単行本 - 日本文学
二十一世紀の新しい『明暗』──絲山秋子『夢も見ずに眠った。』書評
田中和生
2019.02.27
岡山からはじまって熊谷、大津、遠野、お台場、函館、青梅、秩父、横浜、下北沢とつづき、松江で終わる。十二章からなるこの作品の、主な舞台である。関東地方が中心だが、南は中国地方から北は北海道まで、これほど多彩な場所が次々と描かれる作品は、日本の近代文学史上でもちょっとほかに思いつかない。
しかもその多くが文学作品で描きやすい、わかりやすい特徴のある土地というわけではない。むしろこれまであまり取り上げられなかった、そこに自分で住んでいたり知人に案内したりしてもらわなければ、よさがわかりにくい場所が選ばれている印象である。というより、この作品で描かれることによってその素晴らしさがじわじわと染み込んでくる土地ばかりである。
その意味でこの作品では、なにより登場人物が行きすぎる土地が、作者の言葉によって慈しまれていると言っていい。だから読者は見知らぬ土地を旅したり、見知った場所を再発見したりするようなつもりで作品を楽しむことができる。そうしているうちに、場面を共有する登場人物が自分の分身のように感じられてくるのもそのせいだが、ではそこに出てくるのはどんな人物なのか。
一人称に近い三人称による記述で、視点が当たる人物を切り替えていくこの作品で、中心となっているのは「高之」と「沙和子」という男女だ。冒頭に置かれた「晴れの国」で、岡山に向かう新幹線に乗っている「高之」と「沙和子」は三十前後と思しい夫婦だが、すでに大きくすれ違っている。「高之」は行き当たりばったりの行動をするのが好きだが、「沙和子」は決めた目的から外れるのが大嫌いな性格らしいからである。しかしそれはどちらが悪いという話ではなく、またそんな男女が夫婦となる必然性もあったということは、大学時代の同級生である「高之」と「沙和子」の過去が描かれたり、「高之」が婿養子となって熊谷にある「沙和子」の実家に住んでいる状況が描かれたりすることで、次第に明らかになっていく。
仕事が長つづきしない「高之」にも会社で上昇志向が強い「沙和子」にも、どちらも個人としての生き方に必然性があり、だからこそ子どもができないまま「沙和子」の札幌への単身赴任が決まったとき、夫婦としてのあり方は軋み出す。バブル経済が崩壊した一九九〇年代に社会人となり、サラリーマンの夫と専業主婦の妻という「戦後日本」的な夫婦像も失われたあとの世代の生き方の困難さを、これほど切実に描いた文学作品はなかった。
どうしようもなくすれ違っていく「高之」と「沙和子」は、作品の終盤でそれぞれ自分の生き方と和解する場面に辿りつく。そこでは慈しむべき土地と生き暮れた登場人物が調和し、とりわけ作者の言葉が美しく響く。それぞれの「暗夜行路」を抱えた登場人物が、夏目漱石『明暗』の世界に転生して二十一世紀に甦ったような、文学史の一頁となるべき傑作長篇だ。