単行本 - 外国文学

あのムッソリーニを主人公にした伊文学のベストセラー『小説 ムッソリーニ』。話題のドキュメンタリー小説を一部試し読み公開中!

イタリアの独裁者ムッソリーニを主人公として書かれたイタリア文学史上初めての小説。すでに国内だけで50万部のベストセラーとなり41カ国で版権売れ。ファシズムをえぐる話題の小説。

『小説 ムッソリーニ  世紀の落とし子』

一九一九年

 

戦闘ファッショ創設 ミラノ、サン・セポルクロ広場、一九一九年三月二十三日

 

サン・セポルクロ広場を臨む部屋にいる、わずか百人程度の、なんの価値もない男たち。われわれはわずかであり、われわれは死んでいる。

男たちは、私が口を開くのを待っている。だが、話すことなどなにもない。

一一〇〇万の遺体。クラス台地の、オルティガラ山の、イゾンツォ川の塹壕ざんごうからあふれだした肉体の波が、原形をとどめない泥となって、からっぽの舞台に洪水のように押し寄せる。私たちの英雄は、すでに殺されたか、あるいはじきに殺されるだろう。最後のひとりまで、分け隔てなく、私たちは彼らに愛を捧げる。死者が堆積してできた聖なる丘に、私たちは腰かけている。

あらゆる洪水のあとで芽生える現実主義が、私の目を開かせた。いまやヨーロッパは、役者のいない舞台なのだ。ひとり残らず消えてしまった。ひげを生やした男たち、堂々としながらも感傷的な父親たち、泣き言ばかりの高潔な自由主義者、華やかで教養のある雄弁家、良識を備えた穏健派。最後の連中はいつだって、私たちの災難の原因だった。堕落した政治家は、途方もない崩壊を前に平静を失い、避けがたい出来事を少しでも先延ばしすべく、来る日も来る日も汲々きゆうきゆうとしながら生きていた。彼ら全員のために鐘が鳴った。国境に圧力を加える五〇〇万の兵士たち、五〇〇万の帰還兵たち。この巨大なかたまりが、古い人間をなぎ倒そうとしている。密に、激しく、歩調を合わせる必要がある。展望に変わりはなく、むしろ見通しはいっそう暗い。戦争はなおも、今日こんにちの問題でありつづけている。世界はふたつの党派に裂かれつつある。かつて在った人びとと、かつてなかった人びとのふたつに。

私には見えている。錯乱者や打ち捨てられた人びとでごった返す平土間ひらどま席から、すべての情景がはっきりと見えている。それでも、私には話すことがなにもない。私たちは帰還兵からなる民衆、あぶれ者と敗残者の人類だ。殺戮さつりくにのぞむ夜、爆弾が作った地面の穴に身を隠しているとき、恍惚にも似た感覚に襲われたものだった。私たちは手短に、口数少なく、きっぱりと、猛烈な勢いで話す。自分のものではない思想を機銃掃射し、かと思うと、急に沈黙に閉じこもる。まるで、兵站へいたん基地の人びとのもとに言葉を置き去りにしてきた、いまだ埋葬されぬ者たちの亡霊のように。

それでも、目の前の男たちが、目の前の男たちだけが、私とともにある人びとなのだ。それはよくわかっている。私は正真正銘の敗残兵であり、除隊者たちの庇護者であり、道を探し求めさまよう羊でもある。しかし、運動を組織したからには、前に進まなければならない。半分も席が埋まっていないこの部屋で、鼻孔を膨らませ、世紀の臭いを吸いこみ、それから片手を伸ばして、群衆の脈を探る。そこに聴衆がいることを、私は確信する。

戦闘ファッショのはじめての集まりについては、『ポポロ・ディタリア』紙が数週間にわたって、宿命的な会合であるかのごとく宣伝に努めてきた〔「ポポロ・ディタリア」は「イタリア人民」の意。ムッソリーニが創刊した新聞〕。もともとは、三〇〇〇人を収容できる、ダル・ヴェルメ劇場の一室で開催される予定だった。しかし、大ホールの予約はキャンセルされた。空席だらけの大きな空間を取るか、ささやかな恥辱を受け入れるか。好ましいのは後者だった。私たちは、商工会議所の会議室で我慢することにした。この場所で、いま、私は話さなければならない。物悲しい深緑の壁に四方を囲まれ、灰色に染まる教区の小広場に面した部屋。ビーダーマイヤー様式のひじかけ椅子は、金めっきの呼びかけにはぴくりとも反応せず、無気力にたたずんでいる。ぼさぼさ頭、禿げ頭、隻腕、痩せ細った帰還兵……部屋に集まったわずかな男たちは、慣習にのつとった商売やら、古くからの慎重さやら、収支をめぐるいじましいけちくささやらが発する空気を、苦しそうに吸いこんでいる。ときおり、詮索好きの商工会議所の会員が、部屋の入り口近くから中を覗いてきた。石鹸せつけんの卸売業者とか、銅の輸入業者とか、そうした手合いだ。困惑したような眼差しをこちらへ投げかけてから、ある者は葉巻を吸いに、ある者はカンパリを飲みに戻っていく。

