単行本 - 日本文学

【第1章全文無料公開】李龍徳『あなたが私を竹槍で突き殺す前に』第6回 憎しみの大合唱


世界は敵だ。希望を持つな。殺される前に、この歴史を止めろ。

日本初、女性“嫌韓”総理大臣誕生。
新大久保戦争、「要塞都市」化した鶴橋。
そして7人の若者が立ち上がる。

新世代屈指の才能が叩きつける、怒りと悲しみの青春群像。


李龍徳
あなたが私を竹槍で
突き殺す前に

第1章「柏木太一 大阪府大阪市生野区 三月三十日」
全文無料公開
(毎日更新)
※第一回配信はこちらから※

シーンごとに震えの走る衝撃作。ぜひお楽しみください。
* * * * * * * * * * * * 

絶賛の声、続々!

日本の「今」に投げ込む爆弾のような挑発的問題作
柳美里

恐ろしい。血が騒ぐ。まがまがしくも新しい在日の物語が生まれた。
梁石日

この痺れるようなディストピアの過剰摂取は、
ぼくたちを“深淵(しんえん)の祈り”でつらぬく。
真藤順丈


* * * * * * * * * * * *

 

第6回 憎しみの大合唱


「新党 日本を愛することを問え」の党主演説集会の動画が拡散されている。憎しみに飢え、声を枯らして叫ぶ聴衆たちを見て、アメリカ帰りの“武闘派”少年・尹信(ユンシン)の心に兆したものは何か。そして太一の計画はどこへむかってゆくのか−−。

 

