単行本 - 外国文学

永遠に死ぬことがない吸血鬼夫婦の倦怠期。『レモン畑の吸血鬼』

『レモン畑の吸血鬼』カレン・ラッセル 松田青子訳『レモン畑の吸血鬼』カレン・ラッセル 松田青子訳

レモン畑の吸血鬼

カレン・ラッセル

【訳者】松田青子

 

二〇〇六年に初短編集『狼少女たちの聖ルーシー寮』(拙訳、河出書房新社、二〇一四)を刊行してからというもの、カレン・ラッセルに対する評価は高まるばかりだ。作品を発表するごとに、ミチコ・カクタニをはじめとする批評家たちが絶賛の声を挙げ、二〇一一年の初長編『スワンプランディア!』(原瑠美訳、左右社、二〇一三)は、ピュリッツァー賞フィクション部門にノミネート。二冊目の短編集である本作『レモン畑の吸血鬼』が刊行された二〇一三年には、過去の選出者にジュノ・ディアス、スチュアート・ダイベック、イーユン・リー、ジョージ・ソウンダースなどがいる、「天才賞」とも呼ばれるマッカーサー・フェローシップに選出されている。純文学、SF、ファンタジー、ホラーの垣根を越えて、どの層の読者にも愛されるケリー・リンクのような作家が時に出現するが、ラッセルもまさにそういった愛され方をしている印象が強い。