しかし、どうして話さなければいけないんだ⁉

会合の進行役は、フェッルッチョ・ヴェッキが請け負っていた。熱烈な参戦論者であり、病のために除隊したアルディーティ〔第一次大戦で重要な働きを見せた突撃部隊〕の大尉であり、髪は焦げ茶色で、背が高く、肌は青白く、痩せぎすで、ひとめで伝染病の罹患者だとわかるような落ちくぼんだ目つきをしている。この結核病みは激情と衝動に駆られながら、ためらいも節度もなしに、苛烈な口調でまくしたてている。聴衆を前にして、ここが見せ場だと判断すると、神経症者のように興奮し、デマゴーグ特有の狂気に取りかれ、そして……そして、ほんとうに危険な存在になる。戦闘ファッショの書記長には、アッティリオ・ロンゴーニが任命されることがほぼ決まっている。無知で、熱意があり、いかにも誠実な人間らしい愚鈍さを備えた元鉄道員だ。あるいは、彼の代わりに、牢屋生まれのウンベルト・パゼッラが任命される可能性もある。看守を父親に持ち、長じてからは労働組合の支部代表、革命的サンディカリストとなった彼は、ギリシアではガリバルディ旅団の一員として戦い、曲馬団で奇術師をしていたこともある。戦闘ファッショのそのほかの指導層にかんしては、会合の最前列で気勢を上げている面々から、適当に選び出すつもりだった。

いったいなぜ、こんな連中の前で話さなければならないのか……? 事実がつねに理論を超えてきたのは、こいつらの責任でもある。この手の男どもは、奇襲部隊の隊員よろしく、なりふり構わず生に突進することを慣わしとしている。私の前にはただ、塹壕と、日々の泡と、戦闘地域と、狂人たちの野外劇場と、砲弾が大地に刻んだ溝ばかりが広がっている。狼藉者、落伍者、犯罪者、社会に適応できない奇才、怠け者、プチブルの遊び人、精神分裂病者、社会から忘れさられた人びと、行方不明者、不正規兵、夢遊病者、元囚人、前科者、アナーキスト、扇動的なサンディカリスト、捨て鉢になった三文記者、政治的ボヘミアンとして日々を送る元士官や元下士官の帰還兵、銃火器や刃物の扱いの熟練者、帰還後の日常のなかであらためて暴力性があらわになった人びと、自分の考えをはっきりと見通せなくなった狂信者、自分のことを死と向き合った英雄だと信じながら、重篤化した梅毒を運命の思し召しと取り違える生還者たち……

わかっている。私には彼らの顔が見えているし、彼らがどこの誰なのか記憶している。ひとことで言ってしまえば、戦争の男たちだ。戦争の、あるいは、戦争という神話の男たち。男が女を欲するように、私は彼らを欲し、しかも同時に、彼らをさげすんでいる。蔑んでいる、そう、だがそんなことはどうでもいい。ひとつの時代が終わり、別の時代が始まった。廃墟が積み重なり、残骸が互いを求め合っている。私は「後の」人間だ。それを忘れてはならない。私たちの歴史は、これら期限切れの素材によって、これら残滓ざんしの人類によって作られる。

ともあれ、私の前には彼らがいる。背後には誰もいない。私の背後には、一九一七年十月二十四日がある。カポレットの惨敗。われらが時代の断末魔、あらゆる時代をとおしてもっとも無残な軍事的敗北。たった一度の週末で、一〇〇万の兵士からなる軍隊が壊滅した。私の背後には、一九一四年十一月二十四日がある。この日、私は社会党から追放され、博愛協会のホールでは呪詛とともに私の名前が連呼され、前日まで私を神聖視していた労働者たちは、私を袋叩きにする栄誉を得るためにわれ先にと大地に身を投げ出した。いまでは、私は毎日、かつての仲間から死を祈念されている。私や、ダンヌンツィオや、マリネッティや、デ・アンブリスや、さらには、四年前の第三次イゾンツォの戦いで命を落としたコッリドーニまでが、祈念の対象になっている。すでに死んだ者に向けて、死を祈念しているわけだ。裏切りへの憎しみはかくも根深い。