 注文していた料理が次々と運ばれてきた。期待のスンデは、レトルトを湯煎してそのまま出しただけのようだった。少々がっかりし、まあそうだろうな、とも納得する。味は悪くなかった。しかし韓国の屋台で食べたそれとはやはり違っていた。
 後背の席がまた、どっと沸く。何がそんなに面白いのか、自分たちはすごく充実して面白がっているとアピールしないではいられないというような三人での合図したような哄笑。
 他に頼んだ料理が運ばれるなか──熱々のトッポッキ、串からは外されていた韓国おでん、辛そうな烏賊(いか)炒め、そして豚足と豚もも肉の盛り合わせ。
 韓国焼酎(ソジュ)のお代わりを太一は求める。今度は、アルバイトの女の子が瓶の蓋を開け、太一たち二人に酌をしてくれた。そして後方の、男三人のグループをあからさまに指で示して、
「시끄럽죠(シクロップチョ)?」と言ってきた。
「아니(アニ).별로괜찮아요(ピョルロケンチャナヨ)」と答える。
 アルバイトの子が席を離れる。
「ヘイトクライムで遂に起きた殺人、ということでキム・マヤさんが殺された事件はその残酷さから、差別の事案なんかをほとんど報道しなくなったマスコミを、それでも久しぶりに騒がした。僕もある意味、こういうことを思っては不謹慎だけど、これで在日同胞に対するバッシングも少しは収束するかも、と期待したんだけど、でも全然。それで、キム・マヤさん一人の死をもってしてもこの冷たい時代の流れは変わらなかった」
 食事が進んで空腹も満たされたころ、テーブル上の各皿を動かしてスペースを作って太一は、そこにモバイルを示し、
「でもまあこれ見てよ。これがわかりやすいから」と、動画再生ボタンを押す。画面には、神島眞平の党大会における演説が映っていた。ハイブランドのスーツを着ている。背後にはさまざまなスローガンを記した垂れ幕が何本か下がっていた。
「皆さん、先週、悲しむべき、恐るべき事件が起きました」まずステージ中央に直立し、静かに語り出す神島。「いたいけな、一人の女性が憎むべき犯罪者の手によって命を奪われてしまった。世間ではこれを、ヘイトクライム、と呼ぶ者がいる。いえ違います。そんな曖昧な定義のものでなくこれは純粋に、法を犯した殺人事件、なのです。殺人者の意図がどこにあろうと、被害者が誰であろうと、その罪の重さに違いがあっていいはずがない。憎むべきは、この日本国の法律に違反するその行為なのです」
 動画のなかの神島が、ステージを下手側にゆっくり歩き始める。
「しかしこの悲しむべき事件を、あくまでもヘイトクライムとして利用しようとする反日勢力がいるらしい。うんざりするようなワンパターンだが、それでも心優しい日本人のなかには、あっさり騙されてしまう人がいるようだ。それが奴らの手です。日本人の優しさや同情心につけ込んで、奴らは忍び寄ってくる。洗脳のプロセスを奴らは熟知している。気をつけましょう、気をしっかり持っていましょう」
 ステージの下手から上手のほうに、またゆっくり神島は移動する。
「しかし仮に?」立ち止まって会場を一瞥(いちべつ)し、そしてまた歩き出す。「仮に、先週のこの被害者一人の事件をヘイトクライムと呼ぶならば、我々はもっと残虐非道で被害甚大の、正真正銘のヘイトクライムを知っているはずだ(少量の拍手が起きる)。そうです、あの時雨(しぐれ)事件です(会場全体の拍手と「そうだ!」との囃し立て)。しぶとい反日勢力が攻勢をかけてきた今だからこそ、私たち日本人が怒りと悲しみをもって、しっかりと思い返して何度でも胸に刻み込まなければいけない。たった一人だけが犠牲の暴力事件のせいで、あの大きな悲劇がなかったことにされていいはずはありません」
 ここで動画の一時停止ボタンを押して、太一は「まあここでちょっと早送りするね。こいつの言ってることが徐々にする論点ずらしなのがわかるから」とモバイルを操作する。そして意図する箇所でまた再生ボタンを押す。
 神島はステージ前方の縁まで出ていた。
「──いいですか? こういう憎悪による凶悪犯罪が、諸外国に比べて極端に少ないということが、我が国日本の、治安の良さ、忍耐強さやジェントルネスを表しています。そしてそこにこそ我々はもっと目を向けるべきです。そこにこそ、目を向けるよう世界に対して働きかけるべきです。日本以外の世界はもっと厳しい。日本国内での差別なんて、世界水準には全然満たない。まだまだです。いったいこの日本国で、肌の色の違いだけで無辜(むこ)の市民を銃で撃ち抜く警官がいますか? 性的マイノリティがそれだけを理由に集団で殴り殺されますか? 宗教によって教会やモスクが信者ごと焼かれたことが、近代以降でありましたか? 日本はまだ、まったく甘いです。我々は自信を持っていい」
 ここで太一は動画を停めた。「こいつは気づかずに言ってるのか、言ったあとに気づいたか、まさにキム・マヤさんが彼女の出自を理由にして殺された。それにシン君もわかるように神島のアメリカ情報は、留学経験があるくせに、あるいは向こうで嫌な思いでもしたか、偏見に満ちて雑すぎる。それからこの理屈には関東大震災のときの朝鮮人虐殺事件もカウントに入ってないみたいだけど、こいつらに今更それを言っても無駄か」
 そして太一は動画の続きを再開する。
 高性能マイクが仕込まれているおかげもあるだろうが、テノール歌手をも目指していたという神島の声はよく通る。
「──それなのに自らを省みることもなく偉そうに、私たち『和の国』に対して国際機関を通じて通告し、指図してくるそんな外国勢力ほど、自国内のヘイトクライムの増加と凶悪犯罪化には歯止めが利かない、圧倒的な道徳後進国であるということを、我が日本国民に向けてだけではなく世界中にも広めていくべきだ。日本の外の世界はもっとひどい! だから、──日本の常識を、世界の常識に!」
 聴衆の拍手。
 その「日本の常識を、世界の常識に!」とは、垂れ幕にもある新党日本愛のスローガンの一つだ。
 神島がまたステージ中央に戻り、くるりと正面を向いた。
「日本を愛するということはこの日本列島の平和と美しさを、大和民族の優しさ、和をもって貴しとする伝統精神を愛するということです。日本のこの平穏と秩序に、しつこくクレームをつけようという連中にはこう言おう──『ゴー・ホーム』と。お帰りください、それぞれの祖国へ。他人の国に混乱をもたらさないでください、と。日本を愛するということはそういうことです。いいですか皆さん? 日本を愛するとはどういうことかを自らに問い続けることが、日本国民の普通の、あるべき姿です。だから皆さん、いいですか? 日本を愛するということを、──問え!」
「問え!」聴衆が待っていたかのように唱和する。
「日本を愛するということを問え!」
「問え!」
「そうです、そうです。素晴らしい。問い続けましょう。外国勢力に言いなりのマスコミや、既得権益を離そうとしない強欲な支配者層や、権力闘争に明け暮れる腐敗した政党政治家の言うことではなく、ご自身で、ご自身の心の声に問い続けてみてください。それがそのまま真実の答えです。どのようにすれば日本を愛しているということになるのか? どのように行動すれば、結果的に日本を愛していたということになるのか? 自らに死ぬまで問い続けましょう。私も、死ぬ瞬間までそうします、問い続けます。日本を愛するということを、──問え!」

 

第7回へ続く

第7回「“要塞都市” 鶴橋」は、3月17日 10時更新予定です

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著者

李龍徳(イ ヨンドク)

1976年、埼玉県生まれ。在日韓国人三世。早稲田大学第一文学部卒業。2014年『死にたくなったら電話して』で第51回文藝賞を受賞しデビュー。2016年、第二作『報われない人間は永遠に報われない』が第38回野間文芸新人賞候補となる。2018年に第三作『愛すること、理解すること、愛されること』を刊行。本作『あなたが私を竹槍で突き殺す前に』は、「文藝」2018年秋季号(7月発売)〜2019年秋季号まで、1年あまりにわたって連載された、原稿用紙にして700枚におよぶ渾身の長編作である。

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