単行本 - 日本文学

【第1章全文無料公開】李龍徳『あなたが私を竹槍で突き殺す前に』第2回 在日韓国人の生存権のための闘争だ

世界は敵だ。希望を持つな。殺される前に、この歴史を止めろ。

日本初、女性“嫌韓”総理大臣誕生。
新大久保戦争、「要塞都市」化した鶴橋。
そして7人の若者が立ち上がる。

新世代屈指の才能が叩きつける、怒りと悲しみの青春群像。


李龍徳
あなたが私を竹槍で
突き殺す前に

第1章「柏木太一 大阪府大阪市生野区 三月三十日」
全文無料公開
(毎日更新)
※第一回配信はこちらから※

シーンごとに震えの走る衝撃作。ぜひお楽しみください。
* * * * * * * * * * * * 

絶賛の声、続々!

日本の「今」に投げ込む爆弾のような挑発的問題作
柳美里

恐ろしい。血が騒ぐ。まがまがしくも新しい在日の物語が生まれた。
梁石日

この痺れるようなディストピアの過剰摂取は、
ぼくたちを“深淵(しんえん)の祈り”でつらぬく。
真藤順丈


* * * * * * * * * * * *

第2回 在日韓国人の生存権のための闘争だ

生きる場所を奪われた在日韓国人たちが身を寄せるようにして集まり、さながら「要塞都市」と化した大阪・鶴橋(つるはし)で、太一は尹信(ユンシン)へ語り続ける。韓国系芸能人の追放運動、新移民と旧移民によるドローン抗争、そしてついに起きた悲劇−−。

 