「赤い」民衆は、勝利は目前だと喧伝している。この六か月で三つの帝国が、ヨーロッパを六世紀にわたり統治してきた三つの家系が打ち倒された。スペイン風邪の流行は、すでに数千万の命を奪っている。これらの出来事は、終末を迎えんとする世界の動揺を伝えている。先週、モスクワでは第三インターナショナルの会議が開かれた。世界革命を主導する党。私の死を欲する人びとの党。モスクワからメキシコシティまで、地球上のあらゆる場所で。大衆の政治の時代が始まる一方で、ここにいる私たちはというと、わずか一〇〇人にも満たないちっぽけな集団だ。

しかし、これもまたどうでもいいことだ。もはや誰ひとり、勝利を信じている者はいない。勝利はすでに過去のものとなり、汚泥おでいの臭いを漂わせている。「若さよ、青春よ!」そう叫ぶ私たちの熱狂は、絶望による自殺の一形態だ。私たちは死者とともにある。この、半分しか席の埋まっていない部屋で、幾百万の死者が私たちの点呼に応じている。

窓の下の通りから、革命を希求する若者の声が聞こえる。私たちはそれをわらう。革命は、すでに私たちが為したのだから。一九一五年五月十日、この国を戦争へ急き立てることによって。いまでは誰もが、戦争は終わったと言っている。私たちはまたも嗤う。戦争とは私たちだ。未来は私たちのものだ。もう無駄だ、打つ手はない、私は獣のように嗅覚を研ぎ澄ます。時が満ちるのを感じる。

ベニート・ムッソリーニは、梅毒に冒されているものの、屈強な体格の持ち主である。

その頑強な肉体が、精力的な仕事の基礎になっている。

午前は遅くまで休み、家を出るのは正午だが、深夜の三時より早く帰宅することはない。食事のための短い休憩を別にすれば、この一五時間はまるまる、ジャーナリズムと政治の活動に捧げられている。

さまざまな女性と浮き名を流していることからもわかるとおり、性的に放縦な人物であることは間違いない。

ムッソリーニは感情的かつ衝動的な男である。だからこそ、その演説には説得力が宿り、聴衆の心を魅了する。もっとも、いくら弁舌が巧みとはいえ、この人物をたんなる弁論家と称するには無理がある。

情にもろく、感傷的なところがあるために、多くの人物が彼に共感を抱き、親交を結ぼうとする。

私欲がなく、寛大で、こうした性格がムッソリーニに、利他主義や博愛主義の人物という印象を与えている。

きわめて知的かつ鋭敏であり、堂々としていて思慮に富み、人間というものの性格や、その美点、欠点を知り抜いている。

共感や反感をあからさまに表明し、友のためには進んで犠牲を捧げ、敵への憎しみはけっして忘れない。

ムッソリーニは勇敢にして大胆である。組織を動かす手腕があり、決断力に富んでいる。ただし、信念や覚悟にかんしていえば、それほど確固としたものがあるわけではない。

ムッソリーニは途方もない野心家である。イタリアの運命を導くために、目ざましい力を発揮したいという衝動に駆られている。かならずイタリアの価値を高めてみせると、心に決めている。組織の二番手に甘んじる男ではない。先頭に立ち、すべてを意のままに動かすことを望んでいる。

社会主義勢力に加わったのちは、末端の構成員から組織の重要人物へ瞬く間に成り上がった。大戦が勃発する前は、すべての社会主義者を導く新聞『アヴァンティ!』の、理想的な主幹として活躍していた。この分野において、誰もがムッソリーニの実力を認め、その仕事ぶりを褒めそやしていた。今日もなお、古くからの仲間や崇拝者の一部は、プロレタリアートの精神を把握し解説することにかけて、ムッソリーニの右に出るものはいないと公言している。そのプロレタリアートにとって、彼の裏切り(転向)は苦悩の種になっていた。なにしろ、真摯しんしで熱烈な絶対的中立論者であったはずの彼が、ほんの数週間のうちに、真摯で熱烈な参戦論者へ変貌してしまったのだから。

