見出してきた両親の物語を含む、彼女の自伝的エッセイである本書において、ヨーロッパと呼ばれる領域の途轍もない広さと、海を持たない国の多さを、(海に囲まれた列島に住む私たち日本の読者に)一目で知らしめるためのものだった。
彼女は書く。ユダヤ系スロヴェニア人の化学者であった父が、時機を鑑み、ハンガリーの都市からトリエステ(イタリア)、チューリヒ(スイス)へと至った移動の歴史を。あるいは親族の系譜の網が東方ヨーロッパに広がるハンガリー人である母が、父と出あい、安住の地を求めた家族の歴史を。そのとき用いた言語は、ドイツ語だ。
ラクーザにとってドイツ語は、父母の言葉ではなく、スイスのギムナジウムで過ごした間に身につけた第四言語にあたる。パリにも、レニングラードにも留学した経験を持つ彼女の耳のよさはすでに幼少期から顕著で、神からのギフトといえるレベルなのだが、それでも使いこなせる多くの言語のなかから文学をものする際の使用言語をドイツ語と定めたとき、おそらくそれが彼女の母語となったのだ。
彼女ほどの多言語環境に身を置く人はそう多くないにせよ、ヨーロッパの少なからぬ人々にとって母語とは、存在に先立つ所与のものではない。戦争や迫害、冷戦が、親や祖父母の世代に影を落としていればなおさら、移動は命を懸けて行なうべき必然であったろうし、言語の選択はその移動と不可分である。ラクーザの場合は、どこか優雅に複数言語のなかからある言語を選択したようにみえる。しかしながら亡命や迫害によって母語を捨てざるを得なかった、あるいは移住先の言語をなにがあっても習得せざるを得なかった(母語を話すことが許されない)移民たちも多くいただろう。
これはもちろんヨーロッパに限った話ではない。東アジア、とくに日本に目を向けるならば、かつて日本軍が占領した朝鮮や台湾や旧満州といった地域と「内地」の関係から、日本語作家の多様性をみることは可能だ。いわゆる「在日」作家たち─金達寿や李恢成、李良枝、金石範などが使った日本語は、優雅に選択されたわけではなかったかもしれない。あるいは、米軍の占領とのちの返還を経験した沖縄出身の作家たちが小説を書くとき、言語教育で押しつけられた標準日本語への反発は作品内部に亀裂を走らせただろう。それでも彼らは日本語で書いてきた。
たとえ優雅にみえようがそうでなかろうが、ある言語を選択してなにかを書き綴る行為には、選ばれなかった言語の響きがおのずと内包される。他の言語を排除するのではなく、境界線上をいったりきたりし、むしろ取り込むこと。日本語なら日本語の表現領域を、その揺らぎによって拡張すること。そうして書かれたテキストには、共同体からの脱却と再編入といったテーマ性にとどまらない、ナレーションとしての魅力が満ちているはずだ。
近年、多言語のはざまで小説を書く作家のひとりに、温又柔がいる。彼女は二〇〇九年、「好去好来歌」(『来福の家』白水社刊に収録)がすばる文学賞の佳作となりデビューを果たした、日本語で書く作家である。両親、本人ともに台湾人で、一九八〇年に台北に生まれた彼女は、三歳から日本で育つ。家庭内では母親と中国語に台湾語のまじる言葉で話し、父親の教科書のような日本語を好ましく聞き、また学校では日本語を完璧に理解する、多言語の環境で暮らしたという。「好去好来歌」は、台湾人の両親と幼少期に来日し、以降、日本語を母語とする揚縁珠という若い女性の恋愛模様と、日常的に中国/台湾/日本の三言語に触れる=振れる言語環境を描いた小説であった。そしてそのデビュー作から八年後の作品、『真ん中の子どもたち』(集英社刊)は、芥川賞の候補作となって話題を呼んだ。
こちらは、中国語に堪能な日本人の父と台湾人の母を持つ、日本育ちの天原琴子が、十九歳で上海の語学学校に留学する物語である。学校では台湾人と日本人のハーフである呉嘉玲など、自分に似た境遇の友を得る。多様なルーツを持つ若者たちとの会話で使用される言語は、日本語や台湾語、中国語、上海語と種々さまざま。加えて、その言葉の上手下手のグラデーションもあるために、コミュニケーションはそう容易ではない。琴子でなく、ミーミーと呼ばれるようになった彼女は、大阪弁(「西日本語」)を達者に操る舜哉と、人も文化も入りまじる租界の地の歴史について語り合いながら、言葉についてこんな弱音をつい漏らす。〈「線が、見えればいいのに。ここまでは、日本人。ここから先は、台湾人。ちゃんと見えるならわたし、中国語を喋るときは日本人である部分に留まっていたい」〉と。それに対して舜哉はこう答える。〈「線なんてない。ミーミーがそう思えば、ミーミーは日本人にも台湾人にもなれるよ。ミーミーの心次第で行ったり来たりすればいいんだ」〉。
