単行本 - 日本文学
末期がんで亡くなったラッパーECDの妻が明かす 残された二人の娘と過ごした家族の日々──植本一子 著『台風一過』書評
評者・寺尾紗穂
2019.08.15
タイトルどおり読後感さわやかだ。これを読んで植本一子(いっちゃん)はやはりすごいなと思った。いっちゃんと同じように書き仕事をしつつ音楽をやり、シングルの親として三人娘を育てている私は、実家の近所に越したこともあって、地方ライブのときは預かってもらえる環境がある。広島出身のいっちゃんは、もともと友人知人を頼るしかない。地方出身の人が自分の創作活動を続けながら、一人で子育てをすることは並大抵のことではないと以前から思ってきた。それで、表現を諦めた人もいるだろう。いっちゃんは、若くして子どもを二人産み、夫のECDは育児に協力的だったとはいえ、キャリアのスタートが子育てと同時進行だった。だからこそいっちゃんは何も諦めなかった。持ち前のキャラクターで、周囲との関係を構築していったのだ。それは夫の死後、本格的に意味を持っていく。おそらく生きのびるために本能的にではあろうけれど、都会の片隅でこういう親密な人間関係のセーフティネットを自力で作り上げたそのエネルギーに脱帽する。まるで田舎付き合いのような気安さに充ちた幸福な関係が本書にはあふれている。これが東京でも実現できること、許されるということは、多くのひとり親やワンオペ育児で疲弊する女性たちにとって確かに希望であり、全員が彼女のようには生きられないにせよ、その姿勢はヒントになる。
いっちゃんとメッセンジャーで話していると、こっちが落ち込んでいるのにこの返答かよ!と思うこともある。でもふと、向かい合って、彼女が同じセリフを言っているところを想像してみると、急に、まあ大したことじゃないか、と逆に面白く思えてくる。彼女にはそういう不思議な魅力があるのだ。不用意で無防備。それは日記の端々からも窺える。夫の死後ツイッターで思いきりお金の話をして批判されるくだり、夫を看取ってまもなくできた恋人を叔母に紹介すると言って怒られる話。普通だったら控えめに書こうとか、まだ隠しておこうとか迂回する気持ちになるところでも、彼女は一直線に走っていく。この一途さが多くの人をひきつけるのだろうし、私もやっぱり色んなことをポーンと公開して投げ続ける彼女にうらやましさを感じる。
いつのまにか日記に登場している恋人「ミツ」の存在が本書に不思議なおだやかさをもたらしている。いっちゃんが、どちらかに他に好きな人ができたら関係が終わるんだね、と言うと彼は「一子さんには子ども達がいるけど、僕にとっては、居場所まで奪われるんだからね」と言う。子持ち未亡人との間に彼が作り上げた名前のない関係。それはその脆さゆえに案外強靭なものなのかもしれない。
彼女の実母との関係も、絶縁が描かれた前作『降伏の記録』から大きく変化していく。人は見送り、出会い、そして許せなかったものを許せるようになっていく。そう簡単にまとめられない部分もあるだろうけれど、彼女の日記文学をこれからも追うことで、多分私たちはそのことをゆっくりと教えられていく。そのことの幸福について、改めて考えている。