私としては、ムッソリーニのこの豹変は、金銭面も含め、なんらかの損得勘定に由来するものではないと判断している。

政治的主張にかんして言えば、ムッソリーニは公的には、社会主義者としての立場を否定したことは一度もない。とはいえ、その政治的立ち位置は、さまざまな要因によって曖昧になっている。たとえば、自身が創刊した新たな機関紙『ポポロ・ディタリア』をとおして闘争を継続するにあたり、ムッソリーニは財政面での妥協を余儀なくされた。さらに、さまざまな信条を持つ人物、団体との接触や、古くからの仲間との軋轢あつれき相俟あいまって、もともとの社会主義的信念は行方知れずになっている。かつての同志は絶えず彼に、御しがたい憎悪、鋭い敵意、非難、侮辱、やむことのない中傷を浴びせている。ただし、より切迫した物事の陰に隠れて、彼の内部でそうした変化が生じていたのだとしても、ムッソリーニはそれを表に出すような人物ではない。彼はつねに、自分は社会主義者であると見せかけようとするだろうし、もっと言うなら、自分は社会主義者だと思いこんだままでいるだろう。

私の調査が描きだすかかる精神的人物像は、かつて彼と信条をともにした同志や党員たちの意見と、大きく食い違っている。

ともあれ、誰か、卓越した声望と知性を兼ね備えた人物が、ムッソリーニの心理的性格のうちに突破口を見いだしたなら……なによりもまず、ムッソリーニと親交を築き、その心に取り入ったなら……イタリアにとっての真の利益とはなにかを、ムッソリーニに示したなら(というのも、私は彼の愛国心を信じているので)……時宜じぎを得た形で、懐柔が狙いではないかと勘繰らせることもなしに、まとを射た政治活動のために必要な原資を提供できたなら……そうすれば、次第次第に、ムッソリーニの信頼を勝ち取ることができるはずだ。

しかし、その気質をかんがみるに、なんらかの曲がり角に差しかかったとき、彼が離反しないという保証はどこにもない。ムッソリーニは、すでに述べたとおり、感情的かつ衝動的な男なのだ。

もちろん、敵対する陣営からしてみれば、思索と行動の人物であり、効果的な文体を心得た書き手であり、聡明で説得力に富む弁論家でもあるムッソリーニは、恐るべき指揮官とも、手に負えない刺客ともなりうるだろう。

ジョヴァンニ・ガスティ警視長によるレポート、一九一九年、春

参戦派の行動ファッショ

昨日、商工会議所の会議室で、参戦論者からなる地方ファッショの創立集会が開催された。企業家のエンツォ・フェッラーリ氏や、アルディーティのヴェッキ大尉ら、数名が登壇した。ムッソリーニ氏は次のごとく、ファッショの活動の基本方針を説明した。戦争の価値、および、戦争に参加した軍人の価値を正当に認めること。イタリアに責任があるとされる帝国主義は、ベルギーとポルトガルを含むあらゆる国家の人民が欲した帝国主義であり、したがってイタリアの帝国主義は、イタリアに害をなす諸外国の帝国主義とも、諸外国に害をなしイタリアだけに利益をもたらす帝国主義とも相反する概念であると示すこと。最後に、戦争という「事実」に立脚した選挙戦を受け入れ、戦争に反対したあらゆる党や候補者と敵対することである。

ムッソリーニ氏の提起は、多くの弁士が演壇に立ったあとで承認された。出席者はイタリア各地から参集した。

『コッリエーレ・デッラ・セーラ』、一九一九年三月二十四日、コラム「日曜講話」より

石鹸三トンの盗難

ジュゼッペ・ブレン氏が所有する、ポンポナッツィ通り四番地の店舗が窃盗の被害に遭い、ひと箱あたり五〇キロの重量がある石鹸の箱が、じつに六四箱も持ち去られた。

これほど重く、しかもかさばる品を運びだしている以上、相当な人数が関与していることは明らかである。また、盗品の総重量が三トンにもなることから、荷車と馬、あるいは自動車を利用した犯行と見て間違いない。

短時間で遂行できるような作業ではなく、あたりには物音が響き、人目も引いたはずである。それにもかかわらず、有益な手がかりは得られていない。盗品の価値は、総額でおよそ一五、〇〇〇リラにおよぶ。

『コッリエーレ・デッラ・セーラ』、一九一九年三月二十四日、コラム「日曜講話」より

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著者

アントニオ・スクラーティ

イタリアの作家。1965年生まれ。2005年に『生き残り』でカンピエッロ賞、2015年に『われらが人生の最良の時』でヴィアレッジョ賞を受賞。2018年の本書は4部作の第1作で世界的ベストセラーになる。

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