「どうしてこんなアイデアを思いつくのですか?」
本作『レモン畑の吸血鬼』の新刊プロモーション時の、カレン・ラッセルへのインタビュー記事や登壇したトークイベントの映像に目を通すと、彼女は必ず一度はこの質問をされている。質問者の気持ちはとても良くわかる。本当に、どうやったらこんな奇妙な物語を思いつくのか。その際の彼女の答えが面白いので、いくつか紹介したい。
たとえば、表題作「レモン畑の吸血鬼」は、家族旅行で訪れたソレントで、美しいレモン畑を実際に見たことからはじまった。そこで、真っ黒に日焼けした小柄な老人がレモンを丸ごと口に入れ、レモネードのようにすすったのを目にしたラッセルは、「あの人が吸血鬼で、レモンが吸血の治療薬だったらおかしくない?」と冗談を言い、兄弟たちに「それ、面白くないから」と流される(ちなみに、弟のケント・ラッセルもノンフィクション作家であり、デビュー作 I am sorry to think I have raised a timid son が高く評価されている。お互いの作品を批評し合う仲であるらしい)。けれど、帰国した後もその光景が頭に貼りついたままだった彼女は、「倦怠期」に直面した吸血鬼夫婦の物語を思いつく。ただでさえ恋愛関係を長持ちさせるのは難しいことなのに、永遠に死ぬことがない吸血鬼にとって、「死が二人を分かつまで」という言葉はどんな意味を持つのだろう、と。
「任期終わりの廏」は、歴代のアメリカ合衆国大統領のドキュメンタリーを見たこと、そして生者に覚えていてもらえる限り死者が存在することができる街が出てくる、ケヴィン・ブロックマイヤーの『終わりの街の終わり』が大好きで、心に残っていたからだという(私もこの小説が大好きだ)。最初、大統領が馬に転生するというアイデアを興奮して友人たちに説明したところ、みんなの顔が「月みたいに無表情」になり、「ビールでも飲みに行こうよ」と話を逸らされたらしい。
馬に転生していなかったエイブラハム・リンカーンの時代に実際にあったホームステッド法に翻弄される人々の姿が描かれる「証明」は、当時の開拓者の日記を読み、英雄的で立派な行為なのに、気違いじみたコメディーみたいでもあると感じた。思い通りになってくれない自然によって、人々の希望や野心が潰え、夢が悪夢に変わる様に魅せられるそうで、それは『スワンプランディア!』にも通じるところがあると自分の作品を分析している。
同じように史実を基にし、憧れや夢が悪夢に変わる「お国のための糸繰り」は、『女工哀史』や世界遺産に登録されたばかりの富岡製糸場の歴史に馴染み深い日本の私たちが最も驚くことのできる作品かもしれない(ちなみに、インタビューでは iPhone を製造しているアジアの女性たちにも言及されており、これは過去の話ではないとラッセルは答えている)。デヴィッド・グレーバーの Debt で借金を背負い、重労働を課せられた女性労働者たちのことを知り、ジョン・トレシュの The Romantic Machine から人間と機械のハイブリッドのアイデアを思いついた彼女は、その後、国が劇的な変貌を遂げた日本の明治期に心を奪われる。西洋の技術を取り入れた模範工場と、故郷を離れ、生糸や綿糸をつくることになった女性労働者たちに。
「まさにこの時が日本のフェミニズムの目覚めだとも言われています。女工たちが労働状況を改善するために団結し、反抗したからです。結核が蔓延する工場に監禁され、長時間労働を強いられるなんて、ホラー小説でしかありません。そこから、女工たちが蚕の化け物に変貌するアイデアを思いつきました。そうすることで、突如として時代が変わり、工場が機械化され、女性たちの体が巨大な機械の歯車となることがどういう事態だったのか、私なりに理解しようとしたんです」
カレン・ラッセルの物語は確かに奇妙ではあるけれど、切実なほど、しっかりと血が通っている。設定や登場人物がどれだけ奇妙であろうと、物語の中にあるのは本物の人間の感情でなくてはならないと、『アメリカ名詩選』(亀井俊介・川本皓嗣編、岩波文庫)にも収められているマリアン・ムーアの「詩」と名付けられた作品の有名な一節、「そしてわれわれの詩人たちが、『想像力の直訳主義者』となって、傲慢さや軽薄さを乗り越え、われわれの眼の前に『本物のヒキガエルの棲む架空の庭』を呈示するまで、詩はどこにもない。」の、「本物のヒキガエルの棲む架空の庭」というフレーズを引用して、ラッセルも語っている。
かつて詩の授業をとっていたこともあるラッセルの姿勢は、この「想像力の直訳主義者」だと言えると思う。彼女の作品には、傲慢さや軽薄さの欠片も見当たらない。それは、アイデアソースを衒いなくどんどん口にしたり、影響を受けた作家の名前を羅列したりする彼女の態度にも現れている。現代の作家が「マッシュアップ・アーティスト」であることは大前提であり、すでにこの世に存在している様々な様式やジャンルを使わせてもらって物語をつくっているのだ、という自覚がはっきりと感じられる。それは最前線の作家として、とても真摯な姿勢だと私は思う。また、そんなことでは揺るがない作品世界を構築できる強靭さがあるからできることだ。
それに彼女は、使うというより、一体化する。本作にいくつか収められている史実を基にした作品も、「私なりに理解しようとした」という一言にもあるように、設定だけ軽く使ってみましたという不遜さの対極にある、シンパシーと入念なリサーチに裏打ちされている。作品中ではさらに尺寸法に直したが、日本を舞台にした「お国のための糸繰り」だけメートル法で書かれていたのには、そこまでして頂かなくてもと思ったほどだ。オリエンタリズムなど微塵も感じさせない寄り添い方をして生まれた物語は、繭がタイムマシンの役割をはたし、女工たちを新しい未来に逃がす。昭和二年に起こった山一争議の際、信濃毎日新聞に掲載された「女工たちは、繭よりも、繰糸枠よりも、そして彼らの手から繰り出される美しい糸よりも、自分たちのほうがはるかに尊い存在であることを知った」という社説(山本茂実『あゝ野麦峠』、角川文庫)と静かに響き合っている。
歴史を「曲げて」、「トワイライトゾーン」をつくり出すと何が生まれるのかに興味があるとラッセルは言う。登場人物の多くは「見えない場所」に迷い込み、災難の渦中で自分にできることは何か理解しようとしているのだと。架空であるはずの彼女の作品は、その「見えない場所」にいた誰かの、歴史のどこにも記録されなかった本当の「声」を掬い上げているように感じる。ホームステッド法の窓の要件や女工たちの置かれた環境はおかしいんじゃないか、というラッセルの素朴な実感からはじまったに違いない物語は、歴史に残らなかった誰かの思いと共鳴しているのだ。
収録作はどれも大好きなのだが、その中でも特にこれはという思いのある「帰還兵」と「エリック・ミューティスの墓なし人形」の作中にも、「トワイライトゾーン」という言葉が使われている。見えない、もしくは目を留めてもらえない場所にいることを余儀なくされた人たちの、主流とは外れているかもしれないけれど、でも確かに存在する彼らの現実を、ラッセルは一貫して書き続けていると言える。現実と非現実の中間地帯とも言えるその場所で、「帰還兵」のベヴァリーは文字通り自分の手で帰還兵の苦しみを取り除こうとし、「エリック・ミューティスの墓なし人形」のラリーは、ばらばらになったかかしを守ってやろうとする。たとえほかの人たちには見えなくとも、彼らは悪夢の中で、自分にできることを模索し、行動に移す。また、「見えない場所」は恐ろしい場所ではあるのだけれど、ゆるやかなシェルターのようなものにも感じられるのは、作者が常に登場人物たちと同じ場所にいるからだろう。カレン・ラッセルの作品に強く惹かれるのは、大胆不敵でありながら、同時に世界に対してとても真摯だからだ。小さな声を聞き逃さないからだ。
最新作は、あえて電子書籍として世に出した Sleep Donation。この作品は、人類が深刻な睡眠不足に悩まされ、〝献〟眠が必要になった世界が舞台だ。

最後に、訳文をチェックしたり、疑問点に丁寧に答えてくれたりと、常にサポートしてくださった米田雅早さん、何度もディスカッションに付き合ってくださったデビッド・ボイドさん、そして河出書房新社の松尾亜紀子さん、本当にありがとうございました。

二〇一五年一一月 松田青子

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著者

1981年フロリダ州生。23歳で〈ニューヨーカー〉にてデビュー。独自の世界観が絶賛される。初短篇集『狼少女たちの聖ルーシー寮』で米図書協会の注目作家に選ばれる。他に『スワンプランディア!』。

【訳者】松田青子

1979年兵庫県生まれ。作家、翻訳家。著書に『スタッキング可能』『英子の森』『狼少女たちの聖ルーシー寮』(カレン・ラッセル著)、『はじまりのはじまりのはじまりのおわり』(アヴィ著)などがある。

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