琴子は、いささかナイーヴに、母語とはなにかと考える。母の使用する言葉という意味であれば、台湾語まじりの中国語がそれにあたるが、琴子にはうまく使えない。答えを探りつつ、四週間の留学はいったん終わる。そして終章、三十五歳となった琴子はある決心をしている。父母は日本に残し、単身、語学教師として台湾に暮らすのだ。彼女は、中国/台湾/日本の三言語のどれからもはみ出している自分に、ついにアイデンティティを見出した。定住ではなくて、移動。他者(他の言語)と出あい続けて、自身を変容させる生き方を、彼女は目指しているように読者には読める。
この移動の感覚、たえまない外部性の触れ合いに、とりわけフォーカスしてみせたのが、新作の『空港時光』(河出書房新社刊)なのかもしれない。表題作は、羽田空港と台北の松山空港を舞台とする十の短編が集積されてできている。登場人物は日本人、台湾人、アメリカ育ちの台湾人と、国籍やバックボーン、年齢もいろいろだ。これまで温の作品の主人公は、どこか彼女自身が投影されているような女性が多かったが、本作では中心的な主人公はいない。日本人である大祐が、大学の中国語のクラスで台湾人を両親に持つ女の子と知り合い、恋人の関係になり、しかしケンカの際に「ふつうの日本人に、あたしの何がわかるっていうのよ?」となじられる冒頭の一編(「出発」)からもわかるように、母語と国籍と使用言語になんの乖離もない「日本人」側から、複数言語のはざまにある人物をまなざす視点も多く、それは鏡のように、たとえば「好去好来歌」の縁珠を逆側から照射するのだ。
他にも、六歳からサンフランシスコに住むJessicaとアメリカの大学で知り合いステディになった日本人留学生の俊一郎が、台湾で行なわれたJessicaの従兄の結婚式に出席し、ついでに足を延ばして帰郷する「異境の台湾人」や、大学の教師と不倫関係に陥った日本人の女子大学院生がその関係を清算する台湾旅行から岐路につく「可能性」など、空港という場所をある境界として、新しい認識のフェーズを得る人々の姿が描かれる。なかでも、日本統治時代の文化遺産や富士山の美を内面化している上の世代の登場人物を描いた「親孝行」には、単純な一言では説明しきれない台湾と日本の積年の関係が浮かび上がり、親子間のジェネレーションギャップが空港での振る舞いによって際立つという、絶妙な仕掛けが用意されている。
世代間での違いを縦に掘り下げる歴史的な考察がある一方で、くりかえされるのは、わたしがあの子の立場であったなら、という思考実験である。「日本人のようなもの」では、日本に移住した従姉がたどたどしい中国語で話すのをみて、詩婷は〈わたしも日本で育ちたかった。あの子は台湾人っていうよりも日本人のようなものだね、なんて言われる人生を歩んでみたかった〉とうらやむ。あるいは「到着」で、日本に育った咲蓉は、従妹の翠蓉に対し、〈自分と翠蓉は、逆だったかもしれない。台湾で育ったわたしと、日本で大きくなったあの子……子どものときから、こんな想像ばかりしてきた〉と吐露する。横向きの軸として、AやBであったかもしれない人生の可能性がシミュレーションされるのだ。
こうして縦にも横にも広がる感覚は、固有の言語環境にある特別なこの私という、個人的で私的な実感から物語を解放することにも役立っている。読者もまた、自分が彼女や彼であってもおかしくはないとの共感を、心に抱くことが可能になる。温はしばしば作中で、カナやピンインと呼ばれる発音記号やルビを駆使し、発話された言葉の意味だけでなく音までも表記する工夫を重ねているが、本作には、まるっと日本語で意味が書かれなかったり、音がカタカナでルーズに(日本語的に)書かれたりする箇所がある。つまり、視点人物の言語的な制約によってそうとしか理解できない感覚を、紙上で再現しているわけだ。そのこともまた、台湾人であればこの意味は理解できた、発音できたはずとの偏差を読者が体感し、ひいてはべつの「私」に思いを馳せる契機となる。と同時に、読者は言語の物質性、非透明性をはっきりそれと感じることができるのである。
