単行本 - 外国文学
女が男を支配する社会のリアルな恐怖! 男女逆転の復讐ファンタジー!
渡辺由佳里(エッセイスト、翻訳家)
2018.10.25
『パワー』
ナオミ・オルダーマン 安原和見訳
【解説】渡辺由佳里
アメリカでは2016年の大統領選挙で、初めての女性大統領になることが期待されたヒラリー・クリントンが、ドナルド・トランプに敗れた。得票数ではクリントンのほうがトランプよりも280万以上多かったのだが、アメリカ独自の「選挙人制度」というシステムのために、選挙ではトランプが勝利したのだ。
自分に対して厳しい質問をする女性ジャーナリストたちにセクハラ的な嫌がらせをし、「スターなら、プッシー(女性器)をつかむとか、(女は)なんでもやらせてくれる」と自慢し、妻の妊娠中にプレイボーイ誌のモデルと不倫をし、別のポルノ女優に不倫の口止め料を払い、ツイッターでも露骨な女性蔑視の発言をするトランプが大統領になったことに、多くのアメリカ人女性が衝撃を受けた。
その衝撃は、うつに変わり、クリントンの得票率が多かった地域では、うつと不安障害で受診する患者が激増し、ニュースにもなった。
多くの人は、ショックとうつを、怒りと抗議活動に変換した。代表的なのが、トランプ大統領が誕生した2017年1月21日に全世界で行われた女性による抗議デモ「ウィメンズ・マーチ」だった。全米で推定300~500万人が参加し、女性の人権と性と生殖に関する権利、そしてLGBTQIA(レズビアン、ゲイ、バイセクシュアル、トランスジェンダー、その他の性的指向)の人権などを求めた。
この年、トランプ政権下での女性への抑圧を恐れる人たちの間で多く読まれるようになったのがマーガレット・アトウッド『侍女の物語』だった。キリスト教原理主義勢力に乗っ取られて宗教国家になったアメリカで、生殖能力がある女たちが、子供を産む道具として支配階級の男たちに仕える「侍女」にされるディストピア小説だ。テレビドラマとして新たに映像化され、1985年刊行の古い作品にもかかわらず、米アマゾンで年間最も多く読まれたベストセラーになった。
これまでセクハラや性暴力に耐えてきた被害者が「私もだ」と手をつないで立ち上がり、権力を持っていた加害者を追及する「#MeToo」ムーブメントが盛り上がったのも2017年の特徴だ。これも、大統領選の結果に対する女たちのショックと失望、怒りと無関係ではないだろう。
これらの現象と時を同じくして、「現代の『侍女の物語』」と呼ばれる小説が英語圏で注目されるようになった。それが、2016年にイギリスの女性作家ナオミ・オルダーマンが刊行したこの作品、『パワー』だ。男女の力関係が反転し、女性が男性を力で圧倒的に支配する社会を描いたディストピア小説であり、女性作家に与えられる由緒ある「ベイリーズ賞」を2017年に受賞し、ニューヨーク・タイムズ紙をはじめ多くのメディアから「2017年の最優良小説10作」のひとつに選ばれた。また、フェミニズムについての啓蒙活動を行っている女優のエマ・ワトソンが自分のフェミニストブッククラブの推薦図書に選んだこともあり、若い女性に広く読まれるようになった。
ナオミ・オルダーマンは、オックスフォード大学で哲学・政治・経済学(PPE)を専攻し、弁護士事務所などで働いた後、イースト・アングリア大学でクリエイティブ・ライティングを学び、作家に転向した。若い頃から女性の権利に興味をいだき、2012年から2013年にかけて、ロレックス社が主催する芸術メンタリングのプログラム対象に選ばれてマーガレット・アトウッドから直接指導を受けた。小説『パワー』の誕生には、そんな背景がある。
『パワー』は、考古学説のノベライゼーションである「歴史小説」というスタイルを取っている。専門書だと一般読者が興味を抱いてくれないと考えたニール・アダム・アーモンという男性学者が書いた体裁で、ナオミ・オルダーマンと思われる著名女性作家のアドバイスを求める手紙から始まる。
ニールとナオミの手紙のやりとりからは、未来と思われる彼らの「現代社会」では女性が支配層であり、男性は力が弱くて知的にも劣っているとみなされていることがわかる。だからこそ、リベラルを自認するナオミは、弱い立場の「男流作家」を応援し、「男性の兵士や警察官や『男ギャング』の出てくる場面があるのですね。やってくれるなあ!」とわざわざ言っているのだ。
ニールの歴史小説によると、かつて世界は男性が支配していた。だが、ある時から女性が突然変異で特殊なパワーを持ち始めた。鎖骨部分にスケインという特殊な臓器が発達し、そこから発電して相手を感電させることができるようになった。社会における男女の力関係が逆転するきっかけがこれだった。
スケインとそれが与えるパワーを持つのは、はじめのうちは数人の特別な少女たちだけだった。しかし、数が増え、パワーを鍛える方法が編み出され、女性の大部分がパワーを持つようになった。この転換期に重要な役割を果たした人物たちが、それぞれの視点で歴史的な大事件を綴る。世界最大のスケインのパワーを持つ少女ロクシーはイギリスのギャングのボスの娘で、目の前で殺された母の復讐をする。アメリカの地方の女性市長マーゴットは、不安定な娘のパワーを案じつつも政界で権力を広げていく。混血の少女アリーは、自分に性的虐待を加えてきた里親をパワーで殺した後、イヴと名前を変えて宗教的指導者になる。
中心人物のなかで唯一の男性はナイジェリア人のトゥンデだ。男性が支配する社会に反逆を始めた女性たちに寄り添う報道を初期に行ったトゥンデは、ほかの男性が入り込めない場所で女性に守られてルポを行うことができ、一躍有名ジャーナリストになった。