 なつめ茶と、それから彼が頼んでいた柚子茶(ユジャチャ)が運ばれてきた。小ぶりの韓国陶器のティーカップセットで、布のパッチワークの色合いが淡いポジャギのコースターに載せられていた。
 ふむ、と太一は息を吐き、微笑みかけ、そして赤茶けた陶器を持ち上げるも、なつめ茶には口を付けないままに語り続ける。
「徐々に進んでる韓国駐留軍の削減が、それでも完全な撤退となるのはまだまだ先だろう。今の韓国の政権は、これは僅差で選挙戦を制した引き続いての革新政権だけど、財閥改革やソウル大学解体などでは頑張っていても、経済格差や機会の格差は広がるばかりで、失業率や自殺率の高さは一向に改善される気配もない。だから韓国語で言うところの『多文化家庭(タムンファカジョン)』──つまり僕やシン君のように両親の民族が違う、といって大統領はハーフじゃなくてクオーターなんだけど、それに入ってるのは日本人の血じゃないけど、ともかくその多文化家庭(タムンファカジョン)出身の初の大統領の前途は、あまりに暗い」
 持ち上げていた陶器に口をつけないまま、コースターの上に戻した。
「仕方のない一面もあるけど過剰なまでの韓国ナショナリズムを前面に押し出して、対米従属を嫌い、日本の歴史認識を正す姿勢があまりに厳しい。朝鮮半島への領土的野心をいよいよ隠さなくなってきた中国とも反目し合っているし、韓国の外交政策は孤立するばかりだ。北朝鮮は『不気味な沈黙』をもう何年も続けてる。一見それは平和主義のようでもあって、朝鮮中央テレビでも韓日米の『合意不履行』を非難するぐらいのことしかしてないけど、実はそうして在韓米軍の完全撤退を待っているのだという説や、今の韓国で実際に起こっているスパイ疑獄事件などを根拠に、そういうふうにして韓国を内部から赤化統一しようと画策しているから表向きは静かにしているのだという説など、いろいろある。とにかくそのスパイ事件での検挙者があまりに多く、政界財界から芸能界に至るまであまりに多岐にわたってるから韓国国民はちょっとしたパニック状態だ。一方で多くの冤罪の可能性も指摘されていて、そういう意味でも混沌だな。北朝鮮メディアに『南朝鮮の反動勢力によって、罪もない人民が次々と投獄されている』と言われてそれを『いつもの妄言』と完全に笑えないところがまた、もうここまで来たんだというカオスを思わせる。あの韓国で、多文化家庭(タムンファカジョン)出身の大統領に対する反発がないはずもなく、一部の保守層からは本気で、軍事政権待望論まで巻き起こっているのが現状だ。そしてその影響が日本にも渡ってきて、言うまでもないけど在日コリアンバッシングや、韓国系芸能人の追放運動などに、まんまと利用されてもいる」
 なつめ茶をようやく口に含む。かつて韓国旅行していたときに飲んだ、それと変わらぬ期待していた味だった。
「その柚子茶(ユジャチャ)はどう? シン君」
 悪くないです、という顔をする。彼の器は青磁だ。なつめ茶を一口飲ませる。それには眉をひそめて応える彼に、太一は高笑いをしてしまった。
 咳払いをし、笑いを収めて「数年前までは、この日本でも、両国の政府間ではひどく牽制し合っていても、民間ではまだ差別反対の声のほうが大きかったんだよね。だけどそこであの、──『時雨(シウ)事件』が起きる。最低最悪の結果で、僕にも朝鮮民族の血が入ってるから、罪の意識を強く感じる。朝鮮民族の血が入っている人間は、これを永遠に悼み、永遠に謝罪してゆかないとならない」
 実際に哀悼を捧げるようにして、祈るようにして陶器のカップを両手で包(くる)んだまま、太一は黙る。きっちり三十秒後に口を開いて、
「時雨(シウ)事件のあとも立て続けに、まずコリアン以外の移民ニューカマーとオールドカマーである在日とが衝突した事件が起きた。あれは単純に双方の不良少年たち──三十代までを含めた『不良少年』たちによる小競り合いにすぎなかったと思うんだけど、ドローンのああいう利用がほぼ初めてだったあの衝突が、マスコミに面白おかしく描かれて、それで『親日』の新移民と『反日』の在日コリアン、という図式が横行する、対立を煽る、ただ販売部数のために憎しみを増幅させ、やはり在日叩きに結論する。とにかく、そんな若者同士のぶつかりも昔の話で、経済と人数の多さに圧倒されてもう新移民の勝利は確定した。排外主義者たちによる嫌がらせとの相乗効果で、かつてのコリアタウンの跡地には、彼らの経営する新店がどんどん建ち、地方にあったものもほとんど別の外国人街に変わった」
 手のなかの韓国陶器に目をやる。歪みが味となっている。青磁のほうは整っているが、かわいらしい真円の把手が小さすぎて持ちにくそう。
「そして駄目押しみたいにして起きたのが、あの『大久保リンチ事件』……」
 これについてはさすがに、当事者相手に、くどくどしく内容説明はしない。聞いていた彼の態度もそれまでは表情すら動かさなかったのが、木のスプーンでお茶のなかの柚子の実を掬っては、口に入れる。掬っては、口に入れる。彼は──アメリカで父親を殴打して半死半生の目に遭わせてからは、また日本に放逐され、母方の祖父母のところに預けられたのだがそのうち祖父母宅にも帰らなくなる。やがて新大久保にて、そこで共同生活していた在日武闘派グループに拾われ、大勢のなかで揉まれて育った。日本語と韓国語をそこで学び直したが、それゆえに必要最低限の敬語と数多くの罵倒語しか身についてない。
 陶器をポジャギのコースターに置き、太一は彼の腕をポンポンと叩く。そのままそこに手を置く。彼の腕の熱を感じる。
「僕たちが知り合うようになったきっかけだよ」
 そう言われると彼は少し、はにかむ。青白い顔に紅が滲む。木のスプーンの動きを止める。彼が元のグループに戻ることはないだろうと、太一は信頼していた。
 太一は自らに言うようにして、
「左翼は必ず内ゲバをする、という言説を僕は好かない。僕の父がだいたいそういうことを言いたがる人間だった。あの世代、左翼嫌いが高じて冷笑保守に定着した世代。平和がいちばんとか言いながら結局は日和見主義。すぐ『どっちもどっち』と裁定したがる面倒くさがりで、政治を語ることをタブー視するのも、勉強や現実直視が苦手なだけだったりする。個性よりも目立たないことを望み、精査された情報よりもぼんやりした直感を信じ、反権力を気取ることは恥ずかしいとしながらも単に長いものに巻かれて安心したいだけ、自分の頭で詳しく深く考えたくないだけ。僕の父も、弁護士のくせに、人権を制限する法律制定の数々に『自分にやましいところがなければ問題ない』と、見て見ぬふりをする」
 自分の思わぬ熱弁に気づいたと同時に、おまえの弱点はその父親やな、と、かつて言われたことを太一は思い出してもいた。頭を振る。おまえが世代論に陥りやすいのは父親への反抗心が先走るからや、との言葉も思い返す。
「内部抗争をするのは、右翼だって、あるいは団体というものはすべてそうなる可能性を孕んでいるものよ。でも、だけどね、まあ、──そうは言ってもあの事件はあまりに典型的(ティピカル)で、あまりに格好の攻撃材料を排外主義者たちに与えたのも確かだ」
 そして相手の目を見直して、今度は彼に向かってちゃんと言う。

第3回へ続く

第3回「新党 日本を愛することを問え」は、3月13日 10時更新予定です

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著者

李龍徳(イ ヨンドク)

1976年、埼玉県生まれ。在日韓国人三世。早稲田大学第一文学部卒業。2014年『死にたくなったら電話して』で第51回文藝賞を受賞しデビュー。2016年、第二作『報われない人間は永遠に報われない』が第38回野間文芸新人賞候補となる。2018年に第三作『愛すること、理解すること、愛されること』を刊行。本作『あなたが私を竹槍で突き殺す前に』は、「文藝」2018年秋季号(7月発売)〜2019年秋季号まで、1年あまりにわたって連載された、原稿用紙にして700枚におよぶ渾身の長編作である。

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