内でもあり外でもある空港という場所で、他人について考え続ける人々の物語は、一元的な対立の構造を超えて、自分の外枠を融解させるイメージにみちている。そのとき言葉の壁はどのようなハードルとなるのか。その壁も超えていくことは可能なのか。温の新作には、「あたらしい日本語文学」の地平が切り拓かれる予兆がある。日本語も日本文学も日本人だけのものではないという当たり前の事実が、彼女の作品によってもういちど確認されるのだ。
多和田葉子による『地球にちりばめられて』(講談社刊)も、移動と言語をめぐる小説である。主人公のHirukoは、古事記においてイザナキとイザナミの二神のあいだに生まれた最初の子ながら葦の舟に乗せられて追放された蛭子に由来する名を持つことからもわかるように、一種の棄民状態におちいる。スウェーデンに留学中に、理由は明記されないままに母国が消滅してしまい、帰還を断念せざるを得なくなるのだ。留学生のビザが切れるために、就職先を求めてデンマークのオーデンセへ。こうして移民となった彼女が会得したサヴァイヴ方法の最大のものが、スカンジナヴィア全域でなんとなく意味が伝わる「パンスカ」という独自の言語を編み出したことだ。彼女の理屈はこうだ。〈昔の移民は、一つの国を目ざして来て、その国に死ぬまで留まることが多かったので、そこで話されている言葉を覚えればよかった。しかし、わたしたちはいつまでも移動し続ける。だから、通り過ぎる風景がすべて混ざり合った風のような言葉を話す〉。
彼女のパンスカに興味を持ったデンマーク人のクヌートを道連れに、Hirukoは失われた母語話者を探す旅に出る。「ウマミ・フェスティバル」の講師をするテンゾがそうではないかとドイツのトリアー、そしてノルウェーのオスローへ。果たしてようやくあえたテンゾはエスキモーであり、Hirukoの母語はかじってみたに過ぎなかった。しかしこの言語の学習が「第二のアイデンティティ」をもたらしたというテンゾの告白に、Hirukoは、「ネイティブ・スピーカーという考え方が幼稚だった」と認識を切り替えるのである。
母語を相対化するというパラダイム・チェンジは、痛みをもたらすものかもしれない。しかしそれによって身軽さも手に入れることができるのだ。クヌートには過干渉な母親がいて、彼女は息子への干渉と同程度に、かつてデンマークが領地としたグリーンランドの貧しい青年(エスキモー)への就学支援にも熱をあげている。援助と支配は表裏一体となり、いわば隷属の意味を含んだ同一化を相手に求める欲望が見え隠れする。しかし母語の相対化とは、こうした強硬的な同化と排除の原理から、自由になることを意味するはずだ。
本書の物語は、Hirukoの母語話者を求める旅の継続が、思わぬ人との出あいを呼ぶところで終わる。言葉を発することができないとはどういう事態か。あらたな言語をめぐる考察が始まりそうなところで幕切れとなるが、著者によれば続編が構想中らしい。パンスカでの発話を邦訳したという体裁の、ぶつぎり、体言止めだらけのHirukoの話法がすでになつかしい。言葉とアイデンティティの関係にあたらしいフェーズを与えてくれそうな予感が、いまから読者の胸を高鳴らせる。
温と多和田では、作品の成立過程もその問題意識もいろいろと異なる点が多いが、あえて並列したのは、「母語」の捉え直しを作品のテーマの最初から打ち出している点に、「あたらしい日本語文学」の可能性をみたからである。この流れは彼女らに限定されるものではない。たとえば、台湾生まれの台湾人で、外国語として習得した日本語で小説を書く李琴峰は、『独り舞』(講談社刊)という作品において、母語の外に出る移動とセクシャルマイノリティの問題をからめて展開した。あるいはセルビア出身で、かの地で習得した日本語で書いた高橋ブランカの『東京まで、セルビア』や『クリミア発女性専用寝台列車』(ともに未知谷刊)には、パッセージの自然な日本語の揺らぎを新鮮に感じとることができるだろう。
移民文学とひとくくりにするより、「あたらしい日本語文学」と名付けたいこれらの作品群は、さらに子細な分析を必要とする。同じとみなす暴力性こそ、これらの作品自体が周到に避けてきたものなのだから。ただし私たちは、母語の外に連れ出される感覚を味わわせてくれる作品があることを知ってしまった。もう後戻りはできないのである。
江南亜美子