だが、世界中で男性と女性のパワーが入れ替わるにつれ、命の危険を覚える体験をするようになる……。
著者のナオミ・オルダーマンは、ニューヨーク・タイムズ紙の「あなたの小説は復讐ファンタジー的なところがあるが、#MeTooムーブメントの到来を予期していたのか?」といった内容の質問に対し、次のように答えた。
「それが起こることを予期していたというよりも、私自身がたぶんムーブメントの一端だと思う。(実際に起こったことの)ニュースが、奇妙なかたちでこの小説の内容に追いついてきた感じだ。どちらも、私にとっては、過去十年にわたって可視化されてきたある種の女性嫌悪(ミソジニー)に対する怒りの高まりの一部だと感じる。
私がティーンエイジャーだった1990年代、『フェミニズム運動はすでに勝利した』というのが若い女性の間で常識のように思われていた。そうでなかったことは、今となっては恐ろしいほど明らかだ。その気づきの大きな原因はインターネットだと思う。どれほど女を憎んでいて、どれほど女をレイプしたくて、どれほど女を征服したいのかを書き込んでいる男性たちのフォーラム(掲示板)を読むことができる。彼らの不満の数々も読める。
私が反応したのは、#MeTooが反応したのと同じことではないかと思う。(これまで隠されていた)多くのことが現在は見えるようになったが、それに対して私たちは対応する必要がある」
このオルダーマンの意見は、大統領選を予備選のときから現地取材した私の観察と一致する。民主党予備選ではヒラリー・クリントンの対立候補であるバーニー・サンダースを支援する若者が多く、大学のキャンパスではヒラリーを応援しにくい雰囲気ができあがっていた。男子学生からヒラリーや彼女を支援する女性議員に対する女性蔑視の言動があっても、同席する女子学生は反論しない。彼女たちの間では、「男女はすでに平等。いまさら女性の人権を訴えるフェミニストってうざい」という感じだった。どちらかというと、彼女たちは、オルダーマンが見たインターネットの男性フォーラムの雰囲気に洗脳されているように見えた。女性から権利を奪おうとするトランプ大統領の誕生で、ようやく彼女たちは目覚めたのだ。だからこそ、大統領選の前にすでにこの小説を書き上げていたオルダーマンの先見の明に深い尊敬を感じる。
『パワー』は、何千年にもわたって女性がためこんできた男性社会の残酷さや男性の女性嫌悪に対する怒りを直接伝える小説ともいえる。
現実社会では、肉体的に男性が女性を圧倒することができる。だが、この小説では、新しく得たパワーのおかげで女性が男性を肉体的に圧倒することができるようになる。
パワーのおかげで社会の男女の権限も変化する。政情が不安定なある国で残虐な女性が政権を握り、独裁者として男性の虐待を行うようになる。
電気刺激を与えられるパワーにより、女性は男性を虐待することもできるし、殺すこともできる。性交を拒否する男性に電気刺激を与えて勃起させることができるので、レイプもできるし、性奴隷にすることもできる。男の性奴隷の命は安いので、虐待して殺しても、利用する側には罪の意識はない。
男性は女性の保護者なしには外出も買い物も許されなくなる。単独で行動すると、食べることができなくなり、女性集団から襲われ、性的に陵辱されたり、殺されたりする。
「子孫を残すために男は必要だが、数が多い必要はない」と男性を間引きする案も女性から出るようになる。
読んでいると、その残酷さに目を覆いたくなるかもしれない。男性読者は嫌悪感を抱かずにはいられないだろう。だが、これらのことは、女性に対して実際に起こってきたことであり、現在でも起こっていることなのだ。
オルダーマンの『パワー』は、「女性が権力を得たら、もっと平和な世界になるのに」といった甘い理想論を語る小説ではない。最初の手紙にある「『男性の支配する世界』は……きっといまの世界よりずっと穏やかで、思いやりがあって……」というところにも、よくある理想論を笑い飛ばす皮肉なユーモアを感じる。
この小説は、「レイプされるのは、襲われて抵抗しない女性が悪い」とか「女性が独り歩きをしていたら、襲われても当然」、「嫌だと言いながら、本当は楽しんだのだろう」といった男性の言い分に対する、非常に直截的な返答だ。そういう男性に対して、「パワーが逆転したら、あなたはレイプされて殺されてもOKなのでしょうね?」と問い返している。
この小説で、パワーを持って暴走し始めた女性が行う行動は、非人道的で、残虐すぎるように思える。女性読者である私にとっても読むのがしんどい部分が多いが、男女を置き換えれば、これらは男性社会が女性に対して実際に行ってきたことなのだ。まったく誇張はない。
なぜ、男女を変えただけで、これほど残酷に感じるのだろうか? そこを読者は考えるべきなのだろう。
男性ジャーナリストのトゥンデが男性の独り歩きで恐怖を覚えるようになる心理状態や、罪のない若い男がパワーを持った残虐な女らに玩具にされて殺される描写を読んで、現実の世界で女性が体験していることを、少しでも想像してほしい。
本書は、オバマ前大統領が2017年に読んだ「最も優れた本」リストのひとつでもある。この本を読んだだけでなく推薦本にしたところは、「さすがオバマ大統領」と思った。それは、二人の娘を持つ父親としての視点があるからだろう。
この本は、SFであり、ディストピア小説であり、フェミニスト小説であり、そして多くの男性にとっては「ホラー小説」でもあるだろう。男性読者にとっては居心地が悪いかもしれないが、「安全に生きることが困難な性にとってのリアルな恐怖」を体験するためにも、ぜひ読んでいただきたい。