単行本 - 日本文学

僕の居た場所──高山羽根子 著『居た場所』書評

「初めてのひとりで暮らした場所に、もう一度、行きたい」登場人物の小翠シアオツイがいう。語り手の〈私〉も仕事を休んで小翠と共にいくことにするのだけれど、旅程を調べているとき、小翠が暮らしていた一帯の地図が見えなくなっていることに気づく。故郷ではなく、居た場所の情報が消えている。

『居た場所』の表題作を読みながら僕は子どもの頃のことを思い出した。兄が親に買ってもらってやらなくなったスーパーファミコンのRPGを4歳か5歳の頃ひたすらやっていた。無言の主人公として村を歩き回り、ひとの家の棚や壺を調べ、同じことを繰り返し喋るひとたちに話しかける。そうして見つけた符号を元に、これであってるのかな、と村を出て、東西南北とか僕はわからなかったから、とりあえず画面の上下左右の、僕がそこへ向かわないと見えてこない場所に歩いていく。僕の故郷はすごい田舎で、大人になって何度か別の場所でひとり暮らしをしたけれど、どこにも愛着を持てなかったし、故郷にも愛着はきっとない。でも無性に懐かしくてたまらなくなる場所はあって、そこはあの頃スーファミでやったドラクエ5のなかにある。

 子どもの僕でも把握できた場所。そこでは「知らない」ということへの好奇心ばかりあり、「知らない」ことへの不安や、「知らない」が向けられた相手が傷つくかもしれないなんて考えないで閉じこもっていられた。

『居た場所』の登場人物たちは、「知らない」ということに敏感だ。

「初めてのひとりで暮らした場所」へ向かう途中で、小翠が現地の空港でタクシー運転手に発する、語り手の〈私〉にはわからない言語。そこの言葉やそこでの小翠を〈私〉は知らないのに、声色の感じだけで乱暴だと思ってしまったことへの穏やかな自省。なにかの表層だけに反応してしまうことに思いを巡らせ、その奥にある、自分にはわからないものへの気遣いを絶えず示そうとする登場人物たちはとても優しい。

 そこに少し、暗号のようなものを動力として加えることで小説が仕立て上げられている。

 けれどそうした謎が放つ物語や展開への作為は巧妙に控えめだ。微生物や黄緑色の液体、読めない貼り紙や展示品、なによりも土地への細やかな視線を「わかる」「わからない」「同じ」「同じじゃない」という一貫した軸に巻き込んで語っていく。そして見えない地図やふたりを襲うものすごい「痙攣」だけでなく、それら記述されるモノ自体を読む者にとって暗号のように作用させ得る、文章、という読み進められ展開していくものに備わっているミステリー性を、ひとによって感じる度合がかなり違ってきそうなぎりぎりのところで利用しながら進む。

『居た場所』はこういう小説だと括られることから逃れていくその書き方は、登場人物たちを消費されることから遠ざけてくれる。彼女らが展開を進めるためだけの存在ではなくて、物語の後も現実にいる僕たちのように生活が続いていくのだと思わせてくれる。

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